【胸の鼓動】
「いっ…!」
しまった。指を切ってしまった。
最近やっと調理の方もやらせてもらえるようになったのに、全然集中できてない。
「ナカジマく〜ん、大丈夫?なんか今日、ボーッとしてるね。体調悪いんじゃない?」
店長が話しかけてくる。
「今日はもう、帰って休みな?」
「いや、でも…。」
指を抑えながら振り向くと、店長と目が合った。有無を言わせない圧を感じる。
「はい、そうします…。」
バイトを始めて年上の人達と関わるようになって時々思う。大人って、こちらの何もかもを見透かしているように思える時がある。
(やたらはしゃいでる時は子供っぽく見えるのにな…。)
シュンは店長の言葉に甘えて帰ることにした。
帰り道、いつも通りかかる公園でなんとなく力尽き、シュンはベンチに座った。辺りはとても静かだが、街灯に照らされて明るく、星はほとんど見えない。
ボーッとしながら、さっき切った指を無意識に抑えていた。そこに心臓ができたみたいに、どくん、どくん、と血が流れているのを感じる。
「レイのお母さんが、俺のお母さん。」
声に出してみた。友達になった奴の母親が、昔家を出ていった実の母親だなんて、そんなこと滅多に起きないだろう。
「どうせ出てくんならどっか遠くに行けよ…。」
「あ、もしかして、こないだの方?」
女性の声がして顔を上げると、そこには聡慶高校の制服をした女の子が立っていた。
「…?あ、すごい雨だった日の…?」
そうそう、と言いながら、彼女は少しそわそわした様子でそこに立っている。
会ったことがあると言っても、たまたま同じ場所で雨宿りしただけだ。
「あれ、指、どうしたの?」
シュンの怪我した指を見て彼女は言った。
「ああ、さっきバイト先で怪我しちゃって。」
「へぇ、なんのバイト?」
そう言いながら彼女はいつの間にか隣に座っている。やたら人懐っこいな、と思いながら、シュンはしばらく彼女の質問攻めに答えた。
「こんな所で座って何してたの?…あ、私質問してばっかり…。ごめんなさい。」
「いや、いいけど…。」
実際、考えたくない事でグルグルしてるよりは良かった。
(聡慶高校って言うと、レイと同じ高校か。でも確か…)
「2年生、でしたっけ?」
「そうよ。」
学年は違うのか。いっそのこと、話してみようか。どうせ他人だし。
「怪我すると、そこに心臓ができたみたいに、ドキドキしません?」
考えがまとまる前に、彼女が話し始めた。
「ん?ああ、そうですね。」
「不思議よね。心臓はいつも動いてるのに、普段あんまり気にしない。」
確かにそうかもな、とシュンは思った。これまた無意識に、自分の胸に手を当ててみる。ちゃんと鼓動が伝わってくる。
「怪我して始めて、『生きてるなー』って思う。リスカって、死にたくてするんじゃなくて、生きてることを確かめたくてする人もいるんだって。」
リストカット。急に重い話になったな。でも俺が少し前までは喧嘩ばっかしてたのも、もしかしたらあんまり変わらないのかもな。
「自分の胸の鼓動に耳を澄ませたり、確かめたりなんて普通しない。でも、ちゃんと動いてくれてる。」
どくん、どくん。胸に手を当てて心臓の音を聞いていると、不思議の指の痛みを感じなくなった。
生きてるんだな、俺。レイも生きてる。二人とも、あの女から生を受けたのは皮肉だけど、生きてることだけは確かだ。
(レイは知らなかったわけだし、約束は守らなきゃだな。)
「あ、なんか私一人で語っててキモいですね。」
女の子が焦り始めて、そのまま立ち上がった。
「いや、ありがとう。」
シュンもつられて立ち上がる。感謝されたのが不思議だったのか、女の子がキョトンとした顔でこちらを見ている。その時始めて彼女の顔をまじまじと見たシュンは、彼女がとても綺麗な顔立ちをしている事に気づいた。
「まだ名前言ってなかったね。私、カンバヤシ シズクです。」
右手を出してきた。
「ナカジマ シュンです。」
そっとその手を握った。
「怪我、早く治るといいね。じゃ。」
そう言って、シズクは長い髪を揺らして去って行った。
どくん、どくん。さっきより胸の鼓動が早い気がするのは気のせいだろうか。
9/9/2023, 2:14:44 AM