指切り拳万、嘘付いたら針千本のーます! 指切った!
そんな掛け声と共に、絡ませた小指を離した。
幼い頃、名前も知らない男の子と交わした約束の証。子供のよくやる口遊びのようなモノだと、きっと他人は笑うだろう。
けれども、私は――――――。
幼い頃妹が大病を患った。
ドナーが必要で手術するにもお金がかかる。
でも、手術さえ出来れば助かると言われていたから、両親も必死でドナーを探していた。
両親は仕事とドナー探しに奔走していたから、その頃の私は田舎のおばあちゃんの家に預けられていた。
幼いながらに、妹が危ないって分かって自分も何とかしたくて、でもどうしたら良いのか分からなかった。
両親からは、私ではドナーになれないって言われていたから、きっとあの時の私には出来ることなんて無くて、大人しくしていれば良かったんだと思う。
それなのに、居ても立ってもいられなかった私は、学校の帰りにこの辺りの神社を探してはお参りしていた。
なけなしのお小遣いで沢山の神様にお願いしている。
でも、一向に両親からの連絡は無くて、途方に暮れていた。
遂にお小遣いも底を突き、近くの山にある大きな湖の畔で座り込み、景色を眺めていた。
どんなに祈っても妹のドナーは見つからない。お小遣いも底を突いて、お参りにも行けなくなった。
私はどうにもならない気持ちをどこに発散して良いのかも分からず、ただ悶々としたまま景色をぼんやりと眺めていた。
『随分と淀んだ気を感じると思ったら⋯⋯こんな所で何をしている。』
そう声をかけられて驚いて振り返ると、着物をきた男の子がこちらを見ていた。
私の知らない子だったけど、このやるせない気持ちを聞いて欲しくて、今までの事を全部話した。
『⋯⋯お前、名前はなんて言う?』
少し逡巡した後何故かそう聞かれた。
穂澄と答えると彼は頷くとこう話す。
『分かった。お前の願いを叶えよう。その代わりにお前が私の嫁になれ。』
出来るか? と聞かれて私はもう藁にも縋る思いで頷いた。
『何でもするから、その代わり妹がちゃんと元気になるまで一緒にいたい』
そう話した私に彼は頷きながら、お前の願いが叶ったら迎えに行くと言った。
そして、いつの間にか持っていた、見たことのない果物を私に差し出す。
私はそれを反射的に受け取ると彼を見つめた。彼も同じものを持っていて私を一瞥すると自分の持っている果物をかじる。
どうやら私に食べろと言っている様だった。
それを見た私も彼に習って果物をかじる。それと同時に驚き、彼を見つめた。
今まで食べたことのない甘さが口一杯に広がる、けれども柑橘類のような爽やかさで後を引かない。どの果物とも形容できない、まさにはじめて食べる味なのに、どこか懐かしさも感じる不思議な果物だった。
美味しい! と笑顔で全部食べて、彼にお礼を言う。
『これは約束の証だ。逃げられない様にする為の』
そう言って笑う彼に、私は小指を差し出した。
彼が不思議そうな顔をしたので、私達の間で約束を守る誓いみたいなやつがあり、そのやり方を教えた。
指を切ったら絶対に破っちゃいけないんだよ!
そう言う私に彼は付き合ってくれた。
『指切り拳万、嘘付いたら針千本のーます! 指切った!』
そんな掛け声と共に絡ませた小指を離す。
そうして気付けば夕方になっていて、私は帰らなければならない時間になった。その事を伝えて、話を聞いてくれたことにお礼を伝えておばあちゃんの家に帰った。
その次の日の夕方。両親から連絡があり、妹のドナーが見つかった事と手術の費用の目処がたった事が電話で伝えられた。
妹が退院するまではおばあちゃんの家に居ることになったので、早速あの湖まであの子に会いに行った。
けれど、来る日も来る日もあの子に会いに行ったけどその日以降会えず、遂には妹の退院と共に私はおばあちゃんの家から実家へと帰ってきた。
それから数年。
妹は元気になり、今日も楽しそうに学校へと向かっていく。
私の方は最近あの時出会った彼の夢を見るようになり、多分そろそろ迎えが来るのだろうと悟った。
急いで家族に手紙を書き、あの日の事と彼との約束をなるべく詳しく書いて引き出しにしまっておいた。
そして、数日後の学校帰りの夕方。
気付けば周囲の音は消えていて、何処か気味の悪い夕暮れ時だった。
私は少しの不安と恐怖を胸に、家路を急ぐ⋯⋯その途中で見たことのある人を見つける。
『穂澄、約束通り迎えに来たぞ』
そう手を差し出す彼に、強張っていた体から力が抜ける。
そうして、彼に妹の事でお礼を言うと私はそっとその手を取った。
薄暗い夕暮れの街を、2人手を繋ぎながら⋯⋯もう会えないであろう家族を思い、さようならと呟いた。
朝起きてスケジュール帳と過去1ヶ月分の日記を読み返す。
それが朝のルーティンだった。
支度をして朝食を食べて、記されたスケジュール通りに1日を過ごす。
今日は彼とのデートの日。昨日用意しておいた可愛い洋服に着替えて、用意しておいたメイク道具でメイクしてヘアアレンジする。
昨日用意した通りに全てを終わらせて彼との待ち合わせ場所へと向かい、合流してからは彼のエスコートで映画を観たり、お洒落なカフェで一息つきながら映画の感想を話した。
それからショッピングに行き、夕方まで時間を潰し予約してたレストランでディナーをする。
美味しい料理に舌鼓をうち、彼に送ってもらって家へと帰ってきた。
それからお風呂に入り、明日の準備と新しいスケジュールの書き込みをしてから、今日1日の日記を時間が許す限り詳しく⋯⋯でも、なるべく全て書き切れるように気を付けながら書き記していく。
今日という素敵だった1日を忘れない様に、忘れてしまっても思い出せる様に⋯⋯全部全部日記におさめていく。
そうして設定していたアラームがなり、急いで読み返してからベッドへと横になる。
後少しで日付が変わる⋯⋯変わってしまうから。
少しの期待と大きな失望を胸に、私はカウントダウンを始める。
5、4、3、2、1――――――0の言葉を紡ぐ前に、“私の記憶(それ)”はひらりと消えていた。
『あら? あなたは誰かしら?』
開口一番に言われた言葉に、私は動揺する事もなく淡々と答える。
『もう、おばあちゃん忘れちゃったの? 私はあなたの孫でしょう?』
『⋯⋯あぁ! そうね、そうだったわ! ごめんなさいねぇ。最近物忘れが激しくて』
困ったものだわぁ。
なんて話しているご老人は常に笑顔をはりつけている。
実の所、私は本当の孫ではない。本当の孫は私の隣で他愛のない話をしながら笑っている友人で、今回はこの子に頼まれてここに来ていた。
それは数日前。
学校で彼女から相談された。
先週末に会いに行ったおばあちゃんの様子が変だったと。
言動に違和感があり、一昨日電話で話した時はしっかりとしていたのに、いきなり痴呆が始まってしまったかの様な言動を取り始めたのだとか。
そこでこの間、美織の事件を解決したと聞き及び、私に相談したという。
とりあえず詳しい状況を聞いた後、私達は互いに帰路につく。
家について直ぐにおばあちゃんの元へ駆け込み、今日受けた相談内容を報告して、見解を聞いてみた。
『それはミシロだねぇ。やり口が奴らそっくりだ。それに、話を聞く限りまだ乗っ取ったばかりで体に定着してないから、明日にでも孫の振りして行ってあげなさい。
ただし、決して自分の名前を言ってはいけないよ。名乗らずに偽物であると突き付けておやり。それからこの鏡に映すんだ、出来るね?』
そう言って渡してきた我が家の家宝の鏡を、丁寧に布で包んで渡してくる。
私は頷くとそれを鞄にしまい、彼女に連絡すると、明日彼女と共におばあちゃんの家へ行く事になった。
それから彼女は会話の中で、昔のおばあちゃんとの差異を指摘し続けた。
その度に言い訳をするが段々とボロが出てくる。
そして、遂に我慢ができなくなっらしいその人は、立ち上がり怒りを露わにする。
『一体なんなんだい? さっきから聞いてりゃ、まるで人を偽物みたいに!』
激昂したその人は顔を真っ赤にしながら怒鳴り声を上げる。
『実際に偽物でしょう? 本物なら分かるはずの事すら分からないのだから』
そう私が返すと尚も苦しい言い訳をしてくる。
『それは、忘れてただけだって言ってるだろう!』
『その言い分が本当に通るとでも思っているの? 普通孫の顔忘れます? 忘れたとしても、思い出したなら分かるはずですよね? 私が⋯⋯本当の孫じゃないって』
私がそう言うと、心底信じられないといった表情でこちらを見つめてくる。
『あなたの名前は形身代。表裏の狭間で揺蕩うモノよ、在るべき場所へと還りなさい!』
そう言いながら鏡にその姿を映した。
耳障りな絶叫と共に歪んだ顔は、少しずつ穏やかな表情に戻り、少しするとそのおばあちゃんは崩れるように倒れていく。
『おばあちゃん!』
友人が咄嗟に受け止め、何度も呼びかけると目を覚まし、穏やかな声で友人の名を呼んでいた。
どうやら私は、上手くやれたようだ。
一安心し鏡を丁寧に布で包むと鞄にしまい、彼女に帰る旨を伝える。
『ありがとう!』
そう言った彼女の表情は穏やかで、霧が晴れたような顔をしていた。
私はおばあちゃんにお邪魔しましたと挨拶をすると、家路についた。
帰ってからおばあちゃんに鏡を返しに行き、その時に事の顛末を話すと、良くやったねぇと言いながら頭を撫でてくれた。
もうこんな事やりたくは無いんだけど⋯⋯友人の頼みだとどうしても断れない。
私は小さくため息を吐くと、自分の気が済むまでおばあちゃんに撫でてもらうのだった。
その日は何の変哲もない、平和な1日になる予定だった。
彼氏と一緒に登校して、授業を受けて、放課後は部活に勤しみ家路につく。
そんな有り触れた日になるはずだったのに、どうして変わってしまったのだろう?
あの日、目の前でクラスメイトが結晶化して、不安だったから別のクラスの彼氏の元に行ったのに⋯⋯彼は既に結晶化していた。
初めは分からなかったけど、友達が説明してくれて、彼からの手紙も読んで⋯⋯堪えきれずに泣きながら、彼だった結晶を抱きしめる。
正直、彼と一緒になれるなら結晶化しても良いって思ってた。でも、結果として私は人のまま⋯⋯彼だった結晶が綺麗な弓に変わっただけだった。
それから友人は何も言わずに寄り添ってくれて、それが少しありがたかった。
しかし、少しすると変な叫び声みたいなのが聞こえて、窓から外を見ると巨大な化け物が現れて、人を食べている。
あまりの光景にへたり込み、荒い呼吸を繰り返すだけで声も出せなかった。
そんな中、彼だった結晶弓を借りたいと言ってきた友人に何とか頷くと、彼女はそれを窓辺で構えて、何も番えていない状態で放つ。
苦しそうに絶叫する化け物達。それから彼女は屋上へ行き、1人で化け物達がこちらに近付いて来ないように戦ってくれた。
そのおかげで、学校内に留まっていた私達は、生き延びることが出来た。
夜は2人で見張りを交代しながら眠る。彼女の手は何度も弓を射ったせいでぼろぼろになっていた。応急処置はしたけど、ちゃんとした物じゃないから余計に心配になる。
それでも⋯⋯朝は必ずやってくる。
治らない傷と前日の疲労で少しふらつく彼女は、それでも一撃で化け物達を撃破していく。
でも、刻一刻と差し迫る友人の限界に⋯⋯私は遂に覚悟する。
『もう限界だよ、その弓を放して?』
静かに言った言葉に首を横に振る友人。
曰く、誰かがやらなければもう生き残れないのだと。
ならそれは貴女じゃなくても良いはずでしょ?
一撃では無理かもしれないけど⋯⋯私だって弓道部なんだ。だから、きっと出来るはず。
彼女は少し心配そうにこちらをみていたけど、最終的には折れてくれた。
私は彼女から結晶弓を受け取り、射の構えをとる。
相手を見据えて、深呼吸しながら心を落ち着けて⋯⋯何も番えずに弓を引くと、少しずつ弓の―――恐らく通常なら矢が番えられている部分からバチバチと音を鳴らしながら矢のような物が姿を現していく。
そして⋯⋯それを放つと、その周辺にいた化け物達が一斉に苦しそうな絶叫を上げて息絶えた。
目覚めるは闘志。
心で芽吹かすのは流水の如し憤怒。
それを見据える先の化け物達へと向け、この手に感じる“君”を思いながら、その日私は友達と生き残るために⋯⋯戦いの日々へと身を投じるのだった。
それは幸せな日々の記憶。
優しく撫でる手。目を細めて笑った顔に、あたたかくてゆったりとした声。
僕にとってあの日々は、今でも鮮明に思い出せる程幸せなものだった。
あの人に出会ったのは、冷たい雨が急に降ってきた日で、ずぶ濡れになりながら近くで雨宿りしていた時―――震える僕に優しく声をかけて、ふわふわのタオルで包んで温めてくれた。
それからその人はよく、その近辺に来てくれるようになり、僕も会えたら挨拶を交わす程度には仲良くなっていたと思う。
それから長い月日をその様に過ごしていく間に、その人は僕をお家に招いてくれ、そこで沢山のものを受け取った。
それは愛情であったり、小さなおもちゃであったりと多種多様で、でも僕にとってはとても新鮮なもの。
あの日から幾年月が経っただろうか?
突然倒れたあの人をずっと待ち続けたけど、結局戻ってくることは無かった。
それでも待ち続けていたある日―――その子はやってきた。
何かを探す素振りをして、私と目が合うと駆けてきて話しかけてきたのだ。
『こんにちは、はじめまして。ここに住んでいたおばあちゃんは覚えてる? 私はその人の孫なの。おばあちゃんに頼まれて、あなたを私の家にお迎えしたいの。良いかな?』
僕に目線を合わせて、ゆっくりと瞬きしながらそう言った彼女に⋯⋯私はなぁおと返事をするとその手に頬を擦り付ける。
懐かしいような違うような⋯⋯そんな匂いがして少し切なくなったけど、僕は大人しくその人についていった。
あれから更に歳を重ねて⋯⋯僕ももう立派なおじいちゃんになった。
あの人の面影のある彼女は、撫で方が違えども話し方と声の感じが似ていて、とても安心する。
あの幸せだった日々は終わってしまったけど、始まったのは不幸ではなく新しい幸福の日々だった。
あぁ、はじめこそ酷いものだったけど⋯⋯案外良い猫生であった。
僕は幸せな思い出と、今も続く幸福を噛み締めながら―――段々と遠くなる意識の中で、なぁおと感謝を伝えて微睡みの淵へと落ちていった。