その人に会ったのは桜の綺麗な季節で、黒い髪を靡かせながら花を愛でるその横顔に⋯⋯目を奪われたのを覚えている。
彼女は私と同じ新入生だった。同じクラスだったのにも驚いたが、新入生代表として壇上に上がり言葉を述べる姿は、先程見た儚げな印象とは異なり⋯⋯とても凛々しく前回とは別の意味で見惚れてしまった程だ。
それからはクラスメイトとして、彼女を目で追う日々が続く。
文武両道、眉目秀麗。この言葉は彼女の為にあるものだと思う程に、どんな事でも完璧にこなしてみせる。勉強も運動も出来て、誰とでも対等に接する彼女は皆からも慕われていて、私なんかが入る隙など最初からなかったと思う。
それでも、クラスメイトとして彼女を見ていられたらそれで幸せだった。私には無いものをたくさん持っている彼女の隣になんて、恐れ多くて立てる気がしないから⋯⋯きっと卒業まで殆ど関わることなんてないだろう。
そう思っていたのに⋯⋯⋯彼女は何故か私に構うようになったのだ。
ある日突然、それこそ何の前触れもなく。そもそも彼女には割と仲良くしていたグループが複数あったはずなのに、なぜ私のところに来たのか⋯⋯全く理解できなかった。
しかし、本人に聞く勇気もなく⋯⋯憧れの彼女を間近で見れると欲をかいた結果。私は今、最大のピンチを迎えている。
『ぼーっとしてどうしたの? 具合でも悪い?』
心配そうに私の顔を覗き込む彼女がそう聞いてくる。凄く優しい⋯⋯最高に好(はお)。しかし、2人きりでのランチとかいうレアイベントが現在進行形で起きているこの状況で、普通にしてろというのは酷な話だと思うのです神様。
ただ緊張のあまり何を話して良いのか分からないだけなので、本当に気にしないで欲しい。
その事を伝えようにもどもってしまい、上手く伝えられないでいた。
『ゆっくりで良いよ。どんなに時間がかかっても、私ちゃんと聞くから』
緊張して強く握っていた私の手に、彼女がそっと自身の手を重ねる。もう、頭はオーバーヒート状態でどうすれば良いのか分からずにいた。
『⋯⋯間違ってたらごめんね? もしかして、緊張してたりする?』
彼女の問にこれ幸いとコクコクと頷く。すると可愛らしい笑い声が聞こえて、彼女はまた私の顔を覗き込む。
『そんなに緊張しなくて良いのに。私達同い年なんだから普段通りに接してくれて良いんだよ』
はぁ⋯⋯本当に好きだな。
そう思う程に彼女は綺麗な笑顔でそういった。しかし、何故か驚いた顔をした彼女。そのまま少し固まって、次の瞬間には顔が赤く染まっていく。
『⋯⋯ずるい人。本当はもっと仲良くなってから、素敵な場所で私から言うつもりだったのに⋯⋯でも、同じ気持ちだったの、嬉しい』
はにかみながらそう言う彼女に、私は先程心の中で思った事が口に出ていたのだと理解する。慌てふためく私に―――皆には内緒で付き合ってほしいの、と彼女から言われたら、もう頷くしかなかった。
そこから秘密の関係を続けている。
皆の前では友達として振る舞い、2人きりの時には恋人として。
私達の想いは、他の人達には理解されないだろう。きっとこれからも、もしかしたら死ぬまでそうなのかもしれない。
そんな秘密の恋を続けながら―――2人で手を取り合って、これからを生きていくのだろう。
夕暮れ時の校舎を駆け回る。
校庭からは運動部の声。校舎内に響く吹奏楽部の練習音。
それらを何処か遠くに聞きながら、私は必死に走っていた。
◇ ◇ ◇
それは突然感じた違和感だった。
昨日まで普通だった友人が、何か変に思えて⋯⋯でも、何が変なのか分からずに酷く困惑したのが今朝の出来事だった。
それから彼女を観察していく内に、その違和感にようやく気づいたのが昼休み前の授業でのこと。
幾つかの違いはあれど、1番は利き手と逆の手で文字を書いていた事だった。
彼女は右利きなのに何故か左手で文字を書き、お箸も左で持っていた。そこからは芋づる式にいつもと違うところを見つけていき、そして放課後になってから私は彼女を空き教室に呼び出して本題に入る。
『あなたは誰? 私の友人を返して』
そう言うと、彼女の顔はニタニタと笑いながら歪み―――なんで分かった? とおぞましい声で答えた。
そして、私は彼女の違和感を指摘するとそのナニカは、日が沈むまでにこの敷地内の何処かに居る本人を見つけられたら返してあげると、そう言って姿を消した。
私は自分で見つけた昨日と今日の彼女の違いをノートにリストアップしていく。
そうすると、浮かび上がるのは全て反対になっているという事実。なら、もしかしたら⋯⋯あれは鏡に関係しているナニカなのかも知れないとあたりをつけてから、他の友人たちにメールを一斉送信して、学校の七不思議でもなんでも良いから鏡に関する噂がないかを聞いた。
時間は掛かったけど、1人の友人のそのまた友人の知り合い辺りの人から有力な情報を手に入れられた。
それは旧校舎にある第2音楽室付近、階段の踊り場にある大鏡を使ったおまじない。
何でも夕暮れ時にその鏡に向かって、あなたは誰? と3回唱えると返事が返ってきて、その誰かが提案した遊びに勝つと何でも願いを叶えてくれるらしい。
何処にでもありそうな噂話だったが、この情報に辿り着くまでにかなり時間がかかってしまい、もうあとがない状況だった。
藁にも縋る思いで旧校舎まで駆け抜ける。
走って、走って、息苦しくなるのも構わずに⋯⋯足が疲労で縺れそうになるのを堪えながら。
そうして辿り着いた旧校舎も全力疾走で駆け上がり、第2音楽室付近の階段踊り場の大鏡に辿り着く。
『美織! 美織、居たら返事して! お願いだから!』
大鏡に向かって声を張り上げた。
すると鏡に写っていた私の姿が歪み、探していた彼女の形になる。
段々と鏡面が波立っていき、そこから飛び出すように美織が私に向かって倒れてきた。
それを咄嗟に受け止めようとしたけど、ここまで来るのに足を酷使していた為⋯⋯踏ん張りがきかず、一緒に後ろへと倒れ込む。
『後、少しだったのに⋯⋯どうして―――』
あのおぞましい声が聞こえると、その大鏡には形容し難い化け物の姿があった。
真っ赤に染まった旧校舎とおぞましい化け物が鏡面に写り込んでいたが、少しすると完全に消えさり私達だけを正しく写すようになる。
近くの窓からは微かに夕日が漏れており、ギリギリだったけど⋯⋯何とか間に合った事に安堵した私は美織を起こす。
彼女は不思議そうに私の名を呼ぶが、それに構わず私は事の経緯を説明した。
段々と思い出してきたのか、顔を青ざめさせる彼女に私はどんな理由があれ、2度とこんな危ない真似はしないと約束させて、2人で教室へと戻り帰路へと着いた。
それから、私の周りで変な事は起こっていない。
けれど、時々耳にする。
旧校舎の第2音楽室付近の大鏡のまじないの噂。あれは正しくは魂魄返しというらしく、この地域に昔から伝わるまじないの一種なのだと言う。
古くから口伝で伝えられていたものだから、何処かで曲解されて伝承されたのでは? と、今回の事をおばあちゃんに話たところそう返された。
『もう、2度とあんな体験したくない』
そう吐き捨てる私に、おばあちゃんは笑いながらも、良く頑張ったねぇと呑気に言って頭を撫でた。
最近、風の噂で耳にした。
ずっと好きだったあの人が天へと昇ったことを。
初恋は実らないなんてよく聞くけれど、事実⋯⋯私の初恋もそうだった。
とはいえ、私の場合は伝える気がなかっただけなのだけど。それでも、実らなかった事に変わりはなかった。
他の子達は恋人同士で色々としたかったみたいだけど、私は同じ空間で彼の一喜一憂する表情を見てるだけで良かったし、たまに話せただけで充分幸せだったから⋯⋯それ以上なんて考えられなかったのだ。
今思えば、恋と言うには欲が足りず。愛と言うには拙過ぎる。どっちつかずの初恋だったのだと思う。
そんな私も、もう大人になって忙しなく働く年齢になった。色んな事を経験して、社会に揉まれて大変な思いをしつつもお一人様を謳歌していた⋯⋯そんな時に、昔馴染みから彼の訃報を知らされる。
そうして1つ思い出したことがあったから、訃報を聞いた日の週末に実家へと帰った。
両親は驚いていたけど、私は曖昧に返してさっさと自室へと向かいクローゼットの奥にしまったクッキー缶を取り出し開ける。
そこに詰まっていたのはたくさんの手紙。私は伝える気がなかったけど、それでも募る思いを吐き出す場所が欲しくて⋯⋯何年も彼宛に書き連ねた手紙だった。
懐かしくも少し恥ずかしい気持ちになりながらも、一つ一つ開封して読み返していく。
それは酷く拙い文章で書かれた恋文(ラブレター)だったけど、それを読み返す度にあの日々が昨日のことの様に鮮明に思い出せた。
読み返す度にどうにもむず痒い感覚はあるけれど、本当に好きだったんだと今も思える内容だった。だからこそ、彼の訃報を聞いて⋯⋯これを供養してやろうと思ったのだ。
もう決して届かない手紙。でも、あの時の私の気持ちがたくさん詰まった大切なモノだから―――このタイミングで私の気持ちごと全部燃やそうと決意する。
本当は会えなくなった今でも忘れられなくて、でももう叶わないってわかってたから、何度もこの気持ちを捨てようと思ってた。それでも出来なくて、違う人を好きになろうとしても彼を思い出して比べてしまう。
今までお一人様だったのも、初恋を拗らせていたから。
あの日もし気持ちを伝えていたら全部変わったのかなって何度も思って、その度に手紙を書いていた。
その日々を終わらせるために実家から離れて、仕事に没頭し考えないように日々忙しなく過ごしていたのに―――いつまでも彼は私の中から消えてくれなくて⋯⋯そんな矢先に聞いた訃報だったから、これを気に全てを燃やそうとここまで来たのだ。
季節は秋。食べ物が美味しい季節であり、それを口実にするためにしっかりとさつまいもと⋯⋯ついでにマシュマロも買って偽装は完璧。
私は早速、両親に焼き芋作りたいって口実で庭を借り、缶の中の手紙と⋯⋯昨日新たに書き綴った彼への最後の手紙を持って、庭先に落ちた枯れ葉と枝で火を起こし、少しずつ手紙を燃やしていった。
アルミホイルに包んださつまいもを中に入れコロコロ転がしながら、合間に手紙を焚べつつ逝去した彼への祈りを捧げる。
手紙を全て焚き火に入れ終わったら、今度はマシュマロを串に刺し、焼いて食べながら焼き芋が出来上がるのを待つ。
ゆらゆらと炎と共に、少しの灰が舞う。天へと昇るようにひらひらと。
もう死んでしまったから、きっとこの手紙が彼に届いても時効だろうと―――そんな事を思いながらその炎を見つめていた。
そうして全てが灰になった頃に焼き上がった焼き芋を両親と分けながら食べる。
そのまま燻り続ける初恋ごと飲み込んで、全てなかった事に出来る事を祈りながら⋯⋯その日は実家に泊まって、昔を懐かしく思いながら眠った。
次の日には両親にお礼を言って帰ったのだが、その翌週。
今度は両親から呼ばれて実家に帰る羽目になる。
家に着くと知らない夫婦がリビングに居て、私は会釈するとお母さんの隣に座った。
端的に言うと⋯⋯この夫婦は彼の両親であり、遺品を整理していたら出てきた物を渡しに来たのだという。
正直、そこまで仲が良かった訳では無いので、私宛の物がある事に驚きを隠せない。それでも、せっかくなので受け取るとそれは少し色褪せた手紙だった。
気になった私は許可を得て、その場で手紙を読み進めていく。
読んでいく中で、段々と堪えられなくなって⋯⋯それでも涙で手紙を濡らさないように、注意しながら最後まで読んだ。
それは十数年越しの恋文(ラブレター)。
上手く喋れなくて、今まであまり話せなかった事への後悔と、私のどんな所が好きだとか。あの日私と2人で作業出来て嬉しかったとか⋯⋯そういう事がたくさん書かれた手紙だった。
2人して同じ様な後悔をしていたみたいで、泣きながら笑ってしまう。
せっかく先週燃やしたのに、結局違う形で帰ってきた私の初恋は―――ともすれば、私が死ぬまで終わらないらしい。
いや、もしかしたら⋯⋯死んでから、はじまる初恋なのかもしれない。なんて馬鹿な事を思うくらいには、衝撃的な出来事だった。
気持ちを捨てたくて燃やした手紙の行方は、きっと彼の腕の中。
彼が出したくても出せなかったその手紙が、あの手紙への返事なのだと勝手に思いながら―――私は今日も、あの日の初恋に振り回されながら生きていくのだった。
暖かな陽だまりの中で、揺蕩う意識と戦いながら何とか重い瞼を開けると―――そこには綺麗な花畑が広がっていた。
あまりの出来事に少しの間呆然としていたが、とりあえず周囲を見回し状況を確認する。
今私が居るのは大きな桜の木の下で、近くにはテーブルと椅子が備えてあった。
ここは一体どこだろう?
昨日はちゃんとベッドで寝た筈なのに⋯⋯と、混乱する頭で必死に考えていた時だった。
『こんにちは、お客人。本日はどの様なご要件でこちらに?』
突然横から声を掛けられて振り向くと、そこには白いワンピースに藍色のボレロを着た女性が、私に目線を合わせるようにしゃがみ込んでいた。
私は藁にも縋る思いで彼女に現状を説明するとその人は私の手を取り、近くにあった椅子までエスコートし、そこに座るように促す。大人しく指示に従い座ると、彼女はこう言った。
『お客人の状況は理解しました。ですが、ここは迷い込める場所ではありませんので、何かご縁があったのでしょう。
1つ、お客人の話をお聞かせ下さいませんか?』
テーブルに置いてあるティーポットから紅茶をカップに注ぎ、彼女は更に続ける。
『紅茶でも飲みながら、此処に来る前のあなたに何があったのか、お聞かせ願えますか?』
差し出されたカップを受け取り、いただきますと一言断ってから一口飲むと⋯⋯少しだけ落ち着いてきて、最近あった嫌な出来事を彼女に話していく。
私はずっと物語を書いていて、頭の中で閃いた設定や人物を動かして、それを形にするのが大好きだった。それがきっかけでしがない小説家として、生計をたてていた事。
それからずっとあたためていた物語を数年前に書き始めて、ようやく2週間前に書き終わり親友に感想を聞きたくて読んでもらったら、その親友が私の作品を盗作して発表⋯⋯挙げ句、今まで私が発表した作品は全て自身の作品の盗作物だと吹聴された事。
そこから一気に私の生活が変わってしまい、自宅は特定され実家や本名までバラされて誹謗中傷の嵐。家に引きこもっていても色んな所からなじられて、精神は摩耗してしまい⋯⋯全部忘れたくて薬を大量に服用して眠ったらここにいた事を伝える。
『成る程、事情は分かりました。あなたがここに来た理由も察しがつきましたので、早速取り掛かりましょう』
そう言うと彼女は指を鳴らし、それに応えるように彼女の背後から執事と思しき初老の男性が出てきて、こちらにお辞儀をする。
『じいや、彼女を例の場所へ。このリストの通りにお出ししてね。それではお客人。また後ほど会いましょう』
いつの間にか持っていた紙をその人に渡すと、彼女は席を立ち綺麗なカーテシーをしてからその場を離れた。
『それでは、お客様。我々も移動しましょう。どうぞ、こちらへ』
恭しく手を差し出され、私は反射的にその手を取り立ち上がる。そして彼の先導のもと、綺麗に整えられた花園の中を歩いていく。少しすると、美味しそうな果物が沢山実っている場所にたどり着いた。
その中を彼と一緒に歩いていく。その途中で彼は幾つかの果物やナッツを摘み、いつの間にか持っていた大きなバスケットの中に入れていく。
そうして辿り着いたのは一際大きなリンゴの木。
その下にあるテーブルまで案内されると、また椅子に座るように促される。私が大人しく座るのを見届けた彼は、バスケットから1つずつ取り出し、皮を剥いたり割ったりしながら可食部位をテーブルに備えられていたお皿に盛り付けていく。
そしてそのお皿とカトラリーを私に差し出す。
『どうぞ、お食べください。
こちらから、ピスタチオ、バナナ、プラサン、ホームラン、温室蜜柑、アムスメロン、タカミメロン、ビリンビン、ペカンナッツ、カロブになります。
今のあなたに必要なモノを取り揃えておりますので、お皿の上のモノは完食してください』
結局、今に至ってもここに来た理由は分からずじまいだったけど、ここまで来たらどうにでもなれと出されたモノを食べてみた。
しかし、そのナッツとフルーツはどれも驚くほどに美味しくて、各々の甘みだったり酸味、ナッツ独特の風味が際立っている。なんと表現したら的確なのか⋯⋯食レポに慣れていない私では表現しきれないのが、悲しいけどとにかく凄く美味しくて、いつの間にか完食していた。
そうして一息付いていると、別行動していた彼女が綺麗な花束を持ってやってきて、それを私に差し出した。
それを少し戸惑いながら受け取ると、彼女はふわりと綺麗に笑い話し出す。
『この花束もあなたに必要なモノです。
こちらから、青の薔薇、アルストロメリア、ストック、ストレリチア、ムスカリです。
さぁ、そろそろお目覚めの時間ですので、出口までご案内いたします。
その傍らで、この庭園についてお話しましょう』
彼女の差し出した手を取り、エスコートされるままに歩いていく。
その道中で聞かされたのは不思議で何とも綺麗な庭園の話。私の魂が清らかなのかは別としても、ここ最近では一番心が落ち着けた一時だった。
『私の心の種がどんなものなのかは分からないけど⋯⋯ここにある植物達が、誰かの心の形だと言うのなら、私の心も誰かの役に立てたら良いなって思います。それから、一時の安らぎをありがとう』
そうして辿り着いた花のアーチの前で私は彼女の手を離し、2人に今の気持ちを伝えて頭を下げた。
『えぇ、きっと。あなたの心の種が咲き誇る頃に、それを必要とする人が現れます。
その方も同じ様に、あなたに感謝されると思いますよ。ここに来る方々は皆そういう方々なのです』
彼女は少し驚いた顔をしていたけど、ふわりと微笑みそう言ってくれる。
私は軽く会釈をすると花のアーチを潜り、その先にある荘厳な門に手を添えて押し開けると、門の外へと歩を進めた。
◇ ◇ ◇
目覚めるとそこは見知らぬ天井。白を基調とした部屋で目覚めた私は、沢山の管を通されていて上手く身動きが取れなかった。
どうしたものかと考えていたら、看護師さんに気付かれて医師を呼ばれ⋯⋯幾つか質問された後に、ここに運ばれた経緯を説明される。
結論から言うと、私は服毒自殺を図ろうとしていた。市販薬で薬物反応を狙った為、かなり危険な状態だったらしい。
後少し、お母さんの訪問が遅かったら死んでいたと言われた。
それから薬が抜けるまで入院させられて、帰りたくもない家に帰ることになったが、病院から出たら私を取り巻く世界が一変していた。
あれだけ私を罵倒していた人達が手のひらを返しているのだ。酷いことも沢山言われたし、勝手に個人情報も流され私は自殺まで追い込まれたのだ。
しかしあの元親友の証言が嘘だと、別の友人達が私が眠っている間に戦ってくれていたらしい。
私の家族とタッグを組み、更には私の担当さんも実は水面下で動いていた為、途中で結託して彼女の嘘を暴いて私の無実を証明していたのだと。
それから紆余曲折はあったけど、私は今も大好きな小説を書いている。私を信じてくれた家族に友人達、そして担当さんに支えられながら、今もしぶとく生きていた。
あの時死ななくて良かったと、心の底から思っていて毎日皆には感謝する日々である。
そして―――私の部屋にはあの夢でもらった花達が飾られている。
起きた時に胸に抱えていた花束は、何ヶ月も経った今でも⋯⋯その美しさを損なわず枯れる気配すらない。
だからこそ彼女達は―――きっと何処かで私を見守っていてくれてるんだろうなって、思いながら私は今日も精一杯生きていく。
酷い寒さで目を覚ました。
大凡(おおよそ)私の住んでいる地域ではあり得ないほどの⋯⋯文字通り凍える寒さで目覚め、そして部屋の異変に驚愕する。
天井や壁には霜の様なモノが降りていて、家具は霜なのか凍っているのか分からない程薄っすらと氷に覆われていた。
とりあえず私はダメ元で暖房をつけようとしたが、やはり付かず⋯⋯ともすれば寒さを凌ぐ為にタンスかクローゼットを開けて厚着するしかない。
私は霜焼けしないように今まで掛けていた毛布を使ってタンスを開けようと試みるも、完全に凍っていて開かなかった。ハンマーか何かで氷を砕ければ開けられるかもしれないけど、家にあったか思い出せない。
次はクローゼットに挑戦する。とりあえず少し叩いてから取手を毛布越しに掴み、心持ち強めに引っ張ってみた。取っ手は見事に壊れたけど、何とか開けることが出来て私はその中から着れそうな服で、なるべく暖かいモノを選び重ね着する。
何とか暖を取れたので今度は部屋から出ようと扉を少し叩いて氷にひびを入れてから、ノブを回して体当りしつつ扉を開けた。
結果クローゼットの時よりも酷い壊れ方したけど仕方がない。そのまま両親の寝室に向かい、同じ方法で扉を開けて中に入るも⋯⋯2人は安らかな顔で眠ったまま氷漬けになっており、手遅れであるとすぐに分かった。
それから玄関のドアを開けようと頑張ったけど、ここはびくともせず開けることは出来なかった。とはいえ窓を割って外に出るわけにもいかず、私は途方に暮れることとなる。しかし、そんな非常時の中でも、身体は素直なもので―――お腹が空いたと腹を鳴らした。
私はキッチンへと向かうと食べられそうなモノを探し、何とか凍っていないモノを見つけて食べ、ついでにかなり冷たいが飲み物も確保して部屋へと戻る。
昨日まで普通に生活していた筈なのに、なぜこんな事になってしまったのか。
確かに幸せな時間が長く続けば良いなと思った事はあるけど、こういう意味じゃない。そもそも人が死ぬような永久凍土なんて誰が好き好んで望むというのか。
一応食べ物と飲み物を摂取してから色々と考えてみたが、私のような小娘如きでこの事象がなんなのかなんて分かるはずもなく⋯⋯結局、やることもないので寝ることにした。
何もかもが氷漬けにされた世界で、何故か生き残ってしまった私に出来ることなんてこれ以上何も無いから―――明日は目覚めない様にと祈りつつ、少し凍り始めているベッドに毛布を敷いて包まり眠る。
そうして次の朝が来ないようにと、切に願いながら⋯⋯私は酷い寒さの中で意識を手放した。