【心の灯火】
ちょいとあんた、そこのあんただよ。そう、あんた。
最近、身内に不幸かなんかは無かったかい。随分と痩けた顔をしてるからね。
そうかい、かっさんが。そりゃ大変だったねぇ。
でもそんなに見るからに弱々しくなっちゃいけないよ、妖怪にでも連れてかれちまう。
心の炎ってのは案外小さいもんだ、手で炎の部分を握ったら消えちまうくらい。
あんたはそれが更に小さくなって、しかも弱々しいときてる。
浮世の者じゃないナニカに狙われるのも時間の問題さ。
だからしゃきっとしな!団子でも食わせてやるからさ、な?
――
布団の中に入って天井の木目を目にした時、はぁと無意識に溜息が零れ落ちる。
かっさんがいなくなってしまってからどうも元気が出なくて、いつもの調子がでない毎日。食欲も出なくて好物の饅頭さえ喉を通らなかったのに、今日食べさせてもらった団子はするする胃の中に収まっていった。
こんなうまい団子食べたことない、と言うと、そりゃ良かった、もっと食べなと言われて。団子だって無料じゃないだろうに、浮世にも優しいやつがいるもんだ。
はぁ、と二度目の溜息が口から吐き出される。だけど今度はいつもみたいな寂しさを含んだ息じゃなくて、少し満足げな感じを含んだ息だった。
明日も生きるんだから仕事をしなきゃならない、早く寝ちまおう。
暗闇に随分と慣れてしまった目を閉じて横を向く。かっさんが死んじまってから嫌な夢を見ることが多かったが、今夜は団子の夢でも見れそうだ。
団子は御手洗がいいな、なんて少し欲望深いことを考える。
そうしている内に、俺は眠りにすとんと落っこちた。
すぅすぅと寝息が聞こえる部屋の中、暗闇でなにかが蠢いた。
姿を見ることは出来ないが、なにかがいる夜闇を見ると 、嫌な予感を極限まで高めた感覚が襲ってくる。
闇が移動する。布団の中の男の胸のあたりに、ぴとっと手のようなものを置いた。
ずぶり、と手が沈んで胸の中に入る。何かを探すようにがさごそ胸の中を掻き回して、手を引き上げるとそこにはぽっと光る灯火があった。
暖かなその光を、なにかは手で握り潰そうとした。
ふにゃん、と火が揺らめく。だが、それだけだった。
前の男の灯火なら直ぐに消えていただろうが、団子の力なのか……は分からないが、随分と灯火が強くなっていたようだ。
なにかは火を消せないか数回試したあと、諦めたのか天井の方の闇に紛れて消えた。
一命を取り留めた男は、今さっき自分の命の危機が迫っていたなんて全く知らない顔ですこすこと寝ている。
今見ている夢は、やっぱり団子だろうか。
【香水】
香りと記憶が結びついている、というのは有名な話だ。
香りというものは海馬に直接刺激を与えるらしく、記憶と香りは一緒に脳に収納されていることがある。
昔嗅いだことの匂いで芋づる式に記憶が蘇ってくるのは、そんな仕組み。
フランキンセンス、という香りは知っているだろうか。
昔から宗教的な儀式や神聖な場で使われることが多かったその香りは、別名『神の香り』とも言われているらしい。
スパイシーとウッディ、あとは柑橘系。暖かさと冷たさが混じり合うような香り。
緑が深い森の中でふと人工物を見つけたような、そんな感じ。
普通なら混じり合うと異質で気持ち悪いなものだが、妙に綺麗に合わさっていて美しく感じる。
複雑なのに、嫌悪感がない。不思議な香り。
嗅いだこともない匂いなのに懐かしさを感じた、なんて経験はないだろうか。
こんな香り知らないはずなのに、なんだかノスタルジックで。
心がざわざわして、その香りと紐づく記憶を呼び起こそうとしているのに。
あぁ、思い出せない、こんなにも懐かしいのに。
そんな感情。
フランキンセンスの香りを初めて嗅いで、懐かしさを感じた人はいるだろうか。
神の香りと呼ばれているフランキンセンスを懐かしく感じるのなら、あなたはいつの日にか神と呼ばれるモノにあっていたのかも?
なんてね。
記憶にありもしない懐かしさが事実を教えてくれるのなら、それは、
【鏡】
ドッペルゲンガー、って知ってるだろうか。
自分と全く同じ姿形をしたヒトだかモノだか。
一度でも見てしまったら死ぬだとか、二回見てしまったら死ぬだとか、とにかく何回か見てしまうと死ぬと言われている。あとは、自分に成り代わられるとかも言われていたりなんなり。
ま、よくある都市伝説的なやつ。
世界には両手足の指じゃもう足りないにも程があるくらいの人間がいるし、ちょっとくらい自分と姿が同じ人間がいたってしょうがないだろうとは思うけど。
閑話休題。
ドッペルゲンガーに一番近づける物として、鏡が挙げられるような気がする。
そのまんま自身の姿が映し出されるのは何故だかなんて、絶対に科学的に証明はされているだろうが、ロマンってものを忘れちゃあいけない。
鏡。かがみ。
昔は金持ちがたくさん鏡を城の中に置いて財力と権力を示したとか、霊を降ろすために使われているとか、割れた鏡は縁起が悪いとか不吉だとかなんとか。
鏡ってのは案外人間に近くて、そりゃ人間の姿を映すためのものなんだからと言われたらあれだけども。
現代では女子高生の必需品として挙げられたりするのが、鏡。
とっくのとうに日常に溶け込んでしまって、鏡を見つけたからって珍しい鳥でも見つけたかのような反応にはならない。昔は鏡ってのは激レアアイテムみたいな扱いだったのに、これも時代の移り変わりというものか。
便利だよね、鏡。本当に。
でも、鏡も危ないってのは知ってるだろうか。割れたら怪我するよとか、そういうんじゃなく。
急にドッペルゲンガーの話に戻るんだけど、死ぬんだよね。ドッペルゲンガーを見ちゃったら、だけど。
はい、ここで鏡の話に戻ります。鏡って、自分の姿を映し出すんだよ。
似てると思わない?
ドッペルゲンガーの、自分じゃない自分と、鏡の中の、まあ左右反対ではあるけど多分自分。
鏡の中からにょきっと出てきてドッペルゲンガーになったりでもしたら笑い話だけど、出てこないから怖いってもん。
鏡の中の自分が本来の自分とは違う動きをした時、それはもうドッペルゲンガーになると思わない?
まあ、どう思うかはあなた次第ですってやつだけどね。
これは全部、勝手に私が考えたこと。だけど、プラシーボ効果ってやつがある。
知ってる?プラシーボ効果。簡単に言うと、強く思い込んでそれが本当になっちゃう、みたいな。
ドッペルゲンガーに会いたい人、プラシーボ効果って良いかもしれないね。
鏡の前でこれは自分じゃないって強く思い込んで。
それで鏡の中の自分が偶々、天文学的な確率だけど、違う動きをしたら。
それはもうドッペルゲンガーだよ。
鏡の中に引きずり込まれて成り代わられるかもしれないけど、ドッペルゲンガーにどうしても会いたいって人はオススメかな。
あぁ、ごめんごめん。長々と話しすぎたね。
面白かったならいいけど、どうだっただろう。
それじゃ、またいつか。
【いつまでも捨てられないもの】
小学校の頃、卒業制作でオルゴールの入った木箱を彫刻したことがある。
一番見える上部分には、修学旅行で見た綺麗なものをずっと覚えていたいと紅葉の葉を彫った。
修学旅行でお城を見にクラス全員で階段を登っている時に、なんとなしにちらりと横見たら紅葉があった。
上から柔らかに陽光が掛かっていて、薄く輝いたようなあの紅い葉は衝撃だった。綺麗だな、なんて陳腐な言葉も出てこずに、後ろの人に気も遣えずに立ち止まってしまった。それだけ綺麗で、この記憶を一生忘れないでいようと脳裏に焼き付ける気概でまじまじと見た光景は、無事に今でもくっきりと思い出すことができる。
特によく思い出すのは、卒業制作の木箱の彫刻を見た時だ。
少し不格好な、それでも当時は一番いい出来だと思った紅葉の彫刻を見た時、ぱあっと鮮明にあのときを思い出すことができる。
木箱の中には、小学生から今までで貰ってきた手紙が詰まっている。
友達から、先輩から、後輩から。全部大切な宝物だ。
オルゴールは木箱を開けた時に鳴るようになっていて、オルゴールが小学校の校歌なもんだから、懐かしさが編み込まれたような箱になっている。
掃除のときにでも偶々見つけて紅葉の光景思い出して、開けて校歌を思い出して。
中には小学校から上の手紙が全部入っている。掃除機なんてそこら辺に置いておいてオルゴール優しい音と共に手紙を覗くと、当時の背格好にでもなった気分だ。
いつまでも捨てられないもの。
小さい頃を思い出す、いっぱいに記憶が詰まったあの木箱。
【誇らしさ】
自分に自信を持てと言われると、そんな無茶なと思う。
重ねてきた年数の割にしては、それなりにいい人生を送ってきた気がする。
テストは前日に勉強をしただけで二十位以内には入れたし、ずっと学級委員もしていた。まあまあ仲の良いクラスメイトに印象を聞くと、真面目やら何やらの単語が返ってくる。そしてそれに、大きく反論出来ない自分もいる。
どうやら自分は思っているよりも器用らしいというのは最近気が付いた。
細かいことが得意という技術的な器用さもあるが、対人が案外得意だった。人見知りなくせににこにこ笑顔で口数は絶やさない、なんていう変な器用さも見せていた。自分でから意見やアイデアを出すのも、どちらかと言えば得意な方だった。
自分の、世間一般的に言われる優秀な部分というものが他人に見られてしまった時、どうしようもなく狼狽してしまう自分がいる。
期待されると、それを超えないといけない。
最初はぴょんと頑張れば超えれていたものも、やがては高くなりすぎて届かなくなってしまう。脚力にはどうしても限界がある。努力しても、努力しても超えられない壁というものがある。
百点のテストを取ったことがある。
褒められた、次も頑張ろうと思った。次もやらないといけないというどこか脅迫じみた思いが自分の中に油性で書かれて、消えなくなってしまった。
委員会で先生に頼られた。
頑張ろうと思った、でも、期待という重りが頭にズシンと乗った気がした。それは、その時の自分には抱えきれないほど重かった。
そういったものの積み重ねだった。落胆が怖い。今まで積み重ねてきたものが一つの失敗で全て無しになってしまうのが怖い。
そうなったら、今までの大事に崩れないように気をつけて積み上げてきた人生のピースが欠けてしまうような気がした。
褒められて、認められて、嬉しく思っても、次の日には過去になっている。
崩されるかもしれない、ピースの一つになっているのだ。
誇らしさってなんだろう。
少なくとも私は、自分に誇らしさは持てない。
だって、持ってしまったら怖いから。
壊されるんじゃないかって、壊してしまうんじゃないかって。