即席のテント内は混沌としていた。
次々と運ばれる重傷者に、意識を朦朧とさせながら滲むうめき声、痛みと戦う吐息。
すえた臭いと血の臭い。消毒の匂い。鎮痛剤変わりのハーブのつんとした匂い。すべてがまぜこぜになってのし掛かってきてとても重たい。
「大丈夫。大丈夫ですよ」
メルルは次の患者の前にしゃがみこんで回復魔法を施す。
男性は肩と頭に巻いた包帯に血が滲んでいた。
ゆっくりと組織の修復を促す。包帯を巻き直しもう一度魔法を唱える。
「あまりうまくなくてごめんなさい」
出きる限りはやった。でも…とても完全な治癒には行き着かない。
異変には自分で気がついた。
ふらりと意識が暗闇に引きずられていく。いけない、まだ仕事はたくさんあるのに。まず視界が閉ざされ、耳がゆっくり塞がれていく。奇妙な感覚だった。
「大丈夫か、嬢ちゃん」
はっとした時には自分は横たわっていた。
「私…っ」
プラチナの身体の人が側にいた。見たことのある人だった。
「まだ寝とけって。えーと。なんて言ったかな。姫さんが言ってたぜ」
「…私、倒れてしまったんですね」
「みてぇだな。ま、無理すんな」
小さいテントには、メルルとその金属の人しかいない。
簡易ベッドに寝かされ、薄い布が掛けられていた。
「オレも動くなって言われててよ。目立つしなぁ」
「ふふ」
確かに。これ以上ないぐらいに目立ちますね、と笑ったのはメルルの口元だった。
「怖くねぇの?オレが」
「怖いだなんて。ポップさんと戦ってらした方でしょう。確かヒムさん…」
メルルがにこりと笑う。げっ、と顔をしかめられた。
「ヒム…さん? そんな呼ばれ方始めてだわ」
呼び方に違和感があるらしい。
「肩のところ、痛そうですが」
ヒムもまだ完治していなかった。
最後の脱出劇で腕はもがれ、肩までヒビが入る重傷だったのだ。老師に治してもらい見た目は腕も肩も復活したが…。
メルルが至極当然のように回復呪文を唱え始めたから、ヒムが細い手を取った。
「やめろって、またぶっ倒れられたらオレが叱られる。恐ろしいんだよなーあのお姫さん。めちゃくちゃ口が達者でよ。大丈夫だ、見た目ほどヒドくねぇし」
固くて大きな手はメルルをそっと握ったまま。嫌悪感もなにも抱かない。
「不思議」
「あん?」
「初めて会ったのに、初めてじゃないみたい」
くだけた喋り方のせいか、それともポップを通してテレパシーで見ていたせいか。妙に親近感が湧く。
「私もそれほどか弱くありませんよ」
「へっ。こんな戦場に来るんだもんな。それでこそ最後までもがく人間の底力よ」
メルルもとても身体が疲れていたけれど、ヒムの勝ち気な笑みが心強い。戦いは終わったのだとやっと実感した。
「寝とけよ。起きたらまた大忙しだ」
「…そうですね」
なんだか大きな銀色の狼にでも守られているような気がして… メルルはとても久し振りに心穏やかに目を閉じた。
平民出身であるから、理不尽な要求にもたびたび頷かなければいけない。メルルには後ろ楯がないのだ。
高官や来賓を招いての占術が毎日行われるのだが…メルルはちょっと疲れていた。
城の中庭のベンチにヒムと2人で座っていた。ここなら余計な人も来ないし、誰にも言えない様なことも言える。
「ちょっと…裏の探り合いのようで疲れる時もありますね…」
「おう」
「子供が幸せな結婚式するにはどちらの貴族に付いたらいいかとか、どの子に家督を譲ればいいかとか。遺産を残すにはどの事業を拡張すればいいかとか…」
そんなのばかりだ。
どのような答えが喜ばれるかは分かるが…ごまかしの効かない仕事だ。へそを曲げられたことも一度や二度ではない。何より立場があるからこそ厄介だ。
「ほぉ…」
聞いているヒムは怪訝な顔で相づちを打つ。
メルルがぐったりと日なたのベンチに座っていたので心配になったのだ。
「何より箔がつくからと、パフォーマンスで依頼が来ることもあります」
「はく?」
「箔…ですね」
要するに神秘の占い師が認めたという事実が欲しいのだ。
「お叱りを受けたこともあります」
そんなはずはないと、どうしても未来を認めたがらない年寄りは多い。
「んだそれ」
ヒムが肩をいからせて感情を露にする。
「そいつ殴ってやろうか」
「えっ…」
「ふんじまってよ、海に投げ返してやろーぜ」
「海に…」
そんなの、ダメですよ…という前に。
メルルは笑いだしてしまった。
「やだ、ヒムさん……ふふ。おかしい、殴って…殴っちゃうんですか?死んでしまいます」
困ったメルルを救おうと、とんでもないことを言い出した彼氏がかわいくて。人間同士の複雑な社会を知らない発言は、メルルを何度も占い師の戒めから解き放ってくれる。
「海に……考えたこともありませんでした…ふふふ。面白い」
メルルはまだ笑っている。年寄り達がどぼんどぼんと海に落ちていくのを想像してしまった。
「メルル…さん??もしもし?」
ヒムは、そんなに変なことを言っただろうかと、笑い転げる彼女を頭を掻きながら見ていた。
私達は一週間も滞在せず廃墟を点々とした。
盗賊や獣に荒らされていたり、魔物の住み家になっていたり。落雷や嵐の爪痕が残っていたり。散々な状態もあった。長い戦争があったから人は一極集中したのだろう。
食料は保存食と狩り、採集、連れている家畜で賄う。
あまり十分とは言えないが、街にはいけないし物々交換もできない。いつもぎりぎりだ。
珍しく鳥を射ち落とせたので、今日の夕食は豪勢になった。
「痛みやすいところから食べましょうか」
内蔵を貴重な水で洗い、塩をまぶし、臭み取りのハーブと一緒に揉む。ちび竜がキィキィ肩で鳴く。乾燥した野菜を入れて、固いパンを炙る。
「あなたとならどこへでも」なんて。
簡単には言えない。生きていくのはとても大変だ。
「ご飯できました」
周囲を回ってきた少年に器を渡す。
思えばこの頃は、お腹はすいていたけど満ち足りていたな。
なんて思うのは…色々なことを忘れているからかな。
彼と家族になってはどうかと。
メルルがこの世界にたった一人になることを憂い、結婚を勧めたのは祖母だった。
祖母のなかでどんな変化があったのかは分からない。
分からないけど、人生で大きな転換期を自ら迎えることに怯えた。
「おばあ様。私、怖いんです」
「何を怖がるんだいおまえ。何も怖いことなんてありゃそんよ」
「でも…」
この世界での結婚は、民間人にとっては子供ができてからという地域も多い。王族貴族の金持ちとは違うのだ。出生死亡率も高く、大人になるまでに子が無事に生きられる保証はない。
「あの男はいい男さね」
「そうですね…」
祖母の目からみても、あの人はいい男のようだ。メルルは少しほっとする。
「男はね。同じ道を行きたいと思う男を選ぶんだ」
「同じ道…」
そう。どんな困難でも助け合い、生涯の果てを目指し同じ道を歩む相棒なのさ。一人で先に行くのも別の道に行くのもダメだという。
人にはあらかじめ決まった道筋がある。
他人と道が混じり、離れ、影響し合う。誰と行くか。どう困難を対処するか。それが方法だ。
「ごらんよこの空を」
周囲の明かりが消えた深夜。
秋の星々が天を彩っている。
「おばあ様…私、星読みは…」
星占いは専門外だ。風水師とも占星術とも違う。
「予め決まった運命がある。星は何百年経っても変わらずわたしらを見ている。それをどう読み解くかは、我々占い師の役目なんじゃないかね」
「おばあ様…」
メルルは夜風に当たりながら、目を凝らして自分の星を探した。
星が流れる。圧巻の星空だった。
命は巡るのだと占い師の彼女は言う。
戦いの中で散っていった兄弟をたまに…いや、毎日思い出す。
「また生まれてこいよ」
妙に感傷的になってしまい、真っ暗な海に囁いた。
今ならどんな事を話せるのだろう。
となりに明かりを持ったメルルが座り込む。青白い星とは違った温かい明かりだった。
「どうしました」
なんでもねぇよ、と言い掛けて、全員分はちと一人で持て余し気味だった。
「ちょっとよ」
「はい」
彼女は聞いていてくれる。
我ながら甘いな。自分以外に兄弟を知る人がたらと思ったのだ。
街で仕事を始めた孫娘が失恋の痛みを乗り超えて穏やかに笑うようになった。ごらんよあんなに嬉しそうに。
驚いたが孫を身を呈して守る男が異形でも本質は隠せん。畏怖と嫌悪は似て否なるもの。
占い師一族が変なのに惚れるのは血筋なんだから仕方ないさね。