夢で見たような気がするの。
この高く聳える塔の風景を。
光と風を連れて遊び疲れたように、明けていく朝をぼんやりと窓辺に凭れて眺めていた。
深い深い沈黙の中で、声をなくしたように静寂が世界を包み込む⋯⋯そんな朝。はりつめた太陽に手を伸ばす。
掴めずに揺れるこの手で何をすくいたかった?
遅すぎる懺悔をいっそ焼いてくれたなら、誰をすくえるの?
無意味な問いに答えるモノは居ないけど、この指をすり抜けなかったただ一つを確かめる。
規則正しい鼓動。伝わる熱と呼吸を聞いた。
いつかの空を夢見てる。
呼び戻したかったのは何だった?
月影に光がのまれる前に、私もソラへ飛び込んだらすくわれる?
焼き付いて痛む羽も、なくした声の行方も⋯⋯何一つ掴みきれなかったこの手すらも、ひとひらの想いと一緒にあの空へ落としたなら安らかな眠りにつけるの?
なんて、悪夢(ゆめ)から覚めてひとりきり。誰もいない世界の中で、今日も一人懺悔する。
約束され続ける朝の訪れと、罪過に苛まれる夜を繰り返す。
ずっとそうして生きるのだろう。
ずっとそうして、生きていくのだろう。
朝靄の中で一人佇む。
あの高い塔を見上げながら、冷たい太陽の光を受ける。
遠い昔はとても暖かくて、失明する程の光を放っていた。けれども今は―――光を失いつつある。
今日は何処へ行こうか?
掴みたかった未来は遠く⋯⋯遠くへと弧を描きながら飛んで行った。
だからこそ、今の私達は今日を生きるのに精一杯で、広い世界の中で迷子になっている。
どうしたら、遠すぎるあの未来を掴めるの?
すれ違った親子の会話に、思考を巡らせるけれど⋯⋯答えなんて出なくて、きっとこれが私達の運命なんだと、在り来りな答えに辿り着くばかり。
もっと私が賢ければ違う未来もあったのだろうか?
そんな事を思いながら、私は結局いつもの場所へと歩き出していた。
聳える灰色の塔と、冷たい太陽の光を反射する水面。生い茂る草木が風に揺れる音と、ふわりと香る苔の香り。
重たく透ける空には雲一つなく、いつかこの場所で囀っていた鳥達も今は遠く⋯⋯もう何年も姿を見ていなかった。
残された時を数えながら、私は今日もこの場所で水面を見つめる。
もう生物すら居なくなった水の中で、泳ぐ夢を何度も見続けては―――ぐっと堪えてを繰り返す。
残された時間が僅かなら、いっそ今⋯⋯私の時を止めてしまおうか。
そんな考えに浸りながら、私はまた、聳える灰色の塔を見上げる。
その奥に広がる青空と冷たい太陽が世界を照らす。
淡い光が反射して塔のガラスがキラキラと光る。
風に揺れる草木の音と苔の香りに身を委ねながら、揺れる水面に視線を戻して⋯⋯掴めたはずの未来を思う。
水面は静かに揺れながら淡い光を反射させて、私を今日も待っている。
踏み込まれたくない領域というのは誰にでもあるもので、それと同じ様に奪われたくないモノも、譲れないモノも存在する。
君と僕の関係性を例えるなら、略奪なんだろうなと垂れ流していたテレビを観ながら思った。
適当につけたチャンネルでやっていたのが恋愛系のバラエティ番組で、トークテーマが恋人との関係性について。特に興味も無かったけど、他の番組も対して面白そうなものが無く⋯⋯これでいいやと聞き流しながら食事をとっていた。
ふと、聞こえたテーマに僕は君との事を思い浮かべる。喧嘩と言うほどでも無いが、互いが互いに我が強くて良く衝突してはお互いに踏み込まれたくない領域まで―――土足で侵入して荒らすを繰り返していた。
本当に不愉快な程、互いの手放したくないモノを真っ向から否定し合い、奪ってはボロボロになるまで傷つけ合う。
正直、付き合っているわけじゃないけど⋯⋯なんでこんな人と一緒にいるんだろうとは何度も思っている。けれど、仕事上の付き合いもあるので我慢していた。
何度も必要最低限の付き合いにとどめようと努力したけど、彼女の方が何故か僕に絡みに来る。あらゆる手を尽くして距離を取ろうとしたけど、その度に彼女は益々躍起になって絡みに来た。
迷惑な人。凄く嫌な人。
でも、凄く仕事が出来て⋯⋯純粋に尊敬出来る部分もある。
何度も傷つけ合って奪い合う。
良い所も悪い所も含めて、ボロボロになるまでやり合い続けて―――いったい僕らは何を成そうとしているのかと、最近よく思うようになっていた。
いっそ転職でもしようかと思ったが、きっと彼女の事だから関係なく今までのように距離を詰めてくるだろう。
どうせ何しても無駄ならば―――いっそガードすら捨てて相手を叩きのめしてしまおうか。
そんな考えに浸りながら、今日も君と僕の奪い合いが始まった。
酷くふわふわとした感覚の中で、自分の存在を確かめる。
私が私である証明を探すけど、どうにも見つけられないでいた。
そんなモノクロ世界で、息を殺しながら⋯⋯誰にも見つからないように生きている。
でも、いつかは―――なんて思い、僅かな灯火(ひかり)を探していたら、気付けば君が隣で笑ってた。
名前すら知らない。どんな人なのかも。
でも何故かその笑顔に安心して、繋いだ手は暖かくて離したくないって思ったんだ。
色の無かった世界は、君の周りだけ鮮やかに煌めいて⋯⋯私もその世界に行きたいと、始めて願えた。
はじめて自分の意思で何かを願い、叶えようと奔走する。
私(こ)の世界から抜け出すためにはどうすれば良い?
何度も自分に問いかける。
抗い続けてもモノクロの世界は色付く事無くそこに在り続けた。
強い焦燥感に駆られて、変な夢でも観てるみたいな錯覚を覚える。
ここじゃない何処かで、誰かが⋯⋯大切な誰かが待っていてくれている。そんな馬鹿げた妄想が脳裏に過った。
ふと、その馬鹿げた妄想を足掛かりにしてみようなんて阿呆な事を思い付き、モノは試しとやってみる。
なんてことはない。
この世界は私の見ている夢だと思い込むだけ。
ただの錯覚で幻なのだと“理解”して、目を覚まさせようという魂胆だ。
これが成功するのは本当に眠っている時だけ。夢を見ている間にそれを自覚すると明晰夢になって、自分の意思で起きられるらしい。
詳しくは知らないけど⋯⋯昔聞いた噂話だった。それなのに―――モノクロの空にヒビが入って、パキパキと何かが割れる音が聞こえてくる。
その内ボロボロと空が崩れて混沌が現れた。私は、崩れる世界から逃げるように自宅に駆け込み⋯⋯自室のベッドに横になる。
早く覚めろ、早く覚めろ、早く覚めろ、早く覚めろ!
念じている間もパキパキと音がして大きな落下音と共に世界は崩れていく。
そうして、少しずつ壊れていく世界と共に⋯⋯私の意識も遠退いていき、プツリと全てが途絶えた。
◇ ◇ ◇
ふわふわとした感覚と光を感じて、私は酷く重いまぶたを開く。
初めに見たのは白い天井。規則的な機械音が耳に届き、変に大きく聞こえる呼吸音を聞きながら私は今自分が病院にいるのだと理解する。
その後はなんてことはない。
医師から事のあらましを聞き、私と共にいた友人は即死だった事。
私も危なかったと聞かされた。
あぁ、待っている人など⋯⋯いなかったのだ。
リハビリを頑張ったのは退院するため。
私の願いをもう一度叶える為に、退院しても体がちゃんと動かせるまで頑張った。
そしてようやく悲願を達成するために⋯⋯私はもう一度“あの世界”へ行くために、廃墟に忍び込んで首を括った。
節目節目で思い出す。一番幸せだった日々と、共に過ごした君の事。
ずっと一緒にいられたら良かったって、苦しい時も悲しい時によく思ってた。
嬉しい事と楽しい事は1番に君に伝えたくて、辛い時は側にいて欲しい。
そんな君は遠く、遠くの知らない場所へ。
嫌だと言う私に困ったように笑う君。子供の私と大人な君。
正反対の私達。だけど君の隣は心地良くて、その声は安心する。だから離れたくなかったけど、仕方がないと君は言う。
納得するしか無くてとても長い時間をかけて、何とか自分の心を納得させた。
それでもやっぱり思い出す。
いつまでも、いつまでも。
君といた時間が1番幸せだったんだって、思い知らされる。
伝えたい事はたくさん。
聞きたい事もたくさん。
でも、最初に言うのはきっと―――お元気ですか? だと思う。
今も大好きで大切な君。
お元気ですか?
君は今、幸せでしょうか?
君の優しい笑顔を思い浮かべながら、私は記憶の中の君に⋯⋯これからも同じ様に問い続けるのでしょう。