いっそ全てを捨てられたなら幸せになれたかもしれない。
そう思う事が何度もあった。でも僕はどうしても手放せなくて、手放したくなくて⋯⋯必至で掴み続けていた。
例えそれが、束の間のモノであっても。
それは突然訪れた来訪者によってもたらされた出来事。
そいつらは人類(ぼくたち)にあるゲームを提案し、そのゲームに勝てたならこの星は見逃すと言った。
ルールは簡単。誰もが知っている鬼ごっこ。
しかし、捕まれば玩具にされ、殺されて食われる罰ゲーム付き。勿論鬼は来訪者達だ。
急遽開催されたそのゲームに、バカバカしいと信じない大人達は皆一様に嬲り殺される。
だから僕達は逃げるしかなかった。死にたくないなら逃げる他ないのだ。
抵抗した者も話し合おうとした者も⋯⋯皆、笑いながら弄ばれて殺された。
どうする事も出来ず、圧倒的な力で捕まえた人類を遊び食べていく。
いっそ全てを捨てられたならどれ程楽になれるだろうかと、何度も考えては目の前で繰り広げられたあの恐怖に震えるのを繰り返す。
そんな恐怖と緊張の日々の中で、僕は奇妙な生き物に出会った。
「みきゅう?」
今の僕らの状況に似つかわしくない、脱力するような鳴き方をする見たことのない獣。
ウサギのように長い耳と猫のような顔立ち、尻尾はキツネみたいな形で胴体はタヌキみたいにふっくらしていた。
抱き上げられるくらいの大きさのその生き物は、僕を見つめながら不思議そうに首を傾げている。
辺りに気を配っても何の気配も感じられなかった。
なので僕はその場で少し休憩することにし、ここに来る途中で調達したパンの袋を開ける。
この奇妙な生き物がパン―――それも菓子パンを食べても良いのかは分からないけど、半分ちぎってあげてみた。
「みきゅう!」
初めは匂いを嗅いで警戒していたが⋯⋯その子の前でもう半分のパンを僕がかじると、食べ物だと理解したらしく、嬉しそうにパクリと食べ始める。
余程お腹が空いていたらしく、すぐにあげた半分を平らげてしまう。
僕も急いで食べ終えると持っていたツナ缶もあげてみた。
今度は何の警戒もせずに喜んで平らげ、満足したのか⋯⋯あの独特な鳴き声を一声あげる。
それから僕は今までの事をその子に話した。人語を解せるとは思わないけど⋯⋯それでも溜まりに溜まった分を吐き出してしまいたかった。
いきなり始まったデスゲーム。勝てる見込みのない勝負に、強制的に参加させられて既に心は折れかけていた。
そんな僕の話を全部聞いて、慰めるように頭を擦り付けてくる。この星には居なかった子だろうから、恐らくあいつらが連れてきた動物なんだろうけど⋯⋯あいつらとは違い、何故か安心感を覚えた。
そうして身も心も疲れていた僕がウトウトと眠りそうになっていた時だった。
ヴーっと低く唸る声が隣で聞こえる。驚いてそちらに目をやると、さっきの生物がある一点を見つめて警戒していた。
僕は音を立てないように注意しつつ⋯⋯いつでも走れるように体勢を整える。
少しすると警戒していた方から来訪者が顔を出し―――僕と目が合うとニタリと笑った。
僕は反射的にあの生物を抱き上げて走る。
正直体力も筋力もないから、小型とはいえ動物に構っている暇なんてない。自慢じゃないけど帰宅部だったし、なんなら運動だって大して得意じゃない。
それなのになんで僕は、この子を抱き上げてしまったんだろうと⋯⋯今更ながらに後悔した。
それでも投げ捨てる事も離すことも出来なかった。
もしこの子があいつらに捕まったら、それこそ殺されてしまいそうで⋯⋯それだけは阻止しなければなんて、馬鹿げた正義感と意地で走り続ける。
けれど、結局僕は奴に捕まってしまう。
それはそうだ、生き残るために食料や水も持っていた。その上で小型とはいえ、動物を抱えたらその分重みが増して思うように走れない。
捕まる直前、何とかあの子を出来るだけ遠くへと投げた。
「お前だけでも生き延びてくれ!」
そう言って僕は、僕の人生を諦めた――――――はずだった。
真後ろから形容し難い叫びが聞こえると同時に、液体が大量に滴る音とゴリゴリぐちゃぐちゃという咀嚼音が聞こえる。
見てはいけないと、警報を鳴らす頭に反して振り向くと⋯⋯先程追いかけてきていた奴は大きな生物に食われていた。
頭から丸ごと⋯⋯文字通りに食われていた。
僕は怖くて動けなくなり、その情景をただ眺める事しか出来ない。そうして全てを食べ終わったその生物が、僕に向き直る。
次は僕の番なんだと思い、死を覚悟したその時。
「これでお前は安心出来たか? 疲れ取れる?」
そんな言葉が降ってきた。
驚いてその生物を見上げる。よく見るとそれは、さっき一緒にいた生物によく似ていた。
「お前ははじめて優しくしてくれた人。だから契約する。私がお前助けるから、またあの美味しいの食べたい」
そう言って先程まで一緒にいた小ささになると、僕の足元に擦りついてくる。
僕は少し考えてからその契約に承諾すると、その子は嬉しそうに「みきゅう」と鳴いた。
こうして僕は地獄の中で、誰も知らない契約を交わす。
後にこれが起死回生の一手になるなんて微塵も思わず―――ただこの時の僕は⋯⋯今までの日常を永遠に手放し、自らの意思で有刺鉄線に繋がれにいった大馬鹿者だと、自身を嘲笑う事しか出来なかった。
私の人生を例えるならば泥濘だ。
何の取り柄もなく、ただ誰かの足を引っ張る様はまさにそれだと思う。
だから人に褒められた事なんてなかったし、これからも罵声と嘲笑を浴びながら生きていくのだと思っていた。
「大丈夫だよ。出来るまで付き合うから、一緒に頑張ろう!」
そんな言葉をくれる人が現れるなんて思ってもみなくて、私にとって彼女は憧れであり⋯⋯はじめて出来た友達だった。
彼女はよく笑う子で私が失敗した時も、笑いながら「大丈夫だよ」って言って成功するまで付き合ってくれる人。
私の知らないことをたくさん知ってて、私じゃ絶対に出来ないからやらない様な事も「やってみなきゃ分からないよ!」って言いながら挑戦してしまう、そんな人だった。
だから彼女は色んな人に好かれていて、皆が何で私なんかを構うのかと疑問に思っていたと思う―――私自身がそうだったから。
ある日彼女に手を引かれながら歩いていた時、車に突っ込まれた。
後にその人は自殺しようとしてたと聞いたが、その時彼女は私を突き飛ばし⋯⋯自身が跳ねられて植物状態になる。
どうして私を庇ったの?
私がこうなれば良かったのに。
何度もそう思って後悔した。それでも、私が後悔した所で彼女が目覚めることはない。
どうしたら良い?
どうするのが正解?
いつも彼女が私を導いてくれていたから、どうすれば良いのか分からなかった。
でもある日、霧が晴れるような感覚に陥り思いついた。
“そうだ、彼女が目覚めないなら―――いないなら、私が彼女になれば良い”と。
それから私は彼女のように色んな事に挑戦した。
彼女の好きな色やデザインの服。好きな食べ物・漫画・小説や音楽まで。
彼女の好きな物は全て取り入れた。やっていた事も得意だった事も全部ちゃんと出来るようになるまで、何時間でも何日でもやり続けた。
そうしてあの日あの時、どうして私を助けたのか⋯⋯その理由(きもち)を理解できた時。私はようやく彼女になれた気がした。
それと同時に彼女は息を引き取り、帰らぬ人となってしまう。
帰ってきて欲しかった。
今の私を見て欲しかった。
けれどそれはもう出来ないから⋯⋯いつか私がそっちにいった時に、これで正解だったか答え合わせしてね。
棺の中で眠る彼女、にたくさんの“ありがとう”と“ごめんなさい”を言ってから、私はその場を後にした。
この世界は誰かの作った理想郷だ。
暗く閉ざされた空。無風の街中。すぐ傍にある世界の最果てと⋯⋯時々見えるたくさんの泡。
私達の世界は最果てにある透明な板1枚で守られていて、どうやって酸素を維持しているのかとか、何故こんな場所に街を作ったのかとか。疑問は尽きないけど⋯⋯この狭い箱庭(せかい)が私達の全てだった。
昔はもっと世界は広くて、空は色を変えながらその日その日を彩っていたらしい。
その世界には風が吹き、雨が振り、雷が落ちたり雹という氷の粒が降ってきたり。不思議な事がたくさんあったと先生は言っていた。
私達のこの世界は、先人達が技術を結集させて作ったもので、先の未来で起こるであろう事象から人類を守る為に作られたらしい。
そして数百年前に先人達が想定していた通りの事が起こって、今私達はこの場所で生きている。
どんな事が起こったのかはまだ習っていないけど⋯⋯私は昔の世界を見てみたかった。
色が変わる空だとか、様々な事象が起こる自然とか、風が運んでくるという様々な匂いとか。その全てを感じてみたいと思ってしまう。
叶わない願いだと分かっていても⋯⋯知ってしまった美しい世界に焦がれてしまうのは悪い事なのだろうか?
願わくばいつか、先人達の想定した事象が解決して、また昔の世界に⋯⋯あの遥か遠くの空を見れる日が来て、このガラス張りの世界から出られますように。
睡眠という行為が怖かった。
否、今でも怖くはある⋯⋯けれども、君が居てくれるから僕は少しだけ眠るのも良いかもしれないと思えた。
夜が苦痛だった。
両親の顔色を伺いながら夜を明かす地獄の時間。
だから幼少期はまともに眠れなかったし、それが普通だと思っていた。
けれど他人(ひと)は夜に寝て朝活動する。家から出て明るく暖かな場所にいると、途端に眠くなって意識をなくすけど⋯⋯すぐに目覚めてしまう。
だから僕は睡眠は嫌いで、人の三大欲求なんて言われる睡眠(それ)を嫌悪していた。
一人暮らしを始めてもそれは変わらず、ようやく安心して眠れる環境になったのに⋯⋯眠ってはすぐに目覚めてを繰り返す。
原因は明白で、眠ると必ず悪夢を見るからだ。
幼い時の夢。両親達からの罵声や物を投げられたり叩かれたりする夢を、毎回見てしまうから⋯⋯僕は恐怖で目が覚める。
だからいつも目には隈が出来ていて、人と関わるのも苦手だったから友人と呼べる人もいない。
でも1人は楽で、怖い事も嫌なことも起こらないから快適だった。
そんな日常に突然君がやってきて、僕の読んでいた本の話だとか、好きな事やら食べ物やらを聞いてきて、挙句放課後に手を引かれて街へと繰り出す事になる。
はじめて入ったお洒落なカフェでケーキ食べたり、コーラフロートっていう物を飲んだり、ショッピングモールで何故か僕の服を選んでくれて、ゲームセンターにも初めて行って遊んだ。
それは夢の様な体験で、とても楽しくて気付いたら帰る時間になっていて彼女にお礼を言ってその日は帰った。
それから彼女は僕と絡むようになって、色んなところに連れて行ってくれて、様々な体験をさせてくれる。
アミューズメント施設から食べ歩きまで、美容院とかやったことなかった事全部教えてもらった。
彼女と過ごした日は何故か悪夢を見ることなく眠れるから、翌朝とてもスッキリして起きれるし、体調も良好で快適に過ごせるから本当に助かっている。
眠るのも悪くないと初めて思えた瞬間だった。
相変わらず悪夢は見るけど、唯一僕を気にかけてくれる君が一緒なら、いつかこの悪夢も見なくなるんじゃないかって⋯⋯そんな事すら思うようになっていた。
他のモノなんて要らない。これ以上なんて望まないから⋯⋯どうか神様、彼女だけは僕から奪わないでください。
なんて、柄にもなく神に祈りを捧げた。
様々な船が大海原を進んでいく。それを私はただ見守っていた。
ゆっくりと進む船。猛スピードで駆け抜けていく船。小さなモノも、大きなモノも一様に自身のペースで前へと進んでいく。
けれども、その途中で止まってしまう船や嵐に見舞われて転覆しそうになる事も⋯⋯否、転覆してしまうモノもあるだろう。
それでも、各々が工夫を凝らしてこの海原をゆく様はとても尊く、私は見守るのをやめられなかった。
ある時は手を差し伸べ、ある時は背中をおした。
良縁を繋ぐ事もあったが、厄を祓う事もあった。
様々なモノ達の力を借りて、各々が目指す先をいく。
この船達の行く先には、まだまだ暗い夜が待つだろう。
己が答えに辿り着こうと、これからも足掻きながら進み続けるこの船達に、どうかこの光が―――私の導きが届く様に、そっとこの夜を照らし続けるのだった。