『つまらないことでも』
思いついたオヤジギャグをすぐ口に出してしまうのがうちの父だった。言われたことはなんでも面白くて笑っていたこども時代を経た兄妹、そして付き合った当初から父のそれを聞かされ続けてきた母には父の放つオヤジギャグは打率一割を切っているぐらいには琴線に響かなくなっていた。
白い布団に白装束で納まり、安らかに眠る父を家族みんなが言葉少なに見つめていた。父の長く続いていた不調は末期のがんであり、病巣が見つかってから今日ここに至るまでがとても短く思える程にあっという間のことだった。
「笑うとがん細胞消えるって話を知ってたけど、もうちょっと笑ってあげてたらよかったかもね」
「いやでも、……お父さんほんとにつまんないことばっかり言ってたじゃん」
「それはそうなんだよな……」
ふふ、と少し笑いが起きてそして静かになる。線香の煙が薄くたなびいていき、ろうそくの炎が揺らめきのあとに穏やかになった。
「お父さんいないだけでうちはこんなに静かになっちゃうんだね」
またしんみりとしかけた空気を兄が一変させる。
「ふとんが、ふっとんだ」
普段オヤジギャグの類を言いそうにない兄が言ったことに笑うよりもまず驚いた。兄は顔をとても赤くしている。
「これめちゃめちゃ恥ずかしいね」
兄だけに恥をかかせるわけにはいかない。
「そんなバナナ」
顔が赤くなるのを妹と母もふ、と頬を緩めて見ていた。それからはしばらく家族でつまらないオヤジギャグを言い合う時間になり、みな恥ずかしさにもだんだんと慣れていった。父はいかに言葉遣いがうまかったか、いかにボキャブラリーが豊富であったかを再確認する形になった。
「お父さんセンス良かったんだね」
「つまらないことでも、聞くのと言うのとは大違いね」
静かだけれど少しだけ悲しみの晴れた家族みんなで父を見つめる。口の端が笑っているようにも見えたけれども父は起き上がらず新しくギャグを言うことももうなかった。
その晩の夢に父は枕元に立って渾身のオヤジギャグを披露してくれた。目覚めた今となっては覚えていないけれど、大笑いしたような記憶がうっすらと残っていた。
8/5/2024, 3:25:48 AM