バレンタインデー
先輩、今日、バレンタインデーっすね。
え?何です?その顔は。
あれスか。
義理以外もらったことのないクチですか。
寂しいッスね。でも、そういう人は珍しくないから、あまり気にしすぎないほうが良いッスよ。
え?バレンタイン神父が処刑された日?あ、そうなんすか。
聞いたことがあるような、ないような。中々博識っスね。
じゃあ、バレットをインする日?バレットって何スか?え、ピストルの弾?
うわ、下ネタ反対!
バレンタインデーはチョコメーカーの陰謀?まあ、そうかもしれませんけど。
そういう日を、ありがたがる子もいるんですから。
きっかけッスよ、きっかけ。
そこは否定しないでほしーな―。
え?そんな話ばかりするなら帰る?
まあまあ、もう少し暇つぶししましょうよ。
ほらほら、食べるものもありますし。
え?
なんすか?その顔。
ほら、バレンタインデー、嫌いじゃなくなったでしょ?
……。
先輩、やっぱり、ここまで女の子に言わせないといけないあたり、チョコもらえないのは、自然の摂理ッスね。
座って口開けてるだけでは、欲しいものは手に入らないんですよ?
さ、何か言うことがあるんじゃないんですか?
私達に残っている明日(テーマ 待ってて)
待つ人は、待ち続けてはいけない。
自分が「何時までも待てる」とは限らないから。
待たせる人は、まるで我々が永遠に生きるかのように待たせてはいけない。
我々も、待つ人も、限りある今日を生き、減っていく明日を待っているから。
*
我々はほとんどの個体が100年も生きない。
具体的には、2020年生まれの日本人の平均寿命は男性81.64歳、女性87.74歳。
日に直すと、男性29,798.6日。女性32,025.1日。
( あくまで平均のため、あてにはならないが)産まれたばかりの男の赤ん坊は、29,797.6日の明日を持つ可能性がある。
時は2065年。この子が成長して45歳になると、寿命まで36.64歳。
日に直すと13,373.6日。
残された「明日」は13,372.6日。もう半分は過ぎている。
一方で、この子の親は1990年生まれ、30歳年上の70歳だ。
1990年の日本人の平均寿命は、男性75.92歳、女性81.90歳。
残された「明日」は、父親なら334.8日、母親なら2,517.5日。
父親には、もう1年もない。
この子( と言ってももう45歳の立派なおじさんだ)が父親に「待っててね」と言っても、待てる期間はもう1年もないのだ。
まさに「明日をも知れぬ命」というやつだ。
『来年の誕生日にはあれをしてあげよう』と思うのは構わない。
しかし、そこまで待てるとは限らない。
だから、今日、今が大事なのだ。
私達は、仕事や勉強ですぐ『計画』を立てる。
それが悪いとは言わない。計画がないと物事が進まないことがたくさんあるし、大事なことだ。
しかし、計画は主に集団のためにある。
私達個人は、連続した今日を生きているから。
*
現代は、待つことばかりだ。
人を待ち、信号を待ち、踏切を待ち、電車を待ち、料理が来るのを待ち、席が空くのを待ち、商品が来るのを待ち、約束が果たされるのを待つ。
そして、同時に人を待たせている。
少しでも早く、「待たせてごめん」と言えるように、私達は歩いて、走って、動かなくては、伝えなくては。
明日の月日は、多くない。
( 平均寿命は厚生労働省ウェブサイトより)
地下の奥深くから(テーマ:伝えたい)
地下の奥深く。
危険な危険な毒が埋まっている。
この毒は、消えるのに最低10万年必要だ。
毒の名は放射性廃棄物という。
10万年後。
果たして人類はまだ生きているだろうか。
10万年前は、ちょうど、現代人であるホモ・サピエンスがアフリカを出て世界各地に広がったとされる時期だ。
当然、文明というべきものが積み上がる前の時代だ。
10万年かけて人類は増えて増えて、戦って戦って、科学を発展させて、今の時代まで来た。
しかし、この時代に作った毒の処理は、今まで人類が猿から今日までかかったのと同じくらいの時間がかかるのだ。
人類は、これを地面に埋めようとしているが、10万年という時間は、大きな地震・津波・地殻変動・火山噴火などの多くの自然災害が起きるに十分な時間である。
また、例えば、現代の科学・知識がすべて失われ、一から文明が構築されるにも十分な時間である。
このため、10万年以上後においても有害な毒物を、生き物に触れさせないためには、なんとしても、この危険性を伝え、近づかせないようにしないといけない。
*
ある研究室で、一人の博士と助手が話をしている。
博士は、この10万年プロジェクトに席を連ねていたが、別に放射線の専門家ではない。
あまり乗り気ではなかった。先の未来過ぎて伝わらないと思ったのだ。
半ば投げやりに、助手に聞いてみる。
「どうすればいいと思う?」
「ドクロマークじゃだめですか?」
「ドクロが通じるか分からないよ。そもそもドクロって人間の頭蓋骨なので。10万年経ったら人間の文化じゃないかもしれないし。ナメクジとか。」
「手塚先生ですか?」
「そう。学生の時、図書室で読んだ。」
「じゃあ、壁画に、だんだん溶けていく生き物の絵を描くとか。」
「それは伝わるかもしれないな。」
「お、ありですか」
「でも、逆に先の絵を知りたがって深入りするかもしれない。」
「じゃあ、もう溶けた鉄とかで埋めてしまうというのは。物理的に。」
「鉄が欲しくて掘り出すかもしれない。」
「水で水没させてしまう。」
「潜られるだろ。それなら埋めた方が良いい。」
「毒蛇を繁殖させる」
「10万年も繁殖しつづけるかな」
「じゃあ、いっそ毒ガスを発生する土地にしてしまう。体調を崩す生き物が発生すると、近寄らないでしょう。」
「10万年後も発生している毒ガスってなんだよ。」
「・・・放射性物質とか」
「いや、それを触れさせないために、埋めるっていう話でしょ。」
「比較的小規模に生き物を殺す放射性物質を浅い部分に埋めておくんです。同胞が死ぬことで、危険性を訴えるんです。」
「壁画の奥はそれか。」
人類は、何のために、これを伝えたいのか。
伝えるしかない。
劇物を作ってしまった人類には、同じく生きているはずの未来の同胞を殺したくはないのだから。
仮に、同法は人間でなかったとしても、知的生命体として、同じ知的生命体を殺したいと思ってなどいないから。
「じゃあ、DNA配列の使用しないところに文字列で組み込んでおくとか、どうですか。」
「ある程度文化が発展していることが前提のメッセージだな。まあ、壁画・埋蔵・弱い放射線とやっていけば、ある程度文明が発達して、読んでくれるかな。」
ああ、なんということか。危険を伝えるために、未来の無実の知的生命体を何人か殺すことを前提としたメッセージを送ろうとしている。
これに、何の意味があるのか。
助手が手を叩く。
「あれだ。我が国の文化を使うんですよ。」
「何だよ。我が国の文化って。」
「マンガですよ、マンガ。クールジャパン」
博士は肩を落とした。一人で考えるよりマシかと思ったが、どうもこの助手は畑違いの問題には趣味を突っ込むらしい。
「10万年後の知的生命体がマンガ、読めるか?そもそも吹き出しになんて書くんだよ。根本的な話として、どこに書くんだ?石版か?」
頭を捻る助手。
「・・・吹き出しは使いません。無文字です。コマ割りもなしです。順番に読めるかもわかりませんし。そして書くのは壁です。壁画にするんです。1コマを1部屋にして、2部屋使って描くんです。このままでは死ぬぞって。」
博士はピンときていないが、助手は乗り気のようだった。『知り合いの同人作家に声をかけてみます』とか言っている。
「10万年後まで残すんだぞ。同人作家の絵でいいのかよ。それこそ手塚先生並みの人に頼んだほうがいいんじゃないか。」
「そんな有名人に頼んだら、ファンが見に来ちゃうかもしれないじゃないですか。」
博士は乗り気ではなかったが、他に案がなかったので、次の会議で意見を求められたら言うか、くらいに思っていた。
(どうせ、最終処分場は世界各地にできるんだ。一つくらいそういうところがあってもいいんだろう。)
*
時は流れて8万年後。
人類の文化は終焉し、砂漠となった大地に再び植物が茂り、別の文化が栄える。
もしかすると、その文化は人類の次ではなく、次の次とか、次の次の次とかかもしれない。
その生物は、かつて「イルカ」と呼ばれていた哺乳類であった。
進化に進化を重ねて適応した者が繁栄した。
海から大地に上がり、ひれと尾びれ手足になった。道具を使い、家を作り、職業によって人が分かれ、いくつもの街ができ、それをまとめる国ができた。
文化という物を積み上げ始めた段階だが、その数はすでに相当数に膨れ上がっていた。
イルカは超音波を発して反響から物の位置や大きさを知ることができるエコーロケーション能力というものを持っているため、狩猟や危機回避に有用であったのだ。
そして、幸か不幸か、文明というものを積み上げるために必然であったか、それがイルカであったときには退化していた視力が、陸上に上がってからは強化されていた。
近くのものは超音波で正確に、遠くのものは視力によって判別した。
*
この時代、過去の文明が使っていた金属の塊を探して世界中を掘り起こされていたが、その無数のグループのうち一つが、地下深くへ続く道を掘り当てた。
掘り当てた者たちはそのまま奥に入ったが、何人かが原因不明の体調不良で倒れたため、国にその報告をした結果、危険に対する専門家が調査することになった。
その洞窟に入ることになったのは、冒険家と呼ばれる職業のイルカ人だった。
読んで字のごとく、危険を冒す職業だ。
危ないかもしれない場所、よくわからない場所に率先して入っていき、成果を持ち帰る。
当たれば名誉も得られるが、死亡率の高い職業。
そこへ入った冒険家は、それなりに場数を踏んだ熟練の冒険家だ。
ランプとロープと食料、(現代とは比較にならないが)空気が入ったマスクなどを用意して、中に入っていく。
*
奥の大きな部屋に入り、照明を使って周囲を見たのは偶然だ。
イルカ人類はエコーロケーション能力で部屋の形状くらいはわかるのだ。
無理に光源が必要な訳では無い。
しかし、その偶然が壁の絵を発見した。
壁一面に描かれた鮮やかな絵。
「これは素晴らしい。古代文明の遺産か?」
光が当たらなかったからだろう。色鮮やかな絵が大きく描かれていた。黄色い肌に頭に毛が生えているが、足で歩行し、手に何かを持っている。
巣を作り、家族で何かを食べている。笑顔で溢れた街の絵。
しかし、その部屋には絵以外にはなにもない。
冒険家は奥の部屋に進んだ。
*
「ひっ」
冒険家は、次の部屋に入ると思わず超音波を出してしまった。(人間で言うと鳥肌が立つような仕草だ)
先の明るく温かな絵から、一転して暗く冷たい色。
肌色は紫色になり、毛は抜け、家の中でも外でも、その生き物は横たわっていた。一見して、死んでいるように見える。
そして、その絵の中央には、この洞窟と思しき穴から、何かが持ち出されているように見えた。
「これは・・・警告か。」
警告。
そうとしか思えなかった。
その冒険家は、暫く2つの部屋の絵を見ていたが、黙って帰ることにした。
自分が帰っても、次のやつが来るだけだとも思ったが、この絵はどうも病気を表しているように見えたのだ。
(この生き物の体は、毛が抜ける以外には破損していない。それなのに、家の中でも外でも人が倒れている。つまり、病気の元が、この奥にあるのだ。)
冒険家は、家族や知り合いに声をかけ、この地から遠く離れようと決心した。
ちょうど、都合がいいことに奥の部屋には当時の地図のようなものもあった。今と異なる大地もあるように見えたが、大まかな位置はわかる。
印がついている部分が、きっと同じような場所なんだろう。
(つまり、これらの印のどこにも近づかなければいいんだ。)
*
その後、逃げ帰ったことで、この冒険家の名声は地に落ちた。
彼の主張した世界各地の危険地帯についても一笑に付されたが、一部のイルカ人は引っ越しの参考にしていた。
そして、次の冒険家も次の次の冒険家も帰ってこなかった。
成果が出ないので国の調査隊が入り、何人ものイルカ人が原因不明の体調不良で死んでいく中、奥にある見慣れない金属の1本にロープを結びつけて地下深くから地上へ持ち出してしまった。
その街は放射性廃棄物で全滅し、その後、その地域は死の街として近寄らないようになった。
イルカ人が放射性廃棄物を理解するまで、まだ数百年は必要な時代だった。
今回の事案は、個人一人一人には伝わったが、それを指示する指導者の意思を変えるには至らなかった。
伝えるというのは、かように難しいのである。
家(テーマ:この場所で)
1
昔、小さな町の小学校が火事で消失した。
小高い山に面した坂の上にあった学校で通学には辛かったが、周囲を山の木に囲まれていて近隣の民家が少ないため苦情も少なく、学校運営には利点もあった。
そして、町を見下ろせる景観が、生徒・教師の共通の自慢だった。
そんな小学校が火災に遭った。
当時の校舎は木造で、全焼してしまった。
このため、坂の上まで歩く利便性の低さがクローズアップされ、火事を機に、小学校は移転することになった。
学校跡地は分割で売りに出され、住宅地になった。
同時に、裏山にあった墓地がジワジワと広がり、しばらくすると、墓地に隣接した住宅地となった。
住宅地になってから数十年経ち、いくつかの家が建て替えられた。
この話は、その中の、特に珍しくもない一軒の家についての話だ。
桃太郎のような、胸のすくような話ではない。
人間の話ですらない。
読む方は、そういう話だと思って、読んでください。
2
一軒の家が建った。何の特徴もない木造建築だ。
そこは元々スロープ状になった土地で、かつては学校の講堂があった場所だ。
しかし、そのようなことを知っている人はもう殆どいない。
スロープの先は広がってきた墓地に面していたが、同時に坂道にも面しており南向きには高い建物はない。
墓地を気にしなければ、かつて小学校の生徒が見ていた町を見下ろす景観は、相変わらず楽しむことができた。
家主は、スロープ状の土地を土で埋めて石垣で囲うことで平地面積を増やし、それまでより広い2階建ての家を建てた。
在来軸組工法という、昔ながらの柱と梁による家の建築である。
枠組壁工法という安価で品質が均一な工法もあったが、南向きの窓を広く取ることでリビングから景観を楽しみたかった家主は、壁面を大きく取る必要があるその工法を選ばなかった。
また、スロープ状の土地を埋め立てたため地盤も頑丈とは言い難く、家の基礎もよく使われる「布基礎」ではなく、費用がかかる「ベタ基礎」となった。
余分に費用がかかったが、仕方がなかった。
その分、こだわり部分は譲らなかった。
決して広くない庭に、柿の木を植えた。
また、かつて学校が売却された際に残されたのか、土地にあった鉄棒も、庭に埋め直した。
完成した家は、木造二階建て。日が入る南側に1階は広いリビング、2階はこども部屋で、どちらも大きな窓から町を見下ろすことができた。
太陽熱温水器で日当たりの良さを風呂を沸かすガス代低減に活かしてみたりもした。
間取りの関係から決して広くない台所には、半地下の収納を追加することで漬物などもしやすくした。
台所はリビングと繋がっており、家族団らんをしながら料理ができることを狙っていた。
家の周囲は北と西には民家が、南は墓地と坂道から町を見下ろせ、東は山道と、山道の向こう側の山壁に根を張る大きな樹木に面していた。
柿の木は、山道側を通って墓参りや山登りをする人からリビングが見えないようになる目隠しの役目もあった。
3
家に住むのは家主夫婦と家主の両親夫婦、家主の子ども3人の3世帯7人だった。
これまでの家は部屋数が少なかったため、部屋数もリビングも広くなって家族全員がおおむね満足していた。
特に子どもたちは、墓地に面しているが、同時に街を見渡せる景観が良く、真新しく広い家を無邪気に喜んでいた。
夜は怖がっていたが、しばらくすると慣れ、むしろ持病になった小児喘息の発作の方におびえていた。
柿の木は数年すると毎年柿の実をつけるようになり、家族のデザートになった。
子どもには柿はいまひとつ受けが悪かったが、家主が柿の木の大振りな枝にロープを張ってブランコにしたときは、大喜びでよく遊んでいた。
柿の木の横にはプレハブの倉庫があり、大工道具と釣り道具が収められていた。
釣りは、家主と家主の父が趣味にしていた。家の側には魚の住むような川はなかったため、たびたび車で釣りに行っていた。
2階は子供部屋と、家主夫婦の寝室、そして書斎だった。寝室にはレコードが揃えてあり、海外のレコードが揃っていた。
子どもはおっかなびっくりレコードの使い方を覚え、特撮番組の曲が入ったソノシートを繰り返し聞いていた。
子どもは小学生になると、放課後の有り余る時間を使い、ある意味家主よりも家を探検した。家主としてはもっとスポーツに打ち込んだり、何なら裏山で飛び回ってもらうほうが安心だったかもしれない。
家主があまり子どもに見せたくない本も見つけたし、押入れから屋根裏に上がることができることも発見した。
気に入っていたこどもの日の鎧兜の模造刀を、最初は屋根裏に入れ、次に台所の半地下収納に隠した。
そして、隠したことも忘れてしまった。
しばらくして、半地下収納はほとんど開けられることがなくなり、上に段ボールや棚が置かれてしまった。
4
新築の家も、住んでいれば当然、古びてくる。
子どもの背が高くなる度に、一家は柱にマジックで線を書いた。
和室の障子は破れる度に柄のように切り貼りした。
子どもは3人になり、子供部屋は手狭になった。
外部だけではない。
埋め立て地盤をカバーするためのベタ基礎であったが、震災による耐震性などが見直される前の基準であった。
大きな地震によって家はわずかに傾き、リビングの床はビー玉が転がるようになった。
それでも、一家は、石垣が崩れたりしないだけマシだと思っていた。
太陽熱温水器は、長年の汚れからか、給湯すると黒いカスのようなものが出るようになった。
大きな窓は、そのまま内部の熱が逃げる最大の場所になった。
窓ガラスだけでなく、窓枠が伝熱性の良いアルミサッシであることも、要因の一つであったかもしれない。
しかし何より、建築した時とは日本の気候が変化し、地球温暖化によってか、夏はより一層暑くなり、冬はより一層寒くなった。
地震から数年経ち、家主の父が老衰で逝去した。
その日から数日は、家は葬儀屋の手によって白黒の幕が張られ、葬儀場となった。
まだ、今ほど葬儀場の葬儀が一般的でない、ギリギリの時代だった。
更に数年経ち、上の子どもが大学や社会人となり、3人の子どものうち2人が家を出た。
家の使い方は代わり、古びた部分も出てきたため、家主は度々リノベーションを行った。
バリアフリー化して床を平坦にして、トイレと風呂に手すりをつけた。
風呂も太陽熱温水器を外し、オール電化機器を導入してガスを止めた。
2階にもトイレを設置し、エアコンも追加した。
介護が必要になった家主の母のため、大きな音のなる呼び出しブザーなどもつけた。
そして、プレハブは取壊し、家に防音室を増築した。これは家主の趣味だった。
子どもたちは、家に帰省したときは新しくなった家の設備に喜んでいたが、3人が3人とも結婚も、子どもも設けなかったため、帰省時のみの賑わいにとどまっていた。
家の裏の山道については家の外であるため、増改築での対応は無理であった。
年々激化してきた豪雨などで度々土砂崩れしている箇所があり、道を挟んだ先の大きな樹木も家主の心配の種になっていたのだ。
何しろ大きな木だ。土砂崩れがおき、樹木が家に倒れてくれば、家は潰れてしまう。
役所に対応を依頼したが、民地らしく勝手に切ることはできないとの回答であった。
家主は、いざというときは柿の木がクッションになってくれることを願っていた。
築50年が過ぎ、心配が実現する前に家主が世を去った頃、相続した家主の妻と3人の子どもたちは話し合って、坂の上り下りが厳しいとして、不自由な立地から、結局、家を売ることにした。
5
売られた家は、まだ若い別の家族にすぐ買われた。
坂の上り下りが厳しいのは高齢者であり、若い家族は特に問題に思わなかったのだ。
新しい家主と家主の妻、そして小さな子ども。
家は、築半世紀を超えて、新しい住人を迎えた。
50年経っていたが、前の家主の増改築によって、そこまでの古さは感じさせなかった。
また、高度経済成長期に働いていた前の家主と比べ、新しい家族は不況が長期間続いている期間で働いているため経済状況は比較にならない。
新築など考えることもできなかった。
家にとって2番目の住人となる彼ら家族は、家を大事に使っているように思えた。
以前の家主一家が置いていった家具などもほとんどそのまま使い、使えないものだけを捨てていた。
そのため、冷蔵庫も棚も、置いていった食器も、そのまま使わせてもらっていた。
子どもは前の一家と同様に墓地に怯えていたが、やがて慣れた。
夫婦は、外気の冷気が入りやすいことや、山に近いために虫が出やすいことに悩んでいたが、やはりこれも慣れた。
家を十分以上に探検し、喜んでいたのはやはり子どもだった。
トイレが1階と2階の2つあることに驚き、子供部屋の広さに満足した。
しかし、台所の棚を動かすことはできなかったので、台所の半地下収納の中に隠された模造刀は発見できなかった。
というより、この一家はそもそも台所の下に収納があることに気がついていなかった。
築年数に比べて相当に住みやすい家であったが、同時に、建築時は7人で住んでいた家である。
夫婦3人で住むには広すぎたのだ。
夫婦はよく親戚を招待してパーティーなどを行って、空いている部屋を使用したが、やはり年間のほとんどの期間は空き部屋になる部屋がいくつもあった。
使わない部屋をルームシェアなどで活用してはどうかと夫婦で話すこともあったが、玄関や動線は一つであり、子どももいるので結局実現しなかった。
新しく出た掃除ロボットなどを活用して、キレイに保つようにしたくらいである。
2番目の住人の家族は、大事に家を使っていたが、10年以上経過し、子どもが大学で家を出てからは、より一層静かな家だと感じるようになった。
大学を卒業した子どもが東京で就職し、帰ってこないことがはっきりしてからは、夫婦は広すぎる家について考えるようになり、結局、売ってしまった。
6
家は、夫婦から不動産屋へ売却されたが、不動産屋はそれをどうするか悩んでいた。
築年数が相当経っているので解体して土地として売るか、再度建売をするか。
または、賃貸で住人を募集してみるか。
とりあえず、一番金のかからない、「家具つき物件」の賃貸で募集してみると、あっさりと応募が遭ったため、不動産屋は考えるのを辞めた。
次に住んだのは、高齢の老夫婦だった。
夫婦は最初から2階部分を使うことを諦め、バリアフリー化している1階部分だけを使用した。
買い物には不便であったが、この頃になると、スーパーが食材や食事を届けるサービスの対象地域になっており、あまり外出しない老夫婦には、静かな環境は快適だった。
また、夫はレコードがあることに喜び、防音室で懐かしい曲を聞いて楽しんでいた。
妻は、小さな庭に畑を作ってミニトマトを育てたりしていた。
この夫婦が住んでいる時、ここは、時間がゆっくり進む家となった。
老夫婦は、照明部分だけ工事を行った。
壁のスイッチをやめて、リモコンとセンサーによる照明に切り替えたのだ。
これで、老夫婦は生活に完全に満足していた。
この生活は、家が本格的に老朽化してくるまで10年続いた。
オール電化機器が壊れたことで風呂・台所がまともに使えなくなったころ、老夫婦も体が満足に動かなくなったため、老人ホームへ移った。
7
再び不動産屋はこの家をどうするか考えることになる。
オール電化機器が壊れたことが、この家の賃貸物件としての価値を激減させていた。
(しかし、この時点で解体しては赤字だ。)
不動産屋が家を購入した際の価格と、老夫婦の10年の家賃、解体のための費用が釣り合っていないのだ。
しかし、世の中の経済状況は少子高齢化から決定的に悪くなっており、家の周囲どころか、全国的には自治体自体が収縮・消滅傾向にあった。
全国各地に「廃村」「廃町」は珍しくなくなっていた。
悩んでいたところを、一人の作家が建物ごと不動産屋から購入した。
不動産屋は、頭の悩ませる物件から一つ開放されて喜んだ。
作家はあまり売れていなかったが、オール電化機器を取り付け直すと、ひたすら家に籠もった。
作家が気に入ったのは防音室だった。
周囲の生活音が気になる性質出会った彼は、執筆の際にはその部屋にこもった。
執筆が終わっても、用がある時以外は家から殆ど出ずに、前の老夫婦と同じように宅配サービスに頼った生活をしていた。
作家は5年間そこで暮らしたが、やがて本が当たり、大金を得た彼は東京へ引っ越して行った。
家を所有したまま。
8
5番目の住人は、複数の若い学生だった。
作家は、年の離れた甥が地方の大学に行くことになったと聞き、そういえば昔住んでいた家がそのままなので、と甥に住むように言ったのだ。
甥は、ワンルームでも最新家電が揃った部屋で生活したかったが、家賃がタダなので妥協した。
更に甥は、一人で住むには広すぎることをひと目で判断した。
寂しい大学生活が嫌だった彼は、サークルの人間を「家賃格安でルームシェアしないか」と次々誘い、完全に溜まり場にしてしまった。
周囲は墓地と、人が少なくなった住宅地。
文句も殆ど出なかった。
若さがあり余っているサークルの若者たちは、何十年も設置したままだった棚を動かし、冷蔵庫を入れ替え、自分たちの住みやすい基地に作り変えていった。
「うわ、なんだこれ。日本刀あった!!日本刀!!」
ついには台所の半地下収納から、最初の家族の子どもが隠したままの模造刀を見つけたりもしたが、模造刀だとわかると、棚に放り投げ、たまにサークルの人間がふざけて振り回すおもちゃになった。
しかし、その彼が卒業を控えた大学4年の時、事件が起きた。
人が少なくなったご時世。若い人間が毎晩集まって騒いでいるのを見て、金を持っていると勘違いしたのか。
強盗が入ったのである。
9
その強盗は、日本語が話せないようであった。
その日に家にいたサークル仲間は、作家の甥を含めて3人。
インターホンが鳴り、誰か別のサークル仲間が着たかと家主代理の作家の甥が不用意に玄関を開けると、目出し帽を被った強盗が立っていた。
強盗は一人だったが、刃物を持っていた。
「カネ、出せ」
作家の甥は腰が抜け、大声を出せなかったが、すぐ横にあった紐を引いた。彼はそれがなにか知っていた。最初の家主が、母の介護に使おうと家の各所に設置したブザーだ。
リビングに大きな音がなり、不審に思った残り二人が玄関を覗くと、そこには目出し帽と刃物。
2人は逃げた。
しかし、強盗は逃げる者から仕留めようと思ったのか、幸いにも腰を抜かした甥を放置して二人を追いかけることを優先した。
多少広いとはいえ、所詮は一軒家。ぐるぐる家の中を回るうちにすぐに追い詰められた。
「カネ!出せ!」
カタコトの日本語で繰り返す強盗に、作家の甥は相変わらず玄関で腰が抜けていたが、残り二人のうち一人は剣道経験者で肝が座っていた。
先程逃げ回りながら拾った模造刀を無言で抜いた後、「キィエエエイ!」と気合の声を出して渾身の小手を打ち、強盗の手から刃物を叩き落とした。
残ったもう一人は警察を呼び、強盗はあっけなく逮捕された。
10
強盗逮捕後は特に何もなかった。作家は、甥を助けてくれたサークル学生に感謝して、家は何年かサークルの持ち物として賑やかに使われた。
しかし、老朽化した建物に若い大学生が何人もいればどうなるか。
やがて壁が壊れ、床が抜けた段階で、さすがの作家も諦めて解体することにした。
幸い、それだけの蓄えはあった。
甥も卒業しているため、もうこの地に建物は不要だった。
実に建築から97年。
その家は取り壊された。
ついでに、崩れかかっていた石垣も崩し、もとのスロープ状に戻した。
しかし、一方で何も無くなるのは惜しいと思ったのか、あるいは墓地にすることで節税を狙ったのか。
作家はそこに自分の墓を建て、ついでに余った土地に墓参り用に小さな東屋を建てた。
電気も水道も、そこだけ生きている。
そこには看板がついている。
『墓参りの方、ご自由に水を使ってください。なお、よければ横のミニトマトと柿の木にも水をやってください。実がなっていればご自由にどうぞ。』
東屋には畑仕事用の道具と掃除道具もあり、墓地に墓参りに来た人は皆水を借りて、ある人は柿の木の葉っぱを掃除し、ある人はトマトに水をやり、季節が良ければ実をいただいた。
その場所に家はなくなったが、柿の木と、山道を挟んだ先の大きな樹木は健在であり、町を見下ろす景観は、今も墓参り客を楽しませている。
残業後対話篇 誰もがみんな平等に抱えているもの(テーマ 誰もがみんな)
これは、西暦2020年を超えた日本の、ある会社での、一人の会社員の、残業が終わってから帰宅するまでの心の中の話。酷く狭く短い範囲の話。
*
建築されてから1年も経たない、真新しいビルだった。
作りたての社屋に、キレイな机、座り心地の良い椅子。
しかし、そんなビルでも勤務形態までホワイトな訳では無い。
まだ肌寒い時期であるのに、定時と同時にエアコンは停止している。構造上、外気が入りにくい設計となっているためそこまで寒くなっていないが、熱源がないので限界がある。
一人の会社員が、スーツの上からコートを着てパソコンのキーボードを叩いていた。
(40を超えた中年の体には、この寒さはこたえる。)
彼はしばらく一人で仕事をしていたが、22時を回り、いい加減、続きは明日に回そうという気になったのか、パソコンを机にしまい、施錠した。
残業カウントのためのタイムカードを切ると、今日一日お世話になったコーヒーカップを洗いに給湯室へ向かう。
昨今、日本では働き方改革が声高に叫ばれるようになった。
大変結構なことで、彼の会社でも、早く帰るようになった社員や部署がいくつもある。
彼も見習いたいと思っているが、効率化したり辞めたりした仕事より、手を変え品を変えて降ってくる仕事の方が多く、全体として彼の担当仕事は減っていなかった。そして、それは彼だけではなき、一定の社員は結局遅くまで残っている。
世の中、すべての問題を一度に解決することはできないのだ。
彼が思うに、残業というのは、仕事上の様々な要因によって「日中に終わらなかった仕事」を結果的に勤務時間外に片付けているだけなので、「結果」なのだ。
根絶するためにはその「結果」に至る「様々な要因」を根気強く解決していく必要がある。
「病気をなくせ」と言われてもなくせない。世の中には様々な病気の要因があるからだ。一言でなくせるなら医者はいらない。
現実的には、増えた病人をカバーできるくらい病院を増やすことになる。
同様に、「残業をなくせ」と言われても、その内訳を個別の社員の「効率化」にだけ求めている以上、解決するはずがないのである。
(少なくとも、原因究明の時間も対策する時間も全て「個別の社員の努力」に丸投げしているうちは、解決しないだろう。)
そんな慢性的な残業においても、他の社員よりも少しだけ長く残って仕事をしていた。それは、家庭を持っていないからかもしれないし、効率が良くないからかもしれない。効率が叫ばれ始めてからもう5年以上経っている。いくら個人で仕事をしても終わらない現状に、彼自身にはもう、よくわからなくなっていた。
必然、彼は定期的に、会社を出る前には一人になる時間ができてしまっていた。
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彼には、学生の頃、自問自答する癖があった。
自問自答くらいなら誰でもするだろう、と思われるかもしれないが、彼は、頭の中に別の人格を想像し、イマジナリーフレンドとして、あたかも別人格と話をするようにして会話をしていた。
そのような痛々しい癖も、卒業して就職して忙しくしていると姿を消し、若気の至りとして、思い出すこともなくなっていた。
かつて、学生の頃にしばしば会話したイマジナリーフレンド。
主に雑談と哲学談義に花が咲いた会話について、不惑の年齢に至って結婚も子育てもしていない精神的な寂しさも会ったのかもしれない。
残業でタイムカードを切った後、その癖が彼の中で20年振りに復活していた。
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今日の話題は、「生き物全体の共通項とはなにか」。働くことの意味を体験していなかった学生の頃とは違い、彼地震も、イマジナリーフレンドも、心が年を経ていた。
「もちろん、生きている、ということがまず挙げられる。」
『『僕らはみんな生きている』というやつだ。』
20年ぶりだろうが、イマジナリーフレンドはごく自然に話をする。
他人ではないので、特に挨拶も何も無い。
「しかし、それでは定義を繰り返しただけだ。生き物とは、生きているもののことだ。というだけ。何のひねりもない」
彼の中で『◯次郎構文』という悪口が流行っていた。
『では、それ以外に「誰もがみんな」と言えることはあるか?恋している?群れたがる?幸せを求めている?番を残そうとする?』
「どれも例外はある。友だちを作るのも、恋人を作るのも、子どもを作るのも、「誰もがみんな」ではない。恋をしない生き物もいるだろうし、群れからはぐれるものもいる。そもそも、私は今幸せを求めているのだろうか。夜中まで働き、休みもない現状で。」
両親は彼という子どもを作ってくれたが、彼は恋人も子どもも作っていない。
美味しいものを食べる経験?
悲しくて泣く経験?
いやいや、それらには例外がある。
生まれてすぐ死ぬ子どももいるのだ。
『では、単純に対義語から攻められるだろう。生き物がいつか辿り着く場所、死だ。』
そう、みな、死だけは行き着くのだ。
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祖父が亡くなったのは、彼が高校生の時だった。まだイマジナリーフレンドも彼の心の中にはいなかった。
数年前から頭がはっきりしなくなった祖父。食事時に倒れたこともある。
そして、ある日起き上がれなくなり、寝たきりになった。
寝たきりになってから数ヶ月、もう危ないと分かったのだろう。
盆正月以外に会うことがない叔母と従兄弟が、県外から家に来ていた。
祖父が亡くなるまでの、2日間。
奇妙な時間だった。
誰も祖父の死を望んでいない。しかし、彼らは、死に目に会いに来ている。
(もし、このまま死なずに生きていたら、彼らはいつまで居たのだろう、と思う時がある。)
その時は、たぶん、最後の別れを済ませて、彼らは帰っていったのだろう。
しかし、そんな都合の良い「 もし」はなかった。
祖父はそのまま亡くなった。
亡くなった瞬間より、その後の事の方がよく覚えていた。
葬儀屋が死んだ祖父の体を拭き、髪を整え、爪を切り、脱糞しないためだろう、尻から綿を詰めた。
葬儀には沢山の人が訪れた。「葬儀場で家族葬」が増えた昨今ではあまり見なくなった『自宅での葬儀』に詰めかける近所・会社関係の人・人・人。
火葬場では、柩を台車に載せて炉に運び込み、戸を閉める。遺体を焼く長い待ち時間があった。
火葬後は、熱気が残る台車から、親族が長い箸を使い、順番に骨を丁寧に骨壺に入れていった。
しかし、骨が立派に残りすぎたためだろう、骨壺からは骨が明らかにはみ出していた。
火葬場の職員は骨壺に入らない骨を、上から棒のようなものでボキボキと嫌な音を立てて折って、壺に骨を詰めていった。
彼にとって衝撃的なことであり、嫌なことでもあったからだろう。
20年以上前のことなのに、よく覚えている。
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一人の人間には両親がいて、両親のそれぞれに親が居るので、祖父祖母が二人ずつ存在することになる。
前述の祖父は彼にとって父方で、その後は、彼が20代のときに母方の祖父が、30代のときに父方の祖母が亡くなった。
特に、祖母が亡くなった時は、偶々彼が一番近くにいた。
彼は仕事をしていたが、危篤状態になった祖母のことを知らされ、早退して新幹線に飛び乗った。祖母の特別養護老人ホームは県外にあった。
新幹線駅からタクシーで特別養護老人ホームへ向かう。もう夜も遅く、22時を回っていた。
先に現地にいた彼の父が、出迎えてくれた。
そのまま祖母の部屋へ行った。
ほとんど話もできないくらい認知が進んでいた祖母だが、最後の時は彼を孫だと認識していたと、彼自身は思っていた。
声にならない声で、「 幸せに」と言われた気がした。
その後、痛かったのか、苦しかったのか、ギュッと目を強くつぶり、力が抜けたと思ったら、亡くなっていた。
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母方の祖父も、父方の祖父も、父方の祖母も、彼が20代〜30代の時は、たまに夢枕に立った。彼自身は、自分を霊感のない人間だと思っていたので、人生がうまく行っていない自分の将来を悲観する心が見せた夢だと思っていた。
あれから時が経ち、40代になった私は、結局家族を作らなかった。
舞台は彼の心象風景から、現代の給湯室へ戻る。
手早くカップを洗い、明かりを消しながらロッカーへ向かった。
「もし、本当に幽霊がいたなら、きっと、仕事しかできない人間になってしまった私が、心残りになってしまったんだろう。」
『そうかもね。いまだに私が出てきているくらいだし。』
しかし最近は、誰かが彼の夢枕に立つこともない。
(父、母、母方の祖母が健在だが、子どもを作らない以上、いずれはこの世界から、私ごと、私の痕跡は消えてしまうだろう。)
それはとても悪いことのような気がするが、残念ながら、結婚して子どもを作るために必要な「社交性」とか、「勢い」とか、「どうしても結婚したい」という欲とか、「寂しいから誰かと一緒にいたい」という感情とか、そういうものが足りないのだろう。と、彼は悟っていた。あるいは、諦めてしまっていた。
忙しいとは、心を亡くすと書く。
余談だが、日本の少子高齢化の原因は、「若い人が忙しいから」だと彼は思っていた。
「もしブラック企業から脱出し、時間ができたら、私は寂しさに泣くのかもしれない。」
『そのときは、きっと寂しさのあまり私の出番が増えるでしょうね。』
しかし一方で思うことがある。
誰もがみんな行き着く場所へ、行くのだ。
死神は、美しく慈悲深い神だと、彼は勝手に信仰している。
適当に作り、個人的に思っているだけの、妄想だ。
人間は、生き物は、その神に命を刈り取られ、収穫されるのだ。
(そうなると、私は私でなくなるのだろう。)
寂しいし、悲しい。
できれば永遠に生きていたい。
しかし、生き物は、誰もがみんな、そこへ行く。
*
会社のビルから出ると、彼は一層肌寒い感覚に、思わず歩調を速めた。
会社から自宅前の家路。
踏切や信号で何度も足止めを食う。
「しかし、AIの進歩はすごいから、話し相手には困らなくなるかもしれないね。」
『私はいらなくなるっていうこと?』
「そうかも知れないし、そうでもないかもしれない。」
イマジナリーフレンドが久しぶりに出てきたのは、彼自身の心の問題であることが大であろう。
(妻も子どももいたら、きっとこんなことを考える余裕もなかっただろうし。)
人間の内心にもう一人人格を作り、話をするというのは、集中力を必要とする。
しかし、では、同時にAIがいればイマジナリーフレンドが不要かと言うと、そこまででもない。
「AIは、心で直接会話したりできない。言葉で内心を伝え合うことをしないといけない以上、きみの代わりにはならないだろうね。」
『つまり、あれだ。考えを共有している私と君とだけが、『わかり合っている状態から』議論をスタートさせられる。こういう深い会話ができるのは、私と君の間だけ、ということだ。』
「そう。最初の議題の答えがもう一つ出てきたね。それは孤独ということだ。」
誰もがみんな、他人の心の中を覗くことはできない。わかり会いないことからスタートする。
言いたいことは、言葉と時間を重ねて、理解したような気になるだけなのだ。
それはAIでも一緒。分かってもらうために言葉を使い、表面的に一部理解する。
誰もがみんな、心から分かり合うことなどできない。
分かり合えない。孤独なのだ。
分かり合えないことから始まる。
(イマジナリーフレンド、君を除いて。)
信号と2度の踏切を超えると、家路もあと僅かだ。
寒さに対抗するかのように、彼は街灯の下の暗い家路を急いだ。