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4/8/2023, 7:25:26 AM

 海外でも日本でも、西の海辺で見る日の入りは格別だった。
 海に呑み込まれるその時まで、ずうっと眺め続けたって全く飽きない。思ったよりも速く進む太陽に、引き摺られるように変わっていく空の色が面白くて、一時間も二時間も見続けることなんてざらにある。
「……寒くない?それ」
「防寒対策してくもん」
「そこまでするのか……」
 僕は無理かも、と苦い顔をする君は出不精で寒がりで、どう考えても日の入りウォッチ向きじゃない。知ってるよそんなの。だから一緒に、なんて誘い方は絶対しないから安心してほしいと笑えば、あからさまにほっとされて思わず吹き出しそうになる。
「ふふ、ふ。可愛いね」
「うるせー」
 付き合えなくて悪いと思ってるんだよこれでも。ぼそぼそと喋る彼は、旅好きの私をインドアに留めるのが心苦しいのだと小さく呟く。気にしなくてもいいのに。私は好きで一緒に部屋の中にいるのだからと教えても、納得いかないと顔を顰めるところが本当に優しくて、融通がきかなくて、可愛いなと思う。
「いいんだよ、ホントに」
 その代わり、私の旅の話を聞いてよ。息を呑む程美しい日没を見たこととか、暮れゆく濃紫の空が吸い込まれそうで素敵だったこととか。一緒に行けない代わりに沢山喋るからと微笑めば、面食らったように瞬く君がええ……、と零して。
「そんなんでいいの」
「いいよ。でも詰まんなくても聞いてね」
「いいけど……いっつも面白いから僕は困んないし」
「そうなの?」
「そうなの」
 じゃあWIN WINってやつだね、とちょっと緩んだ頬のまま彼の手を握れば、何その顔と呆れたように溜息を吐かれる。
「可愛い顔してるの分かってる?」
「ええー……」
 趣味悪いよと呟いた声は、多分思ったよりずっと困った色を含んでたんだろう。それをちょっと嬉しそうに見ている君は意地悪で、でも子供みたいで可愛かったから、頬をぎゅっと抓るだけで取り敢えず手打ちにしてあげた。

お題:沈む夕日

3/8/2023, 1:37:26 PM

 アンタの人生がお金で買える程安い訳ないでしょ。呆れたように言った親友は、馬鹿ねえ、と私の前にしゃがみこんで止まらない涙を拭ってくれた。
「アンタは世界でひとりしかいないの。国家予算規模でお金積んだって買えるような命じゃないんだから」
 端金で私の大事な人を売ったり傷付けたりしないで。ごし、と強めにタオルで目元を擦られて流石にちょっと痛かった。それでもやめてなんて言えやしないし、言いたくもなかった。そうやって心配されるのが嬉しくて、でもそんな気持ちはなんかよくない気がして、ありがとうも口にできないまま、やっぱりぽろぽろ涙を溢すしかないのが自分でももどかしい。
「ひ、ひよちゃ……っ」
 ごめんねえ、としゃくりあげながらそれだけはなんとか伝えると、彼女は自分の方が痛そうな目をしてくしゃりと綺麗な顔を歪めていた。唇を噛み締めて首を横に振る姿は悲しそうで、私の涙まで倍増して流れていく。
「……アンタが、倒れる前に解ってよかった」
「……っぅん、うん、」
「もうこんなになるまで無理しないで」
 お金よりアンタの方が大事なの。そう掠れた声で訴えた彼女が、私の両手を掴むとぎゅうっと強い力で握り締めた。微かに震えている気がするのは、本当に心配してくれたからなんだろうなと思う。
 こんな風になるまで自分を心配してくれる人がこの世にはいるのだ。改めて気付かされた親友の有難さに、止められない涙がまた頬を辿って落ちていった。ひよちゃんありがとう。ごめんね。そればっかりをたどたどしく繰り返せば、彼女の目元にも水が溜まって、ぽたぽたと地面に落ちていく。
「なくさないでよかった」
 よかったあ、と気が抜けたように呟いた彼女の手が、いっそう強く私の手を捕まえる。その痛いくらいの力加減がなんだか胸に迫って、私は言葉も出ない唇をこれ以上震わせないよう、きゅ、と一生懸命噛み締めるしかなかった。

お題:お金より大事なもの

3/5/2023, 5:44:42 AM

 君と僕は似ていない筈なのに、何故だか妙に話が合った。好奇心旺盛で話好きな君と話すのはいつだって楽しくて、ずうっと終わりが見えなくて、どれだけ話しても時間が足りないね、と笑い合ったのを今でも覚えている。
 周りからはどうしてそんなに話すことがあるの?と不思議がられたし、なんの話してるかさっぱり分からない、と言われる程独特な会話を繰り広げていたらしいのだけど、二人して終に気付かなかった。それくらい君との会話は僕に馴染んで、不思議なことなんて何もなかった。
 だから、ずうっとそうやって話していられたらなと漠然と思っていたのだ。学年が上がっても、社会人になっても、二人だけに通じる楽しさを共有していけたら。きっと長く共にいても苦にならないから大丈夫、と根拠のない自信を胸に君と向かい合って話していたのは、気付けば随分と遠い昔のことになってしまっている。
 社会人になってからも何度か会ったけれど、職場も離れ、共通の友人とも疎遠になった二人は、いつの間にかお互いの距離も遠くなっていた。もう何年会っていないかも思い出せない。君と何を話していたのかも、君がどんな声をしていたかも、何もかも。
 それでも、ただ楽しかった記憶だけは残っている。君と笑い合った時間の慕わしさも、足りない時間への不満も、話についていけないと顔を顰めた友人の顔に二人して笑ってしまったことも、そんなことばかり時折思い出しては淡く微笑む。
 今はもう消息も分からない君は果たして幸せに暮らしているだろうか。あの時のように話しても話し足りないと思えるような人は、君の側に今いるのだろうか。聞けるものなら聞いてみたい近況を想像して、僕は案外楽しくやっているよ、と頭の中で手を振る君に、こちらからも軽く手を振り返す。
 こっちもだよ。想像の君はそう笑って、僕に向かってにっこりと微笑んだ。それが本当であればいいと願うくらいには好きだった君が、幸いに溢れて生きていたらいいと、僕は窓の外を見ながらひとり夢想している。


お題:大好きな君に

3/2/2023, 7:10:23 AM

 欲って大事なの。原動力になるもの、と笑ったあの子の気持ちが知りたくて、その『欲』ってやつを食べてみた。彼女から滲み出た欲は、なんだか甘い味がして、美味しかった。
 他の人の欲も同じ味がするのだろうか。確かめてみたくて、次に会った男の人の、なんだかぎらぎらした感じの欲を食べた。舌ばっかりバチバチ刺激して、あんまり美味しいものじゃなかった。欲望にもどうやら味の違いがあるらしい。
 じゃああっちの人はどうだろう。こっちの人は?そう何人も試しに食べてみると、一人一人、そして欲望のひとつひとつで、味が全く違うことが判った。生まれたばかりの赤ちゃんの欲はちょっと味気なくて、死にそうな老人の欲はぼやけた変な味がした。好きな人を一目見たいなっていう気持ちは花の蜜みたいな味だったし、殺してやりたいって呟いていた人の願いはどろどろのコーヒーみたいな味だった。  
 そうやってすれ違い様に色んな人の欲を食べて、どんな味がするのか研究する。何が一番美味しいんだろう。口にしながら○×と順位を付けて、自分の中で比べてみた。昨日の人はベリーみたいで美味しかった。今日の子はトウガラシみたいで食べられたものじゃない。そうやって決めていく順位で、でもやっぱり忘れられないのはあの味だな、と思う。
 だから一週間後に、報告がてら彼女のところに遊びに行った。欲ってすごいね。色々欲ってやつを食べてみたけど、何故だか君の欲が一番美味しかったよ。だから、とそうベンチに座るあの子に話しかけたら彼女は一瞬目を見開いて惚けて、それからあっ!て顔をして嬉しそうに笑っていた。
「私とその話したの貴方だったのね!」
「……え?うん、……うん?」
「よかった会えて」
 話した内容は覚えているのに、誰に話したか思い出せなくて悩んでたの。そう朗らかに笑った彼女は安心したように胸を撫で下ろしていたけれど、こちらの心臓はばくばくと嫌な音を立てるばかりだった。
 だって、覚えてないってどういうこと。この間話したばかりなのに?と嫌な気持ちがぐるぐる回って、口からもトゲトゲした言葉になって転び出る。彼女は驚いた顔をしていたけれど、それでもぱちぱちと目を瞬かせるばかりで特に堪えた様子もない。
「不思議ね。きっと貴方に話したかったんだと思うんだけど、どうしてだか忘れちゃった」
 でもまた会えたしいいかな、と呑気に笑う彼女の顔を見下ろしながら、心臓が痛いぐらいだかだかと跳ねるのを聞いていた。記憶が欠けている。そうと気付かない程鈍ければよかったのに、気付いてしまったら嫌な予感ばかりが押し寄せる。
「そういえば、さっき何を言いかけてたの?」
「……いや、なんでもないよ」
「そう?」
 簡単なお願いくらい、別に聞いたっていいのに。変なのなんて呟きながら首を傾げる彼女の中に、『貴方に話したい』と望んでくれていたらしい欲はもうひとかけらも残っていない。
 僕が食べてしまったからどこにもないの。そう聞いて、答えが返ってくるなら楽なのに。誰も知らない問いかけは口にもできず、恐ろしくてもう一度と望むこともできず、笑いかける彼女から目を逸らすことしかできなかった。

お題:欲望

3/1/2023, 5:39:25 AM

 知らない人ばかりの街に行けば、もっと呼吸がしやすいのかな。デスクに凭れながらそんな風に夢想したのは、なにも一度や二度のことじゃなかった。
 だからこそ選んだ、住んだことのない、地元から遠く離れた別の街。そういうところに行くのはいいかもしれないなんて安易な思い付きでやって来た私は、けれどそこが自分にとって優しくない場所なんだということを、今この瞬間まで全く考えてもみなかったらしい。
「……国内なのになあ」
 言語の壁が高いし、文化も全く違うところに行くのは怖くて、他の国は流石に選べなかったのだけれど。日本語が通じるならなんとかなるんじゃないかと簡単に思っていたのもまた違うのだと、この場でまざまざと見せつけられてしまった。
 旅行者だから、なのか。それとも私が場にそぐわない他人だからなのか。ぽつんと立ち尽くして周囲を見渡しても、大丈夫?と声をかけてくれる人はいない。
 もう少し田舎だったら違ったのだろうか。変に都市部に来ちゃったからこうなのかな。そんな風にぐるぐると考え込むけれど、解決策はないままおろおろとするしかない。忙しい時間帯に辿り着いてしまったからか、心なしか追い抜いていく人達の顔も迷惑そうだ。なんてところに来てしまったんだろう。私の馬鹿と強めに罵ってみても、現状は冷たく、なんの糸口も見出だせなかった。
「だれか」
 助けてくれないかな、と呟いてみるけれど、沢山の人が行き交う中でそんな弱々しい声を拾ってくれる人はいない。それどころかなんとか移動しようと歩き出してもチッと強めに舌打ちされる始末で、あまりの恐ろしさにはくはくと唇を戦慄かせて端っこに縮こまるしかなくて、もう泣きそうだ。
「何が呼吸がしやすそうよぉ……」
 こんなの、息が詰まって死にそうの間違いじゃない。ひく、と喉を震わせてしゃがみこみ、恐る恐る眺めた風景はまるで急流を忙しなく動く魚のようで、声をかけるのも怖くてできなかった。かといって一度壁際に寄せられてしまったらあの急流にまた呑み込まれるのも恐ろしくて、動けないままただ彼らの行列を見ているしかない。
 ああ、果たしてこの恐怖に満ちた場所が穏やかになる時なんて来るのだろうか。抜け出すタイミングを茫然と待ちながら、現実逃避のように魚達を見てはかちかちと歯を震わせる。朝の八時。苛立った顔で改札を抜ける人々の影に隠れ、私は、果てしない終わりを求め立ち尽くす木偶の坊と化していた。
 結局その流れが緩やかになってきたのは一時間も後のことで、なんとか歩き出してその場を逃れたのは更に後。もう二度と来たくないと独り呟いた私の目には終に涙まで浮かんで、ぽろぽろと零れる滴を止める手だてもないまま、帰りの電車を探すべくよろよろと切符売り場に近付くのがやっとだった。

お題:遠くの街へ

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