仮色

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【夜の海】

ざざ、と波の音が鳴る。

押し寄せては、戻っていって。鼓動のようなその動きに、生きているんだなと直感的に感じる。

潮風が髪を攫う。ついでにスカートの余分な布も持っていってしまう。

海とは、生まれる前にいる母の腹の中にある羊水と似ているらしい。
ちゃぷ、とこちらを必死に巻き込もうとしているかのような波に足先を入れると、冷たい液体の感覚に背筋がぞわりとした。どうやら今更胎児のような安心感は得られないらしい。
少し濡れたらもう全部濡れてしまっても一緒かな、と足をざぶざぶ海の中に埋めていく。服が濡れて体に張り付いたかと思えば、水の中に浮かんで形を感じにくくなった。重くなっていくスカートに、この服装は失敗だったなと一瞬思ったが、腰のあたりまで足を踏み入れた時にはそんな思いは消え失せた。
月明かりだけが頼りで、夜に慣れた目でも少し暗く感じてしまう。塩っ気のある水面は、表面から下は漆黒に染まっていてよく見えない。
この真っ暗な下に数え切れないほどの生き物が住んでいるなんて、素敵な話だ。

遠くで聞こえる小さくなった波の音に、振り返ってどこまで海の中に入り込んでいるのか確認をしたくなったがやめておいた。ぽつんと浮かんでいる三日月がどうにも怖くて、目を離したら食われてしまうような子供の恐怖が薄ら存在している。
目の前に広がっている尾の行方が分からない海面にも失礼な気がして、もうざぶざぶ鳴らなくなった足を進めていく。

次第に首が埋まって、口元が埋まって、流石に一度足を止めた。
でも数秒経ってから直ぐに歩き出して、どんどん顔が侵食されるのを感じる。
強いチャームでも掛けられたかのようなぼんやりした脳みそは、先へ先へと足を進めたがる。それに抵抗することなく進んでいく自分の体に焦りのようなものを感じるが、どこか片隅でゆったり満足している己もいた。

ざざ、とどこかから波の音がする。
しばらくして無音、海の命の音が聞こえてくる。
しょっぱい、とまだ感じられることに少し感謝したと同時に、酷く落胆する。

かえりたい。かえりたい。

少女の頭がとぷんと消えた。
夜の帳が張っている空間では、海の中身を覗き見ることはできない。
あの娘はどこに行ったのかなんて、知らなくたっていいでしょう?

だって、貴方にはひとつも関係のないことなのだから。


この少女の今後の物語は、夜の海だけが知っている。

8/16/2024, 12:56:45 AM