「…またか」
「こんにちは、おにさま」
呆れたように息をつく、とてもきれいなひと。
それでも手を伸ばせば、拒まず抱き上げてくれる。
「ここには軽々しく来るなと、そう言っているだろうに」
おにさまは変わらない。
年月が流れて、変わっていったのは自分だけ。
成長して大きくなってきた体。1人でできることが増えて、たくさんのことを学んだ。
変わっていく自分に、変わっていく周りの大人たち。
おにさまだけは、変わらない。
おにさまだけは、初めて会った時のまま。ただの子供として接してくれる。子供のままでいられる。
「どうした?何かあったか?」
首を振り、否定する。
何もない。もう何も、誰もいない。
ずっと一緒だった兄〈にい〉は、もういない。
少し大人になって知ったこと。
兄はとうの昔にいなくなってしまった。それを認められなくて、引き留めていた。
忘れたままでいたかった。けれど、思い出してしまったから。
すべて知ったその夜。
兄は黒い龍に連れられて、常世の世界に行ってしまった。
「おにさま」
おにさまの首に腕を回してすり寄る。
宥めるように背を撫でる、その手の温もりに泣きそうで目を閉じた。
おにさまは、変わらない。
求めることを拒みはしない代わりに、願うことに応えてはくれない。
それを知ってから、伝えることがうまくできなくなった。
本当は、伝えたいことがたくさんあった。願いも言葉にしたかった。
たった一つに応えてもらいたかった。
「おにさま」
目の前の、優しくてきれいな鬼の名前が知りたかった。
きっと、言葉にしても応えてはくれないのだろうけれど。
「困った童だ…仕方がないな。少し塒で休んでいくといい」
「…え?」
思いがけない言葉に、驚いておにさまの顔を見る。
困ったような、呆れたような、それでいてどこまでも優しい瞳をして、おにさまは笑った。
「落ち着けば、話もできるだろうて」
歩き出すおにさまの首にしがみつきながら。何か言わなければと口を開く。
「おにさま、あのね」
「塒は泉より離れている故、常世の気も届かぬだろう。幾分か障りはあるだろうが、それでも良ければ童の気の済むまでいるとよい」
けれど、その何かが言葉になるより早く、おにさまは静かに欲しかった言葉をくれた。
気の済むまで、好きなだけ一緒にいられることに、思わず笑みが浮かぶ。
「うん…ありがとう、おにさま」
「まったく…本当に手のかかる童よ」
ため息を吐きながらも、やはりその瞳は優しい。
「落ち着いたらでよい。童の話を聞かせてくれ」
「たくさんある、よ?話したいこと、したいこと、たくさん」
「そうか」
穏やかな声。言葉にしても拒まれないことが、今はただ嬉しかった。
まずは、何から話そうか。伝えたいことはたくさんあるから。
おにさまに連れられながら見るこの狭間の景色は、いつもよりもきらきらしている気がした。
20240513 『子供のままで』
5/13/2024, 2:45:17 PM