数日、雨が降り続いている。
激しさはない。静かな、けれど決して降り止む事のない雨に、大人達は皆険しい顔をして何かを話し続けていた。
傘を差し、参道を歩く。
誰もいない。傘を打つ雨音が鼓膜を揺する。
普段ならば心地良ささえ感じていたはずの雨音が、今日は何故か胸を騒つかせていた。
一礼して鳥居をくぐる。
社前に佇む彼の姿を認め、息を呑む。知らず彼へと向かう足が速くなった。
一人きり。彼女は、いない。
「あぁ、来たんだ」
穏やかで落ち着いた声音。けれどもその声の端々に鋭く冷たい気配を感じて、僅かに躊躇する。
そんな私の様子を見て、彼は小さく笑ったようだった。
「今日は一人だから、逢いには行かなかった。ごめんね」
何で。一体何が。
大人達の話は本当の事なのか。
言葉に出せない感情が、決して聞けない疑問が、ぐるぐると頭の中に浮かんでは消える。
「さて、どうしようか。迎え入れるには早すぎるけれど、折角来てくれたのだから」
「な、に…?」
「おいで」
差し伸べられた手。
誘われるようにして手を重ねると、そのまま手を引かれ抱き上げられた。
「っ?」
取り落としてしまった傘が、ふわりと地に落ち転がっていく。しかしそれを気にする余裕はなく、社の裏へと歩き出した彼にしがみついて、落ちないようにするので精一杯だった。
「あそこ。見える?」
社の裏のさらに奥。禁足地である山の入り口を指差し、彼は問う。
視線を向ければそこには細く古びた道が、山奥へと続いているのが木々の間から見る事が出来た。
「道?」
「あの参道を辿って、奥宮の鳥居をくぐれば境界を越えられる」
「…境界」
境界。神様の住む世界。
話の意図が分からず、ただ彼の言葉を繰り返す。
「あいつは今眠っている。人間に焼かれた傷を癒す為に」
「っ!」
「人間達から聞いていたね。だからこうして逢いに来た」
何の感情も乗らない声音が、逆に彼の怒りを表しているようで。
どうすればよいのか、何を言えばいいのか分からない。
大人達の話は本当だった。
宮司の息子が、雨神様に傷を負わせたと。
そのせいで、宮司の一族も巫女も姿を消した。
だから、
雨は降り続く。二度と止む事はない。
全てを腐らせ、村を沈めて行くのだと。
「逢いたい?」
彼は問う。
いつもと変わらない。彼女と同じように望みを問い、与える。
「逢いたいと望むのならば連れて行く」
いつもと同じ声音。
優しく背を撫でられ、迷うように彼と目を合わせた。
逢いたい。彼女の様子が知りたい。
けれども、人間である私が逢ってもいいのだろうか。彼女も逢いたいと思ってくれているのだろうか。
まだ、望まれているだろうか。
「あのこがあいたいと望んでくれるなら」
口から溢れたのは自分の想いではなく、彼女に判断を委ねた最低な言葉。
けれど、彼にとっては違う意図で受け取られてしまったらしい。
僅かに見張られた瞳が、次にはふわりと微笑みに形取られ。
そっと、地面に降ろされた。
「いい子」
「え?」
「待ってあげる。すべてが整うまで、あと少しくらいは」
頭を撫で、髪紐に触れる。
それは以前、彼女からもらったもの。
「ちゃんと身につけてくれているね。これなら大丈夫だ」
嬉しそうに微笑んで、頭を撫でていた手を離す。そして、懐から何かを取り差し出しされた。
「これは?」
「金平糖」
硝子の小瓶に入った、色とりどりの星のようなそれを渡され、首を傾げる。
彼の言葉と行動の意図は、やはり分からないまま。
「日に一つだけ食べて。そして雨が止むように望むといい」
「え?」
「今のうちから雨の扱いに慣れておいた方が、後々楽になるだろうから」
「扱いに慣れる?なに?」
尋ねても、彼は微笑むだけ。
「そろそろ戻った方がいい。送るよ」
再び抱き上げられて、慌てて小瓶を懐にしまう。
有無を言わせないその様子に、文句よりも諦めが勝る。
こんなやり取りにはもう慣れてしまった。
「しばらくは逢いに来られないから。家でいい子にしていて。特に、ここには来てはいけないよ」
「…なんで?」
「障り《さわり》があるから」
彼の笑みにふと、大人達の話を思い出す。
宮司の息子が、雨神様に傷を負わせたと。
そのせいで、宮司の一族も巫女も姿を消した。
目を閉じて、彼の肩口に凭れる。
聞いてはいけない線引きくらいは、心得ているつもりだった。
20240526 『降り止まない雨』
5/26/2024, 3:03:13 PM