あると

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3/16/2026, 4:02:28 PM

【怖がり】

 足音が聞こえる。

 誰かを見つけるまで止まらないと言うように、絶え間なく足音が響いている。
 大人のひとだ。たぶん、男のひと。
 
 あなたの荒い息の音は、私が口を無理やり塞いで抑えているから、鮮明にわかる。体の真ん中から細かく震えているのも、顔の筋肉がひきつっているのも、鼻から出てくる空気が酷く不安定なのも、ぜんぶ、右手を通して伝わってくる。
 狭いロッカーをふたり、淀んだ空気と不快な熱を共有しながら、足音が遠くのを待っている。

 あなたが私の袖口を引いた。
 ぎゅっと音がなりそうなくらいに。
 指先どころか、手をつくりあげる血肉すべてに力を込めて。ある意味、全霊で私の袖口を引いてきた。

 私なら逃げられる。

 全力で走れば、確実に逃げられる。私、足速いし。何より、あなたのほうが先に捕まるはずだから。

 袖口を見る。

 あなたはどう思うだろうか。
 私が逃げたら。
 幻滅、失望……きっとそうだ。いくらあなたでも。

 あなたの手をそっと離す。
 力が入っている割に、すんなり離れた。

 
 私が先に外に出るから。先に出て、先に見つかるから。あなたは逃げて。私が追われているうちに。

 ごめんね。私は怖がりだから。
 あなたに嫌われたくないの。危険だとわかっていても。
 あなたの心が離れていくのが、想像するだけで死ぬより怖い。震える。
 ……そんな顔しないで。この震えはあなたのせいなんだから。あなたがいなきゃ、こんなイカれた恐怖に震えることはなかったよ。

 ロッカーの扉に手をかけた。
 

3/6/2026, 4:47:34 AM

『たまには』

 やることがなくなった。

 もちろん、探そうと思えばあるのだけれど。

 暇つぶしに使うものがなくなったのだ、要は。
 たいてい本を読み、動画を見、絵を描き、ぼーっとしているけれど、今日はそうもいかない。

 空港の搭乗口前の待機スペース。

 人が多いから動画は見られない。なぜだか人前でイヤホンをつけるのが好きではないから。あと、ひとりで不意に笑ったり、ニヤニヤしたりするのが、ちょっといや。
 絵も描けない。人に見られるのが恥ずかしいのと、たぶん私の絵は平然と人に見せられるジャンルの絵ではない。
 ぼーっとするのも、試してはみたけどダメだった。視界に必ず人が映って、目が合う。気まずい。

 仕方なくスマホを開いて、パズルかクイズでもしてようかと思ったところ、もう1年以上触れていない「書く習慣」が目に入った。

 たまには戻ってみるか。

 そんな流れでこれを書いているわけだけれど、そういえば忘れていた。
 暇つぶしの選択肢でまっさきにスマホを潰したのは、充電を節約するためだった。
 飛行機に乗って、空港から家に帰るまで、絶対にバッテリーが切れないように。

 画面の右上をひょい、と軽くドラッグする。

 3%も減っていた。


3/29/2025, 5:04:15 PM

『涙』

 私の涙はどんな味。どんな色。

 私のどこを伝って、どこを濡らして、どこに落ちて、乾いていったの。

 ……わからない。

 だって、涙が出てるときに、そんなこといちいち考えられるわけがない。

 そんな楽な涙、私は流さない。

 だからわからない。でも…………


 もしそばに、それを教えてくれる人ができたら。

 教えられるほど、私の涙をずっと隣で見ていてくれる人がいたのなら。


 そんなユメに、今夜もまた涙を流す。

3/27/2025, 3:53:19 AM

『七色』

 神は七色の身体を持っていたらしい。

 虹のように光り輝き、けれども虹のように色が分かれてはいなくて、あんなにはっきりした色でもない。
 淡い光の七色が、コーヒーのラテアートのように細い線で分離しながらも混ざりあった、神秘的な色だったそうだ。

 神の死後、その御姿は選ばれし生き物たちに引き継がれたという。


 ____私の瞳は七色。右目だけ。

 子どものころは綺麗だって囃されて、お気に入りだったこの色。
 でも今はその色のせいで、私は神殿から出られない。

 鳥籠の中には可愛い小鳥。両脚が七色。

 中庭にはゾウ。耳が七色。

 膝上には猫。昼寝中。この子は胴と前脚が七色。

 牧師様によると、神から引き継がれた七色がすべて揃うと神が復活するのだとか。

 見つかっていないのは、左目だけ。

 どんな子が持っているのだろう?私と同じ、この瞳を。
 犬かな、馬かな、ライオンかな。もしかしたら人間かもしれない。

 その子が来て、神が復活したら、私たちはどうなるのだろう?
 自由になれるのかな。それとも死ぬの?はたまた、神に取り込まれたりする?


 わからないけど、いいや。

 退屈な神殿の生活が終わるなら、もうなんでもいい。


 ____だからはやく、見つかってね。左目さん。

12/23/2024, 11:07:44 AM

『プレゼント』

 そういえば、明後日はクリスマスだったっけ。

 街のイルミネーションを見て、ようやくその事実に気づく。
 もともと行事には疎いほうだったけど、こんな直前まで忘れていたのはきっと、一人暮らしをはじめたせいだろう。

 県外の私立大に進学して、親元から離れた。

 友達もいるにはいるが、まあ、類は友を呼ぶというもので、イベントそっちのけで我が道をゆく人ばかり。誰もクリスマスの話題なんて出しやしないのだ。

 忘れていたとはいえ、気づいてしまっては何かしたくなるというもの。

 パーティ……は、さすがに今からじゃ準備が間に合わない。
 ……ケーキ?無理だ。私が作れるわけがない。
 ツリーも、買ったところでそのあとの置き場所に困る。さて、どうしたものか。

 考えあぐねた結果、私に出せた最善の選択は、プレゼントだった。

 誰でもない、自分へのプレゼント。
 
 昨年までは親がくれていたから。自分で自分のプレゼントを選ぶのは、実に「おひとりさま」らしくて、なんだかいい。

 決めてしまうと、それが名案に思えてくるのが私の性だ。
 私は早速、ショッピングモールに向かった。

 
 

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