針間碧

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3/16/2024, 11:50:48 AM

『怖がり』

 まんじゅうこわい。かなり広くの人に知られている落語の演目の一つだ。話は単純。互いに怖いものを伝えあっていた時に、とある男だけは「何も怖くない」という。本当か問い詰めると、実は怖いものがある、というので何か尋ねると、「まんじゅう」と呟き、別の部屋にこもってしまう。残った者たちでいたずらを仕掛けようとその部屋に山盛りのまんじゅうを持っていくとその男はひどく狼狽しながらまんじゅうを食べきる。いたずらを仕掛けた者たちは騙されたと気づき、怒りながら本当に怖いものは何か聞くと、次に男はこう答えた。「お茶が怖い」と。
「で、その話がどうしたのさ」
「いや、この話って、別に怖くもないものを怖いと答えて食べられるように仕向けたって話でしょ?この話だとうまくいったけど、もしそれで周りの人たちが哀れに思って饅頭をその男から遠ざけるようにしたら、その男は一生饅頭食べられなかったんじゃないかって思って……」
「そんなことないでしょ。実は嘘だったんだって後でカミングアウトすればいいだけだし、そもそも周りの人たちがいたずらを仕掛けるような性格だってわかってたからこそ言ったのかもしれない。そのあたりはこの話にそこまで詳しくないからわからないけどね」
「そっかぁ。確かに。じゃあ大丈夫だね!」
「いや、それだけ?」
「うん、それだけ」
「…………」
「…………」
 話が終わってしまった。何がしたかったんだこの子は。いや脈絡もなく始まるのはいつものことだけど。
 話を続けるのも面倒だったのでそのままぼーっとしていると、また隣の友人が話を始めた。
「ねえ、怖いものってある?」
「このタイミングで聞く?」
「うん、なんとなく気になって」
「相変わらずだな。いやまあいいけど」
「で、何が怖いの?」
「うーん急に言われると困るけど……特に怖いものはないかな」
「え、怖いものないの?いろいろあるでしょ幽霊とかなんとか」
「その辺は基本いないと思っているので怖いと思わない」
「そう言って~本当は何か怖いもの、あるんでしょ?」
「…まあ、あるってっちゃあるか」
「それって何?」
「アンタ」
「え?」
「アンタのことが怖いよ」
 折角さっき落語の話をしたんだし、その流れにのってもいいだろう。そう思って放った言葉であった。きっとなんて返そうか悩んでいるのだろうなと友人を見てみると、そこには想像とは違う表情をした友人がいた。すごく悲しんでいるような、そんな表情であった。
「な、なんで私のこと怖いの?私そんなに怖いことしたっけ?」
「え、いや、あの」
「もしなにか悪いことしたのなら言って!直すから!」
「いや、さっきの『まんじゅうこわい』の話に合わせたかったんじゃないの?」
「え」
「え」
 どうやら違ったらしい。本当に怖いものが知りたかったようだ。話の意図が理解できたようで、友人は一瞬安堵した表情をし、すぐに怒り始めた。
「もう、本当のこと言ってよ!」
「ご、ごめんよ。さっきの『まんじゅうこわい』ってわかってくれるかと思って……」
「それはいいよ、で、本当に怖いものは何なの?」
「そこはいいんだ……。そうだね……」
 私は少し考えた。実際、怖いものはあまりない。そりゃあ自然災害とか、怖いものはいっぱいあるが、それは一般的に怖いものであって、私自身が怖いものではないだろう。それなら……。
「私は、『わからないもの』が怖いかな」
「わからないもの?」
「私は、科学的に説明できないものに対して恐怖を感じると思ってる。実際、昔の人は突然起こった現象に対して説明ができないから、妖怪がいる、と結論付けることによって恐怖を紛らわせていた、という話もあるし。だから、私は『理屈では説明をつけられないもの』が怖い」
「へぇ、なるほどね」
「そういう意味では、やっぱりアンタのことは怖いかな」
「え、なんで?」
「だって、私はアンタが次に何をするのか、何をしたいのか想像つかない。そうでなくてもアンタって理屈で説明つくような動きしないし。話の流れ理解しないし」
「それは言い過ぎでは?」
「とにかく、私は常に怖いものと一緒にいるというわけ」
 そういうと、今度は友人はとても笑顔になっていた。なぜだ。今私はアンタのことを怖いと言ったんだぞ。今度は嘘じゃないんだぞ。なぜアンタは喜んでいるんだ。
「え、こわっ……」
「わぁ、今度は本当だ!本当に私のこと怖いの?」
「言っておくけど、『わからないことが怖い』んであって、アンタのことを怖いと言っているわけじゃないからね」
「うんうん、わかってるよ」
「絶対わかってない……」
 なぜかわからないが、友人の機嫌はよくなったようだ。まあ悪くならなかっただけいいか。
 今度は隣で急に鼻歌を歌い始めた友人を、静かに見守った。

3/12/2024, 2:46:49 PM

『もっと知りたい』

 誰も行かない無限の塔。塔の天辺は雲の上より高く、果てが見えない。誰がいつ何のために建てたのか、それすらわかっていない、そんな塔であった。人は皆その塔を気味悪く思い、滅多なことでは近づかなかった。塔に近づくのは、塔についてそこまで詳しくない輩か、研究者によって結成された調査団くらいであった。調査団に属していない野良の研究者もいるにはいるが、忍び込む前に調査団の警備によって摘発されていた。結果として、あの塔は調査団の関係者以外関わろうともしなくなったのであった。
 ここで話が終わっては何ら面白くない。というわけで、俺は今その塔の近くの茂みに隠れている。なぜかというと、言うまでもなく、塔に入ってみたかったからだ。別に俺は塔について知らない輩でもないし、野良の研究者でもない。ただ近くの村に住んでいる、村人Aだ。じゃあなぜそんな俺が塔に入ってみたいか。それは、調査団の動きにある。
 調査団は、塔を調べるためにやってきている。というのはただの名目だ。なんたって、調査団の者たちが塔に入っていく姿をここ最近見たことがないからだ。それこそ調査団がやってきた最初の頃は塔に入っていく姿を見たが、今や一切見なくなった。ということは、恐らくだが塔の調査はすでに終了している。というにも関わらず、撤退する様子を見せない。きっと、塔から離れられない理由があるのだ。俺はそれを知りたい。
 ということで、一人で塔の近くまでやってきている。塔に入るための準備は既に整っている。調査団の食事にこっそり眠りを誘う薬草を入れたのだ。ちょうど今日は野菜たっぷりな食事だったからうまいこと誤魔化せてよかった。そして、極めつけに今、風上から食事に入れた薬草の香を焚いている。この周辺はいろいろな野草が生えているから、多少違うにおいがあっても問題ないだろう。実際、塔の警備は皆一様に目を擦っている。寝てしまうのも時間の問題だ。俺はそのままここで待っていればいい。言うまでもないが、俺には眠りの類は効きにくいから寝てしまうことはない。これで俺まで眠ってしまっていたらただの笑い種だ。
 待機すること数十分、問題なく全員眠った。今のうちだ。抜き足差し足で塔の入り口まで向かう。塔へと入れる扉は、その辺にありそうな、しかし頑丈な鉄製の扉であった。果たしてこの塔は本当に警備がつくくらいには重要なものなのだろうか。幾分か疑問を禁じ得ないが、それもこれも塔に入ってしまえば全て解決するだろう。音をたてないように、静かに扉を開いて、中に入った。
 中は、意外と明るかった。周りのどこを見ても蝋燭のような明かりになるようなものはないし、外は暗いから、言うまでもなく外の明かりが入り込んでいるわけでもない。入っていてもせいぜい微かな月明かりくらいだろう。もしかしたら魔法か何かで明るさを保っているのかもしれない。そう思いながら俺は塔を見上げた。
 塔の天辺は、言うまでもなく何も見えなかった。底なしの闇だ。逆に言えば闇以外何もなかった。地上はこんなに明るいのに、なぜ上はあんなに暗いんだろう。不思議で仕方がない。塔を上るには壁伝いに作られている螺旋階段を上るしかないようだ。……これは、一夜では絶対に帰ってこれないな。まあいい。俺が塔に入ったとバレても、追いかけてくるのも時間がかかるだろう。今さっさと進むに限る。
 俺は、階段を一段一段踏みしめて進む。今一気に進んでもいいけれど、体力が切れてしまっては元も子もない。幸いなことに階段にはカーペットが敷かれており、疲れにくくなっているようだった。少しずつ進むが、一切先が見えない。そうでなくてもこの塔には螺旋階段以外何もないのだ。どれくらい時間がたったかすらわからなくなってきた。入った時にも思ったが、本当にこの塔の何が重要なものなのだろうか。わからなく、なってきた。
 今や俺は、「この塔の天辺には何があるのか」ということにとらわれていた。この先には、いったい何が。知りたい。知らずにはいられない。もう何もかもどうでもいい。この塔について知ることができれば、もう俺は満足なのだ。
 俺には、もう下は見えなかった。



「これはどうしたことだ」
「申し訳ございません、何者かに睡眠薬を盛られたようです」
「被害を報告しろ」
「いえ、特にはなにもございません。ただ、誰かが塔に入った形跡があります」
「…そうか、わかった。ならいい。今まで通り警備をしろ。今後このようなことがないように」
「はっ」
「…にしても、塔に上ったという者は可哀そうなことだ。塔に上ったものは、一度も帰ってこないというのに」

3/11/2024, 3:40:13 PM

『平穏な日常』

 十七匹。それが今日倒した魔物の数。この世界は、魔物にあふれている。
 俺は、魔物専門の討伐をしながら旅をしている。なぜ旅をしているのかといわれても、特に意味はない。しいて言えば帰る家もないから放浪している、といったほうが正しいか。魔物討伐だって、金になるからやっているに過ぎない。
 俺が生まれる数十年前までは魔物なんて存在はいなかったらしい。突如、空から謎の隕石が降ってきたとともに魔物たちが蔓延るようになったそうだ。未だに隕石と魔物の関連性は解明できていない。
 今や魔物は当たり前の存在となった。魔物は理性を持たない、動物となんら変わりない存在。ただ、動物とは違う意図をもって人間を襲ってきていることが判明している。だから、魔物討伐は必要なことであり、金になる。おかげで俺は生きていけるんだから魔物さまさまと言ったところだが。
 今日もよく討伐したとほくほく顔で近くの町に向かっていると、獣道で同じく町に向かう人の姿が見えた。向こうもどうやら一人らしい。しかも、見た感じ碌な装備もしていないときた。
 ここはそこまで厄介な魔物は存在しないにせよ、なんの装備もしていないのは流石に危ない。とはいえど、声をかけるとそのままの流れで護衛をするはめになりかねない。できるだけ金にならない仕事はしたくない。どうしたものかと悩んでいると、俺がいることに気が付いたようで、向こうから近付いてきた。
「あの、もしかして町へ向かう最中ですか?」
 そういってぼろぼろのフードをとったその人は、中性的な顔をした女性であった。てっきり男性だと思っていたので、少し拍子抜けした。
「え、ええ、ハイ」
俺は、できるだけ表情に出さないように答えた。いや、だいぶしどろもどろになってしまったから、少し不審に思われたかもしれない。
 幸運にも目の前の女性は気にしていなかったか気づかなかったようで、特に何も変わりなく話を続けた。
「それなら、そこまでご一緒しませんか?」
 やはりそうきたか。しかし、どう見ても魔物と闘えそうな風貌をしていない。それに金を持っているようにも見えない。どう断ったものかと悩んでいる時だった。
「大丈夫ですよ。ここには魔物は出てきません」
「え、どういうことですか?」
「私はこの周辺の魔物の生態を調べているんです。そして、調べていくうちにこの獣道を使っている間は魔物には襲われないことが分かったんです」
「それはまたどうして。獣道なんて、人間を簡単に襲える格好の場所でしょうに」
「そうですね。しかし、魔物はこの獣道には近づけないのです。この花が咲いているから」
 そう言って女性が顔を向けた先には、小さなスミレの花がそこかしこに咲いていた。淡い紫色がそこら中に散らばっている。それなりによく見る花だと思うが、果たしてこれが魔物が近づけない理由なのだろうか。
「正確に言うと、このスミレ特有の紫色が魔物には近づけない原因ではないかと推測しています。実際、他の色のスミレが咲いている場所では魔物は普通に出現する」
「じゃあ、この紫を再現できればいいのでは?」
「紫は貴族の色です。平民である私たちが簡単に身に着けることは禁じられています。それに、この色を再現すること自体難しいのです」
「そ、それならこのスミレを増やせば村が襲われる心配もなくなるのでは?」
 言いながら、何を言っているんだ俺は、と自分に対してつっこんでいた。そうやって魔物の心配がなくなったら俺の仕事はなくなってしまう。それは困る。しかし、研究者を名乗る女性の話が気になって仕方なかった。
 女性は、俺の疑問に対して誠実に回答してくれた。
「このスミレの植生は少し難しいようで、簡単に増やせないんです。今この獣道に育っているスミレを維持するのが限度です」
「そうなのか……」
 安堵したような、気落ちしたような、複雑な気持ちであった。とりあえず、この獣道は安全は確保されているようだ。それならこの女性と一緒でもいいだろう。二人で町に向かって歩を進めた。
 …道中でこんなに平穏な気持ちでいられるとは思わなかった。今まで、町や村へ向かう道中は警戒など怠ってはならなかった。改めて周囲を観察すると、普段は感じない木々のざわめきや鳥の囀りを感じられた。隣を見ると、俺以上に落ち着いて周囲を観察していた。
「…私は、今の状況がいいことだとは思っていません。今や魔物が存在する世界を当たり前となってしまっている。だから、できるだけ早く魔物の生態を解き明かして、魔物の存在しない日常を取り戻したいのです」
 彼女の言うことはあまりにも無謀であった。机上の空論といってもいい。空論にすらなっていないかもしれない。しかし、彼女の決意は固く、俺には反論することができなかった。
 …魔物が存在しない世界か。そんな世界、本当に叶うのだろうか。
「…俺も、そんな世界、見てみたいです」
 ふと口に出てしまった言葉は、噛みしめれば噛みしめるほど自身の中で大きくなっていった。魔物と常に対峙するこの生活はなくなり、稼ぎはなくなってしまうかもしれないが、平穏な日常を取り戻すことができる。それは俺にとっても理想だったのかもしれない。
 隣の女性は嬉しそうにはにかんでいた。それを見ながら、スミレが咲き誇るこの獣道を、ゆっくり進んでいった。

3/10/2024, 2:03:06 PM

『愛と平和』

「正義のヒーローに!俺はなる!」
「いや無理だろ」
 開口一番、友人から辛辣な言葉を向けられてしまった。酷いなぁ。いつものことだけど。
「なんで無理なんだよ。なれるかもしれないだろ」
「じゃあ聞くが、果たしてどのようなヒーローとやらになりたいんだ」
「だから、正義のヒーロー」
「その正義は何かって聞いてんだ」
「それは、正しいことをする事だろ」
「その正しいことって何なんだ」
「何って言われても……」
 ここまで詳しく聞かれるとは思っていなかった。いつも通り、ただ一蹴されて終わるものと思っていた。だからこそ軽々しく口にしたというのに。案の定俺は具体的に話すことができず、友人を睨みつけながら黙り込んでしまった。友人はそんな俺を見て、すまない、少し言い過ぎた、と謝ってきた。
「別に全否定をしたいわけじゃない」
「でも最初に無理って……」
「どうせお前は具体案を考えてないだろうと思ったから無理って言ったんだ。イメージできないものになれるはずがない」
 そう言って、友人は少し考え込む仕草をし始めた。こういう時のコイツは、どう説明すべきか悩んでいる時なので、急かすことなく静かに待つ。間もなく話す内容がまとまったのか、仕草をやめてこちらを向いた。
「正義というのは、確かに正しいことをすることかもしれない。でも、ただ正しいことをするのがいいことにつながるとも限らないんだ。…試しに聞いてみるが、お前は嘘をつくことは正しいことだと思うか?」
「そりゃ悪いに決まってるだろ」
「お前ならそう答えるだろうな。じゃあ、たとえ話をするぞ。例えば、今目の前でとあるカップルが破局しようとしているとする」
「それってお前のことになるけど」
「例えだっつってんだろ。そのカップルは偶然にも両方ともお前の友人であった」
「やっぱりお前じゃん」
「黙れ」
「はい」
「破局の理由は、彼氏側に他に好きな人ができたから。ここまで聞くと、どちらが悪い?」
「そりゃ勿論彼氏側だろ」
「まあそうだな。彼女は当然怒って出ていく。だが、お前は知っている。その彼氏が決して不貞などをするような性格ではないことを」
「お前なら絶対にしないだろうな」
「…もうそれでいいよ。その後、お前は彼氏側に声をかけ、詳細を聞くだろう。最初こそ彼氏は先ほどと同じ理由を言い続けるが、お前の熱意に負けて、ポツリとこう言い放った。『医者から余命宣告を受けている』と」
「⁉」
「それを聞いたお前は理解する。別れたのは彼女が後腐れなく次の相手を探せるようにするためだと。だが、先ほどのお前の定義では、嘘は正しいことではない。さあ、お前はどうする?」
「それは……」
「お前は、その彼氏の決意を無駄にするのか?」
「そんなことできない!」
「そういうことだ。正義やら正しいことやら、そういった言葉は大抵曖昧なものなんだ」
「……」
 コイツの言っていることはもっともだ。俺は全く正義なんてものを理解してはいなかった。こんなに柔軟に対応しなければならないとは。
「…なんか、自信なくなってきた」
「いや、否定してからいうのもなんだが、お前なら正義のヒーロー、とまでは言わないが、慕われる存在にはなれると思うぞ」
「え、なんで?」
「お前、ちゃんと周りのことを考えて行動できるだろ。それも理屈抜きで。正義のヒーローなんてわけもわからん名称をつけなくとも、お前は十分周りから愛される存在になれるさ」
「お前……いいやつだな」
「何を今更」
「じゃあ正義のヒーローになるのはやめるよ。今まで通りの俺でいる」
「是非そうしてくれ」
「あ、でも、さっきの話だけど」
「さっきの話?」
「たとえ話だよ。もしお前が余命宣告で嘘ついて別れたなら」
「だからそれは俺にしなくてもいいんだが……」
「まあ聞けって。もしあのたとえ話がお前なら、俺はそれでも正直に言うべきだって言うね」
「それはまた、なんでだ?」
「だってわざとだとしても、お前が悪く言われるの嫌だから。誤解されたままで終わりにしてほしくない」
 友人は虚を突かれたような顔をした。その後、すぐにそっぽを向いて何かを呟いた。
「全く、なんとも傲慢で、愛と平和にまみれたヒーローだよ」

3/10/2024, 9:56:46 AM

『過ぎ去った日々』

 友が死んだ。十年来の友人であった。まだ、二十五歳という若さであった。あれだけ元気で、何なら私よりも健康であった友人が、だ。交通事故であっけなく死んでしまったのだ。友人と飲み屋で語り合って、次の約束をして別れた後の事だったらしい。一週間一切音沙汰なかったので、心配して連絡したら、親族が出てきて教えてくれた。
 葬儀はとっくに終わっていた。それもそうだ。私は彼女と友人でこそあったが、彼女の親族とは話したことも、関わったこともなかったから。親族は彼女のスマホを開くことができず、連絡もできなかった。結果的に、親族のみで葬儀は済ませたとのことだった。
 私は、線香だけでもあげさせてもらった。仏壇に置いてある友人の写真は、私の見たことのない写真であった。彼女の母から話を聞いたが、どうやら遺影は二十代のものを使いたかったそうで、既に準備を済ませていたそうだ。そんなこと、私は知らなかった。少なくとも私の知る彼女は、一切死をにおわせるようなことは言ってこなかった。しんどいことがあっても、いつでも明るい未来を信じて進んでいたから。
……私は、彼女のことを、何も知らなかったのか。確かに私だって彼女に言っていなかったこともあったろうし、彼女もそうだったろう。それでも、彼女のことは最低限は知っているものと思っていた。
 できる限り平常心を保つように心がけながら友人の母親にお礼を告げ帰ろうとすると、友人の母親は涙を浮かべながら一礼を返してくれた。
 帰り道、スマホが鳴ったので開いてみると、何故か亡くなった友人からメールがきていた。普段SNSを使ってやり取りをしていた友人が、だ。おかしいと思ってすぐに開くと、どうやら予約メールをしていたようだった。私は近くの公園のベンチに座り、メールを読み始めた。

多分私はそろそろ死ぬので、早めに手紙を送っておくね!もしこのメールが届いた時点で私がまだ生きてたら、その時は笑いとばしてやってよ。
 私は、そろそろ死ぬって知ってた。そんなわけないって思ってる?それが、本当に知っていたの。今まで、私はちょっと先の未来が予測できた。本当にちょっと先だけどね。どこかとある重要地点が訪れそうになると発生してた。だから、私はいつも大事なところでは失敗したことないでしょ?きっとあなたなら理解してくれるはず。
 さて、もし本当に未来が見えていたとして、何故死を回避しないのかって疑問に思うよね。もしあなたからこんなメールが届いたら、私だって気になるもの。…確かに、私が事故にあわない未来を選択することもできた。でも、その未来を選択すると、別の人が死んでしまう。どちらかしか選択できないみたい。悩んだ。悩んで悩んで……私が死ぬことにした。実は、このメールを打っているのもその決意をしてすぐに書いてる。これを書かないと、勇気が出せないから。
 ごめんね。あなたを私の決意のためのだしにして。怒ってくれて構わないよ。一方的に絶交してくれても構わない。それでも、そうしたくなるくらいあなたは私にとって大事な存在だった。
 今までありがとう。これからはどうか、私のことは忘れて生きて。あなたはあなたが私に語ってくれた未来を信じて生きて。

 メールはここで終わっていた。彼女らしい内容であった。彼女らしすぎて一周回って笑ってしまった。公園で遊んでいた子供たちがこちらを不思議そうに見ているが、知ったことではない。
 彼女は、彼女らしく生きた。それが知ることができただけでも、私は満足であった。彼女は、自分のことは忘れてくれと言ってきたが、そんなことできるわけがない。私は、私だけは彼女の生き様を覚え続けていく必要があるのだ。
 これからは彼女のいない未来を進んでいかなくてはならないが、彼女との日々は決して色あせない、変わらないものとなるだろう。

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