『ススキ』
着の身着のままで逃げおおせてきた私は遠く燃え盛る城を振り返る。誰に攻め込まれてきたのか、何のための戦なのかわからないまま逃げろと言われてここまで来た。至る所に生えるススキの葉はカミソリのような鋭さで寝間着から出た素肌に細かな傷をいくつも作り、ヒリヒリとした痛みが私を苛ませた。
それでもなんとか逃げようと動かせていた私の足は橋の向こうが落とされてごっそりと消えてなくなっていることに気づいて歩みが止まる。城はもうすでに焼け落ちて崩れ去った。振り返る先にあるのは一面のススキ野原だけ。ススキの穂には綿のような花が咲き、それが月の光に照らされて銀色に光っている。夜風になびくススキがさざなみのように揺れて、丘一面のススキ野原は大海原のようだった。
人のひとりもいない野原で私はその美しさに目を奪われていた。そして漠然と、ここが私の死に場所になることを思っていた。いずれ追手がやってくる。それまでに覚悟を決めなければならなかったが、まだひとときはこの光景を目に焼き付けることは許されるだろう。誰に言うでもない言い訳をしながら、私はずっとそこに立ち尽くしていた。
『脳裏』
跡継ぎに選ばれなかった双子の兄は素行の悪さも手伝って家を放逐され、それを逆恨みした兄は悪党どもの頭領となった。領地の悪を成敗するのは領主の勤め。私は兄を殺しにゆかねばならない。
悪党どもの根城に向かう最中に脳裏には幼き頃の思い出ばかりが蘇っていた。仲睦まじかったふたりを何が隔ててしまったのだろうと考えるが答えの出ぬままに辿り着いてしまう。もうあとには戻れない。
多勢に無勢という言葉の当てはまる、戦いとも呼べない駆逐となった。残るは頭領のみ。私は、どんな言葉を掛けられても何も答えず首を捕ろうと思っていた。
「世話をかけたな」
この期に及んで兄の言葉に涙が滲む。脳裏を懐かしい思い出が支配しようとするが、兄の手元に刃の煌めきが見えた。兄の脳裏には私のことなど映ってはいないのだろうと解ってしまった。
刎ね落とした首がこちらを見つめている。記憶の中の面影とほど遠い、恨みつらみの籠もった目を伏せさせた私はしばらくの間立ち上がることが出来なかった。
『意味がないこと』
すべてのことに意味があるというけれど、ペン回しには意味はないんじゃないか。そんなことを思いながら集中力の切れた私は授業の最中にペンを回す人の背中をちらと眺める。
いつまでたっても滑らかにはペンを回せない私のことを出来の悪い弟子だなと笑ったその人のことを私はたぶん好きだ。けれどその人はたぶん私のことを好きではないし、視線の先にいるあの人のことをきっと好きなのだろう。私がいつかなんでもないようにペンを回せることができたとしても、私の恋はうまくいったりしない。
ペン回しにはやっぱり意味はない。けれど、私はまだしばらくの間はペン回しの練習をしてしまうのだと思う。
『あなたとわたし』
わたしと同じ年、同じ日に生まれたあなたと学校で出会って仲良くなったね。あまりにもいつも一緒にいたから双子みたい、って言われるのも嫌じゃなかったとわたしは思っていたけど、あなたはどうだったかな。ほんとうのことはもうなにも聞けなくなってしまったね。
同じ年、同じ日に生まれたから占いの結果もよく似ていたはずだった。誰でもいいから人を殺して死刑になりたいひとにあなたは殺され、わたしはそうはならなかった。同じ場所、同じ時にそこにいたのにどうしてわたしはそうならなかったのだろう、と何度も思ったけれど、思うだけでなにも見つけられない。
お彼岸でもお盆でもない時期の墓地に枯れ花が並ぶ前を秋の花束を抱えて進む。あれから何年も経って犯人が望んだ刑も執行されて、世間を騒がせた事件のこともあなたのことも時が埋もれさせようとしている。けれどわたしには忘れようもない。
「お誕生日おめでとう」
物言わぬあなたからのおめでとうとありがとうは思い出に苛んだわたしをまた一年は繋ぎ止めてくれる。
秋風が吹いて色とりどりの花を揺らすのを、今年もあなたの仕業だと思えたわたしは少し微笑んでみせた。
『柔らかい雨』
夫婦仲の険悪が極まって離婚の話し合いをしていたはずがお互いの罵り合いに発展して喧嘩になった。刃物を持ち出したのはあちらの方だったのだが気がつけば相手は倒れていて俺はどこかへと逃げている。
山には霧のような雲のようなものもやがかかっており、雨具の用意もないまま衣服は次第に湿気で重たさを増していった。逃走先としては悪手であると気づいてはいるのだが導かれるように山を歩かされている。
山にはいい思い出のひとつもない。あるのは今さっき刺した妻に唆されて気持ちの離れていた恋人を共謀して埋めたことぐらい。適当に車を走らせて来たここがその山であるはずはないだろう。そう思うのに闇に溶ける藪を掻き分けさせられ、湿り気を帯びた朽木や落ち葉を掘り分けさせられていくと、やがてブルーシートのごわごわとした感触に手が触れた。
柔らかな雨に蝕まれ、全身を浸されて寒気が止まらない。震えた歯がかちかちと鳴るのにかじかんだ手はぞっとするほど冷たい骨をひとりでに暴きにいこうとする。
「やめろ!やめてくれ!」
半狂乱になって喚く声は霧に阻まれて誰にも届かなかった。