部屋に彼女が戻ってきた気がする。
音が鳴らないんだ。足音がしてようやく確証に至る。
自分はスマホでプロジェクターじみた映像を見ていた。
支出計算表と、各部署の活動記録を合わせたような解説動画だ。
通過度が高いにも関わらず裏からも横からも、閲覧者の背後からも見えない作りになっているから本当に良くできている。
「今日、休みではなかった?」
彼女の短い言葉には色々な含みがあって、読み間違うと捻れるから厄介だ。
「休みですけど」
「どこか行くのかと思っていた。昨日誰かと話していたでしょ」
あ、聞かれてたのか。
「ずっと先の話ですよ」
「そう」
スマホの電源を落とし、ボディポーチを手に取る。必要なものは最低限。最近のこちらのスマホは、時代に反するように小型化している。不思議なものだ。
あ…と椅子に座る彼女と目が合う。寂しそうで、何も言えないでいる顔。
「午後には帰ってきます」
「そう…」
今見たぞ。少し嬉しそうにしたな。
「何年一緒にいると思ってるんですか」
って言ったら貴女は照れるんでしょうね。
美味しいご飯でも食べに行きましょうか。
何気ない振り
「君に、アメリカについてきて欲しいんだ。一緒に新天地に来てほしい」
資金繰りが苦しいのは知っていたけれど…。
リアはあまりに突然の依頼にしばし呆然とした。
初老の雇い主はもともとジョークが好きな御仁ではあったけど、今回は目が真剣だ。
昼間に子供達と校庭で遊んでいる時に、急に呼び出しが掛かったのだ。あの人は多忙でいつも突然帰ってきては飛んでいくから、珍しいこととは思わなかった。
(また1から自分の居場所を作るのね)
諦めと言うよりも、降りかかった運命には従う質だ。もとより波乱万丈な人生ではなかったか。
リアはもともとは商家の3人目で、メイドに産ませた所謂妾の子であったが、先代が面目も考えて引き取った娘だった。
産みの母も死んでしまったし、何不自由なく商家の娘として育ててやろう。
ところが、貿易船に乗ってやってきた病で突然家督の父親が死んでしまってから話は変わってしまった。
後見人と幼い長男にすべてが渡り、怪しげな最新機器を買い尽くし、地域住民の反対もあり、一気に路頭に迷ってしまったのだ。
後押しがあったのはリアだけ。
信心深くよく教育されていたのだが、やや東方向けの教師に師事していたのが良かったようだ。
オフシーズンで郊外に訪れていた時に老子爵にだいぶ気に入られた。家は没落したというのに、粘り強く下町で看護婦として働く姿に何を見たのだろう。
そのまま、投資家オーウェンに推薦される形で教師兼看護師兼保育士として校外の計画都市に住み込み採用をされる。
まだ15かそこらだったのにだ。
「アメリカに…ですか」
「そう。きっと成功させる。ここは息子たちに託すよ。一緒に来てほしい」
その時オーウェンは40は超えていた。脂の乗り切った余裕のある男に見えた。
父親の居なかったリアにとってはまさに理想の人であったのだろう。無意識下に。
結果としてアメリカの東の海岸に邸宅を構え 何年も教師を務め、教え子は何百人にもなったとか。
最後は大勢の孫に看取られたというから、きっと彼女は幸せだったのだろう。
「旦那? そんなのもいたわね…」
なんて言いながら90まで生きたのだから大往生である。
ハッピーエンド
最初は男の方が来た。まだ子供だ。
髪の柔らかい線の細い男で、高校のいけてるグループより少し大人しそうな感じ。格好が大人だから不自然な感じだ。
「宗教かなんかなん?」
「そういうつもりじゃないですけども…」
会うのはいつも昼間の公園だった。服装はグレーのスーツにノーネクタイ。浮いてはいないけど目立つ要素はない。VTuberの話、近所のイオンモールの話もぜんぶ通じないの。
「で。どうです。死にません?」
まじうける。こっから近くの駅どこですか?みたいな空気で聞いてくるのだ。
神は信じますかーて省いてそれなの。
「夜また来ますよ」
へいへい。コンビニのアイスコーヒー片手に適当に見送った。いつものように空間にぺらっと吸い込まれるように消えていった。
で、夜だ。真っ黒なレザージャケットの女が来た。
閉めたはずの窓から、秋の夜風がごぅと吹いてくる。季節外れの肌寒さを覚えて羽毛布団をかき集める。
「来るかい」
女が笑う。風さらにが吹いて、布団が剥ぎ取られる。
目を開けると都会の上空に居た。
「お、落ち…」
「落ちない」
薄茶の髪が上空の風に揺れている。
「お前が気に入らないもの、燃やしてやるよ」
見下ろした先は入ったばかりの中小企業の会社だった。予備校でバイトしながら苦労して苦労してあちこち駆けずり回ってやっと入った会社。
「やめてくれ…」
今時でない黒いレザージャケットを着た娘は、夢でみた通りに鉈を持ち不思議な印を赤く空中に描く。
「やめて欲しくないだろお前なら」
真っ黒な瞳がこちらを見つめている。
吸い込まれるような漆黒。笑顔なのに吸引力のある、何かを見通しような余裕の瞳だ。
鉈を縦に構える間に、昼間の男もやってきた。
「ここですか」
「そう」
「やりますか」
「やろうかね」
青年のほうも物騒な長いものを携えている。二人がこちらを見る。
もう身体どころか眼も動かせない。
「なぁ、どういう宗教なん」
「心外だな。死神だよ」
炎が二人の身体を取り巻いていた。
みつめられるだけで
普段皆の中心にいるあのこが、おっぱいを強調する服を寄せながら恥ずかしそうに見てくる。終電もいった、飲み会であれよあれよと残されたのは自分たち二人だけ。
色白のほほに薄いメイク。隣を通るといい匂いがする。お酒に酔った大きくうるんだ眼だ。
どんな声で名前を呼ぶんだろう。
どんな声で…。腰の奥がぎゅっとなった。
「今日泊めて下さるんですよね?なにもしない、ですよね」
するわけない!するわけないよ、後輩に、そんな…。と、心にもないことを呟く。なんでそんなにおっぱいを見せてくるんだ意味判るけど解りたくないわ!
力をうしない震える肩を、何度か躊躇して支える。ぱしんと容赦なく拒絶の手が入った。
「やめて」
「立てないくせに」
生まれたての雛鳥のような立ち姿だった。病的に痩せて、あちこちに傷が目立つ。真っ白な肌だったのに。
改築に改築を重ねたウッドデッキ付きのコテージは、2人で住まうにはあまりに広い。
大きく開いた窓から早春の風が入ってくる。
どうしたものかこのじゃじゃ馬。と手ぐすね引いていると、娘は言った。
「出ていくわ。世話になった」
着の身着のままで、彼女は帰ってこなかった。
彼女の肩にある傷跡をみる度にどうしょうもなくすき間風が空く。勇気がないのは俺の方だ。
世界は小さいな。
薄暗がりの埃っぽい酒場で彼女によく似た娘が営業前に練習だといって1人で歌っている。
場末のスナックで歌わせていい人ではない。
染み入るような抑揚。
彼女の吸う息さえも甘くて気だるくて、異国の歌詞で分からなかったけど、声は強く伸びやかだ。
自分だけが聞いてていいのか。
遠い望郷に駆られるような、見たこともない田園風景を思い起こされるような声。
すぅっと歌声がしぼんだ。なんだと思っていると、彼女は言った。
「誰か来たね」
外から来る音を拾ったようだ。歌いながらお見事だ。
「聞かせてあげたらいいのに」
「いや。あまりそこらの誰かに聞かせたくないんだ」
そうなん…だ。
My Heart
いつか時空を飛び回る先に、故郷の軸が戻る接続に入れるといい。
いつかかつての飛竜の旅の時間軸に戻れるといい。
相反する2つの願いを叶えられるのは、道を外してでも突き進むこと。どんな非道なことをしてでも。
ナタを地面に突き刺して炎を呼ぶ。
「来い」
77年前からこの旅は続いている。
渦巻く炎は空気を含み、自然発火では説明出来ない高さまで育つ。
同時に真空の層を薄く作り熱風を操る。
空飛ぶ2人の翼兵の補助をしながら、うまく抱き込み光弾の威力の底上げをしていく。
大切な仲間を殺した炎を扱う度に自問する。
この道でいいのか。
このままでいいのか。
思えば沢山亡くしてきた。
これでいいんだと、親友の恋人は言った。
もうやめろと何度も過去の恋人は言う。
永遠に伸びる世界なんだから。倫理なんて頭の片隅にもないよ。
「リーダー!」
体当たりのようなガードが入る。1人の青年がひらりと飛び込んできた。
「珍しいですね考え事ですか。後にしてください」
キン!と高い音がして薄い鋼鉄が弾かれる。
この炎弾の中、物理攻撃が入ってきたのか、最近の外界の技術はすごいな。
「手厳しい」
「そのように育てられましたので」
大きく構えて、そのまま相棒は十字に紋を切る。青黒い気流が見えたような気がした。
一気に地面に広がって消える。
領域を張ったのだ。
「後で褒めてください」
「図太くなったね」
お陰様で。青年は大きく後ろに飛び上がり、次の被弾に備えている。
褒めてあげるよ。2人とも生き残ったらさ。
ないものねだり。