「頼まれていたシール買ってきたよ」
電車で片道30分のところにある姉宅に着いた私は、慣れた感じで洗面所に向かい、キッチンにいる姉にそのまま話しかける。
姪っ子の通う小学校でもシール帳が流行中とのことで、シール調達を依頼されていた。
姉家族は週末に外出していることが多いので、有休を取った平日に遊びにやって来た。
「貴重な平日の休みに、わざわざありがとね」
テーブルに着くと、姉が淹れてくれた紅茶が私の前にそっと置かれる。アッサムの香りが湯気とともに立ち上がり、ホッとひと息つく。
「大好きな姪っ子のためですから、これくらい全然平気」
「わー、このシール、いいね。さすがだわ」
姉からの依頼内容は、とにかく可愛いシール、そして大きめのシールなら尚良しという、かなり大雑把なものだった。
シールを見た姉の第一声に、ひとまず胸をなでおろす。
「可愛いものは私の得意分野ですから、このくらい余裕だよ」
姪っ子のためのシール探しは実のところ楽しかった。本当はいくつもの店をハシゴして探し回ったのだが、このことは内緒にしておく。
「シール代いくらだった?払うよ」
「いいよ、別に。ついでだったし。それより、シールを探すために週末出かけているんでしょ?お姉ちゃんたちのほうがお金かかって大変だよ」
そう、姉家族は週末を使って、わざわざシールを探しに外出している。
ほとんどが日帰りできる距離だと言っているが、遠出も辞さない覚悟ということは見ていればわかる。
「まあ、今だけだからね。もう少し大きくなったら、お友達と過ごす時間が増えて、きっと家族で出かけることは減っちゃうと思うから」
その表情を隠すかのように、姉はゆっくりと紅茶を口に運ぶ。
「娘と一緒に出かけられる時間はお金には代えられないから、とにかくたくさん出かけようって、旦那とも話してる」
「お金より大事ってことだね」
「そうだね…娘との時間も思い出も、娘に関わるものは全てが大事」
ふと、テーブルの横にある棚から、小さな手帳を取り出し、そっと私に見せてくれる。
それはとてもシンプルなマンスリー手帳で、土日の欄にシールが貼られていた。
「出かけた先で娘に買ってあげたシールをね、娘からもらっているんだ。でもね、『ママのシールと交換じゃなきゃあげない』って。だから、私にはこのシールが必要なの」
そう言って姉は、さっき渡したシールをわざと私に見せてくる。
「このシールって、お姉ちゃん用だったの⁈」
「交換できるシールがないと、あの子ったらシールくれないんだもん」
衝撃の事実に二人してケラケラと笑い合った。
姪っ子が学校から帰ってきたら、きっと、大事なシール帳を真っ先に見せてくれるんだろうなあ。
なんだかとても待ち遠しく、ニコニコとしながら口に含んだ紅茶は甘い香りがした。
【お金より大事なもの】
何事もなく、特段良いことがあったわけでもなく、ただ無事に今日の仕事が終わってくれただけ。
頭の中は何も浮かんでいないフラットな状態で、会社から駅までの道をいつものように進み、一つ目の角を左に曲がる。
その先の空に、丸い月が浮かんでいた。
今日って満月だっけ?
でも、まんまるい月じゃない気がする。
仕事終わりの空っぽの頭の中を、お月様が急に照らしてきた。
電車に揺られ、なんの気なしに「今日は満月?」とスマートフォンで調べてみる。
やっぱり、満月は明日だ。
明日覚えていたら、財布をフリフリしようかな。
満月の日の、金運上昇のおまじないだ。
別に、毎回必ずやっているわけではないけれど、願うならやはり金運かな、と思うようになったのはいつからだろう。
学生のころの願いごとは恋愛一択だった。
恋愛系のおまじないは、気がつけば、全校生徒の女子全員がやっているんじゃないかと思うくらいに、いつも誰かが恋愛成就を願っていた。
そのパワーを少しでも勉強に使えばいいのに、と今は思ってしまうが、自分の世界は好きな人で埋め尽くされている、そんな世代だった。
満月だけでなく三日月にも、好きな人に思いが届くように願っていた記憶がある。
いつも誰かの恋バナを聞かされて、お月様は大変だろうな、なんてことを考える世代になってしまった。
今は恋愛に捉われない、幸せであればそれでいい。
ふと、スマートフォンを手に、再びなんとなく「次のブルームーンはいつ?」と調べ始める。
ブルームーン…ひと月に2回満月があるときの2回目の満月。
見ると幸運が訪れるらしい。
月の浮かぶ夜は、何かを願いがち。
どうやら、何歳になっても、そこは変わらないらしい。
お月様、いつもお騒がせをしております…
スマートフォンを膝の上にゆっくりと伏せて、電車に揺られている少しの間、窓から見える月を眺めていた。
【月夜】
夫の転勤が決まり、家族4人で引っ越すことになった。
下の子は幼稚園生でまだ大丈夫そうな様子だけど、小学生の娘はクラスのお友達と離れることを嫌がり、「パパなんて大キライ!」と泣き叫んだ。
「単身赴任のほうがいいかな。やっぱり友達と離れ離れは嫌だよね」
本当は離れたくないはずの夫が、娘から大嫌いと言われて弱音を吐いている。
「家族が離れ離れも嫌だよ」
環境が変わることに私だって迷いもあるが、経験上、家族は一緒にいるのがいいと思っている。特に子供たちはまだ小さいから尚更そう思う。
私も小学生のころ、親の転勤で引っ越したことがある。娘と同じようにあのときの私も断固拒否した。
大人の都合で子供の世界は一瞬にしてひっくり返る。そう、とても簡単に。
だけど、両親はそのことをちゃんとわかってくれていて、子供だった私が寂しいと感じないように、無理してでも時間を作り、休みの日はいつも遊びに連れていってくれた。
引っ越した先でも友達ができて、今振り返ってみても、楽しい記憶が飛び出してくる。
自分が親になってみて、両親の大変さが身に染みる。
私は宝物を娘たちに見せることにした。
「これはね、ママに届いた手紙なの」
引っ越したあとに届いたクラスの友達からの手紙を綺麗な箱に入れて大事にしまってある。
あのころの私は、新しい環境に慣れるまで、やはり心細くて、泣いてしまうことがあった。
とおくにいても、ともだちだよ。
私のもとに届いた友達からの手紙で、離れても友達との絆は消えないことを知り、心の支えになった。
「この子はママのおともだち?」
娘の手には一緒に入れていた年賀状があった。そこには娘と同じ年頃の子が写っている。
「この子のママが、ママのお友達だよ。遠く離れてもずっと手紙をくれた、ママの大事なお友達」
「ずっと?」
「うん、そうだよ。ずっとお友達」
慌ただしく引っ越しが決まっていき、最後の登校日には大号泣していた娘も、今では新しい環境の中で自分なりのペースを作り始めている。
「ただいまー」娘は学校から帰ってくると、いそいそと手紙を書き始める。
お友達から届いた手紙に返事を書くために…。
【絆】
「今度の日曜日、たまにはどっかに行こうよ」
スマートフォンを片手にリビングのソファで寛ぐパートナーの彼に声をかける。
二人してインドア派。
大概のことは近所で完結できてしまう。
だけどなんとなく、出かけたい気分の私がいる。
春めく雰囲気がそうさせるのかもしれない。
「それなら、久しぶりに外で待ち合わせしてみない?」
インドア派の二人はときどき行動的になり、そういうモードのときは迷いがない。
面白そうな提案には乗っかってみる、そういうところで似たもの同士。だから、居心地がいい。
当日の朝、いつもと変わらず一緒に朝食を摂り、ゆっくりとコーヒーを飲む。
「それで今日はどこ行きたい?」
「美味しいものが食べたい」
「アバウトだなあ。オレは観てみたい映画があるから、映画館に付き合って」
いつもは、ネトフリやアマプラを家で観ているから、大きなスクリーンは久々だ。ホラー以外なら何でもいいよ、と答えておいた。
私はちょっとだけ念入りにメイクをしてから、
彼は軽く買い物をしてから、
それぞれ待ち合わせの場所へ向かう。
同じ家なのに二人は別々に出かける。
なんだか不思議で、なんだか面白い。
先に待ち合わせ場所に到着していた彼が、まだ少し離れた歩道にいた私に手を振ってくるが、見たことのないジャケットを羽織っている。これを買うために急ぎ家を出たらしい。
そういう私も、内緒で買っていた白いコットンスカートを着ている。デニムパンツとの重ね着が好みだけど、他のボトムスとも重ねずに、いつもとは違う感じにしてみた。
お互いに照れくさくて、笑って誤魔化した。
電車に乗って、シネコン系の大きな映画館で話題の映画を観て、終わったあとは同じ階にあるゲームセンターに吸い込まれるように入り、UFOキャッチャーで遊んだ。
ちょっとオシャレなカジュアルイタリアンで食事をしながら、久しぶりにグラスワインなんぞを飲んでしまった。
「たまには、こういう感じも悪くないね」
「そうだね、たまにはね」
二人してちょっとほろ酔いだから、家までの道すがら、手を繋いで歩いてみる。
暦の上では春だけど、夜はまた肌寒くて、通り抜けてく夜風が少しくすぐったかった。
【たまには】
大好きな君に贈るプレゼントを探している。
プレゼントを選んでいるときは君のことを考えていられるから、とても楽しい時間だ。
誰かに何かをプレゼントすることが子供のころから好きで、
その人が好きそうなものを、無意識にリサーチしてしまうクセがある。
さり気なく、気にしながら、小さなヒントも逃さないように、いつでも心はその人の方に向いているのだと思う。
幼稚園生のころ、せっせと手紙を書いては大好きな先生に渡していたっけ。
前にそんな話をしたときに「オレはロボットの絵を描いて、幼稚園の先生にあげたことがある」なんて言っていたなあ。
実はロボット好きだったりして。
オシャレな雑貨が並ぶショップの中で、シルバー色をしたロボットのキーホルダーを見つけて、そんなやり取りを思い出していた。
クスっと小さく笑いながら、視線を横に移すと、重厚感を漂わせた万年筆が目に入る。
「まだまだだけど、仕事もできる男になりたい」と呟いていた君の顔が頭に浮かぶ。
いかにも仕事ができそうな万年筆。
形から入るのもいいかもね。
でもちょっとハードルが高いかな。
隣にある洒落たボールペンのほうを手に取ってみる。見た目は万年筆よりも少し細めで、持ってみた感じは悪くない。
ジャケットの内ポケットからこのペンをサッと取り出したら、何だか仕事のできる人って感じがする。
そっと元の場所に戻して、ゆっくりと他も見て回る。
家族や友達、そして恋人…
プレゼントを選ぶ相手は、ほとんどの場合が好きな人。
…例外もたまにあるけれどね。
大好きな君のことを思いながら、
大好きな君に贈るプレゼントを探す。
この時間は、やはり特別だ。
プレゼントはまだ決めずに、
もう少しだけ、探してみようかな、
君のことを思いながら……
【大好きな君に】