【どこまでも続く青い空】
雲ひとつない、秋晴れの空。
心地よく、どこまでも続いているように見える。
実際、どこまで続いているんだろうか。
大きく背伸びしたレイは、今朝目の端で捉えた全国の天気予報を思い出して、嫌気が差した。
夢は夢のまま、だ。
それでいて、実現できない夢は、ただの夢。
レイは今日、生まれて初めてのファッションショーに参加する。
服飾やデザインをメインのコースにしていない進学校の文化祭。そこで、レイはやっと思いの内を全て吐き出せる。
ここに来るまで、思ったより大変な事を乗り越えないといけなかった。
何より、デザインとは全く関係ない事と向き合わないといけなかった。
ー結局、人として成長できた、のかもしれない。
レイはひとりごちる。
今、どこまでも続く青い空を遮断して、レイが描き出す新しい空が、開幕する。
【夜明け前】
夜明け前に必ず、急に暑くなる時間がある。
レイは体が冷えるのが嫌であまりエアコンや扇風機を使わないが、それでもこの時は寝苦しく、ふと目を覚ますことがある。
(暑い…。てかなんか体が重い…?)
恐る恐る目を開けると、自分の体の上に人影が見えたのでギョッとした。
(座敷わらし…?)
怖すぎて声も出ないし、金縛りにあったみたいに体が動かない。
「あ、お兄。」
座敷わらしから発せられた声はよく知っている妹の声だった。
「レオナか…?お前、何してんだ?」
夜中に兄の上にのしかかるなんて奇行中の奇行だ。
「お兄、来年ファッションショーするんでしょ?音楽、私にやらせてよ。」
「は…?」
妹はしばらく不登校で部屋に引きこもりっぱなしだし、音楽をやってるなんて聞いたことがない。
「何言ってんの…?」
「高校は、女子校には上がらないことにした。お兄と同じ高校行くよ。」
「そんな、今から準備するにはレベル高いぞ?」
「大丈夫だって。いいから、音楽は私にやらせて。」
レオナはそれだけ言うとベッドから下りて部屋から出て行こうとした。
「って、おい。音楽って、お前作れるのか?」
ドアの所で立ち止まったレオナは振り向いて言った。
「任せなって。」
その姿は、夜の部屋に舞い降りる妖精のようだった。昔見た子ども向けの映画のワンシーンだ。
母に他に子どもがいることを話してから、部屋にこもるようになってしまっていたレオナが出て来た。久しぶりに見た妹は、やる事が派手で周りを振り回してばかりだったあの頃と変わらない。
しばし混乱した頭を整理しようと、レイは窓の外を見た。
暁を切り裂く朝日が目に飛び込んできた。
【本気の恋】
「本気で恋をしたのは、
あなただけでした。」
街中のやたら大きな広告を見て、マコトはふと立ち止まった。
前職の先輩、マユミがかっこいいと騒いでいた俳優が主演だったからだ。
(本気の恋かぁ・・・。)
こういう映画を見るのは女子高校生や大学生だろう、と思いつつも、その目を引く広告を見るとついいろいろと考えてしまう。
実を言うと、中学生くらいのころから彼女が途切れたことはない。どちらかというと可愛いルックスに、姉妹に鍛えられた上手な女性の扱いで、割とモテた方だと思う。「好きだ」と言われれば、それを無下に断るのも悪い気がして、よっぽどのことがない限りOKしていた。あとはなんとなく別れたり、付き合ったりの繰り返しだ。
その中で、たった一人だけ、本気で恋をした相手がいる。
(相手が悪かったなぁ。)
多分、この先結婚してもいいと思えるような女性が現れても、彼女のことは忘れられないだろう。
でもなんで、彼女だけに本気になってしまったのかが分からない。
(既婚者だったから?)
もしそうなら、俺はとんでもないクズだな。
実際には、付き合いだしたとき、彼女は婚約者がいる事を黙ってたから、知らなかった。でもその後ズルズル流されたのは俺だ。いつの間にか他人のものになってしまった彼女に、ただ夫がいない間寂しいから、というだけの理由で何度も呼び出された。それを拒否できなかった。
一つ挙げるとするなら、「手に入りそう」という感覚がすごく怖い、というのはある。「手に入りそう」な女性は敬遠するが、「手に入らなさそう」な女性には素直に心を揺らしてしまうのは否めない、ということに気づき始めた。
(手に入りそう、とか言ってる時点でもう、傲慢だよな・・・。)
最近ちょっと分かったのは、女性に振り回されてるとなぜか安心する、ということだ。
(哀れな犬かよ・・・。)
虚しい気持ちになる。心臓をすりおろされるような気分だ。痛い。けど、どこか心地いい。
(今もあんまり変わってないのかな・・・?)
「タケヨシくん!」
マユミの声がして、振り返る。
マコトは一瞬固まってしまった。マユミの雰囲気が、いつもと違う。
普段アップにしていることが多い長い髪を、おろしている。ほとんどの男は、そんな違いだけでドキマギするものだ。
「ごめんね。遅れちゃって。」
少し首を斜めにかしげる仕草も、会社では見たことがない。
(なんか雰囲気が違う・・・。)
姉妹はいるものの、女性のメイクにそこまで詳しいわけではない。
(リップの色・・・?え、なんだろ。)
なにが違うのかはっきり分からなくて、急に緊張してくる。
「どうしたの?タケヨシくん?」
こんな風に覗き込まれるのも、はじめてだ。
「いや、なんか、雰囲気違うなと思って。」
「え、そう?変かな?」
上目遣いの先輩も見たことがない。
「いや、、、」
何が違うのか分からないのに、なんと褒めたらいいのか分からない。
「変じゃないですよ」
中途半端な誉め言葉しか口から出てこない。素っ気なく言って、マコトはそっぽ向いた。
「この映画ですよね。もう結構並んでますよ。早く行きましょ。」
そう言って、マコトは思わずマユミの手を引いていた。
「あ、入る前にコーヒー買いたいんだけど、いい?」
マユミが言う。
「え?ああ、まぁ、ギリ、大丈夫ですかね。」
マコトは腕時計を見ながら答えた。
「時間?気にしすぎだって。らしくないじゃん。」
マユミが笑う。
どんなピンチが来ても、余裕がある笑顔でこなしてた、会社勤めの日々を思い出す。
「後から入るの、嫌なんですよ。」
思わずムッとしてしまう。
子どもっぽすぎたかな、と思ってマユミを見ると、なんだか機嫌良さそうに笑っている。
「なんか今日のタケヨシくん、かわいいね」
顔が赤くなるのが分かる。今からこんな映画を見るなんて憂鬱だ。
タイトルは、「本気の恋」
【胸の鼓動】
「いっ…!」
しまった。指を切ってしまった。
最近やっと調理の方もやらせてもらえるようになったのに、全然集中できてない。
「ナカジマく〜ん、大丈夫?なんか今日、ボーッとしてるね。体調悪いんじゃない?」
店長が話しかけてくる。
「今日はもう、帰って休みな?」
「いや、でも…。」
指を抑えながら振り向くと、店長と目が合った。有無を言わせない圧を感じる。
「はい、そうします…。」
バイトを始めて年上の人達と関わるようになって時々思う。大人って、こちらの何もかもを見透かしているように思える時がある。
(やたらはしゃいでる時は子供っぽく見えるのにな…。)
シュンは店長の言葉に甘えて帰ることにした。
帰り道、いつも通りかかる公園でなんとなく力尽き、シュンはベンチに座った。辺りはとても静かだが、街灯に照らされて明るく、星はほとんど見えない。
ボーッとしながら、さっき切った指を無意識に抑えていた。そこに心臓ができたみたいに、どくん、どくん、と血が流れているのを感じる。
「レイのお母さんが、俺のお母さん。」
声に出してみた。友達になった奴の母親が、昔家を出ていった実の母親だなんて、そんなこと滅多に起きないだろう。
「どうせ出てくんならどっか遠くに行けよ…。」
「あ、もしかして、こないだの方?」
女性の声がして顔を上げると、そこには聡慶高校の制服をした女の子が立っていた。
「…?あ、すごい雨だった日の…?」
そうそう、と言いながら、彼女は少しそわそわした様子でそこに立っている。
会ったことがあると言っても、たまたま同じ場所で雨宿りしただけだ。
「あれ、指、どうしたの?」
シュンの怪我した指を見て彼女は言った。
「ああ、さっきバイト先で怪我しちゃって。」
「へぇ、なんのバイト?」
そう言いながら彼女はいつの間にか隣に座っている。やたら人懐っこいな、と思いながら、シュンはしばらく彼女の質問攻めに答えた。
「こんな所で座って何してたの?…あ、私質問してばっかり…。ごめんなさい。」
「いや、いいけど…。」
実際、考えたくない事でグルグルしてるよりは良かった。
(聡慶高校って言うと、レイと同じ高校か。でも確か…)
「2年生、でしたっけ?」
「そうよ。」
学年は違うのか。いっそのこと、話してみようか。どうせ他人だし。
「怪我すると、そこに心臓ができたみたいに、ドキドキしません?」
考えがまとまる前に、彼女が話し始めた。
「ん?ああ、そうですね。」
「不思議よね。心臓はいつも動いてるのに、普段あんまり気にしない。」
確かにそうかもな、とシュンは思った。これまた無意識に、自分の胸に手を当ててみる。ちゃんと鼓動が伝わってくる。
「怪我して始めて、『生きてるなー』って思う。リスカって、死にたくてするんじゃなくて、生きてることを確かめたくてする人もいるんだって。」
リストカット。急に重い話になったな。でも俺が少し前までは喧嘩ばっかしてたのも、もしかしたらあんまり変わらないのかもな。
「自分の胸の鼓動に耳を澄ませたり、確かめたりなんて普通しない。でも、ちゃんと動いてくれてる。」
どくん、どくん。胸に手を当てて心臓の音を聞いていると、不思議の指の痛みを感じなくなった。
生きてるんだな、俺。レイも生きてる。二人とも、あの女から生を受けたのは皮肉だけど、生きてることだけは確かだ。
(レイは知らなかったわけだし、約束は守らなきゃだな。)
「あ、なんか私一人で語っててキモいですね。」
女の子が焦り始めて、そのまま立ち上がった。
「いや、ありがとう。」
シュンもつられて立ち上がる。感謝されたのが不思議だったのか、女の子がキョトンとした顔でこちらを見ている。その時始めて彼女の顔をまじまじと見たシュンは、彼女がとても綺麗な顔立ちをしている事に気づいた。
「まだ名前言ってなかったね。私、カンバヤシ シズクです。」
右手を出してきた。
「ナカジマ シュンです。」
そっとその手を握った。
「怪我、早く治るといいね。じゃ。」
そう言って、シズクは長い髪を揺らして去って行った。
どくん、どくん。さっきより胸の鼓動が早い気がするのは気のせいだろうか。
【時を告げる】
「ねぇ、時間ってなんだと思う?」
「えー、なに、急に」
シズクは顔をしかめた。いつも一緒にいるカナは時々難しい話をする。
「いいから。時間とは?」
「んー…」
シズクは頭をひねった。時間。時間を刻むのは時計。では時計がないと時間は存在しないのか?否。時計は人間が作ったものだけど。それがなくても、時間という概念は存在する。
「元々は、日時計とかで時を刻んでたわけだから…。太陽の動き、つまり地球の自転によって刻まれているもの?ということは、時間とは、天体の動きのこと…?」
話しながらどんどんわけが分からなくなっていく。
「なるほど。でもそれだと、光が届かない場所では時間が存在しないことにならない?深海に生息するウミユリは、毎年同じタイミングで性細胞を放出するみたいよ。」
(性細胞…?)
聞き返したいのはヤマヤマだが、余計ややこしい話になりそうだ。
「光だけが時を刻んでるわけじゃないってこと?」
「そう。というか、結局、1秒の定義って、昔は天体の動きを元にしてたけど、今は原子の動きを元にしてるらしいよ。」
(え…。何が言いたいんだろう。)
シズクはちょっと肌寒くなってきた季節には少し冷たすぎるシェイクを吸い込んだ。
「私さ、カレンダーとか時計以外の、『時を告げるもの』を大事にしたいな、って思うの。」
「例えば?」
スウウウウウウウ。
カナは突然両手を広げて息を吸い込んだ。
「これ。この匂い。この温度。夏の終わりを告げるもの。」
確かに、近頃夏服では夕方は寒く感じるようになってきた。
「寂しいし、ちょっと焦っちゃうね。あっという間に今年が終わっちゃう。」
17歳の夏が終わるのか。確かに、辺りを見回せば、時を告げるもので溢れてる。熱を失った青葉、乾燥した空気、空は高くなってるし、虫の声も違う。
「えー、どうしよう。」
シズクは急に不安になってきた。
「なに、どうしたの?」
「私何もしてないよー。」
「シズクが?いろいろしてきたでしょ、成績だってずっとトップなんだし。」
確かにそうだけど。ただ授業でやった事を全部覚えてテスト用紙に書くのが得意なだけだ。シズクと違って、カナはいろいろ自分で考えていて、もっと大人に見える。
「焦ったってしょうがないよ」
カナが笑う。まだストローを噛む癖が直ってないらしい。
「そうかなぁ。」
時を、告げる。ねぇ、なんのために?