sairo

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10/11/2025, 9:56:58 AM

「もしも、大人になって――」

くすくすと少女は笑いながら囁く。
木漏れ日の差す、木々の下。色鮮やかな葉の絨毯に座りながら、二人は小さな約束をした。
それは遠い未来の答え合わせ。例えるならば開けてみるまで分からない、プレゼントの箱の中身と言うべきか。

「ここを離れることがあっても、忘れないでいてくれたら」

少女は立ち上がり、木漏れ日を受けながらくるりと回ってみせた。
呆ける少年の前で人差し指を唇に当て、小首を傾げる。

「その時に、教えてあげる……だから忘れないでいてね」

約束。少女は歌うように囁いた。
次の瞬間。強い風が吹き抜けて、色づいた落ち葉を舞い上げた。少年の視界を覆い隠し、体に降り積もっていく。
咄嗟に目を閉じた少年が、次に目を開けた時。
少女の姿はどこにもなかった。



強い風が吹き抜け、落ち葉を空に舞い上げていく。
それを見るともなしに見つめ、不意に昔の記憶が脳裏を過ぎていく。
幼い頃の約束。
名も姿さえも忘れていた少女と交わしたそれを、男は朧気ながらも思い出した。
故郷の村は、もうない。十年ほど前に街へと続く山道が崩れ何日も孤立してから、人は皆村を出て行ってしまったからだ。
なくなった村に今更行った所で、少女はいるはずもない。そもそも、すべてが山に呑まれてしまっていることだろう。だが少女を思い出した今、男は村に戻りたい衝動に駆られていた。
帰らなければと、強く思う。
彼女が待っている。焦燥感にも似た感情に、男は車でかつての村を目指していた。





久しぶりに訪れた村は、やはりその殆どが山に呑まれていた。
車を降り、辺りを見渡す。子供の頃の記憶を思い起こさせるようなものは何一つ残されていない。
嘆息しながらも、男には不思議と戻るという選択肢はなかった。車を置いて雑草を掻き分け、微かな記憶を頼りに二人だけの秘密の場所を目指していく。
何故こうまでして約束を交わした場所へ向かおうとするのか、男自身にも分からない。理由などないのかもしれない。
そんな取り留めのないことを考えながら、不思議な高揚感と衝動に突き動かされ、男は先へと進んだ。



ようやく辿りついたその場所は、何故か昔の面影をそのまま残しているように感じられた。
草原も、小川も、木漏れ日ですら懐かしい。
込み上げる感傷に、男は目を細めて足を踏み入れる。
あの日と同じ鮮やかな葉に彩られた地を踏み締め、約束をした楓の木の下へと進んでいく。

「――あぁ」

落ち葉とは違う鮮やかな色彩を認めて、声が漏れた。覚束ない足取りで、男はその色彩の元へと歩み寄る。

それはたった一輪咲いた花。
その赤が、すべての答えだった。

思わず膝から崩れ落ちた。込み上げる涙が世界を滲ませ、一輪のコスモスの姿を隠していく。
伸ばした手に触れる花弁のその柔らかさに、息を呑んだ。
触れただけで壊れてしまいそうなほど、華奢な花。
だがその強さを知っている。
他でもない、約束をした少女が男にそれを教えてくれたのだ。

「もっと早く、思い出せたのならばよかった」

泣きながら笑い、男は呟いた。
忘れていた時間が惜しい。そう思える程、少女と過ごした時間は煌めいていた。

「忘れないと思ってたのにな……君の言うとおりになった」

あの頃、何も知らない子供だった男は、少女と過ごす日々を決して忘れることはないと信じていた。だが成長し、日々に追われて行く内に、いつしか少女のことは記憶の片隅に追いやられてしまった。
やっぱり、と男の記憶の中の少女が笑う。鮮やかに思い出せるようになったその微笑みに、胸が苦しくなった。

「でもずるいよ。こんな一方的な答え合わせなんて。こんなの……寂しくなるだけじゃないか……っ」

コスモスを前に、男は声を詰まらせる。項垂れるその頬を伝い落ちる滴が、コスモスの花を揺らした。

「どうせなら、あの時直接言ってくれれば……」

泣きながら、男が言葉を続けようとした時だった。

「そんなこと、恥ずかしくてできるわけないでしょう!」

どこからか、声がした。
はっとして男が顔を上げると、小川のほとりに少女の姿があった。

「忘れてたのなら、そのまま忘れてくれていればよかったのに」

頬を膨らませながらも、少女の目は男のように涙の膜が張っている。音もなく近づく少女は、あの懐かしい日の姿のままで男の前まで来ると、くるりと回ってみせた。

「私の答えは、この花よ……あの時、あなたが好きだって言ってくれたこと、とても嬉しかった」
「――言ってくれればよかったのに」

呆けたように少女を見ていた男が、その言葉に愚痴を溢す。
涙に濡れるその表情は、それでも優しく微笑んでいた。

「だから恥ずかしかったの!……まぁでも、ちゃんと言えばよかったかなって、思ってはいるわ」

その場にしゃがみ、少女はコスモス越しに男と向き合う。濡れたコスモスの花弁を指でなぞりながら、小さく呟いた。

「ここを出て行くからって最初から諦めてしまわなければ、ちょっとでも何かが変わったのかもね」

男もまた、花弁に触れる。
少女の言うように、子供の頃の告白に彼女が答えを返してくれていたのなら。男の一方的な思い出はなかったのだと知っていたのならば。
もしもを想像して、だが男は静かに首を振った。

「変わったかもしれない。それでも今、答えをもらえたからそれでいい」

時間などは関係ない。
思いに答えをもらえた。そのただひとつの結果が何よりも大切だと、男は少女に告げる。

「そっか……」

男の言葉に、少女はふわりと微笑んだ。安堵に吐息を溢し、ゆっくりと立ち上がる。

「もういくの?」
「かえらないといけないもの」

そう言って男に背を向け、少女は歩き出す。しかし途中で止まり、一度だけ振り向いた。

「さよならは言わないわ。あなたのことだから、また来てくれるんでしょう?」
「あぁ。また来るよ。何度でも」
「なら、またね。それから――」

ふふ、と少女は笑い声を上げる。

「私ね。あなたのことが好きよ。あの日のあなたが言った好きより、コスモスの赤より、もっと鮮やかに愛してるの」

突然の告白に呆ける男の前で、少女は人差し指を唇に当て、小首を傾げる。

「あなたが思い出してくれて嬉しかった。もう忘れないでね」

男が何かを言いかけるより早く、風が吹き抜けた。色づいた落ち葉を舞い上げ、男の視界から少女を隠していく。

「待って――!」

立ち上がり手を伸ばす。だがその手に触れるのは、乾いた落ち葉だけだ。
そして風が止んだ後、そこに少女の姿はなく、ただ一輪の赤いコスモスが静かに揺れているだけだった。

男は小さく息を吐くと、服の裾で涙を拭う。
揺れるコスモスを見ながら、少女がいつか教えてくれたことを思い出し、笑みを浮かべた。

「赤いコスモスの花言葉は『乙女の愛情』か……乙女というには、お転婆だった気がするけどな」

遠くどこかで、馬鹿、と怒る声が聞こえた気がして、男は声を上げて笑う。
見上げた空は、いつのまにか陽が傾きかけていた。

「また来るよ。だから、さよならは言わない……またね」

少女と同じ言葉を囁き、男はゆっくりと歩き出す。

去って行くその背を、一輪のコスモスがいつまでも見つめていた。



20251010 『一輪のコスモス』

10/10/2025, 10:00:27 AM

涼やかな風が、甘く切ない香りを運ぶ。
また秋が来たのか。ぼんやりと空を見上げ、そう思った。
浮かぶ月は僅かに欠けてはいるものの、美しさは損なわれてはいない。月は春よりも鋭く、夏よりも冴え冴えとして、そして冬よりも蠱惑的だった。
息を吸い込み、漂う金木犀の香りを取り込む。
くらくらとする甘さに、ほんの僅か胸の痛みを覚えた。
それはいつかの、静かな恋の痛みによく似ている気がした。

不意に風が強くなった。
背を押されているような錯覚に、けれど自然に足は帰路から逸れて歩き出す。
呼ばれている。そんな気がして、足は止まらない。
傷つきたくない。そんな思いを、会いたい気持ちが塗り潰していく。
息を吸い込み金木犀の香りを取り込む程に、会いたい気持ちが強くなる。
今年もまた、繰り返すのか。
諦めにも似た感情に、俯き足を速める。
自嘲して見上げた空には、変わらず白い月が煌々と照っていた。



古びた神社の裏手。咲き乱れる金木犀の根元に人影を認め、息を呑む。
男の人。金木犀を見上げていた目が、こちらに向けられる。

「こんばんは」

柔らかな声音に、唇を噛みしめた。泣くのを耐えて、無理矢理に笑みを形作る。

「こんばんは。とても綺麗な金木犀ですね」

ここに金木犀があることを最初から知っていながら、さも初めて気づいたというように嘯いた。これ以上彼に近づかないように、さりげなく空を仰ぐ。

「少し欠けているけれど、月も綺麗。たまには寄り道をしてみるものね」
「それは良かったですね……けれど、こんな寂れた場所に女性一人が訪れるのは感心できませんよ」

横目で覗う彼は、眉を下げて心配そうな表情をしていた。
いつまでも変わらない、優しい彼に一瞬だけ表情が崩れてしまう。
記憶だけをなくして、けれどその本質は変わらない。優しい所も、子供みたいな好奇心旺盛な所も、きっとそのままなのだろう。
じわりと月の輪郭が滲み出した。

「そうね。今度からは気をつけるわ、ありがとう……風に乗って、金木犀の香りがしたの。気になってここまで来てしまったけど、確かに軽率だったわ」

彼に背を向ける。
この出会いを、彼はこの秋の間、覚えてくれるだろうか。そんな淡い願いを思いながら、歩き出す。
だけど覚えていてくれた所で、来年にはまたすべて忘れてしまうのだ。そして何もかも忘れた彼に出会うため、金木犀の香りに誘われて、来年も自分はこの場所を訪れるのだろう。
馬鹿だなと自嘲しながら、涙を拭い石段に足をかける。
今年はもう、ここへ訪れることはないのだろうと思い、最後に一度だけ振り返った。

「――あのっ!」

こちらを見つめる彼が、声を上げた。
今までなかった彼の反応に、びくりと肩が震える。どうすればいいのか分からず固まっていると、彼は大きく息を吸い、さらに声を張り上げた。

「お願いがあるのですが!」
「お願い……?」

戸惑いに、視線を彷徨わせる。
それ以上彼は何も言わない。ただ静かに戻って来るのを待つ姿に、足は自然と動き出していた。
怖い。それ以上に、初めての変化に期待が胸に灯り出す。
どこか夢見心地な足取りで彼の側に寄ると、淡く微笑んだ彼が金木犀の根元を指差した。

「掘り出して欲しいんです。俺は触れられないけれど、ここに来た貴女なら掘り出せる」

お願いします、と頭を下げられてしまえば、拒否することはできない。
彼の指差す根元へ近づき、膝をつく。そっと土を掻けば、思ったよりも簡単に掘り進めることができた。

「――あ」

そして出てきたのは、小さな木箱。埋められたばかりのように綺麗な箱を掘り出せば、かさりと小さく音を立てた。
何が入っているのだろう。土を払いながら見つめていると、不意に伸びた彼の手が木箱の蓋を外した。
瞬間、息を呑んだ。

「これ……」

中に入っていたのは、古ぼけた数枚の写真だった。
自分と彼の、初めて出会った頃に撮った写真。懐かしいそれにまた涙が滲み出す。
どうして、いつから。いくつもの疑問が湧き上がるのに、震える唇からは嗚咽を噛み殺した吐息しか出ては来ない。視線は写真から逸らせず、彼が今どんな顔をしているのかも分からなかった。

「あぁ、やっぱりそうか」

静かな声と共に、後ろから抱き締められた。甘い香りが強くなり、意識がぼんやりとし始める。

「花と共に、記憶は散ってしまう。けれどその花が大地に還り、根が取り込んで木の内に溜め込むんだ……すべてを取り込むことはできず断片的なものだけど、切っ掛けさえあれば、こうして思い出すことができる」

柔らかな声が語る言葉が、風に乗って去って行く。
瞼が重い。抱き締められる温もりが強い香りと混じり合い、どんどんと意識が沈んでいく。

「少し眠って。そして起きたら、たくさん話をしよう。記憶が散っても少しでも多く取り込めるように……だから今はおやすみ」

視界を手で覆われて、金木犀の香りがさらに強くなる。
それを最後に、懐かしい過去の夢へと落ちていった。



眠ってしまった女を抱いたまま、男は木の幹に凭れて座る。
彼女の手から木箱を取り、中から写真を取り出す。まだあどけない少女と変わらない自身の姿に、男は小さく息を吐いた。

「俺も人間であったならば」

眠る女の頬を伝い落ちる滴を拭い、男は幾度となく願ったもしもを想像する。
人として出会っていたならば。
別れも忘却もなく彼女と季節を過ごし、やがては結ばれていたのだろうか、と。

「あぁ、でも。俺が人間だったなら、出会うことすらなかったのか」

女が少女であった時、花の香りに誘われてこの人の絶えた神社まで来た。
花を綺麗だと笑い、良い香りだと目を細める。純粋な少女に、男は恋をした。
最初から結ばれぬと分かっていた恋。それでも男は少女の前に姿を見せ、花が咲く間訪れた彼女との逢瀬を楽しんだ。
彼女との出会いを、思いを育んだ選択を、男は後悔してはいない。ただ、秋の終わりと共に散っていく記憶が惜しい。
風が吹き抜け、金木犀の花を散らしていく。強い香りと共に空を舞う花に手を伸ばし、男はどうか、と唇を震わせた。
「まだ、散らないでくれ。どうか――」

もう少しだけ。散って尚、消えない記憶を刻むまで。
彼女を忘れたくはない。彼女がいつかすべてを忘れ、訪れなくなることが寂しい。
彼女を愛している。年老いた木が人に恋する滑稽さを理解しながらも、彼女を想っている。
だからどうか、と。

見上げた月は、凍り付いたように動かない。風は止まり、音が消えていく。
代わりに一際強くなる金木犀の香りに、男は一筋涙を流しながら、腕の中で眠る愛しい人を掻き抱いた。



20251009 『秋恋』

10/9/2025, 9:55:29 AM

彼はまるで風のような存在だった。
気まぐれに擦り寄り、けれど次の瞬間には冷めたように離れていく。手を伸ばしてもするりと擦り抜け、繋ぎ止めておくことができない。
彼は、きっと自由な風なのだ。彼の笑顔を見るたびそう思う。
風に恋をしても空しいだけ。何度も自分に言い聞かせた。
繋いでいた手を離す。何も気づかないで歩いていく彼の背中に、心の内で囁いた。

――好き。大好き。愛してる。

だから手を離すのだ。

10/8/2025, 9:50:48 AM

虫の音も聞こえない、静かな夜。
空を見上げても、星も月も何一つ見えなかった。
ほぅ、と吐き出す息が白い。秋の彼岸を過ぎて、夜はめっきりと涼しくなった。
もう一度息を吐き、手を擦り合わせる。その微かな音すら、夜は呑み込んでいった。

とても静かだ。

一人きり。
誰一人おらず、何一つない。
暗い世界で、ぼんやりとそう思った。

10/7/2025, 9:33:10 AM

数日前に色づき始めたばかりだった山は、燃えるような赤に彩られている。
数日前まで、常に付き纏っていた足音や声は聞こえない。それに安堵しながらも、石場《いしば》はどこか物寂しい気持ちを抱えていた。
あの日。割れた道祖神の妹神を刻んでいた時。
石場の内には、初めて強い衝動に駆られていた。今まで作り上げてきた作品など、遠く及ばない程の傑作ができあがる。そんな確信めいた思いで、只管に鏨《たがね》を握り続けていた。囁きを聞き、石に浮かび上がる形を掘り出していたあの手の感触は、未だに忘れられない。

「大丈夫?何かあった?」
「鳴海《なるみ》さん……」

心配げに顔を覗き込む鳴海に、石場は何もないと首を振る。
石場の母の従姉妹である彼女は、石場が妹神を掘り出した後も残っていた。こうして外に出られるようになったものの、酷く怯えていた頃を知っていたためか心配になるらしい。

「大丈夫です。いつの間にか赤くなった山に驚いただけで」
「確かにね。寝て起きたら真っ赤になってたら、誰だって驚くよね」

山へ視線を向けながら、鳴海は苦笑する。

「少し歩かない?」

彼女の提案に石場は頷き、二人並んでゆっくりと歩き出した。



互いに何かを言うことはなかったが、足は自然とあの採石場へと向かっていた。
採石場はあの日以降、再び人を拒むように張り詰めた雰囲気を漂わせている。昼間でも仄暗い陰鬱さを纏い、訪れる者が境界を越えぬよう警告していた。
鳴海は何も言わない。周囲の木々を見つめるその横顔からは、彼女が今何を思っているのか察することはできない。
不意に、風が吹き抜けた。ひやりと冷たさを感じる風は、秋の風だった。
鳥居の前で立ち止まり、石場は鳴海を見つめた。
今なら聞ける気がする。
そう思った。

「ひとつ聞いてもいいですか?」
「ん?なに?」

鳥居を見つめていた鳴海の視線が石場に向けられる。それに意味もなくたじろいで、石場はひとつ深呼吸をした。

「南方《みなかた》さんって……どんな方なんですか?」
「どんなって……」

真剣な表情の石場に、鳴海は苦笑した。
記憶を辿るように目を細め、南方との思い出を愛おしむように口元が笑みを形作る。

「匡時《ただとき》くんが見た感じ、そのままだよ。何でも知ってて、どんな時でも落ち着いてて、カフェイン中毒で……他人からの評価なんて全然気にしない」

石場の脳裏に、制服姿の南方が缶コーヒーを飲む姿が過ぎていく。周囲の視線も話し声も一切を気にせず、堂々と学生生活を送っている姿を想像して、石場は何とも言えない顔をした。

「何というか……不思議な人なんですね」
「そうだねぇ。不思議というか……人じゃないのかもしれないねぇ。夏煉《かれん》は」

穏やかに、優しく鳴海は語る。

「小学生の頃から一緒にいるけど、夏煉について何も知らないの。どこに住んでいるとか、家族のこととか……今まで知らないことを、疑問にすら思わなかった」
「それって……怖く、ないんですか?」

知らないこと、分からないことは恐怖を生み出す。石場にとって、道祖神の足音や声がそうであったように。
だが鳴海にとっては、どうやら違うようだ。石場の言葉にきょとりと目を瞬かせ、暫し考えた後に口をついて出たのは、どうしての四文字だった。

「え……だって、人じゃかもしれないんですよね?」
「でも夏煉は夏煉だよ?カフェイン中毒で、時々天然な、私の友達。そこは変わらないでしょ?」

当然だろうと鳴海は言うが、石場は納得いかない様子で眉を下げ視線を彷徨わせる。それに小さく笑って、鳴海はあのね、と呟いた。

「夏煉の神楽を見て、匡時くんは感化されたでしょ?そうやって自分にいい影響を与えてくれる誰かがいたとして、その誰かが例えば幽霊だったとか、おばけだったりとかってそんなに重要かな」

言われて、確かにと石場は思う。
心を震わせるような神楽を舞う南方や、互いに切磋琢磨し合う誰かが人か人でないかなど、些事かもしれない。

「いつか教えてくれたら嬉しいとは思うけどね。でも、夏煉のことだから、説明が難しいんだろうな」

ぼやいて鳴海は笑う。釣られて石場も笑った。

「俺、大学に戻ったら、卒業制作に南方さんを掘ろうと思います」
「そっか。頑張ってね」
「はい……また、会えますよね?」

秋晴れの空より晴れやかな気持ちで、石場は尋ねた。
聞かずとも、答えは分かっている。そんな表情で。

「会えるよ。匡時くんが会いたいと強く望むのならね」

それに鳴海の笑顔で答える。当然だと言わんばかりに、堂々と。

風が吹き抜けた。
赤く色づいた葉が風に舞い、視界を鮮やかに染め上げる。
紅葉の向こう側で、ここにはいないはずの南方の姿が見えた気がした。
静かに微笑むその目は、紅葉よりも鮮やかだ。赤く揺らめく炎の如く燃え続け、煌めいている。

――美しい。

素直にそう思う。彼女には赤がよく似合う。
誇り高く、苛烈で、それでいて慈悲深い。夏を思わせる南方は、この燃える赤を宿した葉よいも鮮やかだ。
何故だろうか。そんな気がして、二人は笑い出した。





「――あぁ、明日は問題なく出勤するよ。申し訳ないね。休暇を一日延ばしてもらって」

青白い月明かりの下。南方は電話越しの相手に、微笑んだ。
周囲には誰の姿もない。永遠の夜に閉ざされた採石場に、南方の声だけが響いている。

「気にしなくてもいい。それに、たまには私もこうして足を運び、実際に触れなければと思っていた。良い機会だったよ……まぁ、そちらに負担をかけることになってしまったのは申し訳ないがね」

石場が掘り出した道祖神の妹神は、静かにそこに在った。見えない誰かに寄り添うように、目を閉じ微笑みを浮かべている。

「大丈夫だ。そちらこそ無理はするなよ。特に最近は、負担の多いモノらに巻き込まれていただろう?」

不意に風が吹いた。
南方の髪や服を揺すり、妹神の隣で渦を巻き。そしてそれは、揺らいで男神の形を取った。
兄神。町の辻に残された、道祖神。
離れていた二柱が、ようやく再び番うことができたのだ。

「そうだな、お互い様か。ならば今夜は早めに休むとするよ。ではな――おやすみ、宮代《みやしろ》」

微笑みを浮かべ、南方は電話を切った。
寄り添う二柱を見て、その笑みは深くなる。

「今回は本当に良いものが見れた。鳴海には感謝しなければな」

南方の影が揺らいだ。それは浮かび上がり、翁の面を南方に差し出した。
それを手に取り、道祖神の前で礼をする。

「二柱のために、舞わせてもらおう。再会と、そして再び人間に認識されたことを祝して」

面を着け、南方は神楽を舞う。夜の空間に、夏の風が吹き抜ける。
月が笑い、道祖神の二柱が微笑む。揺らぐいくつもの影が、笛や太鼓、笙や琵琶などを奏で始める。
南方しかいないはずの採石場は、いくつもの気配で満たされていた。
鳥居の向こうから吹く風が、外の赤く燃える葉を呼び込んだ。葉を高く舞い上げ、南方へと降らせていく。
燃える葉と、夏を纏った南方。
二つの赤が、月の青に色を添えていた。



20251006 『燃える葉』

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