真澄ねむ

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1/22/2025, 2:15:03 AM

 抜けるような青が天上に広がっている。
(あのときのことなんて夢みたい)
 ニェナは空を仰ぎながら胸中でつぶやいた。
(……でも、夢じゃない)
 森の奥で見つけた洞窟の地下に広がっていた広大な廃遺跡。その封印を解いてしまったことで始まった異変。異変は厄災となって、この街から徐々に国を、大陸を侵食していった。厄災を解決するために、この街はもちろん、国を挙げて探検隊が組まれたが捗々しい成果はなかった。
 ニェナはいてもたってもいられなかった。お前のせいではない。封印は弱まっており、いずれ勝手に封印は解けていた。色んな人がそう言って、彼女を慰めたものの、罪悪感は拭えなかった。自分には関係ないと見て見ぬふりはできそうになかった。
 それからはがむしゃらに遺跡の探索をした。洞窟を進み、地下湖を見つけ、廃宮殿を探索した。いつしかニェナの進んだ道は、他の探索者の進む導となった。
 色々な探索者が廃遺跡を探索するに従って、旧文明の遺物を売り買いする者が格段に増えた。いつからか国は遺物を利用した他国への侵略を行うようになった。街を含めた国が混乱に陥る中、ニェナのやることは変わらなかった。
 廃遺跡の更に深部、大墳墓を探索し終えたニェナが少し立ち止まったとき、がらりと様相が変わった街がそこにあった。昼夜問わず空は黄昏に覆われており、常に薄暗く、常に薄気味悪く、世界が精彩を欠いていた。
 大墳墓の奥に眠っていた厄災の元凶を追って、ニェナは天涯に向かった。幻想のような宮殿を進んだ先に元凶はいた。それはニェナを苦しめたが、死闘の末、彼女はそれを打ち斃した。
 世界を覆った黄昏がベールを剥がすように消えていく。
 長い間、厄災に苦しめられて、ずっと空は黄昏に覆われていたような気がしたが、厄災が始まってから三年、黄昏が空を覆うようになってからまだ三月しか経っていない。その短い期間で、街を含めた大陸のあちこちが被害を受けて、破壊されてしまった。
 復興への道のりは遥か遠くにある。それでも、明日に向かって歩いていく。でも、時には立ち止まって後ろを振り返ってみる。一人で歩いているように思っても、その後ろにはたくさんの人が自分を見守ってくれていることを、思い出すために。

1/22/2025, 2:13:04 AM

 ローダはセントラルに所属する〈描き手〉だ。それは世界各地にある、いわゆるダンジョンといったものの地図を描く仕事をしている。それに従事する者は〈描き手〉と呼ばれていた。
 とある国の広大な森の奥に立つ廃墟に描き手として訪れたとき、彼女は災難に見舞われた。窮地に陥る彼女を助けたのが、今、護衛として雇っているウェルナーだった。
 生真面目で仕事熱心なローダは、軽薄な彼に振り回されることも多く、ひと悶着もあったが、今ではそれなりの信頼関係を築いている。
「……あのさあ、ローダちゃん」
 二人は今、西の大陸にある広大な地下遺跡にやってきていた。地下にあるダンジョンを訪れたことは何度もあるが、天井が見えないほど高く、果てが見えないほど広い遺跡を訪れるのは初めてだった。
「はい……」
 呆れたように口を開くウェルナーに、ローダは俯いて応じた。
 セントラルからの派遣命令で訪れるダンジョンは、描き手という仕事上、未知のものが大半で、ローダたち描き手が訪れた段階ではそのダンジョンに果てがあるのかないのか、定形のものなのか非定形のものなのかもわからない。何日も泊まり込んで地図を描くものの、日が経つにつれ地図の端から形が変わっていくというダンジョンもざらにある。
「前に自分で言ってたじゃん。身分を明かすとヒトは大体危害を加えてこないけど、魔物は全く関係なく危害を加えようとしてくるって」
 そうね、とローダは頷いた。セントラルに加盟しているか否かを問わず、描き手は尊重される職能者で、その職務を妨げるものはその身分如何に係わらず、セントラルによって罰せられる。しかし、当然ながらそれを遵守するものは、あくまで人間の道理が通じるものに限る。
「だから、オレが護衛っていう形でいるんじゃんね?」
「……そうです」
「仕事熱心なのは知ってるけどさ、オレを放って先に行くのは止めてくんないかなあ」
「……ごめんなさい」
 ローダはそう言いながら項垂れた。ダンジョンの壁の形が興味深くて、夢中になって描いているうちにウェルナーと逸れてしまっていたのだ。ついさっき、魔物に追われて、袋叩きにされそうになったところを、ようやく駆けつけた彼に助けてもらった。
「ローダちゃんはたった一人、何ものにも代えられないんだからさ」
 ウェルナーはそう言いながら、しゅんと肩を落とす彼女の頭をぐしゃぐしゃと撫で回した。

1/19/2025, 1:30:07 PM

 とある日の昼下がり、ハイネはリビングの窓際のソファで読書をしていた。
 前評判は高かったものの、自分にはいまいちだった。中でも登場人物の一人の言動に共感性羞恥を覚えて、とても苦痛だった。いまいちだったものの、いつか面白くなるだろうと期待して、ページを繰るうちにいつの間にか残りは全体の三分の一程度。ここまで読んでしまったのなら、もう読み切ってしまおう。
 そんな気持ちで必死に繰っていると、ドアベルが鳴った。まるで天からの助けのようだ。
 彼から昼間の来客予定を聞かされていないので、おそらく彼だろう。
(……珍しい)
 いつも、朝見送っても夜帰ってくるところを見ることがない。夜半に帰ってきているようなのだが、いつもその頃にはハイネは眠ってしまっている。彼女が起きたとき、彼が横で眠っているのだ。
 本を閉じると、ハイネは急いで玄関に向かった。扉を開けると、予想通り、彼がそこに立っている。
「お帰りなさい」彼女は彼の上着を受け取りながら言った。「珍しく、随分と早いお帰りなんですね」
 彼はああ、と朗らかに笑った。
「元々、昼までの会議の予定だったんだ。時間通りに終わってくれてよかったよ」
「紅茶か何かご用意しましょうか?」
「いいのかい? じゃあ、お願いしようかな」
 ハイネは頷くと、彼の上着を片付けてから、リビングへと向かった。そろそろアフタヌーンティーでもしようと思って、先に用意だけしてあった。
 紅茶とお茶請けの用意を終えた頃、まるで見計らったかのように彼がリビングへと入ってきた。相変わらずタイミングがいい人だ。しかし、彼は何だかそわそわとしていた。
 内心首を傾げたが彼は何も言わずに席に就いた。ハイネも席に就き、一言二言交わしたのちに紅茶を飲む。今日もまあ美味しく紅茶が淹れることができた。お茶請けは以前に彼が買ってきたものだし、外れはない。
 彼女がカップを置くと同時に、彼が口を開いた。
「あのさ……ハイネちゃん。これを受け取ってほしいんだけど」
 そう言いながら彼は小箱を差し出してきた。ハイネは困惑しつつ、それを開けると、中には虹色に輝く宝石が納められていた。いや、これは裸の宝石ではなく――指輪だ。
「……ヴィルヘルム、これは?」
 首を傾げる彼女に、彼は少し目を見開いてから悪戯っぽく微笑んだ。
「今日は君の誕生日だろう?」
 今度はハイネが目を見開く番だった。固まる彼女の指に、ヴィルヘルムはすっと指輪を通す。彼女の指にきらきらと輝く虹色は、まるで手のひらの宇宙のようだ。

1/19/2025, 9:53:05 AM

(……誤算だったなあ……)
 帰宅する準備を整えながら、瞳は胸中でごちていた。すっと彼に教室に入って、さっと彼にチョコを渡して、さっさと帰るつもりだったのに。
 チャイムが鳴るや否や、彼の教室に向かうと、目当ての人物はたくさんの女子に囲まれていた。さすがにそれを割って渡すのは論外だし、待って渡すのは面倒くさい。
 早々に見切りをつけた瞳は、諦めて帰ることにした。
 教室を出ると、廊下を進んで階段を下りる。そのまま進んで突き当たりを左に曲がって、少し進んだところが昇降口だ。上履きを履き替えて、そのまま帰宅するつもりだった。
 何だか昇降口が騒がしい。この時期特有の騒がしさといっても過言ではない。しかし、何だかそれだけではなさそうな気がする。
「瞳!」
 誰かが瞳の名前を呼んだ。瞬きをする僅かな時間、少しだけ辺りがしんと静まりかえった。
 誰が自分を呼んだのか見当がついた瞳の眉は、くっきりと寄せられている。呼びかけを無視して、上靴を脱ぎ、下靴を履く。話を聞くつもりもないし、帰るという意思表示だ。
 昇降口の重たい扉を開けながら、瞳は首だけで振り返った。思った通りの人物がそこに立っている。この騒がしさの直接的な原因だ。
「何でこんなところにいるの? 史ちゃん」
「瞳が帰りそうだったから、追いかけて来たんだよ」
 体力はあるはずだが、それでも肩で息をしているあたり、彼が自分で言う通り、確かに急いで用意してきたのだろう。
 瞳は扉を開けきると、昇降口の中を見た。彼と話したり足りないのであろう人々が、じっと彼――どちらかというと邪魔をする瞳の方――を見つめている。
 そんな彼女たちを横目で見やると、瞳は肩を竦めて言った。
「まだ、史ちゃんに用事のある人、たくさんいるみたいだけど」
 じゃあね、と瞳はそういうと、校門の方に向かって歩き出した。彼が忙しいのは彼の問題であって、瞳には関係ない。
 校門から外に足を踏み出して、ようやく高校の敷地を出たといえよう。瞳はこれから十数分歩いて最寄り駅で、鈍行に乗って帰って行く。
「瞳!!」
 また誰かが声を張り上げた。瞳の眉根の皺がくっきりと深くなる。足音が近づいてくる。ガッと肩を掴まれたので、瞳は眉根の皺を深くしながら振り返った。
 そのとき、突風が辺りに吹き荒れる。瞳の荷物を覆っていた覆いが舞い上がってどこかに飛んでいってしまった。
「瞳……あのさ……それって」彼が指差すのは瞳が持っていたチョコレートの紙袋だ。「誰に渡すつもりだったの?」
 瞳は深々と溜息をついた。それから、泣き笑いのような笑顔を作ると、彼に向かって紙袋を突きつける。
「史ちゃんに渡すつもりだったわ」

1/18/2025, 4:39:47 AM

 ねえ、どうしたの。
 彼がそう言いながら、顔を覗き込んできたので、トルデニーニャは思わず体を仰け反らせた。急に視界が彼の端正な顔でいっぱいになったので、心臓が早鐘を打っている。まるで物理的に抑えようとしているかのように、彼女は胸に手を当てると深呼吸をした。
「……な、何が?」
 彼女の様子に彼は呆れたように溜息をついた。彼は人差し指を立てると、自分の頬骨を指した。不思議そうに首を傾げる彼女に向かって、簡潔に言う。
「泣いてるよ、君」彼女の目が大きく見開かれたのを見て、彼は肩を竦めた。「……気づいてなかったんだ」
 トルデニーニャは自分の頬をさわった。確かに濡れる感触がする。目尻にはどうやら涙も溜まっているようだ。
(……ああ、通りで視界が滲むなって……)
 きょとんとした彼女を見て、リヴァルシュタインは再度溜息をついた。まるで茫然自失といった様子の彼女は、見ていて非常に危なっかしい。危なっかしいだけで、実際は凍りついたかのように動かなくなるのだが。
(昔もそうだったな)
 彼女の涙をハンカチで拭ってやりながら、彼は回想する。
 トルデニーニャの父親が亡くなったときもそうだった。彼女は茫然自失としていて、微動だにしない。傍で声をかけても、うんともすんとも言わないので、もしかすると彼女は立ったまま自死したのではないかと怖くなったほどだ。
 あのときは、彼女にとって重大な出来事があった。だから処理しきるのに時間がかかった。ただそれだけのことだと思っている。
 だが、今は? 何かあったのだろうか。何か前触れがあるわけでもなく、急に静かに泣き出したから驚いてしまった。
(……僕は彼女を泣かせた前科があるからな……)
 ふ、と彼は自嘲していると、トルデニーニャが口を開いた。彼女の眼差しは遠くに向けられている。その方向には――二人の故郷がある。
「何か悲しいことがあったとか、そういうのじゃないの」彼女は一度口を噤んだ。「わたし……故郷でいつも笛の音が聞こえていたの。故郷の方を見ていると、故郷の景色とその音がわたしの眼前に浮かび上がるんだ」
 彼女は目を眇めた。
「だから……そうだね。たぶん、言葉にするのならば……わたし、郷愁で涙しているのかも」
 その両目から透明なしずくがぽたりぽたりとこぼれ落ちていく。

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