仮色

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10/17/2024, 4:22:35 PM

【忘れたくても忘れられない】

例えば、キッチン。
慣れない手つきで、それでも私の手を借りずにどうにか料理を完成させようと頑張っていたあの顔。

例えば、リビング。
テレビでお笑い番組を見て笑う姿。映画を真剣に見る顔。動物のノンフィクションのドラマに感動したと泣きそうになっている表情。

例えば、アクセサリー。
1周年記念日に一緒にお店に行って選んだ指輪。着けない時はいつも彼と同じ場所に仕舞っていたのに、今は一つだけ、悲しくシルバーがコロンと転がっている。

例えば、玄関。
行ってきます、と少し眠そうな声。ただいま、と少し疲れた声。
早く早く、と楽しそうに出かけるのを急かす声。

もう、ぜんぶ全部見られない光景。
確かにその光景は自分の目で見たもののはずなのに、温度感のない部屋はそのことは本当だったのか、都合の良い妄想なのではと疑問に思わせてくる。

場所はあるのに、そこにいてほしい人だけいないくて。

忘れたいのに、忘れられない。
忘れさせてくれない、あの声を、あの顔を、あの姿を。

10/14/2024, 5:33:33 PM

【高く高く】

優しく風が吹いて、顔のすぐ横にある草がさらさらと音を立てた。
草をベッドみたいにして寝転んでいる今、その音が子守唄に聞こえて目を閉じる。

ひゅうひゅうと風が舞うのが収まって、たっぷり余韻に浸ってから目をゆっくり開ける。
目の前に広がるのは、青と黒の背景に銀のラメを散らしたような素敵な光景。
そこにぽっかりと浮かぶ、今にも折れそうな細々しい月があった。
それを目に入れて、もしや、あの細さなら今の自分にも握り潰せるのではないか、と手を空へ伸ばす。

月に手をかざして、ぐしゃっとするように握ってみた。

掴んだ感覚はない。重力に従って腕を下ろすと、ぼんやり光っている月が変わらずに見えた。
流石に掴めないかぁ、となんとなく悔しくなる。
自分の腕がにゅーんと伸びさえしたらぽきっといける気がするんだけどな。
そんな妄想を頭の中でして、ふぅ、と息をついて再び目を閉じる。
なんだか疲れて眠りたい気分になってしまった。
外で寝たら風邪を引くだろうか。まあ月の光が温めてくれるか、月光って布団みたいなもんでしょ。と、謎の持論を展開して深呼吸をする。

「おやすみ」と呟く声を、ぽきっとできそうでできない月のみが聞いていた。

10/13/2024, 7:21:15 PM

【子供のように】


「ねぇ、ゆるして」

静寂の水面に、ぽつんと雫が落ちた。
何に希っているのか、何に祈っているのか、何に、何に。
苛ついてグシャグシャにした紙みたいに考え全部が混じり合って、分からない。

「ゆるして」
「ゆるして」
「ゆるさなくてもいいから、ゆるしてほしくて」

何を言っているのだろう。何に願っているのだろう。
そんな簡単なことさえも、立ち昇る水蒸気みたくすぐに消えて分からなくなってしまう。

真っ暗なキャンバスに浮いている真上の月がアンバランスなようで、どこまでもマッチしていて。
ゆるして、なんていたいけな言葉に感動したように、雲に身を隠した。

10/2/2024, 3:11:48 PM

【奇跡をもう一度】

朝起きると外で小鳥が鳴いている。
小鳥の囀りは、歌を歌っているなんてよく例えられたりするが、生まれてこの方ずっと田舎に住んでいるもんだから、もはや毎日流れて気にも止めなくなってしまった名曲みたいなものだった。

眠くてとろとろ下がってくる眼を擦りながらカーテンを開けると、朝特有の涼を纏った日が差し込む。多分、絵にしたら青色系の光なんだろう。
それでようやく脳みそが起きなければいけない時間だと気付いて、欠伸をひとつ。
ちょっとだけ窓を開けてみると、冷たい空気と一緒にペトリコールが部屋を濡らしていった。
ああ、昨日の夜は雨が降ったのかな、なんて思いながら朝の空気を吸い込むと、やっとぱっちり目元が開いたような気がした。

朝日に照らされて、宵の雨の残りがキラキラ輝く。
それほど明度が高くないそれが眩しくて目を細めた。


ああ、こんな日々の奇跡をまたもう一度味わえたら。
続いていくちょっとした幸福に埋もれる日々は、奇跡で溢れている。

9/23/2024, 1:41:58 PM

【ジャングルジム】

家の中はどこか狭苦しくて、一言近くの公園に出掛けると玄関で叫ぶように言ってから、返事も待たずに外に飛び出した。
もしかしたらお母さんが心配して玄関から飛び出してくるかもしれない、とドキドキしながら道を駆ける。時々後ろを振り返って、誰もいないことを確認すると心のドキドキが少なくなって少し残念に思う。
いや、別に追いかけられたかった訳じゃないし、別にいいんだけどね。
全力で走ってきてぜぇはぁ言う口を休めるように、小走りにスピードになる。
歩かないと到底使ってしまった体力は戻ってきそうになかったが、もしかしたらまだ追いかけてきてる途中かも、と思うと走る足を止められなかった。
太陽が熱い。風が涼しい。
まだ夏を抜けきれてない暑さに少しイラつきながら、全身で感じる風の心地よに身を委ねる。
あ、ここの道は右から行ったほうがちょっとだけ早い。
真っ直ぐ走っていた足をぐっと右に向けた。
先程の車が通れる大きさの真っ直ぐな道とは打って変わって、グネグネ曲がった自転車ひとつが通れたら御の字の道を走る。
時々別れ道があったが、何度も公園に行っている自分の足はもう考える間もなく正解の道を選ぶ。

そろそろ体力の限界だ、というところで、やっと公園の入口に着いた。

はぁはぁと膝に手を当てて息を整えながら公園の中を覗く。
誰もいないことと、ついでに不審者が何処にも隠れてないことを確認して、走り過ぎで少し震える足を無視して公園の中に入った。
取り敢えず座って休もうと、目の前にあるジャングルジムの中に入って棒に腰掛けた。ベンチに座らなかったのは、前に鳥がフンを落としているのを見たから。
ジャングルジム捕まっている手から鉄の冷たさを感じながら、足をブラブラとさせる。
火照った体にもっと風が欲しくなって、ジャングルジムの一番上を目指して登ることにした。
檻のようになっている鉄の棒をよじ登って頭を上に出すと、新鮮な空気が吸えたような気分になる。ジャングルジムの中はスカスカだから別にそんなことはないんだけども。
頭を出したジャングルジムの頂上に体を引き上げて、落ちないように注意しながら横になる。
場所が高くなったぶん風が強く吹いているように感じて心地よかった。
でも、遮るものがひとつも無くなったぶん太陽はジリジリ肌を攻め立ててくる訳で。
強い光を目前にした目がチカチカして、思わず手のひらで太陽を覆い隠す。
それだけでも大分と抑えられた陽光に少し安心していると、自分の手のひらだけでは抑えられずに指の間から漏れていた光がスッと消える。
何だと思って上に上げていた手を下ろすと、太陽が雲に覆われて見えなくなっていた。

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