『夜景』
上京して初めて、家に入った。
マンションの購入も荷物の運び込みも、父と母がぜんぶ手配してくれたから、私がやることといったら荷解きだけ。
せっかくの一人暮らしだというのに、こうもあれこれ世話を焼かれてしまっては、一人になった気がしない。
大学は自分で決めたが、住居は私が何もしないうちに決まってしまって、正直、自立した感じがない。
一人暮らしをはじめるのを節目に、「大人の道」を歩もうと思っていたのだが、そんな私の決意を知らない両親は、当然のように私の手を取って歩く。
「ここからは自分で行くから」
どこかの道の途中でそう言わなければならないのに。
私はまだ言えていない。
怖い。
親から離れるのが怖いんじゃない。自分が離れることを、親が拒んでくるのが怖い。離した手をまた掴んでくるのが怖い。
私の両親は、そういうことをしてきそうな気がする。
だから、まだ言えない。
……雨の音に誘われて、ふと、窓から外を見た。
細かな水滴越しに見える夜景は、テレビで見たのと同じように綺麗だった。
けれど、それはなんだか他人事のようで。
この部屋のように、誰かに用意されたもののようで。
窓から目を離し、またダンボールをひとつ開ける。
荷解き途中のこのダンボールだらけの部屋は、まだ私のものじゃない。
いつかくるだろうか。
この部屋を、ここから見る景色を、私のものだと言える日が。
誰かに囲まれて、寄りかかることを強制された状態じゃなく……私が私で歩ける日が。
『空が泣く』
今日も彼は空に花火を上げる。
痛々しいほどに真っ赤な花火を、何発も、空高く打ち上げる。
毎日のように、彼は花火を上げる。
成長期もきていない小さな体で、武器庫から大砲を引っ張り出して、自作の花火を……色付きの砲弾を、その中に込める。
「どうして毎日こんなことをするのですか?」
一度だけ、彼にそう聞いたことがある。
少し悩んで、彼は俯きながら答えてくれた。
「国民たちの力になりたいんだ。『王族』の一員として」
これが力のない自分が果たせる、幼い王子としての精一杯の責務なのだと、彼は言った。
「たしかに、花火を見る国民たちはみな、笑顔です」
私は夜の花火に目を向ける国民たちの表情を思い出す。
働き疲れた若者も、母に抱かれた赤ん坊も、座ることすらつらそうな老人も、揃って空を見上げていた。とても穏やかな顔で。
この花火はたしかに、国民たちの心の安らぎになっているだろう。
「でも、なぜ大砲を使うのですか?専用の機械もございますが……」
「『武器』じゃなきゃだめなんだよ」
彼は静かにそう言った。
「僕はね、この大砲で攻撃して、空に痛がってほしいんだ。そして空に『泣いて』ほしいんだよ。それは、この国にとってはいちばんの救いになる」
____この、『砂漠の国』にとっては。
彼はそれからも、何度も大砲で花火を打ち上げた。
一昨日、明日、そして今日。
何度も何度も上げ続けた。痛々しい、赤い花火を。
何度も砲撃を打ち込み続けて、今日、ようやく……
………………空が泣いた。
『君からのLINE』
君は地元、僕は県外の大学に進学した。
仲は良かったが、親友と呼べるほどではなかったし、長い付き合いがあるわけでもなかった。
そんな関係の人とは、直接的な関わりがなくなった瞬間に、ぱったりと連絡が途絶えてしまう。
他の人はどうなのかわからないが、コミュニケーションに積極的ではない僕はどうしてもそうなってしまうのだ。
時が経つほど、メッセージを送る青い紙飛行機のマークが遠くなる。そういう意味では、「ぱったりと」ではなく「徐々に」と言うべきなのかもしれない。
関わりがなくなっても、LINEの「友だち」には名前が残っているわけで。
それを見るたびに、時間がない中図書館で見つけた本が持ち出し禁止だったときのような、財布を持ち合わせていないときにショーウィンドウで良いバッグを見つけたような、なんとももどかしい気持ちになる。
関わらなくなっても、特に問題はないはず。
現に今だって、LINEの「友だち」を見る以外では思い出すこともない。
それなのに僕は。
LINEの「友だち」を見るそのときだけ、君からのLINEを求めてしまう。
『命が燃え尽きるまで』
ずっと彼女と一緒に戦っていたかった。
命が燃え尽きるまで、ずっと。
彼女の剣に乗った熱に、盾役の自分まで浮かされてしまう感覚が、とてつもなく心地よくて。
その感覚を体に刻み込めるまで、彼女と冒険していたかった。
なのに。
彼女の偉大な細い背中が離れていく。
いつものズボンと革鎧ではなく、暖かい黄色のワンピースをまとって。
彼女は冒険者を引退した。
親の仇を討ち取って、体を蝕むほどの熱から解放された彼女は、朗らかな笑顔で冒険譚に幕を下ろした。
そばにあった炎が離れて、気づいた。
自分には、ひとりで燃え尽きるだけの炎は宿っていないのだ。
命が燃え尽きるまで。
そんな生き方を、終わり方を、求めていたのに。どうやら、ひとりでそれは叶えられそうにない。
僕は盾役。
それは、誰かといないと突き進めない僕の人柄を反映した役職だったのかもしれない。
彼女のように、力ある炎を燃やすには。
僕はどんな生き方ができるだろうか。
『本気の恋』
好きになった人なんて、今まで何人もいた。
そのたびに小さなアプローチを繰り返した。
他の子よりもちょっと多くしゃべってみたり。できるだけ笑顔を見せるようにしたり。メッセージを頻繁に送ったりした。
そのおかげでかなり仲良くなった人も、何人もいて。でも告白まではしなかった。
みんな、仲のいい友達で終わった。
その人たちの顔を思い返しながら、スマホ上にある未送信のメッセージを眺めた。
たった1回、ぽんと画面を叩けば、すぐに相手の元へ届くであろう文章を、かれこれ眺めて15分。
私にしては長すぎる時間。
初めて気づいた。
私の今までのアプローチは、何か違ったんだ。
だって私は、気軽にアプローチできる性格じゃないから。
あんなに頻繁に送ったメッセージ……あれはきっと、本当に、仲のいい友達だからこそできたことだったんだ。
私はふつう、そんな積極的なことできない。
今のように。
「今日は楽しかった」
そんな短い言葉をあの人に送るだけで、心が神経質になる。
私はきっと、今までで一番、本気の恋をしている。