花の経緯(経緯) (テーマ:花束)
男性は迷って、迷って、時間もないので、できる範囲で動こうと決断した。
仕事と一緒だ。
結婚相談所から紹介された人との初めてのデート。
どんな服装で、何を持っていくべきか。
食べ物屋は予約したが、それ以上のことは全くわからない。
特に、何をしたらいいのかも分からない男性は、花屋へ行き、花束を注文した。
*
観賞用の花は、花農家で作られる。
それぞれの花を美しく育てるために、農家が精魂込めて世話をして、その中でも美しい花を花市場へ持って行く。
花市場では、各農家が持ち寄った花を、魚市場のようにセリに掛けられている。
花屋はそれを仕入れ、店先に並べる。
花屋の花の需要は、一昔前と比べると減少している。
現代日本では、プレゼントや娯楽が多様化することで、国内の広い分野で「需要」が減っているのだ。
花屋は自分の店の特徴と売上を考え、必要数を仕入れる。
書籍などと異なり、生物なのでおかしなものを仕入れて売れなかったら、そのままゴミにしかならないのだ。
今回の注文は、よく知らない人との初めてのデートで渡す、小さな花束。
あまり大げさなものにしたくないとのことで、予算も1,000円分とのことであった。
花屋は店先の花のうち、フリージア、スプレー菊、アルストロメリアを束にして、更に引き立て役にユーカリを加え、1,000円分の花束を作った。
花は花市場から仕入れたものだったが、ユーカリだけは花屋が自分で育てたものだ。
フリージアの花言葉は「親愛の情」や「感謝」、スプレー菊は「清らかな愛」、アルストロメリアは「持続」。受け取る女性が仮に花言葉に詳しい人だったとしても、初めてのデートでは無難な選択に思えた。
男性・女性に限らず、花に詳しい人は減っている。こうして花言葉に気を遣っても、わかってくれる人は稀だ。
しかし、ここをおろそかにすると、せっかく花をプレゼントにしようと思ってくれたお客様の気持ちが、相手に伝わらない「可能性がある」。
プレゼントを上げる行為は、何にしても「あげる者の気持ち」が相手に伝わるかどうかは不確実で、「伝わってほしい」「気に入ってほしい」という祈りが伴う。その祈りが報われるよう選定し、素敵なプレゼントにするのは、プロとして当然のことだと、その花屋は思っていた。
そもそも花のプレゼントというのは、直接的なブランド商品や服とは違う。生物で、持ち帰ると世話が必要になる。世話をしなければ花は枯れてしまい、ゴミにしかならない。
そのためか、時代が進むにつれて売上が減ってしまっている。
だからこそ、花屋は、うちに来た客、そして花を渡された人が、この花で幸せになってほしいと思って花を売っている。
ただ、やったことは素早く計算して花束を作り、言葉に出したのは別のことだった。
「では、消費税込みで1,100円です。あと、よろしければ、店に届けて、帰り際に渡してはどうでしょうか。最初に渡すと荷物になってもいけませんし。」
デートに慣れていない人は、これをやりがちなのだ。
*
「今日は、お時間をとっていただいてありがとうございます。」
男性は頭を下げつつ、すでに一言目で後悔していた。
(まるで営業だ。)
だが、仕事だけして年を取ってしまったのだ。自分には結局仕事で培った能力しかなかった。
しかし、そんなこちらを見て、笑顔で対応してくれたからだろうか。
相手の女性は写真で見たより魅力的に見えた。
「その、ご趣味とか、聞いてもいいでしょうか。」
男性は自分で言いながら、「なんて典型的なセリフだ」と自分でも思った。
そして、漫画やドラマで見合いの際に緊張していた主人公たちが「ご趣味は」と言っていたのを「もっと気の利いたことを言えよ」と思っていたことを、内心で謝罪した。
(ごめん、君たちの気持ちを私はわかっていなかった。私ごときがそんなことを思うのは、おこがましかった。)
人間、追い詰められると頭が真っ白になり、難しいことや機転の効いたことができなくなるのだ。
正直、その後は、料理の味も、話の内容もほとんど覚えていない。
*
女性は、結婚相談所で紹介された人との最初の食事から、遅くなりすぎない時間に帰ってきた。
相手の男性はいい年齢であったが、おそらく女性と付き合ったことがないのだろう。そういう人は、結婚相談所からの紹介では珍しくない。
緊張していることがありありと分かり、話も結構飛び飛びであったし、飛び込み営業をさせられていた提携先の新人社員を思わせる狼狽ぶりであった。
だからといって、こちらも別に、そういう人を手玉にとれるほど経験があるわけでもない。
むしろ、「私はあの人に居心地の良い時間を作ることができなかっただろう」と思い返し、「あー失敗したかな」と思っていた。
別に、その後に何処かに行くこともない。
初デートはそれで終わりだった。
ただ、店を出るときに、花束をもらった。
まだ親しいわけでもない男性から花束をもらうというのは、初めての経験だった。
ただ、結婚相談所の紹介なのだ。親しくなろうとする関係の男女である。そういう人もいておかしくない。
初めて合う時に渡す花束が「大きなバラの花束」とかではなかったことも、安心した。もしそうだったら受け取りを断っていただろう。
次があるかは、分からない。
2回目のデートをするのかどうかについては、女性側からも男性側からも相談所に伝えることになる。
女性もどう答えるか、まだ決めていなかった。
花束を見て、顔を近づけて匂いを嗅いでみる。だからどうということもない。
しかし、悪い気分はしなかった。
とりあえず、バケツに水を入れて、花束の花を移してみる。
(後で食器棚から、花瓶になりそうなものを見繕ってみよう。)
女性の部屋は一人暮らしで、可愛いものがあるわけでもない。華やかさとは縁がなかったが、視界に生花があるのは、悪くない気分だった。
(まあ、今回は緊張して性格なんかもわからなかったけど、危なそうな人ではなさそうだったかな。2時間程度の夕食を一緒しただけだし、もう一回会ってみるだけ会ってみてもいいか。)
花束は、その役目を少しだけ果たしたのかもしれない。
笑顔の値段(テーマ スマイル)
(疲れた。)
自宅にたどり着いたのは、0時過ぎ。すでに翌日が始まっている。
別に飲み会があったわけではない。
仕事が終わらなかったのだ。
(夕方に今日中期限の仕事を持ってくるなよな。)
家族サービスが、とか言いながら仕事を押し付けて帰っていった課長を思い出して、気分が悪くなるため切り替える。
(独身者へのあてつけか、それは。)
一応、自分にも自宅には一人同居人がいるのだ。
夜が遅いのに、ドアの開く音を聞いて猫が寄ってきた。
「ただいま」
同居人は人間ではなく、飼い猫だ。
(猫だけが癒やしだ。)
冷蔵庫からビールを出して、買ってきた弁当を電子レンジで加熱して、テレビをつけて、食べる。
翌日も仕事だから、あまりゆっくりもしていられない。
かまってほしいのか、足を引っ掻いてくる猫をたまに撫でながら、ビールを流し込む。
夜食代わりに餌を猫に出してみると、バリバリと食べ始めた。
夜まで仕事漬けの生活が続いているため、自動餌やり機を導入したが、足りなかったのだろうか。
「お前も一日中部屋の中は辛いよな。」
遅くなる日が続いている。
帰ってきても猫は寝ていることも多く、こうしてコミュニケーションを取るのも久しぶりだった。
とはいえ、キャットタワーとか入れて自分が仕事漬けなので、もはや「ペットがいる自分の家に帰っている」のか、「ペットが住んでいる家に毎晩泊まらせてもらっている」のか、わからなくなる時がある。
猫に声が出せれば、もしかすると
「お客さん、最近ご無沙汰だったじゃん。」
とか言われたかもしれない。
「そういえば、昔、スマイル0円とかやってたな」
猫を膝の上の乗せ、猫の口の口角を上げ、無理やり笑顔にしてみる。
突然の暴挙に、フギャーと声を上げて猫は去っていった。
猫にスマイルはないか。
そういえば、自分もあまり笑っていないな、と口角を上げてみる。
鏡を見ていないが、絶対に笑顔じゃない。これは。
目が笑っていないし。
こういうとき、独身でいいのかと考えるが、同時に、独身でよかったとも思う。
誰にも心配も迷惑もかけないから。
帰ってくるのが遅いと文句を言われることもない。・・・猫以外は。
だが、「だからといって、こういう日が続くのがいいのか」と考えることはある。
「生きるために仕事をしている」ではなく「仕事するために生きている」状態。
(こんな状態で、笑顔なんて無理。)
昔、スマイル0円をしていた店員は、忙しい中で笑顔も作らなくてはいけない、ひょっとしたらものすごく辛いことをしていたのではないか、と埒もない事を考えた。
(せめてテレビ見て笑えるくらいの余裕はほしいね。)
明日は、夕方に仕事振られそうになったらトイレに行ってみるか。と、これまた埒もないことを考えた。
明日も仕事だ。
どこにも書けないこと
1 書く理由、読む理由
小説の定義とはなにか。
小さな説明?
そう。説明ではあるのだろう。
一言では言葉にすることが難しい、「物語」や「気持ち」を伝えるための説明。
桃太郎を知らない人に、桃太郎を伝えようと思ったら、「 むかしむかし、おじいさんとおばあさんが……」と説明していくしかない。
「 桃から生まれた人間が鬼退治をする話だよ」と端折ると、きびだんごや犬猿雉は、相手の頭には入らないのだ。
そして何より、幼子が話を聞いて胸に湧き上がる気持ち。
「 次はどうなる」とワクワクする気持ち。
読むことで、読んだ人の胸に湧き上がる物を「伝える」。
感動して「嬉しかったり、怒ったり、悲しかったり、楽しかったり 」。
読むことで心のなかで物語を経験し、経験することで感動する。
心は少し、学び、成長する。
読者にとって、それらを得ることが、小説を読む理由だと思うから。
だから、書く方も、小説を書くのだ。
読んでもらうことで、この気持ちを、経験を伝えたいから。
全く同じでなくとも、分かって欲しいから。
2 どこにも書けないこと
「 愛している」では気持ちが正確に伝わらないから、「 月が綺麗だ」と言う。
言いたいことは、決して「 月が綺麗である」ということではないけれど。
一言「愛している」と書いてしまうと、言葉にできなかった部分が抜け落ちてしまう。
私の気持ちは、愛とは少し違うかもしれない。
あるいは、「愛の定義」が相手とは違うかもしれない。
そこを取りこぼさないために、あえて、愛していると言わなかったり、一言だけではなく、色んな話をしたり。
話をすることで、「あなたと経験を共有したい」という気持ちは伝わると思うから。
私達は、人の心を直接感じることはできない。
自分の心と比較することで、「 こんな気持ちかな」と想像することしかできない。
手で触れたり、笑い合ったり、言葉を尽くしたり。
そうして時を共有することで、ようやくお互いに「気持ちが通じ合ったような気になる」のである。
こうして今回は説明のような、詩のような物を書いてみたけれど、実はこの文章で何かを伝えられるようななった気がしないのです。
時間の制限の中でできなかったけれど、これも小説にして、「心が伝わらない男女の話」にしたら、伝わるかもしれない。
*
一昔前の時代の話だ。
若い頃はたくさん「 愛している」と言い合ったが、男は寝たがるばかり、女はプレゼントを欲しがるばかり。
愛とは何なのか。
しかし、プレゼントを贈り、寝所を共にする間に、男は女を守るようになり、女は男の世話を焼くようになった。
女は男の威張ったところや寂しがり屋なところや短気なところを知り、男は女の見栄っ張りなところや世話焼きなところや強い心を知る。
それは年月を共にして、嫌なことも良いことも共有したことで、自然に感じることができたから。
二人で子ども育て、近所付き合いをして、歳を取る。
そうして積み上げたものは、とても書ききれない。
*
こんな感じだろうか。
え?小説、書いてるじゃないかって?
いやいや、中に書いているでしょう?
とても書ききれない、と。
私にとって、これは、小説未満。
まとまりもないし、普段、どこにも書けないけれど。
書き続けていたら、いつかきっと、私自身も書ききれない「この気持ち」を表現できるようになるかな、もっと伝わるようになるかな、と思いながら、何とも言えないふにゃふにゃな文章をとりあえず書き続けているのです。
声(テーマ 時計の針)
2020年代に生きるユウキという若者がいた。
ユウキは21歳で、大学において、大学院に進もうか、社会に出て働こうか、迷っていた。
迷ったまま、年末年始と時期をずらして実家に帰省した。2月のことた。
実家の仏壇に線香を上げ、7年前の震災で亡くなった祖父の遺影を拝む。
(大学院に行っても、昨今はそれに見合った就職先があるわけでもない。さっさと働きに出た方がいいかもしれない。ただ、もっと大学で研究もしてみたい。)
祖父は、かつて大学で教鞭を取り、研究もしていたので、相談してみたかった。
研究室で崩れた建物の下敷きになってしまった祖父。大学の建物は古く、耐震化していなかった研究棟は脆くも崩れ、地震が夜間であったこともあって救助が遅れ、瓦礫から遺体が発見されたのは、実に震災から1週間後であった。
(じいちゃん。俺、どうしたらいいかな。)
しかし、仏壇に手を合わせても、自分の頭が少し整理されるだけで、当然、亡くなった祖父と話ができるわけでもない。
なにかインスピレーションが浮かぶわけでも、天の声が聞こえるわけでもない。
ユウキは近くの神社に、遅い初詣に行くことにした。
*
神社はそこそこ長い歴史があり、移転前を合わせると1000年前からあるらしい。
しかし、移転したものなので、建物自体はそこまで古いわけでもない。
平日の昼間のため、神社は誰もいなかった。
無人の境内でガラガラと本坪鈴(ほんつぼすず)を鳴らし、手を合わせる。
「お願いがあります。」
ボソッと、ユウキは呟いた。内心だけのつもりが、つい口から出てしまったのだ。
(まあいい。どうせ誰もいない。)
そして、大学進学か、就職か、迷っていることをまた考える。
答えは出ない。
(帰るか。)
5分ほど拝んでいたが、埒が明かないので帰ろうと、境内に背を向けたときだった。
『お願いがあるんじゃないの?言わなきゃわかんないんだけど』
声が、聞こえた。
*
リズは、シミュレーション端末のオペレータだ。
担当するコンピュータを使用した、シミュレータを操作している。
大量のシミュレータを構築し、少しずつパラメータを変えて並行稼働させ、どのパラメータにしたらもっともいい結果が出るのか観察するのが目的だ。
シミュレータは、設定した物理法則とパラメータからコンピュータ内部で計算を繰り返し、内部で一つの世界を構築する。
しかし、リズ自身は操作といっても細かいことをしているわけではなく、上司の指示に従って何百台も稼働しているコンピュータを操作しているだけだ。コンピュータも仮想化しているため、そんなことをしていても、現実のリズの前には端末が1台あるだけだ。
この仕事を初めて2年になり、退屈していたリズは、つい魔が差す。
端末に、シミュレータハック用のソフトを入れたのだ。シミュレータはあくまでシミュレータでしかいないので、本来、パラメータに沿った計算を行うだけだ。しかし、このソフトは、リズと同じようにこの仕事に退屈し、しかし技術が有り余っていたプログラマーが作ったフリーソフトで、端末用のマイクでシミュレータ内部と話ができるようにするものであった。
(えっと、対象の時間を現実と同じにするために、一旦計算サービスを停止して、計算のスピードを「現実と同期」に設定してサービスを再稼働させる。)
リズはマニュアルを見ながらたどたどしくソフトを入れ、シミュレータの設定を変えていく。
「よし、映った。」
端末内のウィンドウに、単なる数字ではない「映像」が映る。本来コンピュータ内部で計算している粒子を画像として再構築したのだ。時間を現実と同期したので、内部も同じスピードで時間が流れている。
これで、シミュレータ内に声を届けたり、内部の音を聞いたりできる。
映像内でシミュレートされた生物が、よくわからない言葉を喋っている。
(おっと。言語の自動翻訳も設定しないと分からないや。)
翻訳はフリーソフト側で設定があった。選択するだけであっさり理解できる言葉になる。
「おおー。なんだか感動。」
リズは数日間、ソフトを入れた世界を眺めて暇を潰していた。
そして、次の段階として、シミュレータ内部の生物に声をかけてみたのだ。
(「神社」という神様の家に来て、お願いしているんだし、他に生物もいないから邪魔も入らないでしょ。)
「お願いがあります」と言いつつ、声に出さずに帰ろうとした生物――ユウキにマイク越しに声をかけた。
「お願いがあるんじゃないの?言わなきゃわかんないんだけど」
*
周りを見回すユウキに、リズは更に声をかける。
「見回してもいないよ。」
『誰?・・・ですか?』
「神様みたいなものかな?」
単なるオペレータであるリズは、それでも、シミュレータ内部の生き物ユウキに「神」と名乗った。
『え?マジ?』
「マジマジ」
ユウキが慌てる姿を見て、リズはちょっと楽しくなってきた。
『え、と。お願いを、叶えてもらえるんですか?』
「まあ、今、暇だし。聞くだけ聞いてみようかな、と。」
ユウキは改まって境内に向き直ると、言った。
『金ください。一生、働かなくてもいいくらいの大金。』
「え?金?」
『そう。お金です。』
リズはシミュレータの計算を一旦停止した。これでシミュレータ内の時間は止まる。
その間にリズは考える。
(シミュレータ内部の金。なんだっけ。検索して・・・。紙幣か。結構精密だな。粒子単位でコピーすればいくらでも出せるけど、これ通し番号が付いてるよね。コピーだと全部同じになっちゃうし、一つずつ変えていくなんて無理。粒子単位のシミュレータ改変なんてできないし。)
リズは停止を解除した。
「お金は無理。札束、出せるけど、全部同じ札だから、君、偽札作った犯罪者になっちゃうよ。」
『え。・・・神様だからなんとかできないんですか?』
「無理。できることとできないことがあるの。」
『じゃあ、永遠の命とか。ずっと若いままでいたいです。そうだよ。神様に頼むならお金よりこっちだ。』
また一時停止して考えるリズ。
(細胞分裂を繰り返す生き物を永遠に、とかできるのかな?テロメアとかいうのを操作する?この生物の若い頃のDNAデータを昔の世界から拾ってきて今のこの生物の細胞に入れてみる?いや、それ、粒子単位でどうやって操作するの?こっちはプログラマーでもDNA研究者でもない単なるオペレータだし。ムリムリ。)
リズはひとしきり考え、また解除する。
「それも無理かな。きみの命は限りあるものとして元々作られている。」
少し偉そうに言ってみる。
『・・・じゃあ、何ならできるんですか?』
「ていうかさ、さっき「お願いがあります」って言ってたじゃん。金とか永遠の命とかお願いしてたわけ?」
ユウキはハッとした。
『死んだ祖父と話をさせてください。その、大学卒業後の進路相談がしたいので。』
*
リズはサービスを停止した。
(死んだ祖父と話。話かぁ。どうしたらできるかな?)
ソフトをインストールして、同期しているのはこのシミュレータだけだ。もう一つのシミュレータも同期させて、そちらのシミュレータの時間を、ユウキの祖父が生きている時間まで戻して同時再生し、音声をやり取りさせれば会話もできるだろう。
しかし、元々暇つぶしのために始めたことだ。そこまでやりたくない。
(もういっそ、時間を戻して再計算して、声をかけなかったことにしようかな。)
一瞬考える。
(いやいや、我ながら、飽きるのが早すぎでしょ。)
リズは更に考える。
(このシミュレータを一旦この時間アルファで停止して、時間軸をユウキの祖父が死ぬ前ベータに戻す。私が話しかけ、未来の孫の相談に乗って欲しいと言って、話ができるならまた一旦停止し、アルファでユウキの声を端末で録音し、ベータで再生。その後、返事をアルファまでまた戻し、再生。これを繰り返せば、会話できる、かな?)
「よし。やってみましょう。祖父に話しかけて見て。」
『えっと、じいちゃん。聞こえる?ユウキだよ。』
*
(ベータ時間)
『突然、失礼します。』
一人で大学の研究室にいたユウキの祖父――総一朗は、その声に驚いて周囲を見回した。
「・・・誰もいない?」
『突然、失礼します。今ちょっとお時間よろしいですか?』
(といっても、あなたはどんなに忙しくても、あと1時間くらい経つと地震で建物の下敷きになるから関係ないんだけどね。)
リズにとって、ユウキも総一朗もシミュレータ内部の生物であり、現実ではない。特に関心はなかった。
「あなたは誰だ?」
『神様みたいなものです。未来のあなたの孫が、あなたと話をしたいと言っているので、繋いでみようと思うんですが、協力してくれますか?』
「神様?・・・というか、未来の孫?」
『ユウキという名前の人間です。』
「ユウキか!」
総一朗は懐疑的であったが、イタズラにしては手が込んでいる。孫の話を大学でしたことはない。ユウキの名前が出てくることに驚いていた。
『ユウキさんは大学を卒業後の進路についてあなたと相談したいそうです。』
「・・・神様がなんでそんなことをしているんだ?」
『暇つぶしみたいなものです。』
呆れた顔をした総一朗は、一瞬後に目をギラつかせた。
「・・・暇つぶしにワシを億万長者にしたり、若返らせたりして見る気はないか?」
『孫と同じことを言わないでください。どっちも無理です。・・・いいですか?』
「このまま電話と同じようにすればいいんじゃろ。構わんよ。」
リズは、ユウキの音声を再生した。
『えっと、じいちゃん。聞こえる?ユウキだよ。』
「聞こえる。ユウキか、声が少し大人っぽくなったか。今いくつだ?」
(さあ、ここから大変だ。)
リズは、ユウキと総一朗の会話を成立させるため、会話を録音してはシミュレータの時間軸をアルファとベータに交互に戻しつつ、録音・再生を繰り返した。
*(アルファ時間視点)
「今は21だよ。あと1年で大学を卒業するんだ。」
『おお。こちらではまだ中学生なのにな。もうそんな歳か。』
神様と言うには威厳も何もないやり取りだったが、死んだ祖父と話ができていることにユウキは涙が出そうになった。
「じいちゃんは、元気?」
『ああ、元気だ。といっても、こんな時間にまだ働かないといかんのだ。大学勤務も楽ではないな。』
(こんな時間?)
さらに、さっき祖父は「まだ中学生」と言った。つまり、この祖父は死後の祖父ではなく、過去に生きている祖父ということか、とユウキは思った。
しばらく、雑談した後、本題に入る。
「それで、実は院に進むか、就職するか迷っていて。」
『お前は、どうしたいんだ。ワシが言うのも何だが、どっちも楽ではないぞ。楽ではないんだから、行きたい方、やりたいことをやるべきだ。』
「でも、就職は昔よりずっと厳しくなっていて、院を出ても働く先がないかもしれない。」
『それは、院に行った分を「取り戻せる」高給を貰える就職先がない、ということだろう。そんなところは、昔から少ない。研究なんてのは、だいたい報われないことが多い。そういう生き方だ。ワシはかなりマシな方で、博士号は取ったが、教授にどころか席も貰えずに細々と外部講師を続けている者もいくらでもいる。』
「じゃあ、就職したほうがいいのかな?」
『就職は、やりたい仕事があるのか?』
「いや、給料がそこそこで、ホワイトなところを探すつもり」
『ホワイト?どんな業種だ?』
「あ、ホワイトってのは、勤務時間とかがきっちりしていて、働きやすい場所って意味だよ。」
『働きやすい、か。やりたいこと、ではないか。』
「まあ、そうだね。」
『最初はそれでもいいが、数年すると、実際に「やりたいこと」であるかどうかを悩み始めると思う。ワシもそうだった。ワシは一旦民間で働いて、その後大学に戻ったのだ。結局、自分の人生、やりたいことがやりたい、とね。』
(じいちゃんも転職してたのか。勝手に大学からそのまま博士になったと思っていた。)
ユウキは、生前に祖父の話をこんなに聞いたことがあっただろうか、と戻らない時間に、少し胸が狭まるような思いがした。
「そっか。結局、やりたいこと、か。」
『ワシはそう思う。人間いつ死ぬかわからんのだ。我慢して後からやりたいことをやろう、と言い聞かせても、明日があるとは限らない。後悔しても何も得ることはないんだ。』
(話ができて、良かった。)
「じいちゃん、ありがとう。もう一回考え直してみるよ。・・・神様にも感謝しないとね。」
『力になれたら良かった。これがどういうものか分からないが、元気でな。お前が大学生になったら今の話もできるのかな?』
「・・・さあ、どうかな。ところでさ、あの。」
『なんだ?』
ユウキは、つばを飲み込んだ。声が、少し震える。
「こ、今夜さ。実は、月がすごく珍しい光り方をするみたいなんだ。星空がよく見える場所で、外で写真を撮っておくことをおすすめするよ。」
リズは時間を停止した。
*
「! やりやがったアイツ!」
リズは試しに、そこで会話を終了して、そのままシミュレータを再生してみる。
総一朗はカメラを用意し、防寒着を着て外に出て、星を探している間に震災が起きたのだ。
元々、震度の大きさの割に人的被害は大きくなかった地震であった。研究等は崩れたが、外に出ていた祖父は尻もちをついただけで済んだ。
総一朗は死なないことになった。
そのまま祖父が生きている状態で時間が進むと、高校生になったユウキは、本来行くはずであった大学ではなく、生きて祖父が教鞭を取っている大学へ進学してしまった。
歴史はあっさりと変わってしまった。
そうあると、ユウキは帰省も神社へも来ない。
リズと話をすることもなくなった。
ただ、ユウキは、総一朗の記憶にいるのみである。
ユウキの悩みは、ユウキの存在ごと書き換えられたことになる。
時計の針を無理やり戻し、更に書き換えた結果であった。
ユウキは祖父と感動の再会はしない。そもそも死別しなかった事になったから。
それが幸せかどうかは、分からない。
総一朗はユウキの在学中に定年退職し、ユウキは大学院に進学したが、博士課程途中で総一朗が認知症になり、面倒を見るために休学することになった。
それでも、もしユウキに以前の記憶があれば、「こちらの方が幸せだ」と言うかもしれないが、そのユウキはシミュレータの再計算によって消えてしまったのだ。
見ているリズが、ユウキは満足だろうか、と小さな感傷に浸ることしかなかった。
*
そして、リズもそんな感傷はすぐに忘れることになる。
「さて、お愉しみはここまでだ。」
「え。」
リズの背後から、警備員を連れた上司が現れる。
「端末に変なソフトを入れて、シミュレータで不要な再計算を繰り返していたね。その再計算にもリソースを消費していることは理解しているかな?」
「え、いや、その。」
「まあ、再計算しているのはそのシミュレータだけだから、そこまで影響は大きくない。きみの給料からリソース消費分を差っ引けば、一回目だし、まあ大目に見ようじゃないか。」
「ひ。いや、その。私にも生活が。」
「大丈夫。全額一気にとは言わないから。ただ、しばらくきみの月給が半分になるだけだよ。」
リズは減給処分となった。
おしまい
テーマ 溢れる気持ち
器
( 注意)この話は救いがありません。
あるところに、気が優しくて、愚かで、とても頭の良い博士がいました。
博士には恋い焦がれている人がおり、彼女にどうやったら自分の気持が伝わるのか考えました。
博士は幸い、天才だったので、人間から溢れ出た気持ちを近くの人に移し替えるという、ものすごい機械を作りました。
作ってしまいました。
致命的なことに。
できてしまったのです。
その機械は、空気中に小さな小さな粒子をバラマキ、その粒子は生き物から溢れ出た気持ちを伝える媒介をするという、大変都合の良い働きをしました。
博士は実験室でスイッチを入れました。
テストのためです。
軽い気持ちでした。
粒子は部屋に満ち、博士からは溢れた恋い焦がれている気持ちが出て、隣りにいた助手からは連日の勤務から早く開放されたいという気持ちが溢れました。
間の悪いことに、二人はふたりとも気持ちが溢れており、移し替える先はありませんでした。
溢れた気持ちは同じ部屋にいた博士の飼い猫に入り、飼い猫は突然入ってきた恋の気持ちと仕事が嫌で嫌で仕方がないという気持ちに、あっさり狂ってしまいました。
猫は恐ろしい叫び声を上げて窓を破り、外に出ました。
そう、窓を破りました。
粒子は外に出ていきます。
博士は、そんな様子を見て少し冷静になり、溢れた気持ちが少し収まりました。
すると、博士の心に助手の仕事にウンザリとした気持ちが入ってきます。
仕事が嫌になっていた助手の気持ちは、ちょっとやそっとではまかないきれないほど、溢れていました。
博士はその気持ちに支配され、指一本動かしたくなくなり、スイッチを切る気がなくなり、そのままソファに寝転がってふて寝を始めました。
助手はこれ幸いと、その場で寝始めました。
粒子はどんどん出ていきます。
牛の屠殺場では、殺される牛の絶望の気持ちが増幅されました。人間たちは絶望に押しつぶされ、精肉どころではなくなりました。
絶望の苦しみから皆が死を選び始めます。
産婦人科では、新生児の泣き声とともに、一斉に「 生まれの苦しみ(※)」の感情が溢れ、産婦人科医も看護師もみな、泣き始めました。
(※ 仏教の四苦八苦の四苦、生老病死の生です。)
介護施設では、認知症で言葉にできなくなった入居者達の絶望と怒りと悲しみが溢れ、職員を襲い、伝わらない苦しさから、泣いたり怒鳴ったりし始めました。
本当に想い合って、しかも相思相愛の恋人たちだけは、少しだけ長く幸せでした。二人とも、その気持ちが冷めるまでは。
片方の気持ちが冷めても、もう片方の溢れた気持ちが入ってきて、気持ちは長続きしたのです。
ここだけ博士の思惑通りでした。
さすが天才。
やがて粒子は地球を覆い尽くし、生き物全体の気持ちが平準化されました。
一体、世の中はどうなってしまうのでしょうか。
心なんて、見えすぎるものではありませんね。
*
どうですか?
心が通じ合う世界のシミュレーションです。
お気に召しましたか?
いや?ひどい?
まあ、思うがまま、都合がいいことばかりではないので、そういうこともありますよ。
おしまい。
え?結局どうなったかって?
ひどいっていったのに、知りたいんですか?
仕方ないですね。
簡単ですよ。
距離を取り始めたんですよ。
気持ちが伝わらないくらいに。
先程の「 気持ちの平準化」というのは、あくまでも粒子が伝えられる範囲の話です。
牛の屠殺場の絶望は、屠殺場から十分に距離がある場所には伝わりません。
間に、媒介となる生き物がいなければ、ですけど。
だから、人が人と近づかなければ、生き物を介さなければ、そこまでの悲劇は起きません。
そして、気持ちが伝わらない距離から、生き物を殺して食べる、を繰り返し始めました。
まあ、少しマシになった程度の地獄ですね。
地獄を自覚した、というところでしょうか。
しかし、それで全て解決、とは行きません。
仲良く手を取り合って生きていた二人も、料理をするときの植物の悲鳴にやられて、心を病みました。
肉食獣も、獲物を殺したときの獲物の絶望の気持ちにやられてしまい、少しずつ衰弱していきました。
草食獣も同じです。植物の悲鳴にやられてしまいました。
世界は絶望に包まれ、水と光合成で成長できる植物たちと、「心」が存在しない小さく単純な生物だけの世界になりました。
とまあ、こんな感じです。
救いがない?
そりゃそうですよ。
実際にないんですから。
火山の噴火に救いがありますか?
世界のルールを変えると、水が低きに流るるが如く、なるようにしかならないのです。
何?シミュレーションで良かった?
いやいや、あなた達の世界にも似たようなものがあるじゃないですか
ほら、ツイッ◯ーとか言う、、、。