『永遠に』
生物の血を吸って生き長らえるという魔物がかつて存在していた。血で腹を満たし続ける限りは永遠に老いることもなく命の尽きることもないそのひとは世に混ざり人と変わらぬ生活を送っていた。
私が給仕として働くようになる以前からそのひとは店に毎日コーヒーを求めに来ていた。店主の話によればある日に豆を焙煎していたときにふらりと立ち寄った客だったのがそのうち毎日足繁く来てくれる常連客になったという。
「しかしあのひと年がわかんねぇんだよな。こちとら頭も寂しくなってきたっていうのに会ったときからほとんど変わってねぇ」
店主は禿げ上がった頭をぺしりと叩いて笑った。
軽いあいさつを交わす程度の給仕と客は私のやや強引な歩み寄りによって友人以上にはなれていたと思う。できることなら恋人にまでなりたいと思っていたけれどそのひとはあまり踏み込んできてはくれなかった。
思い詰めた私はそのひとが店を出たあとは住処に戻るだろうと踏んで店を放ってあとをつけた。そして、そのひとが女の人を伴って路地裏へ入っていくのを目撃することとなってしまった。抱擁を交わすふたりを絶望的な気持ちで覗き見ることしかできない私の目に、そのひとの犬歯が牙のように伸びて女の人の首元へ深く刺し込まれるのが映った。なぜか安堵の表情を浮かべた女の人は力なく倒れて動かなくなり、やがて灰となって消えてしまった。遅れてやってきた理解が声を上げさせ、私に気づいた彼は驚きと絶望の浮かんだ目で見つめ、そして歩み寄ってきた。
「これでも、私を恋人にしたいと思うか?」
すぐには答えられなかった私に目を伏せ、踵を返したその人の背に私は言う。
「でも、また店には来てください!」
振り返った彼に私は続ける。
「あなたが何者であっても、店に来てくれたら私はきっと嬉しいです」
店を放って出たことを店主に叱られた翌日。そのひとは店へとやってきた。
「俺に、コーヒーの淹れ方を教えてほしい」
常連客は突然に店主の弟子となり、私と彼は同じ店に勤める同僚として一緒に働くこととなった。
「もう血は吸わないから、安心してくれ」
「じゃ、じゃあ、恋人にしてください!」
きょとんとしたあとに大笑いをしたそのひとは、涙目になりながらも頷いてくれた。
自分がどういった魔物であったかを、私は彼の口から教えてもらった。かつては大勢いた同胞たちはハンターと呼ばれる人々によって駆逐され、いまや彼が最後のひとりであること。人が下等であると見做す同胞たちの考えに違和感を持ち、反発していたこと。血をやむなく吸うときは安楽死を望む人を探し出していたこと。
「どうして、コーヒーの淹れ方を習おうと思ったんですか?」
「一言では難しいな……」
私に血を吸う現場を見られたとき、生活のすべてを捨てる覚悟をしていた彼は、私に店に来てと言われてひどく安心したのだと言った。
「俺はあの店のコーヒーと、共にあった平穏な生活を無くしてはもう生きられないのだと悟ったんだ」
そうして彼は人に寄り添うことを決めた。人と共にあるために人と深く関わろうと決めて店主に弟子入りをした。その考えに気づいたのは私がいたからだと、愛することを決めてくれた。
「私との子は望めないが、それでもいいだろうか」
「もちろんです……!」
彼のコーヒーの腕はめきめきと上達し、店主と並び立つほどになった。これで休みがとれると喜んだ店主は週に1、2日店を任せていたのを3日にし、4日にしてやがては彼に店を継がせてしまった。
夫婦で切り盛りしていた店は半世紀の節目に彼の弟子に譲り渡され、老いた彼と私は外へと出てこれまで勤め続けた店を眺めた。焙煎された豆の香りがあたりに漂い、においにつられた常連客や見知らぬ人、人ではないかもしれないひとが店へふらりと立ち寄っていく。永遠に老いず、命の尽きぬ可能性のあったひとは次々と訪れる客たちを懐かしそうに見つめていた。
「行きましょうか」
「ああ」
老いた手に老いた手が重なってゆっくりと歩き始める。コーヒーの香りがこの場所に何年も何十年も漂って、いつか永遠になればいいのにと私はひっそりとそんなことを思っていた。
11/2/2024, 6:29:02 AM