sairo

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5/26/2024, 3:03:13 PM

数日、雨が降り続いている。
激しさはない。静かな、けれど決して降り止む事のない雨に、大人達は皆険しい顔をして何かを話し続けていた。

傘を差し、参道を歩く。
誰もいない。傘を打つ雨音が鼓膜を揺する。
普段ならば心地良ささえ感じていたはずの雨音が、今日は何故か胸を騒つかせていた。

一礼して鳥居をくぐる。
社前に佇む彼の姿を認め、息を呑む。知らず彼へと向かう足が速くなった。
一人きり。彼女は、いない。

「あぁ、来たんだ」

穏やかで落ち着いた声音。けれどもその声の端々に鋭く冷たい気配を感じて、僅かに躊躇する。
そんな私の様子を見て、彼は小さく笑ったようだった。

「今日は一人だから、逢いには行かなかった。ごめんね」

何で。一体何が。
大人達の話は本当の事なのか。
言葉に出せない感情が、決して聞けない疑問が、ぐるぐると頭の中に浮かんでは消える。

「さて、どうしようか。迎え入れるには早すぎるけれど、折角来てくれたのだから」
「な、に…?」
「おいで」

差し伸べられた手。
誘われるようにして手を重ねると、そのまま手を引かれ抱き上げられた。

「っ?」

取り落としてしまった傘が、ふわりと地に落ち転がっていく。しかしそれを気にする余裕はなく、社の裏へと歩き出した彼にしがみついて、落ちないようにするので精一杯だった。


「あそこ。見える?」

社の裏のさらに奥。禁足地である山の入り口を指差し、彼は問う。
視線を向ければそこには細く古びた道が、山奥へと続いているのが木々の間から見る事が出来た。

「道?」
「あの参道を辿って、奥宮の鳥居をくぐれば境界を越えられる」
「…境界」

境界。神様の住む世界。
話の意図が分からず、ただ彼の言葉を繰り返す。

「あいつは今眠っている。人間に焼かれた傷を癒す為に」
「っ!」
「人間達から聞いていたね。だからこうして逢いに来た」

何の感情も乗らない声音が、逆に彼の怒りを表しているようで。
どうすればよいのか、何を言えばいいのか分からない。

大人達の話は本当だった。
宮司の息子が、雨神様に傷を負わせたと。
そのせいで、宮司の一族も巫女も姿を消した。
だから、
雨は降り続く。二度と止む事はない。
全てを腐らせ、村を沈めて行くのだと。


「逢いたい?」

彼は問う。
いつもと変わらない。彼女と同じように望みを問い、与える。

「逢いたいと望むのならば連れて行く」

いつもと同じ声音。
優しく背を撫でられ、迷うように彼と目を合わせた。

逢いたい。彼女の様子が知りたい。
けれども、人間である私が逢ってもいいのだろうか。彼女も逢いたいと思ってくれているのだろうか。
まだ、望まれているだろうか。

「あのこがあいたいと望んでくれるなら」

口から溢れたのは自分の想いではなく、彼女に判断を委ねた最低な言葉。
けれど、彼にとっては違う意図で受け取られてしまったらしい。
僅かに見張られた瞳が、次にはふわりと微笑みに形取られ。
そっと、地面に降ろされた。

「いい子」
「え?」
「待ってあげる。すべてが整うまで、あと少しくらいは」

頭を撫で、髪紐に触れる。
それは以前、彼女からもらったもの。

「ちゃんと身につけてくれているね。これなら大丈夫だ」

嬉しそうに微笑んで、頭を撫でていた手を離す。そして、懐から何かを取り差し出しされた。

「これは?」
「金平糖」

硝子の小瓶に入った、色とりどりの星のようなそれを渡され、首を傾げる。
彼の言葉と行動の意図は、やはり分からないまま。

「日に一つだけ食べて。そして雨が止むように望むといい」
「え?」
「今のうちから雨の扱いに慣れておいた方が、後々楽になるだろうから」
「扱いに慣れる?なに?」

尋ねても、彼は微笑むだけ。

「そろそろ戻った方がいい。送るよ」

再び抱き上げられて、慌てて小瓶を懐にしまう。
有無を言わせないその様子に、文句よりも諦めが勝る。
こんなやり取りにはもう慣れてしまった。

「しばらくは逢いに来られないから。家でいい子にしていて。特に、ここには来てはいけないよ」
「…なんで?」
「障り《さわり》があるから」


彼の笑みにふと、大人達の話を思い出す。

宮司の息子が、雨神様に傷を負わせたと。
そのせいで、宮司の一族も巫女も姿を消した。


目を閉じて、彼の肩口に凭れる。
聞いてはいけない線引きくらいは、心得ているつもりだった。



20240526 『降り止まない雨』

5/25/2024, 2:51:40 PM

拝啓 あの頃の私

突然ですが、明日私は結婚します。
あなたがまだ知らない、普通の人と。
夢を見るのはやめました。逃げる事もしなくなりました。
今の私は、愛したその地から遠く離れた街で。
自分の足で立ち、現実を生きています。



鏡の中の自分に向けて微笑みかける。
まだ少し表情が硬い。一生の思い出に残るような、そんな素敵な式にしたいと思うほど、緊張で上手く笑顔が作れなくなってしまう。
こんな時はどうすれば良いか。目を閉じて、幼い頃の記憶を手繰り寄せる。

何かに躓いた時に思い浮かべるのは、いつだって美しい緋色の事だ。常に気怠げで時には辛辣に事実を突きつけ、けれども決して見離さず助言をくれた緋色の妖。退屈凌ぎだと笑い、語ってくれた物語達を今でも覚えている。
緋色の言葉が語られた物語が、そして何より緋色を通じた出逢いの数々が、何度も躓き挫けそうになる自分に手を差し伸べ、導いてくれた。

ふと、昔教えられたおまじないを思い出す。
逢えないものに想いを届ける、それ。子供騙しと笑いながらも、心を落ち着かせるのにはぴったりだと教えてくれた。

立ち上がり、窓へと向かう。そして窓辺に置かれたガーベラの花弁を一枚千切り、窓を開けた。
花弁に口付け、想いを託して。幼い自分に向けて。


あの頃の、夢見る子供だった私へ。

どうか別れの時が来ても、その出逢いを悔やまないで下さい。
現《うつつ》に戻った後の日々を救ってくれたのは、彼らと過ごした時間でした。
臆病な私に寄り添ってたくさんの事を教え、そして最後には背中を押してくれました。

それでも別れを惜しむのならば。独りを恐れてしまうというならば。
その時はどうか、一つだけ望んで下さい。
苦しさも、悲しさも、寂しさもすべて。それがあれば、耐える事ができるから。

『どうか最期の時には褒めてほしい。頑張ったねと頭を撫でて、たくさん褒めてください』

その約束一つで、これからも私は生きていける。



20240525 『あの頃の私へ』

5/24/2024, 2:27:27 PM

「あら、珍しい。隠居宮司がこんな辺境にまで来るなんて」
「しばらく社に訪れる者などおりませんからね。祭りもまだ先の事ですし」

相変わらず、失礼なモノだ。
豪華絢爛な打掛を羽織り、煙管をふかす姿は退屈さを隠そうとすらしない。
とはいえ、こちらも突然の訪問の負い目くらいはある。胸中で悪態をつきながらも表には出さずに、笑みを貼り付け歩み寄った。

「噂を耳に致しまして。村の者の間でさえ、その噂を話すものですから。これは詳しく聞かねば、と」
「噂、ねぇ。何かしら?」

白々しい。本当に食えないモノである。

「何でも、雨の龍が娘を“隠した”、と」

隠した事に正直、驚きはない。
かつては贄を対価に、望まれ応えてきたはずの存在だ。贄の絶えた現在《いま》、対価として退屈凌ぎに人間を隠す事は今までにも何度かあった。
尤も隠した人間は、すべて常世の瘴気に蝕まれ壊れてしまっていたが。
まあ、問題はそこではない。

「それと風の噂に聞きましたが、今回はどうやら毛色が違うようでございますね。時間をかけて常世の瘴気に慣れさせ、名を与えて“眷属”にしてしまったとか」
「物好きねぇ」

否定はされなかった。つまりはそういう事である。

「珍しい事もあったものです。あの龍が何かに執着を見せるなど」
「そうでもないわ。今回は物事が上手くいっただけのことよ」
「と、言いますと?」

問い掛ければ煙管を燻らせながら、はぁ、と息を吐かれる。
本当に失礼なモノだ。

「執着というよりは、ただ“欲しい”と龍が望んだだけで、それは今までにも何回かあったわ。望まれた人間は応えられなかったけれど。でも今回の人間は龍の望みに応えることができた。ただそれだけよ」
「それは、何とも特異な人間がいたものでございますね」
「元より望むよりも応える方が得意なのよねぇ、あの娘は。とはいえ龍に応えずとも、隠される結果は変わらなかったでしょうけれど」

どこか遠くを見て再び息を吐くその様子は、呆れや哀れみを含んでいるように見える。
確かに気分一つで人間を隠す龍には呆れもするし、隠された人間には同情もする。眷属になる為には相当の苦痛が伴うのだから。

「出会わなければ、人として命を終える事が出来たでしょうに。可哀想な事をするものです」
「それ、出会いも仕組まれていたわよ。何せ娘が産まれ落ちた頃より目をつけられていたからねぇ」
「それはそれは。本当にお可哀想な事です」

結果が変わらないとは、そういうことか。その人間は生まれた時より運がなかったと見える。どう足掻いたとしても、龍からは逃れられないのだから。

「可哀想だなんて、あなたにだけは言われたくないと思うわよ」

じとり、と睨め付けられる。酷いモノだ。

「何故です?ワタクシは人間を隠しても、況してや眷属などしたりはしておりませんよ」
「一つの魂に執着しておいて、よく言えるわねぇ。ここにも常世に行くついでで寄っただけでしょうに」
「おや?バレていましたか」

噂が気になったのも、嘘ではないのだけれども。

「人間としての生を損ねていない分、ワタクシの方がマシだと思うのですがねぇ」
「人間に神と祀られている妖に見初められているのは変わらないわよ。決して逃げられないもの」

三度目の溜息。
まあ、言われてみればそう変わらないのかもしれないが。

「さて、そろそろお暇させて頂きます。今日は退屈凌ぎに付き合って下さり、ありがとうございました」

礼を言えど、もはや興味も失せたのかこちらを見遣る事もない。
それを気にする必要もないかと、それ以上何も言わずに背を向けた。

退屈凌ぎにはなった。後は本来の目的地に行くだけだ。
今は実にもならない魂を想い、笑みが浮かぶ。
次に相見える時を夢想して、裂けた尾がゆらゆらと揺れた。




20240524 『逃れられない』

5/23/2024, 1:40:01 PM

膝を抱えて蹲る。

今日は一人。この秘密基地の中で一人きり。

風邪をひいたのだと聞いた。
熱が出て、寝込んでしまっているのだと。
だから、このまま待っていても誰もこない。

さて、これから何をしようか。
一人でも出来る事がいい。いつもよりも遠くへ冒険にでも出ようか。それとも、風邪に効く薬草でも探しに行こうか。
いっそ、鬼灯様に会いに行こうか。

ぐるぐると今日の予定を考えながら、それでも体は動かない。

「…うそつき」

仕方がない事。
分かっている。分かってはいるのだけれど。

「やくそく、したのに」

左手の小指を見つめ、唇を噛む。
昨日した約束を思い出す。この場所で、また明日と指切りをした。さようならの前に交わされる、おまじないのような約束。

膝に顔を埋めて目を閉じる。
今日はもう、ここにいよう。この場所で、日が暮れるまで眠る事にしよう。
そうすれば、寂しさを誤魔化せるから。
だから、


「しおん」

待ち焦がれた人の、声。
鼓膜を揺する、優しくて大好きな人の。決してここにいるはずのない。
驚いて顔を上げると、目の前には困ったように笑う待ち人の姿。
いつもと違い、寝巻きの姿。汗だくで、赤い顔で、荒く息をしていて。
気づいてしまえば、込み上げてくる涙を止める事など出来なかった。

「っ、なん、で…!」
「抜け出して、きた。しおん、泣いてる、って、思って。ごめん」
「ばかぁっ!ひさっ、めは、びょうにん、なのにっ。ねて、ないとっ、なのにぃっ!」
「ん。ごめん。だから、帰ろ?」

差し出される右手。その手もまた、熱く。
けれども、手を引く強さも優しさも、いつもと何一つ変わらずに。

「ごめっ、なさぃ。ごめんなさいっ。だからっ、ひさめ、しな、ないでっ。おいてかないでぇっ!」
「死なない。大丈夫。しおん、いい子。泣かないで」

しゃくり上げながら、彼の手を離さないよう必死で握り返していた。


「しおん」

分かれ道の手前。
さようならの前の、約束を交わす小指を差し出して。

「今日は、ごめん。ちゃんと、治すから。だから、また明日」
「っ!うん!また、あした。やくそく」

互いに絡めた小指。交わされた約束に、泣きながらも笑う。

また明日。

まるで魔法のように、未来を約束するこの言葉が、今はただ嬉しかった。



20240523 『また明日』

5/22/2024, 2:50:52 PM

青い空。風に揺れる木々。人の絶えた家。
水晶越しに景色を眺める。
赫い空。朽ちた枯木。人の形をしたナニカ。
眼下に広がる真実をただ眺めていた。


「世界とは、実に不思議なもので」

朗々と語る男を意に介さず、茶を啜る。
それを男が気にする様子はなく。元より一度話し出すと止まらない男の事だ、気づいてさえいないのかもしれないが。

「透明な鉱石《いし》一つを通し見るだけで、本当の姿を垣間見る事が出来るのですよ」

しかし、このままでは埒が明かぬ。聞きたい事があると訪ねて来たのは男の方だ。だというのに、この調子では夕刻まで本題に入る事がないかもしれない。
さてどうするかと、思案する視界の隅に水晶が映る。そういえば渡されたままであったと、徐にそれを掴むと男に向けて放り投げた。

「なっ!?ちょっ…!」

慌てて水晶を掴む男を眺めつつ茶菓子を摘めば、どこか恨めしげな視線が重なった。

「貴重なものなんですから。もっと丁寧に扱ってください!」
「おや、これは失礼しました。それで、ご用件は何でしょうか?」

貼り付けた笑みで返せば、何かを言いかけた男は結局何も言えずに口を閉ざす。当初の目的を思い出したのだろう。

「聞きたい事があるのです」

ことり、と机に置いたのは、先程の水晶。そして別のもう一つ。

「同じ水晶でありながら『視える』『視えない』の違いとは何でしょうか?それに、」

逡巡し、言い淀む。何を言うべきか、どう話すかを悩み、言葉にならない呻きが漏れた。

「…先日、隣村があった場所に行きました。流行病で人が絶え、廃村になったと聞きましたが、綺麗なものでしたよ。誰もいない事を除けば、ここと然程変わらない…変わらなかった。はずでした」

本題はこちらか。
視えるか否かはおそらく問題ではなく、視えてしまったモノが問題なのだろう。
もはや現世ではなくなった場所で、視えるモノなど碌なモノではない。

「あんな…」
「まずは、こちらの水晶に関してお答えいたしましょう」

男の続く言葉を遮り、水晶を手に取る。一目見れば分かりそうなものだろうに、とは思うがおくびにも出さない。

「簡単な事ですよ。純度が高く、澄んだもの程視えやすいというだけです。こちらのように混じり物が多いと、まず視えません」

混じり物により燻んだそれを手渡し、告げる。
正確には、他にも必要な要素があるのだが。こちらの話を疑う事なく聞き入る様子に、まあいいかと開き直った。

「そして、アナタ様が視たモノですが」
「あれが、世界の本当の姿なのでしょうか?」

恐る恐る問う内容に、吹き出しそうになるのを寸前で堪える。
揶揄いたくもなるが、それは次の機会でいいだろう。

「いいえ。あの村は常世と近くなってしまったのです。故に、表向きは変わらずともこうして透かし視るだけで、視えるモノが変わってしまう」
「常世、ですか。流行病で人が死に絶えたから死者の国が近づいてしまったのでしょうかね」

違う。
そも、あの村では流行病など起きてはいない。誰かが常世の門である雨龍の泉の堰を破り、水が現世の村まで流れてしまったからだ。常世の瘴気を孕んだ水に触れたがために、皆身が腐り死に絶えた。
違うのだが、訂正するのは煩わしい。故に、肯定も否定もせずに笑みを貼り付けた。

「あそこへは、もう近寄らない方が身のためですよ」
「そうですね。まだ、あちら側へ行く予定はないですから」

これ以上境界が曖昧にならぬよう、表向きはその身を案じて忠告すれば、男は神妙に頷く。
本当に単純な男である。その単純さに助かってはいるが。

「ありがとうございます。さすがは宮司様だ。何でも知り得ていらっしゃる」

得心が行ったように晴れやかな笑みを浮かべる男に、水晶を手渡す。
ふと、この単純な男を揶揄いたくなってしまった。次の機会で、とは思ったが少しくらいは良いだろう。

「そういえば、何故水晶が真実を視れるかご存じですか?」
「いいえ。何故ですか」

案の定、食いついてきた男に笑みが浮かぶ。

「透明だからですよ。何色にも染まらない純粋さで、すべてを透かすからです。それは時として、隠しておきたいモノですら暴いてしまう」
「隠しておきたい、もの」
「ところで、隣村が常世と近くなってしまった事で境界が曖昧になってしまっていましてね。最近は魑魅魍魎が辺りを跋扈しているのですよ。そのせいで、何人か妖に成り代わられてしまっているようで…さて、今その鉱石《いし》でワタクシを視ましたら、果たして本当に人の姿をしているのでしょうかね?」

固まってしまった男と視線を合わせ、妖艶に微笑む。
ごとり、と音を立て、イシが落ちた。



20240522 『透明』

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