【怖がり】
足音が聞こえる。
誰かを見つけるまで止まらないと言うように、絶え間なく足音が響いている。
大人のひとだ。たぶん、男のひと。
あなたの荒い息の音は、私が口を無理やり塞いで抑えているから、鮮明にわかる。体の真ん中から細かく震えているのも、顔の筋肉がひきつっているのも、鼻から出てくる空気が酷く不安定なのも、ぜんぶ、右手を通して伝わってくる。
狭いロッカーをふたり、淀んだ空気と不快な熱を共有しながら、足音が遠くのを待っている。
あなたが私の袖口を引いた。
ぎゅっと音がなりそうなくらいに。
指先どころか、手をつくりあげる血肉すべてに力を込めて。ある意味、全霊で私の袖口を引いてきた。
私なら逃げられる。
全力で走れば、確実に逃げられる。私、足速いし。何より、あなたのほうが先に捕まるはずだから。
袖口を見る。
あなたはどう思うだろうか。
私が逃げたら。
幻滅、失望……きっとそうだ。いくらあなたでも。
あなたの手をそっと離す。
力が入っている割に、すんなり離れた。
私が先に外に出るから。先に出て、先に見つかるから。あなたは逃げて。私が追われているうちに。
ごめんね。私は怖がりだから。
あなたに嫌われたくないの。危険だとわかっていても。
あなたの心が離れていくのが、想像するだけで死ぬより怖い。震える。
……そんな顔しないで。この震えはあなたのせいなんだから。あなたがいなきゃ、こんなイカれた恐怖に震えることはなかったよ。
ロッカーの扉に手をかけた。
『たまには』
やることがなくなった。
もちろん、探そうと思えばあるのだけれど。
暇つぶしに使うものがなくなったのだ、要は。
たいてい本を読み、動画を見、絵を描き、ぼーっとしているけれど、今日はそうもいかない。
空港の搭乗口前の待機スペース。
人が多いから動画は見られない。なぜだか人前でイヤホンをつけるのが好きではないから。あと、ひとりで不意に笑ったり、ニヤニヤしたりするのが、ちょっといや。
絵も描けない。人に見られるのが恥ずかしいのと、たぶん私の絵は平然と人に見せられるジャンルの絵ではない。
ぼーっとするのも、試してはみたけどダメだった。視界に必ず人が映って、目が合う。気まずい。
仕方なくスマホを開いて、パズルかクイズでもしてようかと思ったところ、もう1年以上触れていない「書く習慣」が目に入った。
たまには戻ってみるか。
そんな流れでこれを書いているわけだけれど、そういえば忘れていた。
暇つぶしの選択肢でまっさきにスマホを潰したのは、充電を節約するためだった。
飛行機に乗って、空港から家に帰るまで、絶対にバッテリーが切れないように。
画面の右上をひょい、と軽くドラッグする。
3%も減っていた。
『涙』
私の涙はどんな味。どんな色。
私のどこを伝って、どこを濡らして、どこに落ちて、乾いていったの。
……わからない。
だって、涙が出てるときに、そんなこといちいち考えられるわけがない。
そんな楽な涙、私は流さない。
だからわからない。でも…………
もしそばに、それを教えてくれる人ができたら。
教えられるほど、私の涙をずっと隣で見ていてくれる人がいたのなら。
そんなユメに、今夜もまた涙を流す。
『七色』
神は七色の身体を持っていたらしい。
虹のように光り輝き、けれども虹のように色が分かれてはいなくて、あんなにはっきりした色でもない。
淡い光の七色が、コーヒーのラテアートのように細い線で分離しながらも混ざりあった、神秘的な色だったそうだ。
神の死後、その御姿は選ばれし生き物たちに引き継がれたという。
____私の瞳は七色。右目だけ。
子どものころは綺麗だって囃されて、お気に入りだったこの色。
でも今はその色のせいで、私は神殿から出られない。
鳥籠の中には可愛い小鳥。両脚が七色。
中庭にはゾウ。耳が七色。
膝上には猫。昼寝中。この子は胴と前脚が七色。
牧師様によると、神から引き継がれた七色がすべて揃うと神が復活するのだとか。
見つかっていないのは、左目だけ。
どんな子が持っているのだろう?私と同じ、この瞳を。
犬かな、馬かな、ライオンかな。もしかしたら人間かもしれない。
その子が来て、神が復活したら、私たちはどうなるのだろう?
自由になれるのかな。それとも死ぬの?はたまた、神に取り込まれたりする?
わからないけど、いいや。
退屈な神殿の生活が終わるなら、もうなんでもいい。
____だからはやく、見つかってね。左目さん。
『プレゼント』
そういえば、明後日はクリスマスだったっけ。
街のイルミネーションを見て、ようやくその事実に気づく。
もともと行事には疎いほうだったけど、こんな直前まで忘れていたのはきっと、一人暮らしをはじめたせいだろう。
県外の私立大に進学して、親元から離れた。
友達もいるにはいるが、まあ、類は友を呼ぶというもので、イベントそっちのけで我が道をゆく人ばかり。誰もクリスマスの話題なんて出しやしないのだ。
忘れていたとはいえ、気づいてしまっては何かしたくなるというもの。
パーティ……は、さすがに今からじゃ準備が間に合わない。
……ケーキ?無理だ。私が作れるわけがない。
ツリーも、買ったところでそのあとの置き場所に困る。さて、どうしたものか。
考えあぐねた結果、私に出せた最善の選択は、プレゼントだった。
誰でもない、自分へのプレゼント。
昨年までは親がくれていたから。自分で自分のプレゼントを選ぶのは、実に「おひとりさま」らしくて、なんだかいい。
決めてしまうと、それが名案に思えてくるのが私の性だ。
私は早速、ショッピングモールに向かった。