テーマ 溢れる気持ち
器
( 注意)この話は救いがありません。
あるところに、気が優しくて、愚かで、とても頭の良い博士がいました。
博士には恋い焦がれている人がおり、彼女にどうやったら自分の気持が伝わるのか考えました。
博士は幸い、天才だったので、人間から溢れ出た気持ちを近くの人に移し替えるという、ものすごい機械を作りました。
作ってしまいました。
致命的なことに。
できてしまったのです。
その機械は、空気中に小さな小さな粒子をバラマキ、その粒子は生き物から溢れ出た気持ちを伝える媒介をするという、大変都合の良い働きをしました。
博士は実験室でスイッチを入れました。
テストのためです。
軽い気持ちでした。
粒子は部屋に満ち、博士からは溢れた恋い焦がれている気持ちが出て、隣りにいた助手からは連日の勤務から早く開放されたいという気持ちが溢れました。
間の悪いことに、二人はふたりとも気持ちが溢れており、移し替える先はありませんでした。
溢れた気持ちは同じ部屋にいた博士の飼い猫に入り、飼い猫は突然入ってきた恋の気持ちと仕事が嫌で嫌で仕方がないという気持ちに、あっさり狂ってしまいました。
猫は恐ろしい叫び声を上げて窓を破り、外に出ました。
そう、窓を破りました。
粒子は外に出ていきます。
博士は、そんな様子を見て少し冷静になり、溢れた気持ちが少し収まりました。
すると、博士の心に助手の仕事にウンザリとした気持ちが入ってきます。
仕事が嫌になっていた助手の気持ちは、ちょっとやそっとではまかないきれないほど、溢れていました。
博士はその気持ちに支配され、指一本動かしたくなくなり、スイッチを切る気がなくなり、そのままソファに寝転がってふて寝を始めました。
助手はこれ幸いと、その場で寝始めました。
粒子はどんどん出ていきます。
牛の屠殺場では、殺される牛の絶望の気持ちが増幅されました。人間たちは絶望に押しつぶされ、精肉どころではなくなりました。
絶望の苦しみから皆が死を選び始めます。
産婦人科では、新生児の泣き声とともに、一斉に「 生まれの苦しみ(※)」の感情が溢れ、産婦人科医も看護師もみな、泣き始めました。
(※ 仏教の四苦八苦の四苦、生老病死の生です。)
介護施設では、認知症で言葉にできなくなった入居者達の絶望と怒りと悲しみが溢れ、職員を襲い、伝わらない苦しさから、泣いたり怒鳴ったりし始めました。
本当に想い合って、しかも相思相愛の恋人たちだけは、少しだけ長く幸せでした。二人とも、その気持ちが冷めるまでは。
片方の気持ちが冷めても、もう片方の溢れた気持ちが入ってきて、気持ちは長続きしたのです。
ここだけ博士の思惑通りでした。
さすが天才。
やがて粒子は地球を覆い尽くし、生き物全体の気持ちが平準化されました。
一体、世の中はどうなってしまうのでしょうか。
心なんて、見えすぎるものではありませんね。
*
どうですか?
心が通じ合う世界のシミュレーションです。
お気に召しましたか?
いや?ひどい?
まあ、思うがまま、都合がいいことばかりではないので、そういうこともありますよ。
おしまい。
え?結局どうなったかって?
ひどいっていったのに、知りたいんですか?
仕方ないですね。
簡単ですよ。
距離を取り始めたんですよ。
気持ちが伝わらないくらいに。
先程の「 気持ちの平準化」というのは、あくまでも粒子が伝えられる範囲の話です。
牛の屠殺場の絶望は、屠殺場から十分に距離がある場所には伝わりません。
間に、媒介となる生き物がいなければ、ですけど。
だから、人が人と近づかなければ、生き物を介さなければ、そこまでの悲劇は起きません。
そして、気持ちが伝わらない距離から、生き物を殺して食べる、を繰り返し始めました。
まあ、少しマシになった程度の地獄ですね。
地獄を自覚した、というところでしょうか。
しかし、それで全て解決、とは行きません。
仲良く手を取り合って生きていた二人も、料理をするときの植物の悲鳴にやられて、心を病みました。
肉食獣も、獲物を殺したときの獲物の絶望の気持ちにやられてしまい、少しずつ衰弱していきました。
草食獣も同じです。植物の悲鳴にやられてしまいました。
世界は絶望に包まれ、水と光合成で成長できる植物たちと、「心」が存在しない小さく単純な生物だけの世界になりました。
とまあ、こんな感じです。
救いがない?
そりゃそうですよ。
実際にないんですから。
火山の噴火に救いがありますか?
世界のルールを変えると、水が低きに流るるが如く、なるようにしかならないのです。
何?シミュレーションで良かった?
いやいや、あなた達の世界にも似たようなものがあるじゃないですか
ほら、ツイッ◯ーとか言う、、、。
2/5/2024, 10:38:26 PM