M.E.

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2/21/2025, 3:03:03 PM








絵本に登場しそうな、うろこ雲が青空を泳ぐ朝は、晴れ晴れとした気持ちになる。

しかし、悩みが膨れ上がり、今にも爆発しそうになっているときは、きれいに見えるはずの青空が、眩しすぎて、気がついたら、自分がこんなきれいな青空をみて、きれいだと思うことへの後ろめたさを感じていて、心から青空を喜べない。

夜は暗い。空一面が雲に隠れていると、真っ暗だ。しかし、雲が空を隠していない日の夜は、星が一面に広がって輝いている。

特に、空気が澄み切った、肌寒い冬の夜空は、きれいだ。自分が悩みを抱えているとき、その悩みさえも、優しく包み込んでくれるような気がする。悩みを抱えていても、なんだか温かい気持ちになる。

わたしは、今置かれた状況が自分にとって、辛く、今にも泣きそうなときには、夜空を見上げている。

夜空は、わたしを頑張れと励ますわけでもなく、ただありのままの自分を肯定してくれる。ずっと遠く離れていて、今はもう存在していないかもしれないけれど、星の魂は、静かに、わたしの隣で見守ってくれている。

このような、夜空に対する思いは、自分はもうだめだ、と自分の人生を悲観したときに、今が全てじゃないよ、と言ってくれた人に対する思いと似ている。

辛いことがあるからこそ、心に沁みるものが生まれる。それは、辛いことがないと、生まれない思いだ。

辛いこと、例えば、悲しいこと、悔しいこと、なさけないことはない方がいいけれど、毎日いいことしか起こらなかったら、それはいいことっていうのだろうか。

辛いと幸せという感情は表裏一体で、全く違うものではない。夜空を駆ける、このことを思いだして、夜空をみると、今の状況に対する感謝の気持ちが溢れてくる。

これできっと君はもう大丈夫だ。星が、隣でそういっている声が聴こえる。







_________夜空を駆ける_________________________。

2/20/2025, 2:40:25 PM











わたしは、自分の気持ちを表出することは、あまりしない。

幼い頃、好きなお菓子を持っていっていいよと言われ、好きなお菓子があるに、なんでもいいから余ったものでいいと言って、自分の本当の気持ちを隠していた。


 
すると、周りに合わせてばかりいるうちに、いつの間にか、自分の気持ちがわからなくなった。

それがわかったのはつい最近だ。これから”どうしたいか”きかれたとき、わたしは話しているうちに話の内容から徐々にはずれていった。”どうするべきか”を話していた。自分の想いを後回しにして、他人が望んでいると推測したことを実践しようとしていた。



わたしは、このことに気がついて、どんな小さなことでも、自分の気持ちを誰かに伝えようと思った。その気持ちを聞いてもらえるか、受け入れてもらえるかはわからないけれど、きっと伝えることに大切な意味があると思うから。



だけど、自分の気持ちを伝えることで、自分がこれからどう生きたいかを、少しずつ考えていける気がする。

意識から外れた、無意識の領域に、わたしのひそかな想いは、静かで影は薄いが、輪郭をもった力強いエネルギーとして、そこに確かにある。

この思いをみつけるためには、自分の気持ちを伝える習慣をつけることが重要だ。気持ちを伝えること事体に意味がある。



その伝えた気持ちが、積もり積もって大きな山になり、その山に登って地上を高いところからみたときに、今まで気がつかなかった路地裏の道をみつけるように、視界が開くことで、自分の進みたい道がみえてくる。

自分が周りからどう思われているかなんて結局わからないし、どう思ってもらいたくても、人の気持ちは変えられないことが多い。

そうだったら、自分の気持ちを封印してしまうよりも、人を傷つけないことだったら思い切って伝えてみたらいいかもしれない。



わたしが今、ひそかに想っていることをあなたにきいてほしい。そして、あなたはどんなひそかな想いをもっているんだろう。わたしにもきかせてほしい。







________________________________ひそかな想い___。

2/19/2025, 3:08:06 PM









最近気づいたことがある。わたしは人の顔色を気にしすぎてしまっているようだ。

顔色というよりも、雰囲気と言った方がいいかもしれない。

人が怒ったりイラついたりするときは、その人をとりまく空気が一瞬にして変わる。

わたしは、幼い頃、怒ったら人が変わるように怖いと思っていた人が身近にいた。

自分や家族に危害が及ぶのではないかと怖くなった。

そのため、その人が少し機嫌が悪そうだったら、なにか刺激を加えたら怒る可能性があるため、話題を変えたり、機嫌をとったりして、怒りが収まるようにしたりしていた。

このときは、このように人の顔色をみることで、自分や家族を守ることに必死だった。



しかし、今では怒ったら自分や家族に危害が及ぶような怖い人は、近くにはいない。

もう人の顔色をみなくても、不安なく生活できる。

しかし一度着いたクセは、すぐに修正することはできない。

今は身の危険というよりも、人から嫌われてはいけないという固定観念に縛り付けられている感じがする。



人の考えていることを、考えすぎてしまうという話をすると、そこまで考えなくでもいいと言われるが、そうはいっても考えてしまうのである。本能が赴くままに。

そうすると、社会に出てから、仕事でミスや失敗をしてしまったときや、仕事を進めるペースが遅く周りに手伝ってもらわないといけないようになったとき、すごく迷惑をかけていると思って、顔色や雰囲気をみて嫌われていないかどうか確かめ、一喜一憂していた。



しかし、最近気づいたことは、人の考えていることなんて実際はわからないということである。

そのため、勝手に顔色や雰囲気から、相手の感情を想像しているのは、人ではなく、架空の人物の感情だといえる。だから、自分の想像だけで一喜一憂することは全く意味のないことなのである。

また、自分を偽ってまで、人に好かれようとがんばるのは、自分と向き合えていないといえる。自分と向き合えていないのに、他人とは向き合えない。

あなたは誰だろう。勝手に人の感情を読んで一喜一憂するのではなく、まずは自分と向き合うことが大切だ。それから、架空の人物ではなく、目の前にいる人と向き合う。

自分にできることはこれだけだ。これで人から嫌われたり、人からの期待にこたえられなかったりしても、それは仕方がない。この世界の全人類から好かれる人なんて、この世界に一人もいないのだから。

あなたは誰?わたしはわたし、あなたはあなた。わたしが想像したあなたは、ほんとうのあなたから少しズレている。だから、これは、本当のあなたではない。

あんまり悪い想像をしすぎずに、そのときの流れに身を任せて、気楽にゆっくりわたしの道を進んでいこう。






______________________________あなたは誰_______________________________________________。

2/18/2025, 2:37:04 PM









わたしは、頭で考えたことをそのまま口頭で伝えることが苦手だ。

頭で考えていることは確かにあるのに、”感情の色”だけがのこり、頭のなかがもやのかかった感じになる。

まとまりがないどころか、自分でもなにを伝えたいのかわからなくなる。



わたしにとって、心をフラットな状態にするために最も必要なものは、紙とペンだ。

頭のなかをペンで紙に書き出していくことで、自分の考えに気づき、自分の思いと向き合うことができる。



わたしは、もともと書く習慣がなく、文章で自分の気持ちを伝えることをあまりしたことがなかった。そのため、最初は文章を書くことにすごく時間がかかるし、うまく言語化できていないと感じていた。

しかし、ここで毎日自分の思いや考えを伝える習慣ができたことで、書くことを通して自分の頭のなかを可視化できるようになり、”感情の色”が暗い色に変わる度に、気持ちが振り回されることはなくなった。

そして、感情を徐々に自分でコントロールできるようになってきたように感じる。



自分の考え、思いの全てをさらけ出そう。

きれいな感情も、薄汚れた感情も。その感情は自分自身ではなく、たまたま自分に住み着いた感情だから、気にしすぎないでいい。

その感情と自分はくっついているようで切り離されているから。



感情に振り回されて、自分の考えや思いが迷子になってしまわないように、紙とペンを使ってまとめていく。

そうすると、自分が心のなかで一番安心できる場所をみつけて、そこを拠点に生活することができる。

自分の行方を明らかにすると、いつでも心のなかの自分と向き合うことができる。

自分と向き合うことは、きっと他の誰かと向き合うよりも難しくて重要なことだと思うから。








__________________________________________手紙の行方___________________________________________。

2/17/2025, 2:56:35 PM









濁った色の石は、磨くことで輝く宝石となる。

初めから輝いている宝石はない。宝石の輝きは後天的に発生するものだ。

もともと濁った色だったからこそ、より輝くことができる。



わたしは、今、なにもかもがうまくいっていないように感じている。今の状況を例えると、悲しみと悔しさが混じり合った、濁った石のような状況である。

この状況は、なるべくなら避けたいと思う道だ。しかし、この濁った石の状態があるからこそ、磨いたときの輝きを増してくれる。

人生は一瞬の煌めきだ。この一瞬の煌めきの軌跡のなかで、石のときも宝石のときも、そのときを全力で楽しんでいきたい。

石も宝石は、姿が異なるだけで自分であることには変わりはない。

他人からの評価は厳しくても、自分のことは自分でほめて、自分の人生と大切な人たちとの時間を全力で楽しんで、愛することができるように。






________輝き__________________________________。

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