風車が回る。
からからと音を奏でて。
微睡の先にみる明日を願い。
呵々と魂が謡う。
ひとつ。ふたつ。
成った実を収穫する。
元は別の色をしていたそれらは、成ってしまえば等しく色を失っている。
みっつ。よっつ。
実を川に流せば、流れに逆らわず下っていく。
行き着く先は、現世。
在るべき場所へ還るために。再び生まれ出るために。
「長」
呼ばれ、振り返る。
「何用だ。雨の片割れ」
「これもお願いしたいと思って、ね」
そう言って、黒い龍より手渡されたのは玻璃の小箱。中を満たす石が透かし見え、知らず眉根が寄った。
「やっぱり、わたし達の血は駄目ね。いくら薄めても人間には持て余してしまうもの」
殆どが黒く濁った石を睨め付け、龍は息を吐く。
「血が濃過ぎたり、当てられたりしたのは摘果して、ようやく定着してきたのに。『先祖返り』のせいで台無しよ!」
怒りに任せて叫ぶ龍は、普段よりも幾分饒舌だ。思い通りの成果が得られないが故か、それとも微かに漂う血の臭いにあてられたのか。
「故に全て刈り取ったと」
「いいえ。ひとつは残しておいたわ。血の影響が一番少ないし、近くにあの花の血を感じられたから」
「鬼の子か」
「そう。導くモノの血族なら、悪いようにはならないでしょう?」
どうやら機嫌を直したらしい龍は、今度はくすくすと笑い始める。
この龍はその名が示すように、降らせる雨も感情すら長くは続かない。くるくると変化する機嫌と話は、まるで通り雨の如く。
「ただ、気質が悪い方でわたし達に似ているのが気になるのよね。やっぱり刈り取ればよかったかしら…でも、勿体ないし」
今度は1人悩み始めた龍に、苦笑が漏れる。
「珍しいものだな。汝が斯様に悩むとは」
「そりゃあ、ね。これがあって刈り取る事になったのだもの。少しは慎重になるわよ」
これ、と。小箱から器用に取り出されたのは、澄んだ水浅葱の小さな石。
『先祖返り』と呼ばれた者の魂の成れの果て。
「まだ雨を降らすぐらいではあったけれど。人間に過ぎたる力は腐敗の元になるもの…勿体なくはあったけれど」
「そも、何故そうまでして現世に産み子を流す」
「さあ?たぶん、羨ましかったのかもね」
誰、とは言わずとも。
穏やかに微笑み合う、鬼と人の子の姿が浮かぶ。
「後悔しているのか」
ふと思う事を尋ねれば、虚を突かれた顔をされた。
「何に?子を現世に流した事?血族を刈り取る事?ひとつ残した事?」
「ただの戯れ言よ」
「人間みたいね。悔いるなんて、意味のない事。欲しいと思ったから手に入れる。したいと思ったから行動する。それだけでしょう。後は、その結果に責任を持って対処するだけよ」
淡々とした声音で、龍は告げる。
「長はどうなの?手間をかけて流した魂が、こうして澱んで還ってくる事を後悔する?流さなければと思う事ある?」
「ないな。それが我の役目故」
「でしょう?」
龍の刈り取る魂の成れの果てから風車を作り、橘に挿して実り待つ。そうして成った実を川に流す事に惑いはない。
無垢にして流したものが穢れて還って来たとしても。
「さて、そろそろ戻るわ。これ以上は夜に怒られかねないものね」
くすりと笑い、空を舞う。
宵闇に溶けるようなその漆黒の姿を見送って、残されたものを見、息を吐いた。
「詮無き事を聞いたな」
自嘲し、踵を返す。
己が役目を果たす為に。
20240516 『後悔』
花片を一枚〈ひとひら〉風に流す。
ひらひらと風の赴くまま、舞う白を見上げて。
どうか想いが届くようにと願った。
「何それ?」
「おまじない」
月見草の花片を千切る。花片に願いを込めて口付けて、そのまま風に流せば、隣に座った彼は不思議そうに首を傾げた。
「願い事?」
「うん。逢えない人に、気持ちが届きますようにって」
「そっか」
優しく笑う彼の左手に、そっと右手を重ねてみる。
明日も一緒に生きていけますようにと、密かに願いを込めて。
「届くかな」
「届くよ」
「そうかな。そうだといいな」
もう一枚、花片を千切る。
二度と届かない相手に、伝えたい想いを乗せて。
「ありがとうって、伝わればいいな」
たくさんの、ありがとうを。
私を生んでくれた事。育ててくれた事。見守ってくれた事。
今ここで明日を待てるのは、あなた達がいてくれたからなのだと。
祈りを込めて、白を空へと解き放った。
「届くよ。シロはずっといい子だから」
重ねていただけの手が繋がれる。
「寂しくても、悲しくても、泣かないで前を向けるツキシロを、きっとみんな見てる。だから、大丈夫」
そう言って微笑む彼は、いつだって私が望む言葉を与えてくれるのだ。
もし。もしも。
花片と一緒に、この空を風の赴くままに身を任せて飛べたなら。そうしたら、届かない人達に逢う事ができるのか。
「ほら、そろそろ帰るよ。それともまた抱えてく?」
「っいらない!バカ」
繋いだ手は離れない。
だからきっと、明日も空に憧れながら、彼と共に地に足をつけて生きていくのだろう。
20240515 『風に身をまかせ』
「っ!どうした?どこか痛む?誰かに酷い事された?それとも嫌な事あった?」
はらはらと涙を流す娘に、どうすれば良いのか分からず矢継ぎ早に問いかける。
朝はいつも通りだったはず。いつものようにはにかみながらおはようの挨拶をして、頬にキスをくれた。
朝ごはんに出した人参はまだ苦手で顔をしかめてはいたけれど、泣いてはいなかった。むしろ残さず食べたからたくさん褒めて、デザートの苺をひとつあげると嬉しそうににこにこしていたはずで。
その後は、出掛けるのだと準備の為に部屋に戻り、そして、それから、
「ヒサメ、落ち着いて」
「シオンっ、だって…!」
「だってじゃない。それじゃあ、シロが何も話せないよ」
軽く頭を叩かれて、我に帰る。一呼吸おいて娘と視線を合わせる為に膝をつくと、赤朽葉色の瞳が困惑したように揺れた。
「ごめんな。パパ、ちょっとびっくりしたんだ」
「だいじょうぶ。えと、痛いとこ、ないよ。お部屋にいたから、ひどいこともないよ」
「そっか。じゃあ、泣いていた理由、パパにお話できる?」
「ん…これ」
おずおずと差し出されたのは、月と星の飾りのついた髪飾り。
誕生日のプレゼントだったそれは、見ると星の部分が少しだけ欠けてしまっていた。
「さっきね、手を滑らせて落としてしまったの。その時にね、少し欠けちゃって」
「お父さんからもらった大切な髪かざり、壊してごめんなさい」
静かに泣く娘の仕草が、その理由が愛おしい。
たまらなくなって、思わずその小さな体を抱き締めた。
「わざとじゃないんだから謝らないで。いい子だから、ね?」
「でも」
「それに、ちょっと欠けたくらいだから、後でパパがちゃあんと直しておいてあげる」
目尻に口付けて涙を拭う。
「本当に?」
「本当に。だから、そろそろ泣き止もうな」
優しく背を撫でると、落ち着いたのかふわりと笑う。
立ち上がり髪飾りを受け取れば、娘は嬉しそうに妻の側へ行き抱きついた。
「よかったね。クロノくんが褒めてくれた大切な髪飾りだったもんね」
「うんっ!」
にこにこと笑い合う2人はとても微笑ましいものだが、その会話の内容に眉を顰める。
今、とても、聞きたくない名前が出てきたような。
「ほら、そろそろ行かないと。クロノくん、待っているんでしょ?」
「うん…いってきます。お母さん、お父さん」
笑顔で家を出る娘の後ろ姿を、複雑な気持ちで見送りながら。
隣にきた妻を、じとりと睨め付けた。
「ヒサメからもらった大切なプレゼントと思っているのは本当だよ。それを好きな子が褒めてくれて、さらに大切な宝物になっただけ」
恨みがましい視線など気にせず、妻は笑う。
「クロノって、あのいつもシロに引っ付いてるやつのこと?」
「手を繋いでいるだけだよ。私達の時と変わらないでしょ」
「あいつ、気に入らない」
「親バカ」
娘より2つ年上の少年を思い浮かべ、気分が沈む。
妻は気にも留めていないが、父親の立場からすると大事な娘に男が気安く触れているのは面白くない。
それに、
「それに、あいつはいつかシロの手を離す。自分とシロを天秤にかけて、自分を選ぶ気がする」
根拠はない。けれど遠くない未来に、少年は大事な娘を置いていくような気がした。
「大丈夫だよ。もしそうなったとしても、それは2人で考えて決めた答えだから。1人だけで決めて振り回した誰かさんとは違うよ?」
「…うっ…ごめん」
揶揄い混じりの妻の言葉が身に刺さる。
思わず謝罪すると、彼女は優しく笑い手を伸ばす。その手を取り抱き寄せれば、いつかと違い抵抗なく華奢な身体は腕の中に収まった。
「あの子達なら大丈夫。ちゃんと手を離せる、強い子だから。だから心配しないで」
「…シオンがそう言うなら」
「ふふ、本当に親バカね」
笑う彼女の手がいたずらに頬をつつく。その子供じみた仕草が愛おしく、そして何故か切なかった。
「約束、ちゃんと守ってね」
「分かってる。絶対に離さないし、何があっても守るから」
いつかの約束を口にして。
離れないようにと、強く抱き締め目を閉じた。
「…っ…ゆ、め…」
暖かい、残酷な夢を見た。
決して叶うはずのなかった、永遠に失われてしまった未来。
この暗く冷たい場所には酷く不釣り合いで、その愚かさに乾いた笑いが漏れる。
ここには何もない。手を伸ばして求めたものも置いてきたものさえ、何一つ。
ただ、この水底で朽ちていくのを待つだけだ。それがどれほど先の事なのかは、人でなくなったこの身には最早分かりようはないが。
「…シオン」
逢いたくて、逢う事の叶わなかった愛しい人を想う。
もう一度だけで良かった。約束を守れない事を、ただ謝りたかった。
すべて叶いはしなかったけれど。
僅かに息を吐いて、目を閉じる。
水面越しに霞見える空に舞う、白い蝶の幻を見た気がした。
20240514 『失われた時間』
「…またか」
「こんにちは、おにさま」
呆れたように息をつく、とてもきれいなひと。
それでも手を伸ばせば、拒まず抱き上げてくれる。
「ここには軽々しく来るなと、そう言っているだろうに」
おにさまは変わらない。
年月が流れて、変わっていったのは自分だけ。
成長して大きくなってきた体。1人でできることが増えて、たくさんのことを学んだ。
変わっていく自分に、変わっていく周りの大人たち。
おにさまだけは、変わらない。
おにさまだけは、初めて会った時のまま。ただの子供として接してくれる。子供のままでいられる。
「どうした?何かあったか?」
首を振り、否定する。
何もない。もう何も、誰もいない。
ずっと一緒だった兄〈にい〉は、もういない。
少し大人になって知ったこと。
兄はとうの昔にいなくなってしまった。それを認められなくて、引き留めていた。
忘れたままでいたかった。けれど、思い出してしまったから。
すべて知ったその夜。
兄は黒い龍に連れられて、常世の世界に行ってしまった。
「おにさま」
おにさまの首に腕を回してすり寄る。
宥めるように背を撫でる、その手の温もりに泣きそうで目を閉じた。
おにさまは、変わらない。
求めることを拒みはしない代わりに、願うことに応えてはくれない。
それを知ってから、伝えることがうまくできなくなった。
本当は、伝えたいことがたくさんあった。願いも言葉にしたかった。
たった一つに応えてもらいたかった。
「おにさま」
目の前の、優しくてきれいな鬼の名前が知りたかった。
きっと、言葉にしても応えてはくれないのだろうけれど。
「困った童だ…仕方がないな。少し塒で休んでいくといい」
「…え?」
思いがけない言葉に、驚いておにさまの顔を見る。
困ったような、呆れたような、それでいてどこまでも優しい瞳をして、おにさまは笑った。
「落ち着けば、話もできるだろうて」
歩き出すおにさまの首にしがみつきながら。何か言わなければと口を開く。
「おにさま、あのね」
「塒は泉より離れている故、常世の気も届かぬだろう。幾分か障りはあるだろうが、それでも良ければ童の気の済むまでいるとよい」
けれど、その何かが言葉になるより早く、おにさまは静かに欲しかった言葉をくれた。
気の済むまで、好きなだけ一緒にいられることに、思わず笑みが浮かぶ。
「うん…ありがとう、おにさま」
「まったく…本当に手のかかる童よ」
ため息を吐きながらも、やはりその瞳は優しい。
「落ち着いたらでよい。童の話を聞かせてくれ」
「たくさんある、よ?話したいこと、したいこと、たくさん」
「そうか」
穏やかな声。言葉にしても拒まれないことが、今はただ嬉しかった。
まずは、何から話そうか。伝えたいことはたくさんあるから。
おにさまに連れられながら見るこの狭間の景色は、いつもよりもきらきらしている気がした。
20240513 『子供のままで』
不意に、目が覚めた。
朝はまだ遠い。
暗く静かな時間の中、独りだけの部屋。
他には誰もいない。
どうして、とあの日から繰り返し思う。
何があったのか、彼は何一つ話してはくれなかった。ただ、必死で知識を貪り何かを探し求めていた。
常に焦りを含んで、まるで何かに怯えているようにも見えて。
だから、あの時の私は彼を止めようとしたのだ。
幼馴染の立場に驕り、それが悪手であることを分かろうともせずに。
そうしてその結果が、今のこの独り、だ。
ずっと、好きだった。憧れだった。
笑った顔も、優しい所も、少し気弱な所も。一人で泣いていると必ず来て、手を引いてくれる所も。
全部が、大好きだった。
これ以上嫌われたくなくて、逃げるように遠くに来た。
会うのが怖くて、でも会えないのが苦しかった。
手を引いてくれていた、優しい幼馴染はここにはいない。
「…っ…ヒサメ…!」
泣きながら名前を呼んでも、答えてくれる声はどこにもなかった。
不意に、目が覚めた。
朝はまだ遠い。
暗く静かな時間の中、独りだけの部屋。
「…ヒサメ」
「どうしたの?シオン」
返ってきた声に驚いて顔を上げると、扉の側に影が一つ。
「怖い夢でも見た?」
低く甘い声。高い背丈。
記憶の中のそれより、大分大人びた彼の姿に混乱する。
どうして。なぜ。
疑問ばかりが、ぐるぐると回る。
けれども、近づく彼の背後の景色が自分の部屋のものでない事に気づき。
そして、思い出す。
繋がれた部屋。
絡みつく呪詛のような言葉。
触れる熱。
枕元に置かれた銀のナイフ。
私は、彼を殺せなかった事を。
「シオン」
抱き寄せられ、頭を撫でられる。幼い頃、よくされていたように優しく。
「大丈夫、俺がいるから怖くないよ。シオン、愛してる」
囁く睦言はどこまでも甘い。
昨日の慟哭し、愛を叫び乞う彼とはまるで別人のよう。
「今さら…」
「うん、今さらだ。でも、もうこれしかできない」
「馬鹿みたい」
吐き捨てた言葉に、彼は苦笑する。
「逃げる時は、ちゃんと俺を殺して。置いていかないで」
懇願する声は静かでありながら、絡みつくような強さを秘めて。
手を背中に回し、囲うように抱き締められた。
「こんな愛し方しかできなくてごめん」
「ヒサメ…」
「愛してる。シオンだけをずっと」
きっと、この腕は離れない。
彼を殺す事も出来はしない。
それなら、いっそあの日のままの想いを叫んでしまえば楽になれるのか。
殺せない理由を告げれば、彼は満たされてくれるのか。
「ねぇ、シオン。俺の事、愛して?」
「馬鹿」
呟いて、目を閉じる。
今はまだ、何も言わないまま。
彼には振り回されてばかりなのだから、少しくらいはいいだろうと。
愛を乞うその言葉に応える日を夢見て、眠りについた。
20240512 『愛を叫ぶ。』