「あら、珍しい。隠居宮司がこんな辺境にまで来るなんて」
「しばらく社に訪れる者などおりませんからね。祭りもまだ先の事ですし」
相変わらず、失礼なモノだ。
豪華絢爛な打掛を羽織り、煙管をふかす姿は退屈さを隠そうとすらしない。
とはいえ、こちらも突然の訪問の負い目くらいはある。胸中で悪態をつきながらも表には出さずに、笑みを貼り付け歩み寄った。
「噂を耳に致しまして。村の者の間でさえ、その噂を話すものですから。これは詳しく聞かねば、と」
「噂、ねぇ。何かしら?」
白々しい。本当に食えないモノである。
「何でも、雨の龍が娘を“隠した”、と」
隠した事に正直、驚きはない。
かつては贄を対価に、望まれ応えてきたはずの存在だ。贄の絶えた現在《いま》、対価として退屈凌ぎに人間を隠す事は今までにも何度かあった。
尤も隠した人間は、すべて常世の瘴気に蝕まれ壊れてしまっていたが。
まあ、問題はそこではない。
「それと風の噂に聞きましたが、今回はどうやら毛色が違うようでございますね。時間をかけて常世の瘴気に慣れさせ、名を与えて“眷属”にしてしまったとか」
「物好きねぇ」
否定はされなかった。つまりはそういう事である。
「珍しい事もあったものです。あの龍が何かに執着を見せるなど」
「そうでもないわ。今回は物事が上手くいっただけのことよ」
「と、言いますと?」
問い掛ければ煙管を燻らせながら、はぁ、と息を吐かれる。
本当に失礼なモノだ。
「執着というよりは、ただ“欲しい”と龍が望んだだけで、それは今までにも何回かあったわ。望まれた人間は応えられなかったけれど。でも今回の人間は龍の望みに応えることができた。ただそれだけよ」
「それは、何とも特異な人間がいたものでございますね」
「元より望むよりも応える方が得意なのよねぇ、あの娘は。とはいえ龍に応えずとも、隠される結果は変わらなかったでしょうけれど」
どこか遠くを見て再び息を吐くその様子は、呆れや哀れみを含んでいるように見える。
確かに気分一つで人間を隠す龍には呆れもするし、隠された人間には同情もする。眷属になる為には相当の苦痛が伴うのだから。
「出会わなければ、人として命を終える事が出来たでしょうに。可哀想な事をするものです」
「それ、出会いも仕組まれていたわよ。何せ娘が産まれ落ちた頃より目をつけられていたからねぇ」
「それはそれは。本当にお可哀想な事です」
結果が変わらないとは、そういうことか。その人間は生まれた時より運がなかったと見える。どう足掻いたとしても、龍からは逃れられないのだから。
「可哀想だなんて、あなたにだけは言われたくないと思うわよ」
じとり、と睨め付けられる。酷いモノだ。
「何故です?ワタクシは人間を隠しても、況してや眷属などしたりはしておりませんよ」
「一つの魂に執着しておいて、よく言えるわねぇ。ここにも常世に行くついでで寄っただけでしょうに」
「おや?バレていましたか」
噂が気になったのも、嘘ではないのだけれども。
「人間としての生を損ねていない分、ワタクシの方がマシだと思うのですがねぇ」
「人間に神と祀られている妖に見初められているのは変わらないわよ。決して逃げられないもの」
三度目の溜息。
まあ、言われてみればそう変わらないのかもしれないが。
「さて、そろそろお暇させて頂きます。今日は退屈凌ぎに付き合って下さり、ありがとうございました」
礼を言えど、もはや興味も失せたのかこちらを見遣る事もない。
それを気にする必要もないかと、それ以上何も言わずに背を向けた。
退屈凌ぎにはなった。後は本来の目的地に行くだけだ。
今は実にもならない魂を想い、笑みが浮かぶ。
次に相見える時を夢想して、裂けた尾がゆらゆらと揺れた。
20240524 『逃れられない』
5/24/2024, 2:27:27 PM