赤や茶色の葉で覆われた道。見上げる木々の葉は、殆どが散ってしまった。
今日もまた、待ち人は来ないのだろう。約束したことすら忘れているのかもしれない。
「嘘つき」
寒さに悴む手に息を吹きかけ温めながら、来ない相手に向けて呟いてみる。答える声は、聞こえてはこない。
分かってはいてもそれが悲しくなって、誤魔化すように足下の落ち葉を蹴り上げた。かさりと舞い落ちる葉に、益々寂しさが募る。
――来年もまたこの場所で、一緒に紅葉を見よう。
ささやかな約束。指切りまでしたそれは、結局はその時場限りの形だけのものだったらしい。
もう一度、落ち葉を蹴り上げ歩き出す。
暦の上では、既に冬が来ている。もうすぐ葉はすべて散り、雪が降り始めることだろう。
そうしたらきっと、諦めもつくはずだ。
それまでの日にちを心の内で数えながら、一人寂しく家へと向かった。
次の日も、気づけば約束の場所で一人立ち尽くしていた。
見上げる木々には、もう数える程しか葉がついていない。諦めれきれない自分を嘲笑うように、また一枚風に乗って葉が散っていく。
「嘘つき」
俯いて、込み上げる涙を乱暴に拭う。唇を噛みしめて、込み上げる嗚咽を必死に呑み込んだ。
今日で最後にしよう。
雪を待ってなどいられない。葉がすべて落ちた木々を見るのは、苦しくて耐えられないだろうから。
きつく目を閉じ、呼吸を整える。もう一度涙を拭い、俯く顔を上げ目を開けた。
じわりと涙で滲む、目の前の景色。その視界の端に、誰かの姿が見えた。
「え?」
目を擦り、その場所を見る。けれどそこには誰もいない。
いないはずだ。それなのに、込み上げる涙で視界が滲めば、そこに誰かの姿が見えた。
朧気な輪郭。自分と同じ年頃の少女に見えるその誰かは、手にした何かに視線を落とし、そしてそれを耳に当てた。
それがスマホだと気づいた時、ポケットの中に入れたままの自分のスマホが誰かからの着信を伝えた。
ポケットの中からスマホを取り出す。滲んだ視界ではそれが誰からの電話なのかは分からない。
それでも震える指は、通話ボタンを押していた。
「――もしもし」
スマホを耳に当てれば、電話越しに誰かの息を呑む音がした。
滲む視界で見える誰かが動揺したように、体を揺らす。
「誰?」
そう問いかければ、小さく鼻を啜る音が聞こえる。
そして、一度しゃくり上げる声がして。
「やっと通じた……このおバカ。どこにいんのよ」
待ち焦がれた、懐かしい声が鼓膜を揺すった。
「どこって……?」
「いいから!今どこにいんの?迎えに行くから教えなさい!」
懐かしさに浸る暇もなく、叫びにも似た勢いで場所を問われる。それに思わず目を瞬けば、涙が溢れ落ち滲む世界にだけ見える目の前の誰かの姿が消えていく。
「あ……」
「何か目印になるものとかないの!?……あぁもう!あんたほんとにどこにいんのよ?」
怒っているというよりも、焦ったような声音。消えた誰かに向けた意識を戻して、戸惑うように口を開く。
「え、と。その……約束した、場所」
口にしてから、相手は覚えていないだろうことに気づく。それに苦しくなって俯きかけるが、相手は容赦なく問いを重ねた。
「それって、どの約束!?海?山?喫茶店とか商店街の方!?」
「あ、その……」
勢いに口籠もるが、同時にたくさんの約束をしたことを思い出す。一緒に遊ぶ度、どこかへ行く度にささやかな約束を繰り返していた。
それを彼女は覚えてくれている。じんわりと胸が温かくなるのを感じて、笑みが浮かんだ。
「紅葉を見に行こうって行ったから……だから、ずっと待ってた」
「ここ!?……あぁ、待って!そこ、動かないでよ!」
風が落ち葉を舞い上げる。ざかざかとまるで誰かが近づいてくるような音を立て目を瞬いていれば、不意に右手に熱を感じた。
「え……?」
「捕まえた!」
右手を見ても、何もない。けれど足下、自分の影と手を繋ぐ誰かの影が揺れている。
「よし!このまま、急いで神社に行くからね!」
「神社?なんで……っ!?」
意味が分からず問いかける前に、ぐいと手を引かれて走り出していた。急なことに転ばないようにするだけで精一杯で、何も言葉が出てこない。
相手も何も言わず、それでも通話はそのままに、この町で一番大きく古い神社へと向かって走って行く。
何が起こっているのだろう。理解を超えた出来事に、それでも感じるのは恐怖ではなくやっと会えたという喜びだった。繋いでいるだろう手を、離れないように強く握る。相手も握り帰してくれることが、ただ嬉しかった。
辿り着いた神社は、普段と違いひっそりと静まりかえっていた。
走る足を止めず、そう言えばと今更ながらに気づく。
ここに来るまでに、誰ともすれ違うことはなかった。人だけではない。烏や猫などの生き物や、車でさえ見かけなかった。
「このまま裏の滝に飛び込むからね!……あ、ちょうど良かった。二人分のタオルと着替え、用意しててくんない?」
だが、電話の向こうでは、そうではないらしい。
「分かった!ようやく見つかったんだね」
「見つかったのか!?俺、おばさんたちに連絡してくる!」
「滝に行くってことは、やっぱり神隠し!?なら、父さんにお祓いしてもらうから。戻ってきたら社務所に来てよ!」
「分かった!ありがとう!」
複数の人の声。慌てたようにばたばたと音がする。
それも遠ざかり、神社の裏手にある小さな滝へと走っていく。
向かう先に滝が見えて、速度が上がる。本当にこのまま飛び込むらしいことに気づいて、焦りで繋ぐ手を引いた。
「ま、待って!?まさか、このまま?」
「当たり前!諦めて覚悟決めなよ」
「や、待って……待ってって……」
抵抗も空しく、手を引かれて走る勢いのままに滝に飛び込んだ。
ばしゃんと水しぶきを上げて、体が沈んでいく。冷たい水が容赦なく体温を奪い、意識が朦朧とし始める。
だがすぐに誰かの手に引き上げられ、震える体にタオルをかけられた。
「もう!皆心配したんだからね」
泣き腫らした赤い目をした友人が、タオルで水気を拭きながら抱き締めてきた。
ぼんやりと辺りを見渡す。友人たちや神社の関係者、近所の人たちの姿を認めて、目を瞬いた。
「寒い!死ぬ!これ以上外にいたら、凍え死ぬ!」
声が聞こえた。けれどスマホは滝に飛び込んだ際に手放してしまい、手元にはない。
電話越しではない、彼女の声にゆっくりと視線を向ける。
同じようにタオルで体を拭かれながら、彼女の兄に呆れた目を向けられているのが見えた。
「当たり前だ、馬鹿。この時期に滝に飛び込む奴がいるか」
「でもこれが一番確実だったし!」
「阿呆。風邪を引いたらどうするんだ」
溜息と共に小突かれている彼女と目が合った。
体を震わせ、かちかちと歯を鳴らしながらも嬉しそうに笑う。
「約束。ちゃんと覚えてくれててありがとう」
彼女の兄に抱き上げられ、彼女は社務所へと運ばれていく。それをぼんやりと見ていれば、同じように誰かに抱き上げられた。
驚いて視線を向ければ、眉間に皺を寄せて弟が自分を抱き上げている。彼女たちを追って、足早に歩き出した。弟の姿を見るのは久しぶりだ。それが何故かを考えて、ようやくすべて思い出す。
「あ……神隠し……」
黄昏を過ぎた後、女子供が一人で外にいれば神隠しに遭うという。
今では信じている者は殆どいない、古い言い伝え。幼い頃に両親としたささやかな約束を今更ながらに思い出した。
「皆、心配したんだからな」
弟の微かな呟きに、ごめんと小さく謝った。
目を閉じる。冷えた体を温める熱が、帰ってきたことを伝えている。
約束を破り神隠しに遭い、約束に縋って戻ってこれた。
深く息を吐けば、指切りをした小指がじわりと熱を持った気がした。
20251114 『ささやかな約束』
11/16/2025, 6:11:38 AM