最初はその美しさに魅入られた。
満点の星々は宇宙からの光だと教わり、その光景に夢中になる。
それから科学でも解明できない未知の領域―――その探求に興味を持ち、憧れを抱いた。
そして今、僕は――――――憧れ続けた宇宙に居る。
僕の乗っている宇宙船アセビは有人宇宙探査船として作られた最新モデルの船で、超長距離探査を目的に作られた人類科学の結晶と言える代物だ。
航行中に接近するスペースデブリ等は自動照準で打ち砕けるし、見つけた新しい惑星が僕が降り立つのに適した場所かも自動で分析してくれる。
というのも、最新のAI技術を駆使して作られた人工知能クレマチスを搭載していて、僕の旅をサポートしてくれているからだ。
この子はかなり優秀で人とのコミュニケーションも円滑に行え、更には感情表現まで出来てしまう。
時々、AIである事を忘れてしまうくらい人間性のある子だった。
そんな僕の宇宙旅は波乱万丈・奇妙奇天烈なもので、移動中はクレマチスが相手してくれたり、スペースデブリに衝突しそうになったりで結構忙しい。
新しく見つけた惑星も摩訶不思議なものばかりで、母星では空にあたる場所に海が広がっている“海の星”や、植物なのに鉱石の花や果実を実らせる“鉱石の星”
それから、雲の様な姿で大空を舞い泳ぐ大きなクジラのいる“雲クジラの星”など、枚挙に暇がないくらい⋯⋯たくさんの惑星を見つけている。
その惑星から採取できるサンプルを船内に持ち帰り、クレマチスに分析してもらって、燃料や食料に出来そうなものは培養機に入れて保存。あとは母星に通信と共にサンプル達の分析結果と、その惑星の写真を培養データと共に送っている。
それが今後の母星の発展にきっと役に立つだろうと信じて。
宇宙を旅してもう20年。どのくらいの距離を航行したのか、数えなくなって久しい。
僕の家族や友人達は今も母星で元気にやっているのだろうか?
夢を叶えるために全てを捨てて、旅に出てしまった事を今も怒っているだろうか?
それでも⋯⋯僕はきっと、この旅をやめられないのだろうと思う。
目に映る全てが新鮮で美しく。
新しい生命の発見は、たくさんの学びを与えてくれる。宇宙は果てしなく、まだまだ終わりの見えない旅ではあるが⋯⋯僕は今日も元気に、クレマチスと共にたくさんの貴重な経験を積み重ねていく。
遥か遠くの母星に残した、大切なあなた達に⋯⋯果たしてこのメールを読んで貰えるかは分からないけれど、それでも僕は今も元気にやっていますと伝えたくて打っています。
たくさん反対されて、両親にも泣かれた。でも、僕は今のこの生活に満足しています。
ただ1つ心残りがあるとすれば、あなた達を置いて⋯⋯ちゃんと互いに理解し合えずに旅立つ事になってしまった事だけです。
どうか健やかに、穏やかに幸せな人生を送ってください。
それではまた。
このメールがあなた達に届くよう⋯⋯祈って。
そのメールが届いたのは突然だった。
喧嘩別れしてそれきりだった最愛の息子からはじめて届いた⋯⋯60年ぶりのメール。
そのメールには息子が元気に楽しく過ごしている事が伺えて、私はあの時のように泣いてしまった。
夫と共に悪戦苦闘しながらも返信を打ち、あの子に届くようにとメールを送信する。
『きっと次のあの子からのメールは読めませんね』
そう言った私に夫は少し寂しそうに笑って頷いた。
遠く⋯⋯遠く⋯⋯遥かな宇宙に、夢を追って旅立った息子が―――どうかその人生の終わりまで幸せでありますようにと、2人で夜空を眺めながら祈った。
夕焼けがとても綺麗な日だった。焼けるようなオレンジが地上の全てに色をつけて、美しくも⋯⋯どこか物悲しい気持ちになっていたのを覚えている。
その日は放課後になっても教室に残って、何をするでもなく景色を眺めていた。何故か帰る気になれなくて、でもやることも無いから、何をするでもなく窓辺に佇んで外を眺め続ける。
校庭から聞こえる運動部の声、車の通る音。吹奏楽部の練習音をBGMに、下校していく生徒達をただ眺めていた。
いつまでそうしていたのか分からないくらい、飽きもせずに眺めていたのだろう⋯⋯空が青からオレンジに染まっていく頃だろうか。
その光景を眺めている中で、何とも言えない変な不安感と焦燥感が胸を満たし⋯⋯あぁ、これで最後なのだと―――何故かそう、確信にも似た何かが頭に過った時だった。
大きな音を立てて扉が開けられ、見慣れた顔の生徒が入ってくると、自席に置いていた鞄を持ち上げ、こちらに歩み寄ってくる。
『まだ残っていたの? そろそろ下校時刻になるよ。ほら、一緒に帰ろう』
そう言って笑いながら手を差し伸べてきたのは友人の●☆■で、私はその手をとるとようやく帰路についた。
オレンジが街を染め上げて⋯⋯私たち二人も染めて―――でも少しずつ奥の方から藍色が空を侵食していくのが見える。
それを眺めながら彼女と手を繋いで歩く。
『ねぇ、由香。放課後の教室で、こんな時間まで何してたの?』
部活入ってなかったよね? と●☆■はそう聞いてきた。
『なんか今日は家に帰りたくない気分だったから、そのまま教室に居ただけ』
『へぇ、珍しいね。そういう事ξπμλγβψないのに。なら、私の∝∈∅∏? 今日は¶√¤℃‰いないから@#$%しようよ!』
繋いだ手を楽しげに揺らしながら、●☆■は言う。けれどその顔も、言葉にも変なノイズがはしっていてちゃんと認識できなかった。それどころか、不意に景色にもザザっとノイズのようなモノがはしり、一瞬ではあったが―――酷く不気味な景色が映る始末。
私が返事をしなかった事を不審に思ったのか、●☆■は私の顔を覗き込み、どう@∅の? 大¶∏ιπ?って心配してきたが、どうにも私の五感はおかしくなってしまったらしい。
覗き込んできた彼女の顔は、ギョロリとしていて、少し眼球が眼窩から飛び出しており、強膜は赤黒く角膜も青緑色に発光していた。それにさっきまでちゃんと人の手をしていた彼女のそれは、鋭利な爪を持ったザラザラとした鱗を纏ったモノになっている。
『∏¶℃¤¤λγ‰ι? κμ%$#¤¤γ√-! ξκー●:ψλ$$#@π!?』
彼女の発する不気味なノイズと、周りから聞こえてくる不協和音。一瞬しか見えなかった不気味な景色が、いよいよ“世界(げんじつ)”を塗り替えてしまう。
元来なら発狂してもおかしくない現状だが、何故か私は酷く落ち着いている。
そして、あぁ⋯⋯またかと。そう思って妙に納得してしまった。
ノイズしか発しなくなった、化け物の友人。
赤黒く厚い雲で覆われた空に、大凡この星に住んでいる生物の体の一部で構成された建造物に、人体の一部を生やした草花や木々。
街から流れてくる全ての音は酷く歪んでいて、不快感と恐怖心を煽ってくる。
早く、早く“ナオさなきゃ”イケナイ。
そうして私は鞄に忍ばせていた変形鎌で―――その化け物の首を落とした。
歪な街を駆け回り、歪になった全てを切り裂き⋯⋯建物も、鎌から変形させたハンマーで全部叩き崩して、植物も切って潰して、全部、ぜんぶ、ゼンブ!
そうして歪んだ瓦礫と残骸の中で、私はまた作っていく。
この“街(せかい)”がイビツじゃなくなるまで、元のセカイに戻るまで。
私の、私のために用意された理想の箱庭に出来るまで。
誰も知らない秘密の箱庭の中―――永遠に死なず老いもしない身体をひきずり、この歪な転生を続けていくのだろう。
それは有り触れた日常の一コマになるはずだった。
先生の声と黒板に文字を書く音。質問するクラスメイトに紙をめくる音に、校庭で体育をしているのだろう。駆け回る音に混じって大きな声が聞こえてくる。
そんな有り触れた日常を送っていた筈なのに、次の瞬間⋯⋯目の前のクラスメイトが結晶化していった。
それに気付いた子が叫び、先生が何とかしようとその子に触れたがどうにもならずに⋯⋯先生ごとその子は結晶になってしまう。
教室内は一瞬でパニックになり、更にはその子だけではなく他の子も何人か結晶化し始め、助けを求めている。
そんな中で1人静かに席に座り、何かを書き綴っている人がいた。
その人は私の友人の彼氏で、付き合うことになった時に紹介されたから良く覚えている。
彼も左頬が結晶化しており、恐らくそう時間を置かずに―――
最初に結晶になった人の様になるのだろう。
『ごめんね、佐久間さん。これを千紗に渡してくれないかな』
彼は徐ろに立ち上がるとノートを破り、私の元へ来てそう言った。
『わかった。必ず渡すよ。だから、誰もいない場所でなんて、考えないでね。あなたが何処にいるか分からなくなったら、きっと千紗は悲しむと思うから』
ノートの切れ端を受け取りながら、私は彼にそう頼んだ。彼は頷くとまた自席に戻り、直ぐに訪れるであろう最期を待っていた。
そしてガチガチと歪な音を立てながら結晶化する。
紫のとても澄んだ色の結晶で、それはまるでアメジストのようだった。
その他にも結晶化した人達は、様々な色をしていて何も知らなかったら大きな宝石だと思ってしまうくらいに、それと酷似している。
彼が結晶化して少ししてから千紗が教室に来た。
私は事情を説明して彼から渡された手紙を渡す。
千紗はそれを読みながら泣いていた。でも、私はなんて声をかければ良いのか分からなくて、ただ黙って彼女の背を擦るしかなかった。
全てを読み終えた彼女は私が止める間もなく⋯⋯危険も顧みずに、泣きながら彼だった結晶に抱きつく。
その刹那―――結晶は美しい光を発して彼女を包み込み、やがて収束すると彼女の腕の中には澄んだ紫色の結晶で作られた弓が現れた。
更に困惑する生徒達を余所に、ある考えが浮かんだ私は最初に結晶になった人に両手で触れてみる。すると、千紗の時と同じ事が起こり触れた手には薙刀と一振りの日本刀がそれぞれ握られていた。
これは何かあるかも知れないと考え始めた時に、何処かから―――でもかなり近くで獣の様な人の叫び声が聞こえ、何かが破壊されるような音と大きな地震の様な揺れが私達を襲う。
揺れがおさまるまで何とか机の下に隠れ、折を見て先程の叫び声の聞こえた方を窓から確認すると⋯⋯体育館のあった場所に形容し難い化け物が、よだれを垂らしながら校庭にいた生徒数名を捕食している。
想像以上の光景に耳を劈くような叫び声を上げ、我先にと逃げ出そうとする人達が廊下へと駆けていく。
そんな中でも数人は教室に残って、その光景に怯え震えていた。厳密には、恐怖から動けなかったのだろう。
私はその人達を一瞥すると自身の手に握られた武器を見遣り、恐怖でへたり込んでしまった千紗を見る。
叫ぶのを我慢するように両手で口を覆い短い呼吸を繰り返していた。その膝の上にはあの弓がある。
私は覚悟を決めると、千紗に歩み寄りこう言った。
『千紗、一番辛い時にこんな事頼むのは忍びないんだけど⋯⋯その弓を貸して欲しいの。
この状況で活路を見出すには、それしか方法がない。お願い、貸してくれる?』
恐怖に怯えた千紗の目が私を捉える。必死に声を出そうとするが、上手く出せないらしく⋯⋯でも小さく頷いてくれた。
私はありがとうとお礼を言ってから薙刀を千紗の側に置き、刀はスカートのベルトで固定し胸当てはないから、着ていたシャツと体育着を破いて簡易の晒しを作りノートを胸に当て晒しで固定する。
急造ではあるが無いよりマシだと言い聞かせ、千紗に借りたその弓を持って窓際に立つ。
瞳を閉じて呼吸を整える。ゆっくりしている時間はない。今、この時もたくさんの人が“ヤツ”らに捕食されているのだ。
だから、凰君。千紗を守るためにも君の力を貸して欲しい。
そう心の中で彼に語りかけると、私は静かに瞳を開き獲物を見据える。
千代姉から教わった通りに構えて弦を張っていく。ゆっくりと、しかし確実に。目標(まと)から目を逸らさず―――その眉間に鋭く刺さる矢をイメージする。
ふっと、力が抜けた瞬間。張り詰めた弦が放たれ、何も番えていなかったはずの弓から真っすぐと細いモノが飛んでいき―――次の瞬間には断末魔を上げて化け物の1体が地に倒れる。
それを見届ける間もなく私は次を構えてもう一度放つ。また断末魔を上げ、化け物はひっくり返るように倒れた。
けれども、何処から湧いてくるのか⋯⋯最初は1体だけだったのに、周りにはどんどん化け物達が現れて来る。
これでは埒が明かない。ここから狙えない場所から来られたら全滅もあり得る。そう考えた私は、急いで職員室に向かい屋上の鍵を取ると一気に駆け上がった。
屋上に着くと私は急いで塔屋に上がり、また呼吸を整えてから構える。やはりと言うべきか⋯⋯四方八方に化け物どもは陣取っていた。いったいどこから出てきて、何匹いるのかも分からない敵を前に―――私はただ、ひたすらに弓を射る。
何度射っても、後から後から現れて終わりが見えなかった。
それでも⋯⋯指から血が出ても腕が疲労で棒のようでも、この体が動く限りは射続けようと⋯⋯化け物たちに食い下がる。
そうしてどのくらいの化け物たちを倒した頃だろうか。
晴れ渡っていた空は夕暮れを経て夜の帳をおろし始めていた。
少し乱れた呼吸で塔屋から校舎周辺を見ると、たくさんの死体の山と血溜まりが広がっている。大きな獣達は見る影もなく、周辺は束の間の静寂に包まれていた。
私はやっと終わったと安堵すると、その場にへたり込む。もう一射も撃てない程に、腕も手も疲労と怪我で辛かった。
それでも、私は最後の力を振り絞ってスカートの裾を切り裂き、切れた指に巻きつける。
きっとこれが最後じゃない。生き残るためには、まだあの獣達としのぎを削り合わなければならないだろう。
その前に出来る限りの手当てをしなければ。
私は疲れた体に喝を入れると急いで保健室まで行き、救急セットと包帯と毛布を1枚拝借して一度教室まで戻った。
残っていた生徒たちは、教室の隅に身を寄せ合って恐怖と戦っていたらしい。私は事情を簡潔に伝えると、千紗にこのまま弓を借りていいか伺い、許可が出たので自身の鞄を持ってまた屋上に向かう。
その際に千紗も荷物を持って一緒に来てくれ、また塔屋の上に上がり、いつ来るか分からない化け物たちを警戒しつつ―――2人で見張りを交代しながら夜を明かした。
夜が更けていく中、動き回る化け物はいたけど、昼間よりもその数は少なかった。それでも、その図体のでかさと奴らの進路にある家を一撃で瓦礫にする程のパワーは驚異的で、近づかれたらひとたまりもないだろう。
最後の一匹を射殺して一息つく。最初に見張りをしてくれた千紗はすやすやと安らかな寝息をたてている。
私は千紗の頭を軽く撫でると、少しずつ白んできた空を見上げてようやく訪れた安息に身を委ねた。
そうして静かな夜明けは過ぎ去り―――鉄の匂いと不快な咆哮が響き渡る朝がやってくるのだった。
後悔は先に立たずという言葉があるが、私の人生を例えるならば⋯⋯きっとその言葉が一番似合うのだろう。
最初の後悔は初恋の時、親友に相談していたけれど⋯⋯私が二の足を踏んでいる間に、親友に好きな人を取られた。
後から謝られ、それでも親友だよねと聞かれたが、私にはそれを受け入れるだけの器はなかった。
2回目の後悔は大学生の頃、彼氏に浮気されてとりあえず冷静に話を聞いた。
その時に、そういう態度が気に食わないと言われたが、私としても浮気する様な男と関係を続けるなんて嫌だったからそのまま別れた。
最後の後悔は今この時。
終末間際に思い出される後悔の数々。
大小様々な後悔が、もうすぐ終わりを迎える時に押し寄せる。
そうしてたらればを思い、今までの私の人生って何だったんだろうって思ったら泣けてきた。
もしも、あの日親友を心から祝えたら今この瞬間、私は1人ではなかった?
或いは、あの時彼の浮気を半狂乱になりながら罵って縋っていれば、幸せな家庭を築けていたのだろうか?
実家の家族ともあまり仲良く無いし、友人と呼べる人もいない。一人寂しく後悔しながら、終末を迎えずに済む方法があったのだろうかと⋯⋯終末を宣告された時から考えていた。
でも結局、過去なんて変えられるはずもなく。私は今も1人のまま。いっそこのまま地獄に落ちて、幸せとは無縁の牢獄に囚われた方のが幸せなのかもしれない―――なんて、出来もしないことを思ったりもした。
馬鹿みたいな大きな独り言。こんなものを残されて、奇跡的に生き残って見てしまった人は不幸だろうなと、そう思いつつも⋯⋯今の私の気持ちを綴らずにはいられなかった。
それは終末への恐怖もあるけど、本当はあの日の大きな後悔を誰かに知って欲しかったんだと思う。そして出来ることなら、これを読む人は親友だった彼女か元彼に読んで欲しいなんて思ってる。
あの日あの時。本当は祝福したかった。でも、2人の事が大好きだったから裏切られたと感じてしまった。それが、その感情が嫌で、自分がとても惨めで醜い事を知り、自分自身に失望してしまったんだ。
彼の時も本当はたくさん言いたいことあったけど、無駄だと思って全部飲み込んで別れた。
もしもあの時、私がちゃんと自分の事を話していたら何か変わってたのかな?
今となっては答えなんて分からないけど⋯⋯それでももし、今の私の気持ちがあの人達に届くのなら―――どうかこの終末の中で、何の未練も不安もなく。心穏やかに、沢山の幸せに包まれて眠れますように。
その人が自身の最後に選んだのは高台にあるベンチの傍らで、懸命に手放さないようにと握り締めていたであろうその遺書は、息絶えた時に力が抜けたのか⋯⋯握る力が緩くなっていて、取り出すのは簡単だった。
ぐしゃぐしゃの遺書には所々濡れた跡があり、泣きながら書いていた事が伺えた。
彼女の惨状は今までで一番酷く、多分一瞬では死ねなかったのでは無いかと思う程、裂けて飛んできたであろう大きな木の破片が、彼女を地面に縫い止める様な形で貫いている。
彼女はここで何を観ようとしたのだろうか?
最後の瞬間に訪れたいと思う程に、ここは彼女にとって大切な場所だと言うことだけは理解できたけど⋯⋯昼の景色は瓦礫の森が広がり、所々に原型を留めた建物があるのを確認できる程度。
あとは、いつ見てもムカつく程に晴れ渡ってる青空が広がっているくらいだ。
『夜まで待ったらわかるかな?』
そう誰に言うでもなく呟くと、その辺の残骸を撤去して野宿の準備を始める。
なんとか準備を終えた頃には夕暮れ時になっていて、その時にもう一度街を見たら⋯⋯何とも物悲しく―――けれども綺麗に染まるオレンジの街並みが見えた。
それを暗くなるまで堪能し、夜になると空には綺麗に輝く月と満天の星空が広がっている。
誰もいない。人工の光もない。何よりもここは高台だから、いつもよりも星々が近く感じられた。
そして理解するのは、終わりの時にこの場所を選んだ理由。
だからこそ、最後の瞬間(とき)まで答えを探していた彼女に、私の出した答えを一方的に聞かせてやるのだ!
『ねぇ、貴女。きっと腹を割って話せたなら、分かり合えたと思うよ。元彼は別れて正解だと思うから、後悔する必要ないと思うけど⋯⋯でも、親友とはきっと分かり会えたんじゃないかな?
もしも、死後の世界があるのなら、そこで再会して話せると良いね。
貴女のおかげで綺麗な景色が見られたよ。
ありがとう、おやすみなさい』
そう言い終わると寝袋に入り夢の中へ。
その日見た夢は彼女と、見知らぬ女性が互いに笑い合いながら何処かへと歩いていくモノだった。
『よかった、もう1人じゃなくなったんだね』
きっと聞こえないと思って呟いた言葉に、二人はこちらを振り返り―――とても綺麗な笑顔で手を振ると光の中へと消えてしまった。
そうして朝をむかえてその場を後にする。
次はどんな出会いと景色が待っているのかと、胸を躍らせながら私は高台を降りていくのだった。
はじめに感じたのは優しい花の香り。次に感じたのは両手に触れる土の感触。
その違和感に瞳を開け、起き上がると―――美しく咲き誇る花々が、視界いっぱいに広がっていた。
美しい花々と奥の方にある立派な木々。花々と果物とでエリアが分けられているのか、それぞれ一纏めにされており、舗装された道を挟むように、或いは人が通れるように植えられていた。
一体ここは何処なのだろうか?
私はこんな所に来た覚えがなく、困惑していた。
『こんにちは、お客人。本日はどの様なご要件でこちらに?』
突然後ろから声を掛けられて振り返ると、そこには白いワンピースに藍色のボレロを着た女性が立っている。
私はその人に今の状況を説明すると、一度驚いた表情をしてから彼女は笑う。
『成る程、お客人の状況は理解しました。ですが、ここは迷い込める場所ではありませんので、何かご縁があったのでしょう。1つお客人の話をお聞かせ下さいませんか?』
そう言うと、こちらへどうぞと私を案内する彼女に、とりあえずついて行く事にした。
数多の花々が咲く中を歩いていくと、満開の大きな桜の木の下におしゃれなテーブルと2脚の椅子が置かれており、そのテーブルの上にはティーセットが並べられている。
『さぁ、どうぞお座り下さいお客人。ここに来る前のあなたに何があったのか、お聞かせ願えますか?』
彼女は私が座るのを確認してから紅茶を出して、私が話し始めるのを静かに待っていた。
少し呼吸を整えて―――ここで目覚めるまでの事を思い出そうと記憶を辿る。
そうして昨日の記憶から彼女に話していった。
昨日は大切な結婚式だった事。でも、その日彼と親友に裏切られて式はめちゃくちゃになった事。2人に嘲笑われて侮辱されて酷く惨めに感じて、ドレスを着たまま会場を出て当てもなく走っていた所で記憶が途切れている事を伝えた。
『成る程、事情は分かりました。お客人がここに招かれた理由も察しがつきましたので、早速取りかかりましょう。』
そう言うと彼女は指を鳴らした。すると彼女の背後から執事と思しき初老の男性が出てきて、こちらにお辞儀をする。
『じいや、先程の話は聞いたわね? 私は彼女を例の場所に連れて行かなければならないの。だから今回はあなたが特別なものを見繕って頂戴』
そう指示するとじいやさんは、畏まりましたと言い、何処から取り出したのか分からなかったが⋯⋯彼女にバスケットを渡すとまたお辞儀をして一瞬で消えてしまった。
私が驚いているのも気にせず、彼女は席を立つと私について来るように言い、歩き始める。私も席を立ち彼女に続く。
先程歩いていた花々の道ではなく、果実畑の方面へ向かっているようで、少しずつ美味しそうな果物がなるエリアに近づいていく。
そしてある果物の前で1つもぎ取り、また歩いては1つもぎ取るというのを何度か繰り返した辺りで、一際大きいリンゴの木が見えてくる。
その下にあるテーブルまで案内されると、また座るように促された。
そして籠の中に入れられた果物を、彼女は丁寧に一口サイズに切りお皿に乗せてフォークと共に私へと差し出した。
『どうぞ、お食べください。
こちらから、パッションフルーツ、ミネオラタンジェロ、水晶文旦、グレープフルーツ、三宝柑、さがほのか、ダナー、ざぼん、さちのか、タンゴール、スターアップル、香緑、愛ベリー、晩白柚、ネーブルオレンジ、バナナハート、栃乙女、福羽いちご、麗紅、ブラックベリー、ミズレンブ、章姫、金柑、橙、女峰になります。
それから、こちらがベルガモットジャム入りパッションフラワーティーです。
今の貴方に必要なモノを取り揃えておりますので、お皿の上のモノと紅茶は完飲完食してください。』
私はまだ何も理解は出来ていなかったけど、彼女の言う通りに出された果実を食べた。
口に入れた瞬間、今まで食べていた果物は何だったのかと思ってしまう程の味だった。
食べる度に程よい酸味だったり甘みだったりを感じ、個々の果物そのモノの味がとにかく美味しくて、気付いたら無くなっていた。
合間に飲んでいたベルガモットジャム入りパッションフラワーティーも香りが良く、ほんのりと渋味を感じるもののジャムの優しい甘さで心が安らぐのを感じる。
最後に紅茶を飲み終えてゆったりとしていると、別行動していたじいやさんが花束を持って現れた。それを私に差し出すので反射的に受け取ってしまう。
『それも今の貴女に必要なものです。
見たところ⋯⋯バラのピンク、紫、青、オレンジにコチョウランの白とカスミソウ・すずらん・ライラックの紫にミモザ・ブルースター・アネモネの白とスイートピーの白、紫にスターチスの紫、白、ピンクですか。
成る程。確かに今のお客人に合う花々ですね。これなら送り出せそうです』
彼女は静かに席を立つと私に手を差し出した。その手を取るとエスコートされるまま彼女と歩いていく。
『そう言えば、ここの事を話していませんでしたね。
ここは人々の希望の花園。秘匿された永遠の庭なのです。
清らかな魂を持つ方のみが導かれる場所。お客人に必要なものを与え、代わりにあるモノを頂く決まりになっています』
そう言われて私はハッとする。あれほど美味しい果物とお茶を出されたのだから、きっと高いに違いない。でも、今の私は鞄も何も持っては居なかった。
どうしようかと思っていると彼女は不思議な事を口にする。
『ご安心下さい。金銭などは求めません。私達はお客人の持つ心の種を1つ頂きたいのです。
それは貴女の承諾さえあれば自動的にここに置いていかれますので、どうか不安に思わないで下さい』
『心の種とは、人の心の奥底に眠る希望の種。誰もが持っておりますが、どんな花を咲かせるのかは人それぞれ。枯れてしまう方々もおりますが、そういう方はここには来れません』
あまりにも不思議そうな顔をしていたのか、彼女は私が質問する前に追加で説明してくれた。
そうしてたどり着いた綺麗な花のアーチがかかった道。その奥には荘厳な門がある。
『さぁ、お客人。お帰りの時間ですよ。
貴女には貴女の帰る場所があるのです。
貴女のことを必要とする人もまた、たくさんいる事を忘れてはいけませんよ。
貴女を愛する人を愛しなさい。そして、日々感謝の気持ちを忘れずに、これからの人生を楽しんで下さい。
貴女に花々の祝福が有らんことを』
彼女は笑顔でそう言うと、私の手を離し門の方へと軽く背を押した。
私は彼女にお礼を言うと、一歩ずつ踏み締めるように門へと進み―――そして門に手を添えて押し開けると、外へと歩み出た。
目が覚めるとそこには白い天井があり、横から規則正しい機械音が聞こえてくる。
私は起き上がろうとするが、上手く動けず声すらも出ない。ただ目だけは動かせる状態に、どうしたものかと思案していたら、誰かの叫ぶ声が聞こえて⋯⋯バタバタと忙しなく動く音が聞こえてくる。
そして、次に視界に入ったのは⋯⋯泣いているお母さんだった。
あの日私が飛び出した後、走っている途中で気付かずに道路へと飛び出してしまったらしく⋯⋯轢かれて2週間程、昏睡していたそうだ。
怪我が治ってから事故を起こさせてしまった運転手さんに謝りたくて、両親に頼んで会わせてもらい謝罪をさせてもらった。
それから、1年半程経った今。私はもう一度ウェディングドレスを着ている。
あの時と同じ式場で、あの時と同じドレスを着て―――あの日幸せになるはずだった悲しい思い出を、塗り替える為にあえてそうした。
式場のスタッフさん達も優しい方ばかりで、あの時の事も事故の事も凄く心配して下さって、謝罪しに来たのにこちらが気遣われてしまった。だからこそ、憧れのこの場所でもう一度やり直したいと思えたのかもしれない。
控室で出番を待つ私の傍らには、あの日夢で貰った花束が置かれている。
目覚めた時に抱えていたらしく、それから枯れる事なくずっとその美しさを誇っている不思議な花束。
あの夢が何だったのかは未だに分からないけど、ただの夢では無いことだけは確かなのだ。
花園の主とのやりとりは今でも鮮明に覚えている。お守りとして、この花束を持ち込んだのはその為。これがあれば、彼女にも私が幸せになったことを伝えられるような気がしたから。
『あの時、背中を押してくれてありがとう』
永遠の花束にそう小さく呟くと、私は迎えに来たスタッフさんと共に控室を後にした。