いつまでも捨てられないもの
ちょうど一年前に彼と別れた。
別れた直後は毎日泣いていた。
だが、3ヶ月をすぎた頃くらいから、
週に一度になり、月に一度になり、数ヶ月に1度になり、
気づけば泣くことは無くなっていた。
最近は、思い出すことさえしていなかった。
やっと吹っ切れたんだ、そう思っていた。
今日は仕事も早く終わって帰宅し、シャワーを浴びて
気持ちよくベッドに入った。
安心して目を閉じようとしたそのとき、
LINEの通知音が立て続けに3回鳴った。
反射的に時計を見ると丁度21時になったところだった。
胸の当たりがギュッと締め付けられ、ズキズキバクバクしている、目が熱くなってきて鼻が痛い。
今まで忘れていたはずの全ての記憶が一瞬で
脳を駆け巡る。
時間に正確な真面目さ、必ず3つの文章で出来たあのあたたかいトーク画面、綺麗な薄茶色の瞳、長いまつ毛、笑った時の目尻のしわ、手の形、横顔、後ろ姿、優しい声、あの日みた景色まで。
私が去年毎日待ちわびていたあの音が、いつもの時間に鳴るその音が、私の耳の中でまだ鳴り響いている気がする。
ガンガンする頭を落ち着かせるために、必死に目を閉じた。
やっと追い出したはずの痛みがまた私を襲ってくる。
「お願いだから、出ていって。」
その言葉には今でも正反対の気持ちが混ざっていた。
メッセージを来ないようにすることもできたはずなのに、心のどこかでその音を今でも待っていた。
こんなに苦しいのにどうして。
一体あと何年経ったらこの気持ちを捨てられるだろう。
きっといつまでも捨てられない。
ここではないどこか
透き通ったブルーの海
風がほどよく肌を撫でる
焼きたてのパンとほのかに混ざる珈琲の香り
太陽に照らされた白い壁
でこぼこの地面を走る少年たち
じんわりと汗をかきながら坂道を登る
家に帰るとそこには迎え入れてくれる彼がいる
目までかかる長い癖毛と、そこから覗く青い目が
たまらなく愛おしい
2人で選んだ家具や、観葉植物に囲まれて
初めて食事した時にレストランで流れていた音楽が
レコードプレーヤーから流れている
.
.
.
.
それは、遥か遠くのその向こう
穏やかに、そして確実に存在していた世界
ここではないどこかに
恋物語
「君は緑が似合うね〜。」
彼女はそう言って、芝生に寝転がり読書をする僕の額に濃い緑の葉を当てがいながら、顔を覗き込んでくる。
ふわふわとした髪の毛からシャンプーの香りがする。
僕はそれを聞き流しながら、「シャーロック・ホームズの冒険」に集中する。
「オレンジも似合うかな〜水色も似合うかな?」
そう言いながら彼女はどんどん僕の額に小さな花を乗せていく。
右目が水色の花に邪魔されながらも、僕は抵抗を続けたが棺に入る前に顔中を花だらけにされているのはいささか不愉快だと感じ、読書を中断した。
頭をぶるぶると振って顔中に乗った花たちをふるい落とす。
彼女は僕が反応したことで、嬉しそうに笑いながら言った。
「私には何の色が似合うと思う?」
「黄色」
考えるよりも先に言葉が出ていた。
即答した僕に驚きながらも、彼女は
「どうして黄色だと思ったの?」
と僕に尋ねた。
「わからない、適当。」
と答えると彼女はブーブー言っていた。
彼女に初めて出会ったのは、13才になった頃だった。
僕は家の事情で、中学生に上がると同時に祖母の家に引っ越すこととなった。
知らない人達ばかりの学校に入学し、読書が好きで無口な僕は一人も友達ができなかった。
1人で休み時間外を散歩していると、校舎の裏の花壇のそばにある木の下にはあまり人が来ないということに気づいた。そこを自分のお気に入りスペースに認定した。
休み時間はいつもそこで読書をして過ごした。
「ねえ、何を読んでるの?」
ある日彼女は現れた。
彼女は、環境委員として花壇の手入れをする係らしい。
土をいじるのは、あまり人気では無いようで係も彼女一人しかいないらしい。
彼女は僕が無視し続けても話し続けながら花壇の手入れをせっせと行っていた。
何故か僕は彼女に気に入られ、迷惑なことによくお気に入りスペースに出現するようになった。
彼女は花の手入れをする時間がとても好きなようだった。
花の名前を全て知っていて、聞いてもいないのに僕にそれを教えながら楽しそうに水をやっていた。
花の話をしている彼女は幸せそうだった。
1度、大きな台風がやってきて花壇の花が全てボロボロになってしまった事がある。
茎が折れ、葉が茶色くなり、花に詳しくない僕から見てもそれはもう戻らないことを物語っていた。
萎れたその花たちを見て彼女は初めていつものくるくる変わる表情を無くし、黙ってそれを見つめていた。
泣くわけでも、喚くわけでもなく、ただそれをじっと静かに見つめてとぼとぼと帰っていった。
僕はその週末、誰にも内緒で近くの花屋へ行って何個か彼女が好きだと言っていたような花の苗と肥料を買って学校の花壇に埋めにいった。
初めて触る土は爪の中に入ってきて少し嫌だった。
土の中には幼虫や色んな虫がいて叫びそうだった。
虫が大の苦手だった僕は何度も休憩しながら、苗を植えた。
高さや列が綺麗に揃うと少し気分が良くなった。
水を少しだけあげて、その日は帰宅した。
翌日いつものように、木の下で本を読んでいると彼女が無表情のまま、とぼとぼと歩いてきた。
花壇の前で立ち止まると、その顔にはみるみるとあの光のような笑顔が蘇りパッと明るくなった。
君のその笑顔はまるで、君が大好きな花のひとつのマリーゴールドのようだった。
「お花がたくさん咲いてる!」
幸せそうな彼女の笑顔を見ていたら、なんだか胸の中がじんわりした。
「あ!君の笑顔はじめてみた!」
彼女はそう言って僕を指さす。
「笑ってないよ。」
そう言って僕はまた本に視線を戻した。
「…ああ、だから君は黄色なのか。」
そう呟くと、彼女からのはてな攻撃がまた
僕を襲ってくる。
それを無視して、
「ちょっと待ってて。」
とだけ言って、僕はまた君に似合う花を探しに行く。
そしてそれを受け取った君の顔には、また黄色い光がパッとついて僕はまたそれに負けて柄にもなく微笑んでしまうんだろう。
君のその光が僕をあたたかくしてくれる。
それをこれからも、君が教えてくれた愛する花たちを通して伝えていこうと思う。
真夜中
みんなが眠ってしまい、家の中も家の外も静まり返ったこの時間。
自分の心の声にそっと耳を傾ける。
昼間は誰かの心の声でかき消されてしまって見向きもされなかった為か、私の心の声はなかなか出てこようとしない。
「お待たせ、みんな寝てしまったからそばに来て大丈夫だよ。」
そう伝えると、ふてくされた顔をひょっこり出して、もじもじ体を揺らしながら私の側に近づいてくる。
近くまで来ると、耐えきれなくなったのか、それは私に抱きつき泣き出してしまった。
わたしは精一杯それを優しく抱きしめて、慰める。
ポケットにしまっていたそれの大好きなチョコレートを渡して、偉かったね、がんばったねと伝え、頭を何度も撫でてあげると、それはうんうん、と大きく顔を振り大粒の涙を溢した。
2人で手を繋いで月を眺めた。
大人しく優しい光で、私たちの心を落ち着くまで見守ってくれているようだった。
優しいその光に照らされて、私たちは眠ってしまった。
目が覚めると、あんなに泣いていたそれは楽しそうに野原を駆け回っていた。
私が起きたのに気づくと、タタタタッと駆け寄り、チョコレートをかじりながらにっこり笑って、
「おはよう、また一緒に月を見に会いにきてね。」
そう言って、私の背中を押したかと思うと、またタタタタッと走ってモンシロチョウを追いかけていった。
「わたしは君をわすれがちでごめんね。
これからは君を笑顔にすることも決して忘れないよ。
いつもありがとう。」
そう呟いて、君の最後にくれたあの優しい笑顔を思い出してフフッと笑って今日へと歩いていく。
今日もまた、誰かの心の声にかき消されそうになりながら君の声を探して耳を傾ける。
愛があればなんでも出来る?
愛の力はとてつもないエネルギーを持っていると思う。
誰かを愛すると、私は魔法をかけられたように綺麗になれるし、勉強や仕事に励むようになる。
そしてどんな人にも勝手に笑顔を振りまく素敵な人になり、部屋はいつだってピカピカになる。
愛を持った私は最強になれる。
しかし今はその効力を失ってしまっていて、
途方に暮れている。
何をするにもやる気があまり出ない。
笑顔なんて人間の機能を忘れてしまいがちで、
どんどん埃っぽくなっていくこの心を、
パサパサの砂のような心を、
新しい愛が綺麗にして潤してくれないだろうか。
あの愛の力をまた手に入れて、全てがキラキラと
輝いて見えたあの世界を身体中で感じたい。
私に素晴らしい体験をくれた今までの愛を大切に
宝箱にしまって、また新しい愛を探しに行こう。