仮色

Open App
8/16/2024, 12:56:45 AM

【夜の海】

ざざ、と波の音が鳴る。

押し寄せては、戻っていって。鼓動のようなその動きに、生きているんだなと直感的に感じる。

潮風が髪を攫う。ついでにスカートの余分な布も持っていってしまう。

海とは、生まれる前にいる母の腹の中にある羊水と似ているらしい。
ちゃぷ、とこちらを必死に巻き込もうとしているかのような波に足先を入れると、冷たい液体の感覚に背筋がぞわりとした。どうやら今更胎児のような安心感は得られないらしい。
少し濡れたらもう全部濡れてしまっても一緒かな、と足をざぶざぶ海の中に埋めていく。服が濡れて体に張り付いたかと思えば、水の中に浮かんで形を感じにくくなった。重くなっていくスカートに、この服装は失敗だったなと一瞬思ったが、腰のあたりまで足を踏み入れた時にはそんな思いは消え失せた。
月明かりだけが頼りで、夜に慣れた目でも少し暗く感じてしまう。塩っ気のある水面は、表面から下は漆黒に染まっていてよく見えない。
この真っ暗な下に数え切れないほどの生き物が住んでいるなんて、素敵な話だ。

遠くで聞こえる小さくなった波の音に、振り返ってどこまで海の中に入り込んでいるのか確認をしたくなったがやめておいた。ぽつんと浮かんでいる三日月がどうにも怖くて、目を離したら食われてしまうような子供の恐怖が薄ら存在している。
目の前に広がっている尾の行方が分からない海面にも失礼な気がして、もうざぶざぶ鳴らなくなった足を進めていく。

次第に首が埋まって、口元が埋まって、流石に一度足を止めた。
でも数秒経ってから直ぐに歩き出して、どんどん顔が侵食されるのを感じる。
強いチャームでも掛けられたかのようなぼんやりした脳みそは、先へ先へと足を進めたがる。それに抵抗することなく進んでいく自分の体に焦りのようなものを感じるが、どこか片隅でゆったり満足している己もいた。

ざざ、とどこかから波の音がする。
しばらくして無音、海の命の音が聞こえてくる。
しょっぱい、とまだ感じられることに少し感謝したと同時に、酷く落胆する。

かえりたい。かえりたい。

少女の頭がとぷんと消えた。
夜の帳が張っている空間では、海の中身を覗き見ることはできない。
あの娘はどこに行ったのかなんて、知らなくたっていいでしょう?

だって、貴方にはひとつも関係のないことなのだから。


この少女の今後の物語は、夜の海だけが知っている。

8/14/2024, 11:06:17 AM

【自転車に乗って】

習慣とは怖いもので、家に誰もいなくても行ってきます、と勝手に口が言ってしまう。強いて言うなら家にでも出掛けることを伝えているのだろうか、と思うが、自分のことなのに明確に分からないのだからどうしようもない。

あ、自転車の鍵持って来るの忘れてた。

触り慣れていない家の鍵を使って、上下を間違えながらやっと鍵を二個全部閉めたというのにまた開けないといけない。先ほど学習した自分の手は、今度こそ一回ですっと鍵を入れることが出来たのがまだ喜ぶべきことだろうか。
がちゃ、と閉めた時とは少しトーンの違う音が鳴って扉が開く。再び踏み入れた家の中はシンとしていて、奥に猫がごろんと寝転がっているのがちらっと見えた。耳が動いているから、多分起きてはいるんだろう。
玄関のすぐ横に置いてある自転車の鍵を取る。こんな見えやすいとこにあるのに度々忘れてしまうのは、私の頭が学習をしてないからなのか。
記憶力が無いってことじゃないとは思うんだけどな、成績が悪い方でもないし。

「じゃ、行ってきまーす」

さっき家に一回言ったのなら今度はと、そこにいる猫に出掛けることを伝える。
再び外に出て、鍵を閉める。先ほどはあった雲が風で吹き飛ばされたのか、太陽の光が肌を焼き付けてきた。やばい、日焼け止め塗ってない。
出来るだけ早く日陰に行ってしまおうと思い、扉を軽く引いて鍵が閉まっていることを確認してから自転車を置いている場所の方に小走りで向かう。お姉ちゃんの自転車が微妙に邪魔なところにあったので、倒さないように気をつけながら退けた。

自分の自転車に近づいて、取ってきた鍵を差し込んで回す。自由になったタイヤを確認して、自転車に乗れる場所まで引っ張り出した。途中お姉ちゃんの自転車にぶつけてしまったが、傷は付いていなそうなので別に気にしないこととする。
ちょっと時間やばいかもな、と思いながらサドルに座った。ジブリみたいに片足をペダルにかけただけで走り出せられればいいが、生憎そんな技術は持ち合わせていない。真似したとて転けて怪我をするだけだろう。

じりじりと太陽光に焼かれる思いをしながら、自転車で走り出した。
風が生温くて、一週間に一回はテレビで見るようになった地球温暖化を肌で感じる。今はまだ我慢すれば活動は出来そうだが、五年後十年後はどうなっているのだろうか。その時にはもう学生じゃないし、自転車に乗ることもあんまり無いだろうから別に気にしなくてもいい気もする。

時間、間に合うかな。ちょっと急ぐか。
座り漕ぎから変更して、立ち漕ぎになる。間に合えばいいな、怒られたくないし。
そんなことを考えながら、ペダルに乗せている足の力を入れた。

――
作者の独白

ここを見る人はいるのでしょうか。いたのでしたらこんにちは、仮色です。
お題が変わった次の日になってから編集で作者の独白を書き入れているので、私の名前をタップして下にスクロールした方のみこの文が見えるようになっています。

久しぶりにこのアプリで物語を書きました。何ヶ月ぶりかな、と思えば8ヶ月ぶり。書き方も随分と変わって、なんだか書く速度も上がったような気がします。まあ、それは適当に書いているということの裏付けなのかも知れませんが。プロットを立てたりはしないのでしょうがないですね。単語を見てパッと思いついたままに書くのが醍醐味だと思っているので。

ずっとここで書いていなかった理由は、普通にとても忙しかったからです。
実はまだ学生でして、部活やら勉強やら委員会やらに追われておりました。中学生なのか高校生なのかは明かさないでおきます。ただ、今年は受験生で勉強に追われまくる予定ではあることは言っておきますね。つまりはまた全然書かなくなる可能性が高いということです。
その時はまた文章が上手くなった時に出会えたらと思います。

この独白も少ししたら消すかも知れません。見れた人、ラッキーです。
それでは、そろそろお別れです。今日も貴方に良い事がありますように。
また会える日まで。

12/27/2023, 11:41:20 AM

【手ぶくろ】

深い深い森の中に、青い屋根に白い壁のお家がぽつんと立っていました。
周りにはお花が沢山の植えてあって、蜂が花粉を集めています。
その蜂達がどこに帰るのかというと、お家の隣りにある養蜂箱です。
お家に住んでいるくまさんは、お家にあるお花の花粉を蜂達に分ける代わりに、蜂達が作った蜂蜜を少し貰っています。

「んー、今日もいい天気だなぁ」

くまさんのお家の窓付きのドアがカチャ、と開きました。
中からは朝食を食べ終えたくまさんが出てきます。
朝食を食べた後に散歩をするのがくまさんのルーティーンです。
今日のくまさんはどこにお散歩をするのでしょうか。

「うーん…、今日は籠を持って行って木苺を採りに行こうかな」

どうやら、お散歩ついでに木苺を取りに行くみたいです。
木苺のぷちぷちと口の中で皮が弾ける感覚と、甘酸っぱい癖になる味を思い出して、くまさんは口の中がよだれでいっぱいになりました。
沢山成っているといいな、とくまさんは笑顔になりながら思います。
くまさんはお家から籠を持ってきて、早速散歩に出掛けました。

森の中は木漏れ日で溢れていて、暖かい空気でいっぱいです。
ふんふふーん、というくまさんの鼻歌と一緒に小鳥たちの囀りが聞こえてきて、まるで合唱をしているようでした。
合唱を楽しみながら暫く歩くと、くまさんはポツポツと赤色や朱色の果実が成っている低木の群れに辿り着きました。
これが木苺です。
昨日の夜に少しだけ雨が降ったからなのか、木苺にはぷよっとした雫が付いていて、いつもにもまして美味しそうに見えました。
思わず沢山採りたくなってしまいますが、森に住んでいる住人のために全部は採ってはいけません。
くまさんも勿論それは心得ているので、必要な分だけ木苺を籠に入れました。


(すみません、まだ書く予定でしたが間違えて出してしまいました)

12/25/2023, 1:28:14 AM

【イブの夜】


『クリスマスの予定なんも入ってない…』

前、そんなふうにしょぼしょぼ嘆いているのを聞いてしまったから。
もしかしたらイブも空いてるかもって。
…クリスマスに誘う勇気なんて、今の僕には無いから。
緊張で強張る指で、スマホの画面を操作する。
あともういっこ操作したらもう電話が掛かってしまう画面までいって、覚悟を決めた心がぐらぐらと歪み始める。
僕なんかが誘ってもいいのかな…そもそもクリスマスの予定が無いだけでイブの予定はあるのかもしれないし…。
さっき覚悟を決めたのにうじうじし始めた心に喝を入れて、僕はそっと通話のボタンを押した。
prrrr、prrrr、と静かな部屋にコール音が響く。
1コール、2コール、3コール…やっぱり電話なんか掛けなかったら良かったかもしれない。
手の中で結構なコール数分スマホが震えて、だめだったんだと電話を切ろうとした時だった。

『っもしもし!ごめん手が離せなくって出るの遅くなった!』

相手が電話が出るのを待っていた画面が、通話中の画面にサッと変わった。
スマホから、焦ったように大きな彼女の声が聞こえてくる。

「あ、いや全然大丈夫。忙しい時に通話出てくれてありがとう」
『優しい〜、ありがとう。で、どした?電話掛けてくるの珍しいじゃん』

早速本題に入ろうとしている話題に、スマホを持っている手をぎゅっと握って口を開いた。どくどくと鳴る心臓がうるさくて、向こうにも聞こえていないか心配になってしまう。

「あの、さ…今日夜とか空いてたりする?一緒に出かけない?」
『あー待ってごめん、夜は家族と過ごす予定がある…』

少し下がった声色で言われた断りの言葉に、がっくりと肩を下ろす。
やっぱり空いてるのはクリスマスだけだったか…と通話を切り上げようと口を開いた時、焦ったような声がスマホから聞こえた。

『ちょ、待って待って、今日は空いてないけどクリスマス当日は1日空いてるよ〜…? そっちが予定空いてるなら明日出かけるっていう手も、ねぇ?なきにしもあらずと言いますか…』

早口でつらつらと言われた言葉を、僕の頭が理解するまで数秒かかった。
彼女がクリスマス当日に出掛けようと遠回し…遠回しとも言えないかもしれないが、誘ってきていることを理解した時、考えるよりも先に口が回った。

「じゃあ明日はどう? 出かけるの」
『あ、うん!いいよ! 明日ならめちゃくちゃ空いてる!』

途端に明るくなった彼女の声に、少し期待してしまうのを感じてしまう。
それから僕と彼女は、集合場所と時間だけ決めて通話を切った。

クリスマスの予定…できちゃったな。

ぼすっと座っていた自分のベッドに体を沈める。
顔がゆるゆると緩むのは許してほしい。だって、ずっと片思いしていた彼女とクリスマスに会えるっていうのだから。
彼女の反応も悪くなさそうだったし、何なら嬉しそうに見えた。

ちょっとくらい期待しちゃってもいいよね…?

緩んだ顔で、僕は明日の服を選びにクローゼットに向かった。

12/23/2023, 9:31:07 AM

【ゆずの香り】

控えめな淡い甘さが鼻を擽る。
目を閉じて息を大きく吸い込むと、淡い甘さと自然特有の青々とした匂いが体に満ちていく。

「っさて、」

――本当にここはどこなんだ??

いい匂いを嗅いで少し落ち着いた頭で、放ったらかしにしていた問題を再び考え始めた。
周りを見渡すと、白い可憐な花を付けた木が沢山生えている。
人通りが多い東京のアスファルトの道に立っていた筈だが、いつの間にかこの自然の世界に放り込まれていた。
帰りたいが、ぱちっと瞬きをしたらいつの間にかこんな鬱蒼とした木に囲まれていたのだから、どうもこうもしようが無い。
東京では中々嗅がないような常に鼻を刺激する淡い甘さに、酒でもないのに酔いそうになってしまう。

多分この甘さの発生源は、木に飾りのように付いている白の花だろう。
確認をするために花に顔を近付けて匂いを嗅ぐと、予想は合っていたようで濃くなった甘さが鼻腔を揺らした。

「にしても、どうするか…」

花から顔を離して再び考える。
本来ならこんな場所に来てしまったことにもっと焦るべきなのだろうが、小さい頃からこういった減少に度々巻き込まれていたので慣れてしまった。
なんなら変なバケモノも居ないし良心的な空間だろう。
ずっと立って考えているのも疲れてきたので、草に覆われている地面に腰を下ろした。

うーん、と腕を組んで頭を悩ませている時だった。
どこからともなく、柑橘類の匂いが漂ってきた。

「…ゆず?」

心当たりのある匂いに頭を傾げていると、いきなりぐにゃっと眼の前の空間が歪んだ。
地震だとか、何か出てくるかとか、幽霊とかそういう系かとか…色々一瞬で考えたが、多分全部違う。

これ、私の目がおかしくなってる。

咄嗟に地面に置いた手は通常通りの感触を脳に伝えてくるし、歪んだ空間に腕を出すと腕まで歪む。
だとしたら、おかしくなってるのは私で。
治らない視界の歪みに焦っていると、鍋で煮詰めてどろどろになったような柚子の香りが鼻を刺した。
ぐにゃり、と歪みが酷くなって、頭が痛みだす。
匂いを嗅いだらヤバい、と鼻を腕で塞いだ時には、私の意識は大分朦朧としていた。

「や…ば、」

腕の隙間から、もはや痛いほどの柚子の匂いがする。
朦朧とした頭には、もう黒の暗幕が落ちかかっていて。

ふっと、私は呆気なく意識を飛ばした。



「ん゙…あたまいた…」

痛む頭に閉じていた目を開けると、私は自室のベッドで横になっていた。
まだ鼻の奥で香ってくる柚子に顔を顰めて、横を向く。
時計を求めていた目は、それとは違うものを視界に入れた。


ひとつの立派なゆずと、白い可憐な花。


…収まった頭痛が、また再び主張を始めた。

Next