わをん

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11/13/2024, 3:45:50 AM

『スリル』

私の盗癖の始まりは些細なことだったと思う。老人の経営する商店からりんごを盗み出すことを思いつき、それを実践したら誰にも咎められずポケットにりんごは移った。違う店に行って少し大きなものを盗み出しても結果は同じ。初めて入る店なら、初めて来た国ならと段階を踏んで規模を大きくする度に逐一それは成功してしまった。私には盗みの才能があるのだと気づいた。
小説に描かれているような怪盗になったのはそれからいくらも経たないころ。盗みの才能にあぐらをかくことなく、技術の研鑽も積んできた私に盗めないものはないと自負しては私を追う警察たちをからかっていた。
そのうちに、どこの国へ行っても同じ刑事に出くわすこととなる。変装して現場を下調べしているとき、ひとり熱心にうろついていたり、盗み出したあとにすぐ駆けつけてきた警察の一団の中で声を張り上げていたり。今まで私の影を踏むことのできない人たちばかりの中に私に並び立ちうる存在が現れたことに私は戸惑った。その戸惑いに名をつけるならば、喜びが一番近いように思えた。
盗みの計画を練っているときなどにふと彼の顔が思い浮かぶことがある。盗むこと自体も楽しいことだが、最近はそれに加えて彼がどこで私を捕まえうるかを想像してはその対策を打つことにも楽しみを見いだしている。捕まれば一巻の終わり。今までにない危機感すらも不思議と楽しい。
飛行船の眼下には綺羅びやかな街に無粋な回転灯があちらこちらに光って警戒している。あれがあるということは、彼もいるということだ。そのことを思うと知らず身震いが起こり、口元には笑みがともる。彼との逢瀬を楽しみに、私は目標へ向かって颯爽と飛び降りた。

11/12/2024, 3:35:48 AM

『飛べない翼』

動物園の檻の中に鋭い目をした鳥がいた。鋭いのは目だけではなく、黄色い爪もくちばしも鋭く尖って格好良い。鳥の説明が書かれたプレートには彼の暮らしていた国やどういうものを食べるのかという生態が書かれていたのだが、今の状況と違う一文に目が留まる。
“雄大に空を飛び回る姿は空の王とも呼ばれる”
檻の中に佇んでいた鳥はおもむろに翼を広げ羽ばたかせた。翼には不自然に切られたような箇所がいくつもあり、その身を浮き上がらせることすらもできないようだった。
「空の王にならせてくれないか」
鳥はまっすぐにこちらを見て話しかけてきたけれど、私にはその力も権限も備わっていない。視線を振り切って檻の前をあとにしたが、背中には鋭い視線がいつまでも突き刺さっているかのようだった。

11/11/2024, 3:37:25 AM

『ススキ』

着の身着のままで逃げおおせてきた私は遠く燃え盛る城を振り返る。誰に攻め込まれてきたのか、何のための戦なのかわからないまま逃げろと言われてここまで来た。至る所に生えるススキの葉はカミソリのような鋭さで寝間着から出た素肌に細かな傷をいくつも作り、ヒリヒリとした痛みが私を苛ませた。
それでもなんとか逃げようと動かせていた私の足は橋の向こうが落とされてごっそりと消えてなくなっていることに気づいて歩みが止まる。城はもうすでに焼け落ちて崩れ去った。振り返る先にあるのは一面のススキ野原だけ。ススキの穂には綿のような花が咲き、それが月の光に照らされて銀色に光っている。夜風になびくススキがさざなみのように揺れて、丘一面のススキ野原は大海原のようだった。
人のひとりもいない野原で私はその美しさに目を奪われていた。そして漠然と、ここが私の死に場所になることを思っていた。いずれ追手がやってくる。それまでに覚悟を決めなければならなかったが、まだひとときはこの光景を目に焼き付けることは許されるだろう。誰に言うでもない言い訳をしながら、私はずっとそこに立ち尽くしていた。

11/10/2024, 5:37:46 AM

『脳裏』

跡継ぎに選ばれなかった双子の兄は素行の悪さも手伝って家を放逐され、それを逆恨みした兄は悪党どもの頭領となった。領地の悪を成敗するのは領主の勤め。私は兄を殺しにゆかねばならない。
悪党どもの根城に向かう最中に脳裏には幼き頃の思い出ばかりが蘇っていた。仲睦まじかったふたりを何が隔ててしまったのだろうと考えるが答えの出ぬままに辿り着いてしまう。もうあとには戻れない。
多勢に無勢という言葉の当てはまる、戦いとも呼べない駆逐となった。残るは頭領のみ。私は、どんな言葉を掛けられても何も答えず首を捕ろうと思っていた。
「世話をかけたな」
この期に及んで兄の言葉に涙が滲む。脳裏を懐かしい思い出が支配しようとするが、兄の手元に刃の煌めきが見えた。兄の脳裏には私のことなど映ってはいないのだろうと解ってしまった。
刎ね落とした首がこちらを見つめている。記憶の中の面影とほど遠い、恨みつらみの籠もった目を伏せさせた私はしばらくの間立ち上がることが出来なかった。

11/9/2024, 12:34:55 AM

『意味がないこと』

すべてのことに意味があるというけれど、ペン回しには意味はないんじゃないか。そんなことを思いながら集中力の切れた私は授業の最中にペンを回す人の背中をちらと眺める。
いつまでたっても滑らかにはペンを回せない私のことを出来の悪い弟子だなと笑ったその人のことを私はたぶん好きだ。けれどその人はたぶん私のことを好きではないし、視線の先にいるあの人のことをきっと好きなのだろう。私がいつかなんでもないようにペンを回せることができたとしても、私の恋はうまくいったりしない。
ペン回しにはやっぱり意味はない。けれど、私はまだしばらくの間はペン回しの練習をしてしまうのだと思う。

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