瞳をとじるとき、そこに広がる景色はどんな景色だろう。
わたしは幼い頃、瞳をとじると、そこに広がるのは“宇宙”なのかもしれないと思っていた。真っ暗だけど、そのなかに輝く星のようものあるようにみえたからだ。
わたしは瞳をとじて“想像”することが楽しかった。”宇宙“の他にも、自分がみたいと思った景色を“想像“すると、そこにあるように思えた。楽しいことを”想像“すると、楽しい気持ちになった。
今、わたしは、辛いこと、悲しいことがあったときに、わたしはずっとそのことについて考え続けてしまうため、さらに辛く、悲しい気持ちになる。
ほんとうは、そんな気持ちにはなりたくない。
だからといって、楽しいこと、嬉しいことを考えると、現実逃避になっているような気がして、現実に戻り、また、辛く、悲しい気持ちになる。
これからは、楽しいことを想像することは、現実逃避ではないと信じたい。
辛いこと、悲しいときがあったときに、そのことをひたすら考えていても仕方がない。そのできごとは変えられない。
また、いくら自分を責めても何も変わらない。自分が自分を裁判することはできない。
楽しいことか辛いこと、どっちか選ぶなら楽しいことだろう。
もっと肩のちからを抜こう。想像するだけだったら、どんなことでも自由だから。
楽しいことやうれしいことを考えることは、すぐには難しいかもしれない。しかし、その割合が、辛いこと、悲しいことを少しずつ上回っていったら良いなって思う。
“想像”はこの地球上で唯一、人間だけができることだ。
わたしは、瞳をとじて、今日も”想像”する。
_____________________瞳をとじて_______________。
1/23/2025, 1:41:51 PM