/エイプリルフール
「そんな君が、大好きだよ!」
執務室に来た彼へ、勇気を振り絞って言ったのに、彼はちらりともこっちを向かず、一言も話そうとしなかった。
「ねぇ、君が好きなんだよ?聞いてる?」
「下らねぇ嘘ついてねぇで仕事しろ」
「なんで嘘なのさ」
そう言うと彼がカレンダーを指さした。
昨日とは違った絵柄のカレンダーの今日の日付には「エイプリルフール」の文字。
「手前にしちゃ適当な嘘だったな」
そう言い捨てた彼を睨む。机に突っ伏しながら彼の肩を叩いて時計を指さす。
時間は昼を回ってる。
「嘘をついていいのは午前中までなんだよ?」
「だから?日頃毎日、息を吐くように嘘をついてるだろ」
そんな一言に目を丸くして、伏せる。
人差し指でテーブルを撫でれば書類で頭を叩かれた。
「いいから仕事しろ」
「やる気出ない」
「飯奢ってやるから」
ちらりと彼を見た。
「……やだ。やりたくない」
五秒ちょうど眺めて子供のように机に突っ伏して首を振った。今日は、押せばもう少しいけそうだ。
「わぁった!飯作ってやるから」
「和食?」
「分かったから」
「……じゃあやる」
「ん、頑張れ」
想像よりずっと、優しい声が聞こえてきた。
「嘘じゃないよね……?」
「午前中しか嘘つけねぇんだろ」
/幸せに
殺したいほどに嫌いだなんて言っても、俺の事を理解できるのはアイツしかいないし、アイツを理解してやれるのも俺しかいない。
一言で表すなら"唯一無二"だ。
だからか、アイツが自殺に失敗する度に、心の根の部分では安心する。
俺だって、何もアイツが不幸のどん底を歩いて欲しいと思っているわけではない。願うなら幸せに生きて欲しいが、俺らにはシアワセがよく理解できない。
「ねぇ、どうして皆生きろって無責任な事を言うんだと思う?」
珍しく自殺をしなかった背中合わせに座るアイツが、拗ねたような声を出した。
「生きてれば良いことあるなんて、死にたい人に言ったってただのエゴなのにね。その点君は、僕に生きろなんて言わないし、そこだけは好きだよ」
独り言にも似た声は、また小言を言われたのだろうと想像ができる。
「逆に、何で手前は死にてぇんだよ」
そう聞けば、少し考え込むような声で呻いてから、上を向く。後頭部がぶつかるが、気にしなかった。
「生きるなんて行為に、何か意味があるとは思えない。大抵のことは僕の想像通りに進むし、退屈だ。死ねば生きることの全体像が分かりそうだし、死んだ後がどうなるのかの想像もできないから、何だか楽しみじゃない?」
「理解できねぇな」
「別に。誰にも理解を求めてない」
言いながら体重をかけられる。重たい体をそのまま受け入れた。
こういうヤツは、このまま、幸せも生きる楽しみも見つけられないまま、だらだらと生を引き延ばせばいい。
そうして、本当に死ぬ直前になって、後悔すれば良いんだ。
/何気ないふり
腐れ縁。そんな言葉が聞こえてきそうな関係の、殺したいほど嫌いなアイツ。
よく回る頭を持っただけの、憐れなヤツ。
悲しいとも辛いとも言えず、泣く事も誰かを頼ることも出来ず、毎日のように死にたいと言って自殺を繰り返す。
そのくせ、未だに一度も自殺は成功していない。
可哀想なヤツ。
そんなアイツの姿を見ただけで、知りたくもないアイツの状態が俺には分かる。分かってしまう。
例えば、何時もよりほんの少し歩く重心が傾いていたら、首吊りか飛び降りに失敗して足を痛めた時。
何時もより腕を組む回数が多いと大抵、薬の過剰摂取をして震える手を隠している時。
ずぶ濡れなら——聞かなくても分かる。入水の後。
今は、何時もより少し背中が曲がり猫背気味。よく見れば黒いコートの中に突っ込んだ手をなかなか出そうとしない。
いつも悪い顔色も、一段と青白い。
「おい」
「……なに」
アイツの左腕を掴む。露骨に強ばった肩の力は一瞬で抜けて、面倒そうな顔を向けられた。
コイツは、いつもこうして何かあっても何気ないふりを決め込む。
力任せにポケットから引き抜いた手首からは、適当な手当では間に合わなかった血がだらだらと絶え間なく流れている。
「手前、これするのに何使った」
「キミのナイフ」
あっけらかんと答えられる。
これだからコイツは嫌いだ。力いっぱいに傷の上に力を加えてやると「痛い!痛い!」と喚き始めたのを無視して掴んだ手首を引き摺ってやる。
「そのまま失血死できると思うんじゃねぇぞ。死なねぇよう手当てしてやるから喜べ」
「ちょっと!余計な事しないでよ!この馬鹿!離せチビゴリラ!」
腹が立ったから、掴む指先にこれでもかと力を加えながら、ずるずると踏ん張る軽い体を引き摺ってやった。
/ハッピーエンド
頭がくらくらと回り、軽いようで重たい。不思議な感覚。
下を向けばそのまま頭の重さに耐えきれず項垂れ、上を向けば糸を引かれた人形のようにかくんと天井を向く。
立ち上がればフローリングの床がぐにゃりと歪んで、まるで立っていられない。
ガンッ——と音を立てて床へ倒れ込んだ。頭をぶつけ、目の前を星が散った。
働かなくなってぼんやりと景色を眺めるだけの視界に、唐突に彼が映った。
「また死にぞこなったな。その無駄に頑丈な内臓に感謝しろよ」
「……サイアク」
彼が鼻で笑った。そうして周囲に散らばった錠剤を、床に転がった瓶へ一つずつ戻す。
一瓶飲むだけじゃ、死ねなかった。自殺が失敗するのも、これで何度目だろうか。
「ねぇ、ころしてよ。もう、この際、君に殺されるのでも良い」
「ヤダ」
「……なんで」
「手前が喜ぶから」
視線を動かせばぐにゃぐにゃと視界が波紋を立てた。カラカラに乾いた喉で、そっと笑った。
「ころしたいくらい、ぼくのこときらいなくせに……ぼくがよろこぶから、ころせないの?」
——いい気味だね。
愚かで、無様で、かっこ悪い。
胃の中が異物を押し出そうと蠕動を始める。強まる吐き気に、堪らず言葉を切って、呼吸を整える。
「きみに、ころしてもらえたら……嫌がらせもできて、ぼくはしねて。さいこうの、おわりじゃないか」
「手前にはバッドエンドで十分だ。精々しぶとく生きろ」
彼が、意地悪に笑ったのが分かった。
彼と同じ笑みを返して、吐き捨てた。
「ぼくだって、きみに殺されるのだけは、ごめんだ」
/見つめられると
アイツが俺を見つめる事はまず有り得ない。
逆もそうだ。
見つめるのだって、見つめられるのだって、想像しただけでトリハダがたつ。本当に、不愉快で仕方ない。
でも、ふとした時に頭に浮かぶのはいつだってアイツだ。
真剣に書類を見ている姿や、紙にペンを走らせる姿。どうでも良さそうに空を見上げては「死にたいなぁ」と零す姿に、好物を目の前にして少年らしく目元を緩める姿。
気付けば目で追いかけ、知らずのうちに見つめていた。
それに気付いたのはアイツが悪餓鬼のような笑顔で「僕の事、そんなに見詰めて。実は好きなの?」と揶揄うように言ってきたからだ。
「気持ち悪いからやめてよね」
そう言って直ぐに真顔に戻ったアイツを見た。
そこまで露骨に目は向けていないはずだ。たまに、隙を見て、ちらりと一瞬。たったそれだけの筈の視線に、アイツは気付いていた。
思わず失笑した。
「手前だって、俺の事よく見てんじゃねぇか」
アイツの、珍しくバツが悪そうにとんがった唇が、面白かった。