わをん

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8/7/2024, 3:16:46 AM

『太陽』

神覧試合の勝者は神への捧げ物として体を割かれ心臓を取られる。幾千もの奴隷の手によって組み上げられた神殿に神官が恭しく“それ”が入った小壺を供えた。神殿の真上に輝く太陽。それがこの国で崇められる絶対の神であった。
神覧試合のことは今でもよく思い出す。
「お前は生きろ」
組み合ったときに最初に言われた言葉に俺はまんまと動揺し、足を掬われて敗者となった。俺がつい最近に妻を娶ったことを相手は知っていたのだろう。地に伏しながらも心の奥底に湧いたのは悔しさではなく安堵であり、勝者には感謝とそして言い表せない罪悪感を抱いた。
太陽へと新たに焚べられた薪は燃え尽きれば捨てられ、次の薪が望まれる。あれから数年が経っていた。妻は泣き崩れていたが、何も知らない幼いこどもは試合へと向かう俺に小さな手を振った。

8/6/2024, 3:12:56 AM

『鐘の音』

時刻は10時より少し前。スーパーの一角にある隠れた名店である手作りパン売り場に買い物客がにわかに集い始めている。おつかいで食パンを買ってきて、と放り込まれた私は周りにいるマダムたちから歴戦の猛者のような気迫を感じていた。そんな中におもむろにパン屋の店員さんが現れ、そして手にしたハンドベルをガランガランと鳴らした。
「食パンただいま焼き上がりました。レジでのお渡しとなります。お求めの方は二列に分かれてどうぞ」
素早く反応したマダムたちは食パン専用にできたレジにいち早く整列し、遅れを取った私は慌てて最後尾を探し始める。パンの人気を正直侮っていた私は猛者たちで膨れ上がった行列に戦慄さえ覚えていた。

8/5/2024, 3:25:48 AM

『つまらないことでも』

思いついたオヤジギャグをすぐ口に出してしまうのがうちの父だった。言われたことはなんでも面白くて笑っていたこども時代を経た兄妹、そして付き合った当初から父のそれを聞かされ続けてきた母には父の放つオヤジギャグは打率一割を切っているぐらいには琴線に響かなくなっていた。
白い布団に白装束で納まり、安らかに眠る父を家族みんなが言葉少なに見つめていた。父の長く続いていた不調は末期のがんであり、病巣が見つかってから今日ここに至るまでがとても短く思える程にあっという間のことだった。
「笑うとがん細胞消えるって話を知ってたけど、もうちょっと笑ってあげてたらよかったかもね」
「いやでも、……お父さんほんとにつまんないことばっかり言ってたじゃん」
「それはそうなんだよな……」
ふふ、と少し笑いが起きてそして静かになる。線香の煙が薄くたなびいていき、ろうそくの炎が揺らめきのあとに穏やかになった。
「お父さんいないだけでうちはこんなに静かになっちゃうんだね」
またしんみりとしかけた空気を兄が一変させる。
「ふとんが、ふっとんだ」
普段オヤジギャグの類を言いそうにない兄が言ったことに笑うよりもまず驚いた。兄は顔をとても赤くしている。
「これめちゃめちゃ恥ずかしいね」
兄だけに恥をかかせるわけにはいかない。
「そんなバナナ」
顔が赤くなるのを妹と母もふ、と頬を緩めて見ていた。それからはしばらく家族でつまらないオヤジギャグを言い合う時間になり、みな恥ずかしさにもだんだんと慣れていった。父はいかに言葉遣いがうまかったか、いかにボキャブラリーが豊富であったかを再確認する形になった。
「お父さんセンス良かったんだね」
「つまらないことでも、聞くのと言うのとは大違いね」
静かだけれど少しだけ悲しみの晴れた家族みんなで父を見つめる。口の端が笑っているようにも見えたけれども父は起き上がらず新しくギャグを言うことももうなかった。
その晩の夢に父は枕元に立って渾身のオヤジギャグを披露してくれた。目覚めた今となっては覚えていないけれど、大笑いしたような記憶がうっすらと残っていた。

8/4/2024, 1:36:00 AM

『目が覚めるまでに』

夢で見たことは寝ている間にすべて本当に起こっていることなのかもしれない、なんてことを夜眠る前に想像していた。たとえばどこか高いところから落ちる夢を見たときにはバラバラになった体を誰かが拾い集めて繋ぎ合わせ、自分の目が覚めるまでに誰かがベッドに送り届けていたりするのではないか。まぁ、本当にはそんなことは起こりえないと思っているけれど。
目が覚めて大きく伸びをしたら、自分の腕がやけに重たくてそのまま後ろへ倒れ込んでしまった。どこか体調がおかしいのだろうかと額に手を当てるつもりが腕がいつもと違う動き方をする。おかしいのは腕のほうかとそこで初めて目をやると、肩から生えていたのは脚だった。
あぁ、間違えた。
そんな声が聞こえた気がして目が覚めた。大きく伸びをすれば腕も脚もよく伸びて、寝ている間に凝り固まった筋肉がほぐれていくのを感じる。
「なんか変な夢見たな……」

8/2/2024, 11:53:53 PM

『病室』

黄色い花瓶に据えられた花が萎れて項垂れている。自分で変える気力もなくもうずっとそのままにしてあるのを看護師が見かねて処分してくれた。
最後に身内が見舞いに来てからもう1ヶ月が経つだろうか。花なんて珍しいものを、といつもの調子で言ったときにいつものように黙りこくった彼女とはそれきりになった。いつものやりとりと思っていた。それがいけなかったのだろうか。
入院するに至ったのは好きなものを好きなように食べた結果だった。彼女に諌められたことも何度かあったような気がするけれど意に介さずにしていたらいつしか何も言われなくなってしまっていた。いつもの彼女を造ったのは自分だった。
看護師以外には誰も来ない病室でどうにかしてくれと当たり散らすこともできないぐらいに身体の不調が訴えかけ精神が削られてくる。何もかもがおまえのせいだと自分自身が問い詰めてきて苛まされる。
すまなかったと声に出しても黄色い花瓶に花は戻らなかった。

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