『柔らかい雨』
夫婦仲の険悪が極まって離婚の話し合いをしていたはずがお互いの罵り合いに発展して喧嘩になった。刃物を持ち出したのはあちらの方だったのだが気がつけば相手は倒れていて俺はどこかへと逃げている。
山には霧のような雲のようなものもやがかかっており、雨具の用意もないまま衣服は次第に湿気で重たさを増していった。逃走先としては悪手であると気づいてはいるのだが導かれるように山を歩かされている。
山にはいい思い出のひとつもない。あるのは今さっき刺した妻に唆されて気持ちの離れていた恋人を共謀して埋めたことぐらい。適当に車を走らせて来たここがその山であるはずはないだろう。そう思うのに闇に溶ける藪を掻き分けさせられ、湿り気を帯びた朽木や落ち葉を掘り分けさせられていくと、やがてブルーシートのごわごわとした感触に手が触れた。
柔らかな雨に蝕まれ、全身を浸されて寒気が止まらない。震えた歯がかちかちと鳴るのにかじかんだ手はぞっとするほど冷たい骨をひとりでに暴きにいこうとする。
「やめろ!やめてくれ!」
半狂乱になって喚く声は霧に阻まれて誰にも届かなかった。
11/7/2024, 5:56:23 AM