それは時期外れの事だった。
もうすぐ一学期も終わる頃、僕のクラスにとても綺麗な女の子が転入してきた。
「はじめまして、雨霞 桜(あまがすみ さくら)と申します。よろしくお願いします」
艷やかな黒髪を際立たせる白皙の肌。ふわりと柔らかな笑顔を向けて話す声はまるで鈴のようで、彼女の全てが僕の心を惹きつける。
その日僕は、初めての恋をした。
一学期の終わり頃に転入してきた彼女は、親の都合で急遽こちらに来たらしい。
ともあれ、その美しい転入生は話上手の聞き上手で、1週間も経たない内にクラスに馴染んでしまった。
彼女はとにかく優しい人で、皆がやりたがらない事を率先してやり、困っている人には手を差し伸べる。
しかし、他者を甘やかすようなことはせず、面倒を押し付けて楽をしようとする者に対しては、毅然とした態度で断りを入れる。そんな人だった。
けれども彼女は、あまり自身の事を話したがらない。
好きな物を聞けば答えてくれるし、遊びに誘えば喜んで参加してくれる。
しかし、彼女の事はそう言った上辺だけしか分からなかったのだ。
普段の生活の事とか、どの辺に住んでいるのか。休みの日に何してるのかもわからない。
そもそも、LINEをやっていないので学校以外では話す事も出来ないのが不思議だった。
そんな日々を送っていたら、いつの間にか夏休みになっていて、僕は茹だる暑さに耐えながら面倒な課題をさっさと終わらせようと奮闘する。
たくさんあった課題が徐々に少なくなってきた―――7月から8月に差し掛かる辺りで母から聞いたお祭りの話。
この近所に新しく神社が建ったとかで、そのお祝いも兼ねて盛大にやろうという話になったらしい。
いつも近所で一番大きな公園を使ってやっていた夏祭りは、今年出来た神社へと場所を移し、更に例年に比べて沢山の屋台が並ぶ予定なのだと言う。
「あんたの好きなラムネとか焼きそばは勿論、りんご飴に射的とか遊べる屋台も出るみたいよ」
母からそう聞いて、そのお祭りを楽しみにしていた。
祭り当日。殆どのクラスメイトが誰かしらと約束していた中、僕は1人で楽しみたくて誘いを断った。
皆と一緒だと辺に気を使うし、好きな物を好きな時に楽しめない。そう思ったからだった。
夕方になり母に声をかけて出かける。
会場が近くなるにつれ、沢山の人が所狭しと歩いていた。
そしてその道の両端には様々な屋台があり、とりあえず僕は一通り見て回ることにする。
焼きそば、いか焼き、フランクフルト、わたあめにカキ氷。それからお好み焼きにたこ焼き、焼き鳥やりんご飴と鈴カステラ。中にはクレープとアイスキャンディーもある。
それから金魚すくいにスーパーボールすくい、射的、くじ引き、輪投げに型抜き等の遊べるモノも、母の言う通り去年よりも沢山あった。
一通り見終わった後に、まずは腹ごしらえだと焼きそばとフランクフルトにねぎまとつくねに手羽塩を食べてから瓶ラムネをのみながら、射的や輪投げで遊びカキ氷を食べた後にくじを引きそれから型抜きにも挑戦した。
一通りやりたい事をやり尽くして少し疲れた僕は、もう一度瓶ラムネを買い途中にあったりんご飴も買ってまだ行ったことのなかった神社へと足を運ぶ。
そこには盆踊り会場があって、年配の人達が楽しそうに踊っていた。
僕はその様子を横目に休憩用の簡易ベンチに座る。
ラムネを飲みながら凶器じみた硬さのりんご飴を舐めて溶かしていく。相変わらず楽しそうに踊っている近所のおばさん達を眺めていると、その中に混ざってあの子が踊っていた。
黒い髪を纏めているキラキラとした髪飾り。夜のような黒い浴衣に描かれた紫色の蝶と薄いピンクの花。少しラメの入った藤色の帯が更に彼女を際立たせていて、僕はその姿に見惚れてしまう。
いつまでも食べ終わらないりんご飴に苦戦しながら、楽しそうに踊る彼女を見ていた。
この恋心を打ち明けるつもりはない。彼女にはもっといい人がいるはずで、僕では不釣り合いだから。
世界一幸せになって欲しいと願うけれど、もう少しだけ⋯⋯この恋に浸らせて欲しいと―――柄にもなく心の中で神様に祈った。
その瞬間⋯⋯彼女と目が合い、踊りをやめて駆け寄ってくる。
僕が「どうしたの?」と聞くと彼女は至極真面目に「今願われたから」と言った。
その言葉に驚いていると、彼女は続けてこう告げる。
「私ね、本当はここの神様なの。元はこの場所にいたんだけど、社が古くなったから建て替えている間だけ、別の場所に住んでたんだ。
本当は人に干渉するのはあまり良くないんだけど⋯⋯人々(あなたたち)はいつも楽しそうな事をしているから、私も混ぜて欲しくて正体隠して紛れ込んだの」
そういう彼女は少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「僕、今聞いたこと誰にも言わないから、また学校来てくれる?」
殆ど反射的に口にした言葉だった。
彼女の正体が人でも神様でも、僕は一緒に居たいと思った。それに、楽しい事をしたいと言う彼女の願いを叶えたいとも思ってしまったのだ。
「良いの? 騙してたんだよ?」
「騙してたっていうか、ただみんなで遊びたかっただけなんでしょ? ならもっと遊ぼうよ。僕も君と遊びたい」
そう言うと彼女は嬉しそうに笑い「うん! 約束だよ!」と言った。
その日から僕は、彼女に会いに神社へと通うようになる。
そこで待ち合わせて街に繰り出し、色んな所を一緒に巡った。
僕の初恋は、あまりにも不可思議で決して叶わない。そんな一夏の恋になったのだった。
僕はこの安寧の中で忘れていたんだ。
運命とは残酷である事を。
最初の兆候は気候変化。
ある年を境に温暖化が進んでいると言っていたはずなのに、何故か夏でも15度を下回る日が年々増えてきていた。
次の兆候は空の色。
日の出・日の入りの時間の空の色が、灰色がかる様になってきた。
3個目の兆候は水。
2つの兆候を目の当たりにして、嫌な予感がした僕は水質調査をする。
その結果、水道水・池・沼・海水・川。
どの水源からも高い水準の糖度が検出された。
最後の兆候は雨雲。
濃淡は変われど灰色なのは変わらないはずなのに、ある日を境に石膏色になった。
この事から僕は、程なくしてこの星も母星のように滅びるのだと理解する。
僕の星もあの忌々しいウイルスに侵され滅びていったのだ。
手に入れた安寧の日々はもうすぐ崩れ去るだろう。その時僕は⋯⋯先延ばしにされた終わりを迎えるのだ。
逃げるための船は直せない。この星の文明レベルでは、あの船に必要な部品が作れないから⋯⋯もう、逃げることも誰かを逃がす事も出来ないのだ。
雨の中、傘もささずに歩く人々をぼんやりと眺めながら過去に想いを馳せる。
皆が繋いでくれた命だった。けれど、僕はあの時の“終末(し)”に追われ続けていたのだと⋯⋯この時はじめて知る。
傘を差して“終末(し)の雨”の中を行く。
せめて大切な君だけは生き残れるように⋯⋯僕の知る全ての知識で守ろうと決意して、傘で顔を隠しながらもうすぐ灰燼と化すであろう⋯⋯“救えなかった人々”から目を背ける。
足早に向かう道の中で、降り続ける雨の音と―――幸せそうに話す人々(だれか)の声に、僕は唇を強く噛んだ。
梅雨になると周りの人達は、イライラし出す。
髪がまとまらないとか、洗濯物がたまってしまうとか。
中にはジメジメした気候が嫌とかで、八つ当たりする人も居たりする。
かくいう私は梅雨と言うよりも雨が好きだった。
土砂降りの力強いモノも、小降りのしとしとと鳴る雨音も好きだし、いっそずぶ濡れになるのも良い。
ただし濡れる場合は風邪を引かないように注意が必要になるけど、あの肌に当たる冷たさも心地良いと感じる。
それから絶対に外せないのは雨上がりの夕焼け空。綺麗な茜色に染まった空と、薄く色をうつす街並みはすごく綺麗で大好き!
水溜りに映る空の色も、虹の架け橋も、素敵なものは雨が運んでくるのだ。
だから私は雨が好き。梅雨時期にはお気に入りの傘を持って、今日の雨はどんなモノを運んでくるのかと胸を躍らせる。
連日雨続きでみんな不機嫌だったある日。その日は久々の晴れの日だった。
少し湿った朝の空気とは対照的に、さらりとした空気が通る。
大好きな夕焼け空は無いけれど、暮れていく空はどんな時でも綺麗だと私は思う。
そんな風景を眺めながら歩く帰り道で、ぽつりと頬に冷たい感覚がした。
最初は気のせいかと思ったけど、その内その感覚がはっきりとしてくる。
しかし、空を見上げても雨雲一つない綺麗な空だった。けれども、次第に強まっていく雨足に、私はふっと笑ってしまう。
「今日はお狐様が嫁入りしたのね」
急いで開いた折りたたみ傘に、雨が当たる音がする。
空は相変わらず雨雲のない綺麗な空で、そこに少しずつ夜の帳がおりていく。
せっかく乾いてなくなってきていた水溜りは息を吹き返し、あの空を映している。
それを眺めながら、歩く帰り道。
ふとした瞬間、目に入ったのは―――水溜りに映る虹の架け橋。
それはまるで宝石の様に輝きながら、風が吹く度に水面と共に煌めきながら揺れていた。
その光景がとても綺麗で⋯⋯虹が消えるまで眺めていたら、いつの間にか雨は止んでいてすぐそこに夜が迫って来ていた。
私は驚きつつも急いで家路に帰ると、大好きな君にさっき見た綺麗な虹の話をするのだった。
『この世界は競争で成り立っている』と言う言葉は父の口癖だった。
勉強もスポーツも芸事もビジネスも、他者との蹴落とし合い。だからこそ常に自分を磨き知識や技術を高め、革新しなければならないと言われ続けた。
『学生だからと怠けていたら、蹴落とされる。今から周りよりも高い知識と技術を身に着けておけ』
父はそう私に強要する。母は基本的に空気であるが、私が、助けを求めると途端に父側に寝返るのだ。
曰く『お父さんはあなたの為に心を鬼にしているのよ』と。
やりたくない事を強制的にやらされ、行きたくない大学を目指さなければならず、その上友人も父のお眼鏡に叶わなければ認められない。
遊ぶ時間があるなら勉強しろと言われ、読書は許すが文芸本か学術書のみ。挙句の果てには口にする物も粗悪なものは許さないと、皆が食べてるお菓子等は一切食べれなかった。
窮屈な毎日。陸に居るのに溺れているような錯覚を覚え始めたのは、いつの頃だったか。
気付いたら息が苦しくなって何事かと思ったら、自分で自分の首を絞めていた。その息苦しさに、変な心地良さを覚えてしまい⋯⋯その日を境に何か嫌な事があると締めるようになった。
手に残る首の感触と熱。ゆっくりと加えていく力と圧迫感。
やりたい事も食べたい物も、友人すら選べない私は―――果たして生きていると言えるのだろうか?
自分の人生を生きられないなら、いっそこの場で自分を殺してしまおうか。なんて思う事も多くなってきた。
『周りの人間は敵(ライバル)と思え、仲良くなったとしても決して気を許すな。奴らはそうやって私達を罠に嵌めようとするんだ』
父の言葉が脳裏に過る。競争で成り立つ世界では、これが当たり前なのだとそう口にし、何事も1番であれと言い続けた。
学業もスポーツも芸事も全て完璧であれと、求められれば求められる程私は息苦しさを感じ、更に強く溺れているような錯覚を覚える。
霞を掴むような変な感覚。ちゃんと息をしている筈なのに出来ていないような違和感に、私はまた自分の首を絞めた。
そんな日々を送りながら、定期テストを無事に終え、憂鬱な返却日を迎える。
「今回も1番だったぞ。頑張ってるな!」
毎回聞き飽きた言葉。そも私は1番でなければいけないのだから、頑張る事は義務なのだ。褒められることではないと思うけれど「ありがとうございます」と、瞬時に作り上げた笑顔で告げると席に戻る。
全てのテスト返却を終えて、家で両親に見せた。
「今回も一番だったのか?」
父はそれしか言わない。
「勿論です」と私が返すと「当然だな」とほめることもしないから、私は努力が嫌いになった。
正直、私は競争なんてしたくない。誰かと普通に仲良くなって、放課後にクレープ食べたりカフェでお喋りしたりと、普通の女の子の生活がしたいのだ。
行きたくない大学も、勝手に決められた将来の夢も全部捨ててしまいたい。でも、私にはこの家しか居場所がなく逃げられなかった。
勝ち負けなんてどうでもいいから、いっそこの憂鬱ごと私を殺して欲しいと⋯⋯叶わぬ願いを胸に秘めながら、これからも望まぬ人生をいかされ続けるのだろう。
私が生まれた時にはもう既に人類は滅亡寸前だった。
マッドウイルス、資源の枯渇、パラサイト・エンドロフィリアにアスタレア。
人類滅亡の原因を挙げるならこれくらいだろう。
アスタレアは突然飛来してきた宇宙生命であり、この星を自分達の惑星にしたいらしく⋯⋯問答無用で私達を皆殺しにしようとしていた。
それに抗うために人類は武器を取るも⋯⋯圧倒的な文明力とフィジカルの差に、資源の枯渇も相まって私達はその数を減らし、窮地に追いやられた人類は地下でひっそりと暮らす事を余儀なくされる。
しかし問題はそれだけではない。件の怪物がこの星(ち)に持ちこんだ未知のウイルスと寄生虫は、彼等と同じくらいに恐ろしく⋯⋯この星の環境と相性が良かった様で、凄まじい勢いで動植物を殺していった。
そんな私達の生活は、当たり前だが荒んでいた。
狭い地下街での争いは日常茶飯事。物資の取り合いで殺し合いに発展したり、変な新興宗教を立ち上げて現実逃避したりと⋯⋯毎日様々な事が起こっている。
人々はアスタレアやマッドウイルス、寄生虫に怯えながら日々を過ごし、この地下世界で自分達の寿命が尽きるのを待つ事しか出来なかった。
しかし一部例外があった。それが私だ。
何故かは知らないけど、マッドウイルスの抗体持ちだったらしく⋯⋯現在陽性は出ているものの全く症状が出ていない。
それどころか変な力を獲得し、それを使ってアスタレアを殺したこともある。
その力が原因で研究のためと、良く地上へ行かされていたので、その時にエンドロフィリアにも寄生された。
こちらは寄生されてから1ヶ月程度で頭部の肥大化が起こり最終的には爆発して死ぬ――――――はずだったのだが、こちらもかれこれ半年以上経っても症状が出ない。
研究者達曰く、頭の中で繁殖はしているらしいが、常に一定数に保たれているため肥大化しないのではないかと言われた。
なんで私だけそんな事になっているのか⋯⋯甚だ疑問ではあるが、推論としてマッドウイルスが宿主である私を守っているのでは無いかと思う。
マッドウイルスによる感染症は、内部から徐々に泥化していく病だ。主要の臓器が泥化すると死亡する―――なんて事にはならず、むしろ完全に泥化するまで死ねないのが最大の特徴である逆ハイスペックウイルスだった。本当に迷惑な話である。
この特性を謎の抗体とやらで取得してしまった私は、自分の意志で泥化出来るようになった。
形状は2種類でスライム型と人型。
研究者はスライム型を泥化、人型をマッドマンと敬称し、私はマッドマンの方でアスタレアと戦っている。
しかし、数が多いアスタレアに対して有効な戦力は私一人、その為戦力を増やし、ワクチンも作ると言う名目で私は研究者達に協力させられている。
あらゆる研究と言う名の拷問に耐え、ようやく完成したと言う抗マッドウイルスワクチンは成功をおさめた。
そこまでは良かったが、次に着手した人類マッドマン計画とか言うふざけた名前の計画は大失敗。
更に人類滅亡に拍車を掛けた。
現在私は地上でアスタレアの討伐と検体運搬をしている。
ここまで追い詰められて、滅亡寸前になっても尚抗い続ける人類には舌を巻く。
もし生き残れたとしても、この地上では作物も育たないだろうに―――そんな事を思いつつも、彼等の無謀な挑戦に加担する私も同類かと自嘲する。
『どうせいつかは滅びて、私を置いてイくくせに』
そう想いながらも私は⋯⋯私と人類(かれら)との確たる違いには目を瞑り、今日も少しずつ滅びへと傾く人類とこの星の為に“汚染地域(よごれただいち)”を駆け巡るのだった。