私の人生を例えるならば泥濘だ。
何の取り柄もなく、ただ誰かの足を引っ張る様はまさにそれだと思う。
だから人に褒められた事なんてなかったし、これからも罵声と嘲笑を浴びながら生きていくのだと思っていた。
「大丈夫だよ。出来るまで付き合うから、一緒に頑張ろう!」
そんな言葉をくれる人が現れるなんて思ってもみなくて、私にとって彼女は憧れであり⋯⋯はじめて出来た友達だった。
彼女はよく笑う子で私が失敗した時も、笑いながら「大丈夫だよ」って言って成功するまで付き合ってくれる人。
私の知らないことをたくさん知ってて、私じゃ絶対に出来ないからやらない様な事も「やってみなきゃ分からないよ!」って言いながら挑戦してしまう、そんな人だった。
だから彼女は色んな人に好かれていて、皆が何で私なんかを構うのかと疑問に思っていたと思う―――私自身がそうだったから。
ある日彼女に手を引かれながら歩いていた時、車に突っ込まれた。
後にその人は自殺しようとしてたと聞いたが、その時彼女は私を突き飛ばし⋯⋯自身が跳ねられて植物状態になる。
どうして私を庇ったの?
私がこうなれば良かったのに。
何度もそう思って後悔した。それでも、私が後悔した所で彼女が目覚めることはない。
どうしたら良い?
どうするのが正解?
いつも彼女が私を導いてくれていたから、どうすれば良いのか分からなかった。
でもある日、霧が晴れるような感覚に陥り思いついた。
“そうだ、彼女が目覚めないなら―――いないなら、私が彼女になれば良い”と。
それから私は彼女のように色んな事に挑戦した。
彼女の好きな色やデザインの服。好きな食べ物・漫画・小説や音楽まで。
彼女の好きな物は全て取り入れた。やっていた事も得意だった事も全部ちゃんと出来るようになるまで、何時間でも何日でもやり続けた。
そうしてあの日あの時、どうして私を助けたのか⋯⋯その理由(きもち)を理解できた時。私はようやく彼女になれた気がした。
それと同時に彼女は息を引き取り、帰らぬ人となってしまう。
帰ってきて欲しかった。
今の私を見て欲しかった。
けれどそれはもう出来ないから⋯⋯いつか私がそっちにいった時に、これで正解だったか答え合わせしてね。
棺の中で眠る彼女、にたくさんの“ありがとう”と“ごめんなさい”を言ってから、私はその場を後にした。
この世界は誰かの作った理想郷だ。
暗く閉ざされた空。無風の街中。すぐ傍にある世界の最果てと⋯⋯時々見えるたくさんの泡。
私達の世界は最果てにある透明な板1枚で守られていて、どうやって酸素を維持しているのかとか、何故こんな場所に街を作ったのかとか。疑問は尽きないけど⋯⋯この狭い箱庭(せかい)が私達の全てだった。
昔はもっと世界は広くて、空は色を変えながらその日その日を彩っていたらしい。
その世界には風が吹き、雨が振り、雷が落ちたり雹という氷の粒が降ってきたり。不思議な事がたくさんあったと先生は言っていた。
私達のこの世界は、先人達が技術を結集させて作ったもので、先の未来で起こるであろう事象から人類を守る為に作られたらしい。
そして数百年前に先人達が想定していた通りの事が起こって、今私達はこの場所で生きている。
どんな事が起こったのかはまだ習っていないけど⋯⋯私は昔の世界を見てみたかった。
色が変わる空だとか、様々な事象が起こる自然とか、風が運んでくるという様々な匂いとか。その全てを感じてみたいと思ってしまう。
叶わない願いだと分かっていても⋯⋯知ってしまった美しい世界に焦がれてしまうのは悪い事なのだろうか?
願わくばいつか、先人達の想定した事象が解決して、また昔の世界に⋯⋯あの遥か遠くの空を見れる日が来て、このガラス張りの世界から出られますように。
睡眠という行為が怖かった。
否、今でも怖くはある⋯⋯けれども、君が居てくれるから僕は少しだけ眠るのも良いかもしれないと思えた。
夜が苦痛だった。
両親の顔色を伺いながら夜を明かす地獄の時間。
だから幼少期はまともに眠れなかったし、それが普通だと思っていた。
けれど他人(ひと)は夜に寝て朝活動する。家から出て明るく暖かな場所にいると、途端に眠くなって意識をなくすけど⋯⋯すぐに目覚めてしまう。
だから僕は睡眠は嫌いで、人の三大欲求なんて言われる睡眠(それ)を嫌悪していた。
一人暮らしを始めてもそれは変わらず、ようやく安心して眠れる環境になったのに⋯⋯眠ってはすぐに目覚めてを繰り返す。
原因は明白で、眠ると必ず悪夢を見るからだ。
幼い時の夢。両親達からの罵声や物を投げられたり叩かれたりする夢を、毎回見てしまうから⋯⋯僕は恐怖で目が覚める。
だからいつも目には隈が出来ていて、人と関わるのも苦手だったから友人と呼べる人もいない。
でも1人は楽で、怖い事も嫌なことも起こらないから快適だった。
そんな日常に突然君がやってきて、僕の読んでいた本の話だとか、好きな事やら食べ物やらを聞いてきて、挙句放課後に手を引かれて街へと繰り出す事になる。
はじめて入ったお洒落なカフェでケーキ食べたり、コーラフロートっていう物を飲んだり、ショッピングモールで何故か僕の服を選んでくれて、ゲームセンターにも初めて行って遊んだ。
それは夢の様な体験で、とても楽しくて気付いたら帰る時間になっていて彼女にお礼を言ってその日は帰った。
それから彼女は僕と絡むようになって、色んなところに連れて行ってくれて、様々な体験をさせてくれる。
アミューズメント施設から食べ歩きまで、美容院とかやったことなかった事全部教えてもらった。
彼女と過ごした日は何故か悪夢を見ることなく眠れるから、翌朝とてもスッキリして起きれるし、体調も良好で快適に過ごせるから本当に助かっている。
眠るのも悪くないと初めて思えた瞬間だった。
相変わらず悪夢は見るけど、唯一僕を気にかけてくれる君が一緒なら、いつかこの悪夢も見なくなるんじゃないかって⋯⋯そんな事すら思うようになっていた。
他のモノなんて要らない。これ以上なんて望まないから⋯⋯どうか神様、彼女だけは僕から奪わないでください。
なんて、柄にもなく神に祈りを捧げた。
様々な船が大海原を進んでいく。それを私はただ見守っていた。
ゆっくりと進む船。猛スピードで駆け抜けていく船。小さなモノも、大きなモノも一様に自身のペースで前へと進んでいく。
けれども、その途中で止まってしまう船や嵐に見舞われて転覆しそうになる事も⋯⋯否、転覆してしまうモノもあるだろう。
それでも、各々が工夫を凝らしてこの海原をゆく様はとても尊く、私は見守るのをやめられなかった。
ある時は手を差し伸べ、ある時は背中をおした。
良縁を繋ぐ事もあったが、厄を祓う事もあった。
様々なモノ達の力を借りて、各々が目指す先をいく。
この船達の行く先には、まだまだ暗い夜が待つだろう。
己が答えに辿り着こうと、これからも足掻きながら進み続けるこの船達に、どうかこの光が―――私の導きが届く様に、そっとこの夜を照らし続けるのだった。
それは悪夢のような出来事だった。
本当の事を言っても誰一人信じてくれない、味方の居ないそんな地獄の様な場所へ連れ戻されて、家に無理矢理入れられ両親に罵倒されながら殴られ続ける。
いつまでそうしていたのか、もう分からないくらいずっと痛みに耐え続けていた時、ふと感じるふわふわと暖かな感覚。
それは私を包み込むような感じで、同時にふわふわした何かに顔を少し揺らされている感じがした。
その感覚のお陰で、これは悪夢(ゆめ)であると気付く。私は目覚めようとその暖かい感覚に意識を向けた。少しすると両目に少しずつ光が見えてきて―――私はようやく目を覚ました。
「あぁ、良かった。おはよう優羽。
何だか魘されていたみたいだから起こしてしまったんだ。
大丈夫かい? まだ眠いなら寝てても良いんだよ」
そう優しく声をかけてくれる不思議な生物を見て、私は心底安心する。
「おはようエレムルス。ちょっと悪夢を見てたんだ。だから起こしてくれて助かったよ、ありがとう」
そう言って彼の首に抱きついた。彼は何も聞かず静かに私の好きなようにさせてくれる。少しそうしているとようやく落ち着いてきて、私は彼から離れ身支度をした。
彼が作ってくれた朝食を食べて、彼と一緒に森の中に行き、今日必要な分の食料や薪を調達する。
その合間に少し遊んだり探検したりして、私はこの森での生活を満喫していた。
基本的にお祈りをしに来る人以外は、この場に訪れる事がなく⋯⋯とても静かで平穏な森だ。
人を襲う動物もいない、私を責め立てる人もいない。
エレムルスとの生活は、毎日が穏やかで安心する日々だ。
それなのに、眠りについた途端⋯⋯見るのはあの日の続きばかり。もっと幸せな夢が見たかった。出来ることなら全て忘れて、ここで暮らしていきたいと―――私は思い始めている。
あの場所での全てを捨てて、そしたらずっとここで穏やかで、暖かな幸せに包まれて暮らしていけるのに⋯⋯と。
「何かあるなら祈ってごらん。叶えられるモノなら私が叶えるよ」
そんな私の思いを察したのか、エレムルスはそう言った。
出来るかどうかは私には判断できないけど⋯⋯やってみる価値はあるかもしれない。
そう思った私は先程の願いを強く念じた。
また光が何かを成形していく。それが終わって出てきたのは黒いチューリップだった。
「おや、これはまた⋯⋯凄いものを出してきたね」
そう言ってその花をパクリと食べたエレムルスは、どこか納得したように頷くと私に顔を擦り付けてくる。
私はくすぐったくて笑ってしまったが、そうしている間に「本当に良いのかい?」と少し悲しそうに問われた。
けれど私は「うん、お願い」とだけ答えると、彼は「今夜は安心して眠りなさい。明日の朝には過去は全て無くなるよ」と言ってくれた。
そうして私達は家に帰り、夕食とお風呂を済ませて眠りについた。
翌朝、とてもスッキリした朝を迎える。ここに来てはじめて彼よりも早く目覚めたのが嬉しくて、早々に身支度を整えて朝ごはんを作った。
「おはよう、優羽。今日は早起きだね」
よく眠れたかい? と問う彼に「うん! 凄く良く眠れたよ。ありがとう!」と答えて、さっき出来上がったばかりの朝食を盛り付けてテーブルに並べると、2人で今日は何をしようかと話し合いながら食べた。