紅月 琥珀

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4/29/2025, 1:57:37 PM

 どうして人は人に恋する事を美徳とするのか⋯⋯私には理解できなかった。
 片想いしている時の苦しさや切なさを美化したり、醜いドロドロとした妬み嫉みの心すら⋯⋯それが恋だと正当化する。
 恋してたら何でも良いのか? と思わずにはいられない事を宣う人達に、私はもううんざりしていた。
 そんなに良いと言うなら自分達だけでやっててくれ、私は恋なんて物に辟易してるんだと、そろそろ理解して欲しい。
 なのに―――なぜ合コンなんて至極面倒で1ミリも興味ないものに連れてこられなければならなかったのかと、私の隣でノイズを発し続けている男を無視して⋯⋯自分で頼んだ焼き鳥プレートを食べながら考えていた。

 女子会だと言うから来たのに⋯⋯騙された。もう誘われても絶対に行かないし、信用もしない。
 そう心に決めながら、今度は塩キャベツと枝豆を注文し、大好きなリンゴジュースのおかわりも頼んだ。

 そも恋というのは愛とは別のモノで、心変わりが前提のモノだと私は思っている。
 だからこそ一時的な感情に振り回されるし、愛のようには持続しない。裏切り裏切られるのも、その一因なんだと自身の経験で学んだ。
 無論、愛も同じだと言う人も居るだろうが、それは互いの尺度の違いによって起こることだとも思っている。
 愛し合ったはずなのに裏切られた経験を持つ人は―――その愛情が相手の愛情と釣り合いが取れていないからそうなったのではないか、という話である。
 どちらか一方の愛が重すぎても、軽すぎても釣り合いが取れなくなるから互いに不満が残る。その時にお互いに話し合い、折り合いを付けられれば問題なくバランスを取れるかもしれないが⋯⋯それが出来ない人のが多いのだと思う。
 愛は与え育むモノなので、相手に与え過ぎても育たない。
 互いに与えながら少しずつ育てていき、そうして実ると結婚や出産という行為に繋がるのだ。
 兎角、私はそういう考え方を持っているため、こと異性愛というものに消極的だった。
 やった所でどうせ裏切られるか、重たくのしかかられるかのどちらかだろうとそう思ってしまうのだ。

「ねぇ、何で話してくれないの? そんなに俺に興味ない?」
 そんな事を延々と思考していたら隣のノイズから不満げな声が聞こえた。
「興味ないですね。彼氏とか作ろうとも思ってないので。そもそも私は友人だと思っていた人達に騙されて連れてこられただけなので、恋人作りたいなら他を当たってください。私は自分のお腹を満たしたらさっさと帰る予定なので」
「もう! またそんな事言って! 少しは楽しめば良いじゃん! 恋愛ってすごく素敵な事なんだよ? 経験しないのはもったいないよ。騙されたと思って一度だけでもやってみな。人生変わるから」
 隣のノイズに淡々と答えた私に、横から友人だった女その1が割って入ってきた。本当に頭がお花畑で困る。
「実際に騙して連れてきた人に言われたくないですね。そもそも、その恋とやらを経験した上でやりたくないって言ってます。恋未経験者と思い込むのは勝手ですが、その思い込みを押し付けないでください。大変迷惑です」
 そう言った私に友人だった女達は酷く驚いた顔をしていたが、私はそれ以上何も言わずに注文した品を淡々と食べ進めつつ、LINEで幼馴染に状況を説明し⋯⋯迎えに来て欲しいと伝えた。
 その間にもノイズは「なら俺ともう1回恋してみない? 絶対後悔させないから」などとアホのテンプレでもあるのか? と思う様な常套句を並べ立てられていたが全部無視した。

 枝豆ってたまに食べると美味しいよね。何でだろう? 塩キャベツも家で作った方のが安くすみそうなのに、無性に店で食べたくなるし⋯⋯すごく不思議だ。
 そんな他愛もない事を考えてノイキャンしている内に全部食べ終わり、予め計算していた私が食べた分の値段より少し多めにお金を置く。
 丁度幼馴染からLINEが来たのでさっさと荷物まとめて出ようとしたらノイズに腕を掴まれた。
「ちょっと待って! 俺も出るから、送ってくよ!」
 なんて言われて気持ち悪過ぎて手を振り払う。
「結構です。初対面の信頼出来ない人に送ってもらう程馬鹿じゃないので。それに迎えならもう居るの。あと貴女達とは今日限りで縁切るので今後話しかけないで下さい。それじゃあさようなら」
 言うだけ言って店を出た途端に、つい溜息が出てしまう。
「お疲れ様。今度はなんて言われて連れて来られたの?」
 お店と通行人の邪魔にならない場所に居た幼馴染がそう聞いてくる。私は素直に“女子会”って答えたら困ったような顔で笑い頭を撫でてくる。

 道中で愚痴を言いまくってスッキリして、でも⋯⋯少しの罪悪感が胸に去来していた。
 私は最低な奴だと思いながらも、幼馴染の好意に甘え続けている。
 彼には私を嫌いになるように言い聞かせているのだが―――嫌いになれないの一点張りで、かといって私の方も好きになる努力はしたがなれないままだ。
 宙ぶらりんな私達の関係。歪で不格好な恋とも呼べないこの関係を、人はなんと呼ぶのだろうか?
 彼を好きになれたなら、幸せになれるのだろうと⋯⋯思った事は何度もあるのに、いつか来る終嫣(おわり)に怯えて拒絶し続けているこの心にも嫌悪感を抱きながら、私は今日も彼(そ)の想(こう)いに甘えるのだった。

4/28/2025, 1:19:38 PM

 悲しい事があった日の夜は、いつも月が泣いていた。
 なんて詩的に表現してみるけど現実はなんて事ない⋯⋯たまたまそういう事があった日に限って、夜に降っただけの天気雨。

 月は綺麗に輝きながらも、空からは大粒の雨が降る。それはとても幻想的で、ただでさえ痛い胸を締め付けて⋯⋯泣きたくなるほどに儚い光景だった。
 そんな中で、雨に濡れながら静かに泣くのが好きだった。
 なのに――――――いつしか私に寄り添う人が現れて、1人で雨に濡れながら泣いていたいのに、そうさせてくれない。
「⋯⋯風邪引きますよ。」
 そう言いながら勝手に私を自分の傘に入れるその人は、名も知らぬ誰かだ。
 私が泣きたい日にだけ、勝手にそばに来て寄り添うだけ寄り添って去っていく。良くわからない人。
 彼の言葉を無視するのはいつもの事。だって知らない人だし、何ならどっかに行って欲しいとすら思ってるけど⋯⋯彼は一向に居なくならない。何なら私が帰るまでずっとそばに居るのだ。
 全くもって迷惑なやつだな。
 そう心の中で憤慨するも声に出すのも億劫で、無言のまま睨むに留まる。
 その間にも雨粒が傘に当たる音を聞きながら、静かに涙を流している私も大概ではあるが⋯⋯。

 彼は割と強引な奴で、私の腕を優しく掴むと「こちらに」なんて言いながら誘導してくる。
 寂れた小さな公園ではあるが⋯⋯何故か四阿(あずまや)なんて物が建てられていて、こういう日は必ずそこのベンチへ連れて行かれるのだ。
 彼は鞄からタオルを取り出し私の塗れた髪を勝手に拭いて、自身の着ていたアウターを私の肩に掛けた。
 それでも黙って泣き続けている。だってお月様も泣きたくなる様な夜なんだから、私が泣いたっていいじゃないか。そんなバカみたいな事を考えて現実から逃避する。
 もう何も考えたくないし、一人で静かに時間を潰していたかった。
 それを察したのかは知らないが⋯⋯彼はただ私の隣に座っている。この夜空でも眺めているのか、他に何かしているのかはわからない。けれど私を置いて行く気はないらしく、どこかゆったりとした空気を纏っていた。
 不思議な人だなと思った。涙はまだ枯れる気配は無いけれど、彼が隣に居る事でほんの少しだけ心が落ち着いているのがわかる。
 未だに強く鳴る雨音を聞きながら、流れる涙を拭くこともせず流し続けた。そうしてどのくらいの時間が経っただろうか?
 ようやく枯れ始めた涙に呼応する様に、少しだけ雨足が弱くなる。
 それをきっかけに兼ねてから気になっていた事を、彼に問いただす。

「どうして、私に構うの? 貴方とは何の接点もないのに⋯⋯放っとけばよかったでしょ。こんな変な奴」
 私に話し掛けられると思ってなかったのか、驚いた顔をしたその人は⋯⋯少し逡巡すると答えてくれる。
「確かに接点はほぼないですけど⋯⋯流石にこんな夜に、しかも殆ど人通りのない寂れた公園に女性が一人で居たら危ないと思いまして。本当は家に帰るのが良いと思いますが、帰りたくない理由があるのでしょう? なので貴女の気が済むまでお付き合いしようかと」
 そう笑いかけてくる彼に「変な人⋯⋯でも、ありがとう」っと可愛くない返しをするも、お礼だけは言っておこうとそう口にする。
 ふわりと笑う彼をみていたら少しだけ、心が軽くなった気がした。そこからは堰を切った様に今日の出来事を彼に話していた。
 静かに、でもちゃんと聞いてくれている彼に全部吐き出したらスッキリして、でも何故か―――今度は違う意味で帰りたくなくなってしまった。
 どうして今まで話さなかったんだろう? って不思議に思うくらい話しやすい彼と、もっと話したいと思ってしまったのだ。
 そうして色んな事を話している内に、気付いたら雨は止んでいて鮮やかな朝焼けが広がっている。
「⋯⋯夜、明けちゃいましたね。そろそろ帰りましょうか。家まで送りますよ」
 そう言いながらベンチから立ち上がると、彼は私に手を差し出す。
 前まではきっとその手を振り払って睨み付けていただろうけど、今はもう笑顔でその手を取れた。
 そうして、朝焼けの帰り道を名も知らぬ誰かと一緒に歩いていく。
 帰ったら必ずお風呂で体を暖めろだとか、ちゃんとご飯食べろとか⋯⋯お母さんか! って言いたくなるような事を言っていたのを、私は笑いながら聞いていた。

 ―――後日、休み明けの大学校内でたまたま彼を発見し、その時初めて同じ選択必修をうけている人だと知る。
「はじめまして、雨宮さん。日野戸 翔弥と申します。これからよろしくお願いします」
 笑顔で自己紹介する彼に、私は少し照れながらも⋯⋯改めてこちらからも自己紹介をした。

4/27/2025, 2:23:10 PM

 それはほんの少しの好奇心。皆が熱中する“ソレ”がどんなものなのか知りたくてやってみただけだったのに―――気付けば抜け出せず、藻掻けば藻掻くほど沈んでいく“ソレ”に⋯⋯やらなきゃ良かったなんて遅すぎる後悔をした。

 “恋なんて感情は幻想だ”
 種を残すために必要なだけのただの錯覚。
 何ならそんな感情に振り回されて一喜一憂する友人達を、どこか遠くに見ていた。
 無論、先程の考えは私個人の考えであり、それを他者に強要するつもりはない。
 けれど、どんなに良いものだと説かれても⋯⋯私の考えは変わらないから話を振らないで欲しかった。
 そんなに言うなら別れればいいのに。
 1人の方が振り回される煩わしさも、無理に相手に合わせる必要もないから楽なのにと、愚痴を聞かされる度に何度も思っていた。
 そんな私に友人は、冷めてるだの枯れてるだの言ってくるけど、人の考え方なんてそれぞれ何だから良いだろうと、心の中で悪態をつく。

「ならさ、夜見りん疑似恋愛してみん?」
 スマホを弄りながら会話に参加していた麻美がそう提案してくる。それに賛同しながら沸き立つ友人達。
「無理、相手なんて居るわけないでしょ」
 その言葉で提案を一蹴したが、彼女は徐ろにスマホ画面を私に見せて「うちの幼馴染が疑似恋OKだってさ。モノは試しだし今日の放課後から1週間ね! これは強制執行なので夜見りんには拒否権ありませーん」そう言われたが、納得できずに反論しようとした所で予鈴が鳴り渋々解散。
 こうして私にとって、地獄の様な体験が始まるのだった。

 放課後、さっさと逃げようとしたが麻美達に捕まり⋯⋯疑似恋相手と顔合わせさせられた。
 爽やかな笑顔で挨拶されたので、こちらも礼儀として自己紹介する。
 なんか登下校一緒にする事を勝手に決められたし、何なら土日にデート? もする事になった。
 当事者そっちのけで勝手に話が進み、連絡先も麻美経由で交換させられ、その日初めて会った男と共に帰路につく。
 何話していいかなんてわかんないから、相手の話をひたすら聞いて気になった事とか広げられそうな話を広げて何とか繋ぎ⋯⋯ようやく家に着いた。
 そっから自室に戻ったらどっと疲れて、これから過ごさなければならない1週間を思うとげんなりする。
 1週間耐えれば良いだけだと自分に言い聞かせながら、やる事やって今日はさっさと眠りについた。

 翌朝から本当に彼は私を家まで迎えに来たし、何なら手を繋いで登校するなんて恥ずかしい事までさせられたが⋯⋯重い荷物は持ってくれるし、いつの間にか彼が車道側を歩いてる。
 私が気付かなかった自転車からも、肩を引き寄せて助けてくれたりと―――この人、世に言うスパダリと言うやつでは? と思うのに時間は掛からなかった。しかもよくよく見ると顔も整っている事に気付き、流石の私も顔面蒼白。
 このイケメンと疑似恋愛? 私が? あり得んほど釣り合ってないんだが、なんの公開処刑だ?
 本当になんでこの人、私なんかと疑似恋しようと思ったんだ? と、少しだけ彼に興味を持った。

 それから昼食を一緒に食べたり、授業の合間に先生に頼まれて重いもの運んでたりすると、どこからとも無く現れて殆ど運んでくれたりと⋯⋯これが、噂の姫プというやつか!? ってくらい私を女子扱いしてくるので物凄く調子が狂うのだ。
 そして放課後はデートに連れて行かれ、そこで友人間では拒絶しまくってたオシャレカフェに初めて入り、パンケーキはあんまり好みではないのでパフェを頼んで食べた。
 その時に迷っていたもう一つを彼が頼んでくれて、一口くれた⋯⋯のだが、まさかのアーンってやつをやらされてめちゃくちゃ恥ずかし過ぎて、今日この瞬間が命日だと錯覚しそうになったり。
 とにかく、そんな怒涛の1週間を過ごしていた。家に帰ってもLINEで連絡し合い、気付いたら彼からの連絡を待っている自分がいる。
 たった1週間。されど1週間。
 彼は私と居て楽しかっただろうかとか、この服変じゃないかとか。前の私なら下らないと一蹴していた事が、今は凄く気になって眠れなくなっている。
 けれど時とは残酷で、疑似恋愛期間の1週間になった。
 期間が過ぎればまた元通り。彼とは何の接点もなく、友人の幼馴染の赤の他人に戻るだけ。
 そう考えるとなぜか胸が痛くて泣きそうになる。ここまで来るともう、認めるしかなかった。

 私は今―――恋を患ってしまっていると。

 あれだけ否定し続けたモノに罹患し振り回され、呆気なくこの初恋(こい)は散るのだ。
 そうと分かっていても時間は刻一刻と迫っている。

 最後の放課後デート。初めて行ったカフェでパフェを食べて、ショッピングモールで少し買い物してからゲーセンでUFOキャッチャーしたり。あまり写真を撮られるの好きじゃなかったけど、プリクラ撮ったりして過ごした。
 夕暮れになり、そろそろ帰る時間になった時。彼は最後にどうしても行きたい所があるといい、手を繋ぎながらそこへ向かう。
 辿り着いたのは町外れの神社だった。夏になると割と大きなお祭りを開く所で、この町の住人なら誰でも知っているくらいには親しみのある場所だ。
 階段を上り境内へ行く。お参りしてから彼に促されて来た道を振り向くと⋯⋯綺麗な夕焼け空が見える。
 思わず綺麗と呟く私に、彼はこの風景を見せたかったと言った。

「この1週間凄く楽しくて幸せでした。今日で疑似恋愛の期間は終わりです。付き合ってくれてありがとう。
 弥白さんが恋愛に興味ないって分かってる⋯⋯けど、貴女と過ごせば過ごすほど好きになってしまって、諦められそうにないんです。
 もし、少しでも可能性があるなら明日からは疑似恋愛じゃなくて、本当の恋人としてこのまま関係を続けてくれませんか?」
 お願いしますと、頭を下げる彼に今日1日ずっと痛くてモヤモヤしていた胸が、スッと軽くなる。
 それと同時に自然と涙が溢れてきて、うまく言葉に出来ずにただ頷く事しか出来なかった。
 ポタポタと地面に滴り落ちる私の涙に驚いた彼が慌てながらも、優しく涙を拭いてくれる。
 とりあえず今日が過ぎても一緒に居られる事に私は安堵するも、涙が止まらず私が落ち着くのを待ってから2人並んで帰路につく。
 その道中でちゃんと私から気持ちを伝えると、彼は嬉しそうに笑った。

 知らなかった恋心。
 それは嵐の様に激しくて、でも陽だまりの様に暖かい。
 まだまだ分からない事はたくさん。でもきっとこれからも彼のアイに染められていくのだろうと、そんな事を思いながら2人で手を繋ぎながら夕暮れの町を歩いていくのだった。

4/26/2025, 1:52:43 PM

 遠く遠く離れてしまったアナタへ。私が出来る唯一の贈り物。
 大切なアナタへと届くように、月の綺麗な夜に唄う――――――。

 それはほんの少しの邂逅。アナタは私の唄声に誘われたと言っていた。
 私の唄う声がとても綺麗だと言って、時間が許す限りそばでそっと聴いていた。
 もうずっと前の出来事なのに、未だ鮮明な記憶⋯⋯私にとってアナタはそれ程大切な人だったと今更ながらに思い知る。

 アナタと会うのはいつも月の綺麗な夜だった。
 月光の照らす湖は何よりも綺麗で―――その風景を見ていると私は、自然に唄を口ずさんでしまう。そこから興が乗り何曲も唄うのがいつものパターン。
 誰も居ない夜の森にある湖。その湖面に映る月と、反射して煌めく月光が好きで⋯⋯月の綺麗な夜にはここに来るのが日課となっていた。
 そんな中、突如として現れたアナタ。
 私の唄声に誘われて、蝶のようにヒラヒラと⋯⋯それでいて自由に飛び回って、いつしか遠くへ行ってしまった。
 私はここから動く事も出来ずに、ただ―――今日のような美しい夜に、アナタを思い唄うだけ。
 どんなに離れていても、姿形が変わってしまっても分かるように、唄い続けるから⋯⋯こちらに戻ってきた時にはもう一度、アイにきて下さいね。

4/25/2025, 1:23:12 PM

 幼い頃から見ている夢がある。その夢は歳を重ねても変わらず定期的に見ていて、今も―――ゴポゴポという音を聞きながら、私は深い海に沈んでいく夢を見ていた。
 暗く深い闇が広がる海の中で、天井も底も見えずにただゆっくりと沈んでいく体。
 水中であるにも関わらず、不思議と苦しくはなかった。きっと夢だから水中でも呼吸が出来るのだろうと、光の届かない闇を眺めながら他人事のように考えていた。

 何度目かの夢の中。沈んでいく私に話しかけてくる声が聞こえる。
 声だけしか届かない、誰かも分からない人。それでも私は1人じゃない事に安堵した。
 夢の中で沈みながらも会話を重ねて、互いを知っていく。話せば話すほどその人を知りたくなる。それが恋だと友人との会話で気付いた。
 けれども⋯⋯恋した相手は夢の人。自覚した瞬間に私の初恋はあえなく散った。

 友人達は何組の誰それが格好良いだの、サッカー部のあの人と付き合いたいだのと言っていつも騒いでいて、いつも楽しそうにしている。
 そんな中で、私だけが話についていけなくて、こと恋バナに関してだけ良く聞き流していた。
「ねぇ、ミサは誰が好きなの?」
 いきなり友人の1人に話を振られたが、私は首を横に振る。
「そういうのあんまり興味ないんだよね。漫画とかドラマなら見ることあるけど、自分がってなると想像つかなくて」
 そういう私に、彼女達は「えーっもったいない!」と声を揃えて言う。
 私の心(こい)は現実(ここ)にはないから、もったいないも何もないのだ。初めから生産性のない恋だった。ずっと同じ夢を見続けて、暗い海に1人沈んでいく。そんな中で現れた人。
 私にとってそれは⋯⋯例え姿が見えなくても、闇に差し込んだ一縷の光だった。
 だからこそ、どんなに勧められてもその人以外に興味が持てない。例えあの人が醜い容姿であっても関係なく、私は好きで居られる自信がある。
 それくらい、話していて惹かれていた。もうずっと前から好きだったのに、最近になってようやく気付けた恋心。
 現実(こちら)に居ると、早く眠りたいと思うようになった。
 夢の中(あちら)に居ると、目覚めたくないと思ってしまう。
 隔てられた境界にもどかしさを感じながら、今日も現実で1日を過ごしていく。

 ゴポゴポと音を立てながら、少しずつ深く沈んでいく。最初は怖くて心細かった深海は、いつしか大好きで大切なモノになっていた。
 だからどうか、叶うのならば愛しい夢の人(あなた)にアイにきてほしい。
 暗くどこまでも深い深海の中で沈みながら、今日も私はあなたとの束の間の逢瀬に心を砕いた。

 ◇ ◇ ◇

 忘れられない出来事があった。
 私の領地に迷い込んだ幼子。
 苦しそうに藻掻く姿があまりにも憐れで、助けてやったのを今も鮮明に覚えている。
 その時、私の姿を見たはずなのに⋯⋯その子は「ありがとう!」と綺麗な顔で笑った。
 気味悪く思われる事こそあれど、私に笑顔を向けてくれる者など初めてで⋯⋯その日からその子を思わぬ日はなかった。

 それは無意識の行動、で知らぬ内に私は自身の領地にあの子を引き入れていたらしい。気づいた時にはもう戻せない場所まで沈んでいた。
 幼かった彼女は大きくなり、美しい女性へと変貌していく。
 私の声が届いた時にはもう、きっと沢山の人に好かれているのだろうと、思うほどに心も体も美しい人になっていた。
 話せば話すほどに惹かれていく、焦がれていく。いけない事だと分かっていても止められず。しかし、このままでは私の醜い姿を見られてしまう。

 嫌われてしまうだろうか。
 畏怖の念を抱かれるだろうか。
 そう思いながらも⋯⋯早くコイと。
 もう逃がせない/逃がさないと思う私を、どうか受け入れて欲しいと思ってしまう。

 暗く深い深海の底で、醜い体を丸めながら⋯⋯私は今日も声だけの逢瀬を―――彼女との一時を楽しむのだった。


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