『カレンダー』
5月のカレンダーには、赤い印が2つ。
6月には1つ。
7月にはなくて、8月には5つ。
赤い印は、私と彼が会う時間。
別々の大学で、お互いにバイトもあって、家も県をまたいでいる私たちが一緒にいる時間は、学生同士にしては多くない。
私のカレンダーは、いつだって密度が小さい。
でも私は幸せ。
1か月前に会った彼は、私に合うネックレスを選んでくれた。
その2週間前には、一緒にケーキを作った。
そのさらに2週間前には、彼の誕生日を2人で祝った。プレゼントを渡して、中身を見る前に優しく抱きしめてくれたのが、嬉しかった。
カレンダーの密度は小さくても。
私にとって大切なのは、
回数じゃなくて、時間の密度。
このカレンダーには、目に見える何倍もの幸せが書き込まれている。
それはきっと、私と彼にしか見えないものなんだ。
『喪失感』
14歳のカルラは、潮風のあたる崖の上でひとり、佇んでいた。
晴天で、背後の遠くに見える風車は重くまわっている。だがカルラの相貌からは、あたり一帯に平等に降り注いでいるはずの日光が、ごっそりと抜け落ちていた。
崖下では岩を削るように波が打ちつけている。
その波に身を投げるつもりはない。カルラはそんな意思を持ってここに立っているのではなかった。
しかし、今ここで重力に従って、波とともに岩に衝突したとしても、この妙な空洞を囲う石膏のような心には変化なんて起きないだろう。
カルラにはそう思えた。
そっと自らの腹を撫でる。
顔からは表情などいっさい受け取れないというのに、その手の動きからは、何か漠然とした暖かさが感じられる。
腹を撫でる。
何度も何度も。
つい昨日までは、もうちょっと膨らんでいたのに。今ではペたりと引っ込んでいる。
それはカルラの自慢でもあったが、この時ばかりはそうは思えなかった。
ここにいた生命は、昨日で下ろしてしまった。
表情も、心も、腹の中身も、昨日で同時に抜け落ちた、14歳のカルラ。彼女はしばらく崖の上に立っていた。
傷つくことも、悲しむことも、泣くこともなく。
人生で初めて理解した、『喪失感』というものを、無感動にただ味わっていた。
『世界に一つだけ』
____ごめんなさい……
心の中でいつも謝る。
深刻な雰囲気じゃなくて、もっとこう、軽い感じで。でも「びっくりマーク」はつかないような、消え入るような感じで、私は謝る。
例えばドラマを見ているとき。漫画を読んでいるとき。曲を聞いているとき。
____あぁ……好き……
そう思った直後、必ず謝る。
私が「これ好きだ」って思った瞬間。心……というか癖(へき)に刺さった瞬間。
半ば条件反射のように、謝る。
私が好きだと思うのは、流血、吐血、包帯、骨折。義手に義眼に、怪我して苦しげな様子。
あっさりまとめてしまうなら、「痛々しいもの」。
もちろんそれだけじゃない。「普通」の好きもたくさん持ってる。
でも、「普通」じゃないものも好きなんだ。
だから謝ってしまう。
今この人は傷ついているのに。このキャラは痛がっているのに。ここのメロディはとても苦しんでいるのに。
私はそれを好きだと言って、自分だけ満たされてしまう。
____好きなものを好きと言っているだけなのに、なぜ私は謝っているんだろう。
ときどき立ち止まって、そう考える。
好きなものは好きなんだ。仕方ないだろう。そう思えるのに、結局、その「好き」を感じると謝ってしまう。
好きなものは好きと言っていいんだ。
個性なんだから。
同じ人間はいないんだ。
違いは受け入れるものだよ。
否定しちゃいけない。
____みんながみんな、世界で一つだけの存在なんだから。
こんなことを言っていたのは、誰だっただろうか。
お母さん?友達?先生?テレビのタレント?新聞のコラムや……いつか読んだ誰かのエッセイにもあったかもしれない。
とにかくいろんなところで言われていることだ。
でも、ごめんなさい。
私はまだ、世界に一つだけの私を、完全に受け入れてあげられないみたい。
私、自身が。