名無しの夜

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12/13/2023, 2:02:31 PM

 ……いっそ溺れてしまえばいいのに、とアタシは思うの。

 いつでもアタシを一番に気にかけて、何でも率先してやってくれるアナタ。


 だからアタシも精一杯、愛を注ぐの。
 全身で、全力で。


 アタシの愛で、アナタが溺れてしまうくらいに。



「ちょ——愛ちゃん! ステイ、ステーイ!
 愛ちゃん重いからッ! パパ潰れちゃうから!!」


 ……レディに対して失礼ね。
 仕方ないでしょ、アタシは由緒正しきセント・バーナード犬なんだから。


 ムッとしつつも指示には従って、ちゃんとアナタから引き下がってお座りしてあげるの。


 これも愛よ、わかっているのかしら。


「あああ、せっかくスタイも取り替えたのにビショビショじゃないか……」

 ボヤきつつ。
 アナタはビショビショになった洋服姿のまま、アタシの口周りを拭ってくれるの。
 嬉しそうに。


 だからアタシはまた愛を注ぐの。

 ……アナタが溺れるほどに。


 大丈夫、もしもアナタが本当に溺れてしまっても。

 アタシがきっちり助けてあげるから、何にも心配いらないわ。


 だってアタシは由緒正しき、優秀な救助犬たるセント・バーナードですもの!

12/13/2023, 4:15:17 AM

 冷えた風が渡る、丘の上。

 月のない夜空にちらほらと光る埃のような星々を、彼は飽きもせず見上げている。


「いつまで、そうしているの」

 呆れたように、母親のように、彼女が口を開く。
 立ち尽くして疲れたのか、全身を軽く揺らしながら。


 そんな彼女に視線だけ向けて、彼は済まなそうに微笑んだ。

「流れ星を、探しているんだけどね」

「——流れ星……」


 声の調子で、彼女の呆れの度合いが上がったのがわかる。


 そんなの見つけてどうするの。


 言わずとも、彼女の顔にはそう書かれていて、彼は苦笑する。

「流れ星に祈ると、願いが叶うんだって」

 大昔の書物にそう記されていたと、彼は内緒話をするように声をひそめた。


 彼女は溜息をつく。

「またそんなことを——もう真偽はどうでもいいけど。
 で? そんな言い伝えにすがってまで叶えたい願いって、何よ」


「言ったら、叶わないんだけど……。
 でも見つからないし、いっか」


 軽く肩を竦め、彼はまっすぐ彼女に向き直った。


「君の心が欲しいって、お願いしたかったんだ。
 君ともっと心を通わせたい。同じ気持ちでいられるように、って」


「——はぁ……?」


 真摯な眼差しをもって伝えた彼の言葉は、彼女には響かなかったらしい。


 彼女は大きく息を吐いてかぶりを振った。


「心って——所詮、記憶と事象に対する感情発露と、その蓄積じゃないの?
 えーっとつまり、私のそれを同期すれば、君の望みは叶うのかしらね……?」


 そんな機能あったかしら、そもそも私の記憶データベース深度はどの程度なのかしら、と彼女は頬に手を当てて思考を巡らせる。


「うーん、中枢システムにアクセスしないとわからないわね。
 ——とりあえず、帰りましょ」


 うん、と彼は頷いて彼女に従う。

 軽くスキップでもしそうな彼の足取りに、彼女は首を傾げる。


「何で、そんなに嬉しそうなの」
「……君の心に、もっと近付けそうだから?」


 はぁ? と彼女は再び眉根を寄せて。


 ほんっと、ヒューマノイドって意味わかんない、と——

 それでも彼につられたように。
 彼女も楽しそうに、口角を上げて呟いた。

12/11/2023, 10:14:20 PM

傷つきたくないから、心を空にする。

そんな癖を、いつから身につけたのだっけ。


陰口も、上辺だけの賞賛も、どうでもいい。

聞こえないフリ、聞いていないフリ。


傷ついても——何でもないフリをしていたら。


いつしか、誰の言葉も心底に届かなくなってしまった。


でもいいの。

ひとりが気楽、ひとりが良いから。



「にゃー」

リビングの窓辺に座っていたら。
老猫が隣に、寄り添ってきた。


冷えた手に、やわらかな肉球の感触。

キラキラのおめめ。
優しい暖かさ。


……何でもないフリなんて、できないね。


大好きは、確かにここにあるんだ。

12/10/2023, 10:51:23 AM

「俺たち、仲間だろ!」

 顔をクシャクシャにして、叫んでいる。
 こういうの、なんて言うんだっけ?

 あぁ、血を吐くように叫ぶ、か。

 まさしく、口の端から血が滲んでいるものな。
 自慢の顔も痣だらけ。
 明日にはひどく腫れそうだ。


 ……明日があれば、の話だが。


 仲間、ね。

 確かにそう思っていたよ。
 脳天気にも、つい最近まで。


 なあ、教えてほしい。
 お前にとって、『仲間』とはどんな意味だったんだ?

 その定義をもって、今のお前はその言葉を発しているのか?


 ……もちろん、違うよな。


 だから笑って、背中で手を振った。

「仲間でいられたら、良かったのになあ?」


 定義が異なるとしても、仲間ではいられたかもしれない未来を、少しだけ想像して。

 二度と開くことはない、廃屋の扉を閉ざした。

12/10/2023, 5:48:05 AM

むかーし、むかし。

年末だったから、何とはなしにお参りに行った。
祈った願いは多分、二人とも同じことだったんじゃないかな。


『いつまでも、ずっと一緒に』


帰り道、
通りの屋台でお団子を買って食べたね。

風が冷たくて、かじかんだ手を握ってくれたっけ。

大きな手は温かくて、心もほどけた。

少し先を歩く老夫婦も、支え合うように手を握っていて、それが何だか嬉しかった。

自分たちの未来だと、そう思ったの。



いつからだっけ。
震えていても、手を握ってくれなくなったのは。


手だけ暑くなってもね、とか
手汗が嫌だ、とか
そんなことを言ってしまったこともあったような気がする。


嫌だよ、恥ずかしい。
そう言われたのは、私の失言の後だったか先だったか。


もう、思い出せない。
思い返しても、何の感情も沸かないの。



でもね。
昔は、確かに望んでいたんだよ。


『いつまでも一緒に、手を繋いで』



あの老夫婦のおぼろげなお姿は、瞼の裏の幻影。

永遠に消えない、憧れの幻。

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