懐かしい歌が聞こえた。
あの子ではないと知りながら、視線は声の主を求めて彷徨う。遠く駆けていく子供たちの姿に、あの子ではなかったことを認めて肩を落とした。
何度繰り返しただろう。少しも前に進めないことを、自嘲する。馬鹿だと思いながらも、葉の落ちた木々にまたあの子の思い出を重ねて足を止めた。
青々と葉が繁る木々の下、木漏れ日を浴びてうたた寝をするあの子の幻を見る。
瞬きの間に、幻は跡形もなく消える。近づいて、地面に触れても、そこには温もりの欠片も残ってはいない。
「本当に、馬鹿だなぁ」
木漏れ日のような暖かな笑みを浮かべたあの子の跡は、この先も消えはしないのだろう。
すべては自分の選択の結果だ。それなのに今更醜く縋る心に、吐き気がしそうだった。
赤や茶色の葉で覆われた道。見上げる木々の葉は、殆どが散ってしまった。
今日もまた、待ち人は来ないのだろう。約束したことすら忘れているのかもしれない。
「嘘つき」
寒さに悴む手に息を吹きかけ温めながら、来ない相手に向けて呟いてみる。答える声は、聞こえてはこない。
分かってはいてもそれが悲しくなって、誤魔化すように足元の落ち葉を蹴り上げた。かさりと舞い落ちる葉に、益々寂しさが募る。
――来年もまたこの場所で、一緒に紅葉を見よう。
ささいな約束。指切りまでしたそれは、結局はその時だけの形だけのものだったらしい。
もう一度、落ち葉を蹴り上げ歩き出す。
暦の上では、冬が来ている。もう直ぐ葉はすべて散り、雪が降り始めることだろう。
そうしたらきっと、諦めもつくはずだ。
それまでの日にちを心の内で数えながら、一人寂しく家へと向かった。
手を合わせ、目を閉じる。
ただそれだけ。自分にできることは、ほんの些細なことだ。
この祈りが、正しく届いているのか分からない。知る術はなく、すべては自分の思い込みなのかもしれない。
「いつも、ありがとう」
隣で同じように手を合わせていた祖母が礼を言う。その言葉に落ち着かなくなるのはきっと、まだ信じきれていないからだろう。
祈りが届くことを。どこかで自分は疑っている。
だから考えてしまうのだ。
この祈りに、果てはあるのかを。
鏡に手をつき、溜息を吐いた。
同じ場所をぐるぐると回っている。違う道を選んでも、最後にはまた最初のこの場所に辿り着いてしまう。
「疲れた」
鏡に凭れながら座り込む。周りの鏡に映る自分も、同じように座り込んだ。
ミラーハウス。鏡の迷宮。
何故こんな所にいるのか、いつからいるのかは分からない。
ただ、早く帰らなければという焦燥感が常に付き纏い、心を落ち着かなくさせている。
帰らなければ。いつまでも、迷っている訳にはいかない。
深く息を吐いた。顔を上げて、ゆっくりと立ち上がる。
「帰らないと」
言い聞かせるように呟いて、また迷路の中に足を踏み入れた。
綺麗にラッピングされた箱。
「開けないの?」
首を傾げて、弟が問う。何度目かのやりとりかも忘れたそれに曖昧な返事を返しながら、それでも箱を開けられずにいた。
今朝早く、玄関の前に置いてあった箱は、送り主が誰かを書いてはいない。ただ、薄紅色の可愛らしいリボンが、送り主が誰かを静かに伝えていた。
「開けないの?」
弟が繰り返す。このやりとりにも飽きてきたようで、欠伸をひとつしながら、テーブルの上に置かれた箱に手を伸ばした。
「開けないなら、開けるよ」
「ちょっと、待って……!」
慌ててそれを止め、溜息を溢す。仕方がないと、リボンに手をかけた。
リボンを解く。殊更丁寧にラッピングを剥がし、中の箱の蓋をゆっくりと開けていく。
「――あ」
「へぇ、可愛いじゃん」
弟が笑う。
それをどこか遠くに聞きながら、恐る恐る中のそれを取り出した。
「――可愛い」
思わず呟く。
華奢な白の陶器で出来たそれは、一匹の黒猫が描かれた可愛らしいティーカップだった。