紅月 琥珀

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『この世界は競争で成り立っている』と言う言葉は父の口癖だった。
 勉強もスポーツも芸事もビジネスも、他者との蹴落とし合い。だからこそ常に自分を磨き知識や技術を高め、革新しなければならないと言われ続けた。
『学生だからと怠けていたら、蹴落とされる。今から周りよりも高い知識と技術を身に着けておけ』
 父はそう私に強要する。母は基本的に空気であるが、私が、助けを求めると途端に父側に寝返るのだ。
 曰く『お父さんはあなたの為に心を鬼にしているのよ』と。
 やりたくない事を強制的にやらされ、行きたくない大学を目指さなければならず、その上友人も父のお眼鏡に叶わなければ認められない。
 遊ぶ時間があるなら勉強しろと言われ、読書は許すが文芸本か学術書のみ。挙句の果てには口にする物も粗悪なものは許さないと、皆が食べてるお菓子等は一切食べれなかった。
 窮屈な毎日。陸に居るのに溺れているような錯覚を覚え始めたのは、いつの頃だったか。
 気付いたら息が苦しくなって何事かと思ったら、自分で自分の首を絞めていた。その息苦しさに、変な心地良さを覚えてしまい⋯⋯その日を境に何か嫌な事があると締めるようになった。
 手に残る首の感触と熱。ゆっくりと加えていく力と圧迫感。
 やりたい事も食べたい物も、友人すら選べない私は―――果たして生きていると言えるのだろうか?
 自分の人生を生きられないなら、いっそこの場で自分を殺してしまおうか。なんて思う事も多くなってきた。

『周りの人間は敵(ライバル)と思え、仲良くなったとしても決して気を許すな。奴らはそうやって私達を罠に嵌めようとするんだ』
 父の言葉が脳裏に過る。競争で成り立つ世界では、これが当たり前なのだとそう口にし、何事も1番であれと言い続けた。
 学業もスポーツも芸事も全て完璧であれと、求められれば求められる程私は息苦しさを感じ、更に強く溺れているような錯覚を覚える。
 霞を掴むような変な感覚。ちゃんと息をしている筈なのに出来ていないような違和感に、私はまた自分の首を絞めた。
 そんな日々を送りながら、定期テストを無事に終え、憂鬱な返却日を迎える。
「今回も1番だったぞ。頑張ってるな!」
 毎回聞き飽きた言葉。そも私は1番でなければいけないのだから、頑張る事は義務なのだ。褒められることではないと思うけれど「ありがとうございます」と、瞬時に作り上げた笑顔で告げると席に戻る。
 全てのテスト返却を終えて、家で両親に見せた。
「今回も一番だったのか?」
 父はそれしか言わない。
「勿論です」と私が返すと「当然だな」とほめることもしないから、私は努力が嫌いになった。
 正直、私は競争なんてしたくない。誰かと普通に仲良くなって、放課後にクレープ食べたりカフェでお喋りしたりと、普通の女の子の生活がしたいのだ。
 行きたくない大学も、勝手に決められた将来の夢も全部捨ててしまいたい。でも、私にはこの家しか居場所がなく逃げられなかった。
 勝ち負けなんてどうでもいいから、いっそこの憂鬱ごと私を殺して欲しいと⋯⋯叶わぬ願いを胸に秘めながら、これからも望まぬ人生をいかされ続けるのだろう。

5/31/2025, 12:48:50 PM