瞳をとじるとき、そこに広がる景色はどんな景色だろう。
わたしは幼い頃、瞳をとじると、そこに広がるのは“宇宙”なのかもしれないと思っていた。真っ暗だけど、そのなかに輝く星のようものあるようにみえたからだ。
わたしは瞳をとじて“想像”することが楽しかった。”宇宙“の他にも、自分がみたいと思った景色を“想像“すると、そこにあるように思えた。楽しいことを”想像“すると、楽しい気持ちになった。
今、わたしは、辛いこと、悲しいことがあったときに、わたしはずっとそのことについて考え続けてしまうため、さらに辛く、悲しい気持ちになる。
ほんとうは、そんな気持ちにはなりたくない。
だからといって、楽しいこと、嬉しいことを考えると、現実逃避になっているような気がして、現実に戻り、また、辛く、悲しい気持ちになる。
これからは、楽しいことを想像することは、現実逃避ではないと信じたい。
辛いこと、悲しいときがあったときに、そのことをひたすら考えていても仕方がない。そのできごとは変えられない。
また、いくら自分を責めても何も変わらない。自分が自分を裁判することはできない。
楽しいことか辛いこと、どっちか選ぶなら楽しいことだろう。
もっと肩のちからを抜こう。想像するだけだったら、どんなことでも自由だから。
楽しいことやうれしいことを考えることは、すぐには難しいかもしれない。しかし、その割合が、辛いこと、悲しいことを少しずつ上回っていったら良いなって思う。
“想像”はこの地球上で唯一、人間だけができることだ。
わたしは、瞳をとじて、今日も”想像”する。
_____________________瞳をとじて_______________。
サプライズの贈り物をして、あなたの喜んでいるところをみることが好きだった。
だけど、自分のことでいっぱいいっぱいになって、心と身体の元気がなくなり、金銭的な余裕もなくなって、贈り物をすることができなくなった。それがすごく悔しかった。
贈り物は、自分が元気ではないとできないことがわかった。
今は、贈り物ができないことを嘆くのはもうやめた。
いつか自分が元気になって、金銭的な余裕も少しできてきたときに、あなたが喜んでくれそうな贈り物をじっくりと考えて用意したいと思う。
わたしは、今まで、贈り物は気持ちだというが、お金で買ってプレゼントを用意するときは、100%気持ちではないんじゃないかと思っていた。
しかし、あなたに喜んでもらうために一生懸命考えて用意したことが伝われば、”あなたを想う気持ち”が”形のある物”よりも大きく伝わるのではないかと思い始めた。
私が今できる、あなたへの贈り物、それは、今のわたしができることを自分なりに考えて行動することだと思う。
また、明るく楽しく生活することは、お金に比べられないくらい大切だと思う。
考え事をして気持ちが落ち込んでしまうときがあるが、大体が考えても仕方のないことである。そういうときは、わたしに今できることを全力でやって、今に集中していきたい。
今に集中して、明るく楽しくを意識してやっていけば、きっと今がよりよいものになり、状況は徐々に好転していく。
いつの日か、あなたの喜んでいるところをみれるだろうその時まで。
______________________あなたへの贈り物_________。
わたしは実際にコンパスを使ったことがあまりない。
わたしが幼い頃は、現在のように携帯電話が普及していない時代であった。
しかし、現在はGo○gle Maps などの地図アプリの機能も充実しており、コンパスを使う機会はほとんどないだろう。
わたしは、幼い頃にコンパスをもらった。わたしはうれしくて、せっかくだから使ってみたいと思った。
そのコンパスを持ってうきうきしながら歩いた。しかし、よく知っている場所であったため、迷子になるようなことはなかった。
幼い頃、「森で迷子になったら北極星をみつけてごらん。その星に向かって歩くと、森から抜け出せるよ」と教えてもらったことがある。
北斗七星のひしゃくの先にある二つの星の間隔を、ひしゃくの先端から五倍にのばした距離にある星が、北極星である。
夜空の星は、太陽や月のように時間とともに東から西へ動いていくが、北極星だけは時間が経ってもほとんど位置を変えることはなく、いつも真北の方角で輝いている。
雲がかかっていて、北極星をみつけることができないときには、太陽の方角を確認する。太陽は、朝に東の空からのぼり、日中南の空を通って、夜に西の空へ沈んでいく。
これらのことを知っていれば、携帯電話やコンパスなどの道具を使わなくても、自分の知識で迷子から抜け出せるのではないかと考えた。
これからは、道に迷ったときは、空をみるなどして、大自然からヒントをもらって、道をみつけていこうと思う。そして、必要に応じて、コンパスやGo○gle Maps の力を借りて、道をみつけていきたいと思う。
以上を通して、今、わたしが最も大切なのは、自分の持っている知識をフル稼働することだと思った。
今は時代が進み、どんどん便利になってきたが、便利になればなるほど今まで受け継がれてきた知識が忘れ去られてしまうのではないかと思う。
迷子の状況以外でも、いざというときに、頼れるのは自分が持っている知識だと思う。このことから、自分が持っている知識の棚を増やしたり、すでに持っている知識でも、さらに深く理解していこうと思った。
自分自身が、自分という旅の”羅針盤”となれるように。
___羅針盤_____________________________________。
わたしには、”自分”がなかった。
わたしはこれまで、『周りから求められている自分』を演じてきたように思う。それは、人から嫌われたくない、必要とされたいという思いがあったからだと思う。
『周りから求められている自分』が、『おもしろい人』だと思ったら、ぼけたりおかしなことを言ったりして、求められている『おもしろい人』の像に近づこうとした。
こうして続けているうちに、『キャラをつくっている』といわれるようになった。それからは、つくっていると思われると嫌われるのではないかと思って、自然にみえるように努力した。
また、わたしは自分の気持ちを伝えることは、わがままなことであって、それは『周りから求められている自分』ではないと思い、自分が本当はどうしたいかという気持ちを封じてきた。
こうしているうちに、わたしは、『周りから求められている自分になろうとする気持ち』が『自分は本当はどうしたいのかという気持ち』を飲み込み、自分を見失っていってしまったのではないかと思う。
わたしには好きなことがある。アニメをみることが好きだ。おいしいお菓子を食べることは好きだ。だから、好きなものを自分で選択することはできる。
しかし、これまで人生の分岐点となる大きな選択を、”自分”でしたことは一度もない。
わたしは周りの人たちから、たくさんアドバイスをもらった。
アドバイスのなかには、疑問に思ったり、自分にはできそうにないと思うものもあった。
わたしは、気づかないうちにもらったアドバイスを全て実践しなくてはいけないと思うようになっていたのだと思う。
アドバイスをもらい、それを実践するかどうかは、本来自分で決めることだ。
しかし、わたしは自分はこうしたいという気持ちがあっても、『周りから求められる自分』になるために、どうするべきかについてとらわれてしまったこと、また、自分に自信が持てないために、自分の選択は間違っているのではないかと思ったことにより、自分の気持ちよりも世間一般的に最善とされている道を選んだ。
そして、今、自分が納得できていないまま決断したことによって、自分がした選択を後悔している。
わたしは、今、自分がどうしたいか、何ができるかを一つづつ丁寧に考えていきたいと思う。
①自分がこれから進みたい道を決める。そして、なぜその道に進みたいのかを深く考える。このとき、一般的にどうすべきかや、周りの人にどう思われるかは置いておき、自分の思いだけで考える。
②他の道もあるという選択肢を教えてもらう。
③他の道をよく知った上で、自分の進みたい道を選ぶかどうか決める。(納得したら他の道でもOK、しかし、本当に納得して決めたことなのか自分自身と対話して確認する。)道を選ぶときは、どれだけその道を進みたいかという思いと、その道を選んだときのリスクを天秤にかけて、それでもその道を選ぶのか、決心をつける。
④その道を歩く上で、自分がなにを優先したいか考える。(お金?プライベートとの両立?)
⑤どうすべきかや、周りの人にどう思われるかは考えてないことを再確認して、歩き始める。
これらの過程を経て、わたしは“自分で納得のいく選択”ができるとわかった。
この選択が正しいかどうかはわからないし、不安は残ると思われる。
しかし、自分で納得して決めたことは後悔しないと思う。
まっすぐな道を歩く、しばらく歩いたら道が分岐している、どの道が正解かわからない、怖い、でも、選んだ道がたとえ行き止まりだったとしても、道を引き返すことはできる。
正解の道をより早く見つけて進むことが一番いいと思われがちだが、行き止まりにたどり着くまでの道の途中にも、たくさんの発見がある。
その発見は、道を引き返してから分岐点に戻り、道を選び直すときや、選んだ後に道を進んでいくときに、きっとわたしの、君のお助けアイテムになってくれるはずだ。落とさないように大切に抱えていこう。
そして、そのアイテムは、いつか誰かの明日を照らす光にきっとなる。
時間は戻せないけれど、来た道を戻って道を選び直すことはできる。来た道を戻る過程では、前には進まなかったけれど、発見として得たものは確かにあった。
前進、後退を繰り返し、その中で発見をしていくこと、その発見を大切にしながら生きていくこと。それが、”明日に向かって歩くこと”だと思う。
_____________________________________________________________________________明日に向かって歩く、でも__________________________________________。
ただひとりの君へ、いつかこの唄を届けたい。
この唄をきくときに、わたしのことは覚えなくていいよ。
テレビに出ている歌手やアーティスト達とは違って、わたしはあなたに唄を届けるための媒体でしかないから。
わたしのことは好きにならなくてもいいよ。
だけど、わたしの唄は最後まできいてほしい。
この唄は、君にきいてほしいと思って創った唄だから。
自分の価値観に合わない考え方を理解するのは難しい。
しかし、理解しようとする姿勢をもつことはできるのではないだろうか。
この姿勢で、わたしの唄をいつかきいてほしい。
ただひとりの君が、この唄をきいたときに、新たな発見をして、君自身やその周りの人のことを、大切な存在だと改めて気がつけるように。
________________ただひとりの君へ_______________。