『一筋の光』
夜のジョギング中に浮遊するUFOに声を掛けられた。スマートフォンより大きくタブレットよりは小さいそれに機械翻訳されたような声でここに行きたいのですがどうしたらいいですか、と丁寧に尋ねられたのだ。中空には目的地の地図らしきものが映し出されている。小説や映画の影響で、宇宙人と言えば攻撃的だったり侵略を目論んでいたりというイメージがあったものの、その尋ねられ方に外国人観光客が思い出されてしまったので警戒心も抱きようがない。ここからさして遠くはない場所をどうにか説明すると、地図を仕舞ったUFOはありがとう、とお礼の言葉を残して去っていった。
しばらくのあとに、視界の端から空へ向かって一筋の光がゆっくりとした速度で過ぎていくのが見えた。手を降ってみるとこちらに気づいたようで、UFOの中からもなにかが振り返してくるのが伺い知れた。そのまま空高くへ上がっていくのを見送りながら、宇宙人も道に迷うことがある、という知見を得た私は、また夜のジョギングを再開することにした。
『哀愁を誘う』
人型兵器の工場で検品に弾かれると兵器の機能を外されて芥溜に放られる。なりそこないにもいろいろあるので立って歩けるものは野良になって人の世に混じるし、そうでないものは意識を自ら閉じて朽ちるのを待つばかりだ。私は立って歩けたし、優しい人にも巡り会えたので世話になりながらも自分で金を稼いで食っていけている。
食堂で素朴なパンと野菜の煮込みを食べていると、工場で配給されていたレーションのことをふと思い出した。活動に必要な栄養の入った半固体のそれは、無味無臭で不味くもないし美味くもないもの。今食べているものからは小麦の香りがするし根菜の噛み応え、甘み、あたたかさを感じられるので、どちらが美味しいかと聞かれれば断然こちらなのだが、不味くもなく美味くもないあれを口に入れたいという気持ちが今はなぜか湧き起こっていた。
同じロットで造られた兄弟たちの間にはまれに同調という現象が起こるらしいのだが、もしかしてそれが今なのだろうか。今ごろどこで何をしているか知る手立てもない兄弟の誰かが記憶を辿り工場のことを強く思い出している。それの意味するところは人で言う走馬灯のようなものなのだろうか。兵器としてしか生きていない者が最期に食べたいと思うものがもう戻ることはない工場の、食べ物とも呼べないあれなのかと、私は無性に悲しくなった。
世の中には美味いものが山ほどあるぞと念じながら野菜の煮込みにパンを浸して食べる。人のように涙は出やしないが、私はひとり泣きながら目の前のものを食べ進めていった。
『鏡の中の自分』
鏡の住人に声を掛けられても答えてはいけない。屋敷に伝わる掟であったが、いつしかそれは忘れ去られていた。
ある屋敷にわがまま放題だった一人娘がいた。彼女は幼い頃から甘やかされていたせいで気に入らぬことがあれば怒鳴り散らし駄々をこねるのを日常的な振る舞いとしていた。彼女を甘やかした両親はいずれは落ち着きを身につけるだろうと楽観的に見ていたが、年頃になるころには輪をかけてひどくなっており、もう誰の注意も聞かなくなってしまっていた。彼女のことを誰もが煙たがっていたのだが、わがままを言うことがアイデンティティとすら思い込んでいる彼女はなにも気づかず、なにかを変えることすら思うことはなかった。
ある日に彼女の髪を梳かしていたメイドが手を滑らせて櫛を落としてしまう。メイドを怒鳴り散らした彼女は代わりの者が来るまでの間、ドレッサーの鏡に映った自分と向き合っていた。中身は醜悪だが見目はよい彼女は顔の角度を変えあるいは覗き込み、ためつすがめつ飽きもせず自分の顔を見つめていた。そんな折に鏡の中から声を聞く。
「替わりなさい」
命令口調のそれに対して反射的に彼女は答える。
「誰に向かって口を聞いているんですの!?」
鏡の中の声と会話が成立してしまったがために、彼女は鏡の中へ、そして、鏡の中の住人は彼女に移った。
令嬢の髪を梳くための代わりのメイドがドレッサーから少し離れたところに倒れた彼女を発見し、慌てふためいて医者を呼んだ。みなに囲まれながら目を覚ました令嬢は心配をかけたことへの謝罪としおらしい態度を見せて周りを大いに戸惑わせた。あまりの様変わりに両親はもう一度医者に診せ、そしてどこにも異常はないとわかると、召使いともども娘の急激な変化を歓迎して受け入れた。その騒動のさなかに鏡の中に気を配る者はおらず、ゆえに見知った人影が声もなく喚いていることにも誰も気づきはしなかった。
『眠りにつく前に』
明日遠く離れた国で戦争が起こるという。きょうび珍しいやり方である宣戦布告で日時を指定して正々堂々と攻め入ると突きつけた国は対する国が進軍を受けて立つと返答を寄越したことでそんなことになってしまった。民間人が巻き込まれぬようにという配慮によって市街を避けた場所で行われる戦いには物味遊山の野次馬がすでに大勢押しかけているらしい。
明日目覚めたら戦争は始まっている。正々堂々と戦う兵士もどんな手を使ってくるかわからない相手もそれに巻き込まれる野次馬も大勢死ぬに違いない。
眠りにつく前にどこにあるかもわからない国に向かって祈る。
「馬鹿らしい戦争がすぐさまに終わりますように」
祈りを聞き届けてくれる誰かがいることをも願って、私は眠りについた。
『永遠に』
生物の血を吸って生き長らえるという魔物がかつて存在していた。血で腹を満たし続ける限りは永遠に老いることもなく命の尽きることもないそのひとは世に混ざり人と変わらぬ生活を送っていた。
私が給仕として働くようになる以前からそのひとは店に毎日コーヒーを求めに来ていた。店主の話によればある日に豆を焙煎していたときにふらりと立ち寄った客だったのがそのうち毎日足繁く来てくれる常連客になったという。
「しかしあのひと年がわかんねぇんだよな。こちとら頭も寂しくなってきたっていうのに会ったときからほとんど変わってねぇ」
店主は禿げ上がった頭をぺしりと叩いて笑った。
軽いあいさつを交わす程度の給仕と客は私のやや強引な歩み寄りによって友人以上にはなれていたと思う。できることなら恋人にまでなりたいと思っていたけれどそのひとはあまり踏み込んできてはくれなかった。
思い詰めた私はそのひとが店を出たあとは住処に戻るだろうと踏んで店を放ってあとをつけた。そして、そのひとが女の人を伴って路地裏へ入っていくのを目撃することとなってしまった。抱擁を交わすふたりを絶望的な気持ちで覗き見ることしかできない私の目に、そのひとの犬歯が牙のように伸びて女の人の首元へ深く刺し込まれるのが映った。なぜか安堵の表情を浮かべた女の人は力なく倒れて動かなくなり、やがて灰となって消えてしまった。遅れてやってきた理解が声を上げさせ、私に気づいた彼は驚きと絶望の浮かんだ目で見つめ、そして歩み寄ってきた。
「これでも、私を恋人にしたいと思うか?」
すぐには答えられなかった私に目を伏せ、踵を返したその人の背に私は言う。
「でも、また店には来てください!」
振り返った彼に私は続ける。
「あなたが何者であっても、店に来てくれたら私はきっと嬉しいです」
店を放って出たことを店主に叱られた翌日。そのひとは店へとやってきた。
「俺に、コーヒーの淹れ方を教えてほしい」
常連客は突然に店主の弟子となり、私と彼は同じ店に勤める同僚として一緒に働くこととなった。
「もう血は吸わないから、安心してくれ」
「じゃ、じゃあ、恋人にしてください!」
きょとんとしたあとに大笑いをしたそのひとは、涙目になりながらも頷いてくれた。
自分がどういった魔物であったかを、私は彼の口から教えてもらった。かつては大勢いた同胞たちはハンターと呼ばれる人々によって駆逐され、いまや彼が最後のひとりであること。人が下等であると見做す同胞たちの考えに違和感を持ち、反発していたこと。血をやむなく吸うときは安楽死を望む人を探し出していたこと。
「どうして、コーヒーの淹れ方を習おうと思ったんですか?」
「一言では難しいな……」
私に血を吸う現場を見られたとき、生活のすべてを捨てる覚悟をしていた彼は、私に店に来てと言われてひどく安心したのだと言った。
「俺はあの店のコーヒーと、共にあった平穏な生活を無くしてはもう生きられないのだと悟ったんだ」
そうして彼は人に寄り添うことを決めた。人と共にあるために人と深く関わろうと決めて店主に弟子入りをした。その考えに気づいたのは私がいたからだと、愛することを決めてくれた。
「私との子は望めないが、それでもいいだろうか」
「もちろんです……!」
彼のコーヒーの腕はめきめきと上達し、店主と並び立つほどになった。これで休みがとれると喜んだ店主は週に1、2日店を任せていたのを3日にし、4日にしてやがては彼に店を継がせてしまった。
夫婦で切り盛りしていた店は半世紀の節目に彼の弟子に譲り渡され、老いた彼と私は外へと出てこれまで勤め続けた店を眺めた。焙煎された豆の香りがあたりに漂い、においにつられた常連客や見知らぬ人、人ではないかもしれないひとが店へふらりと立ち寄っていく。永遠に老いず、命の尽きぬ可能性のあったひとは次々と訪れる客たちを懐かしそうに見つめていた。
「行きましょうか」
「ああ」
老いた手に老いた手が重なってゆっくりと歩き始める。コーヒーの香りがこの場所に何年も何十年も漂って、いつか永遠になればいいのにと私はひっそりとそんなことを思っていた。