『花咲いて』
学校から持ち帰られた小さなプランターにはアサガオが植えられている。発芽や双葉と本葉の観察を経て伸びた葉っぱにはあちこちにつぼみらしきものがあり、こどもたちは毎朝ラジオ体操帰りにそのつぼみを眺めたり、いつ開くのかと話しかけたりキッズカメラで写真に収めたりと楽しみに観察を続けていた。
昨晩から雨がよく降り、近所の広場でのラジオ体操が中止となった朝。リビングで体操を終えたこどもたちが軒先のアサガオの様子を見るために玄関を開けた途端に喜色ばんだ声を上げた。キッチンの手を止めて見に行った先には薄青色のアサガオが一輪、こちらに向かって微笑むように咲いていた。こどもたちはドタドタとカメラを取りに家を駆け回る。次第に明るくなっていく雨上がりの空から強い日差しが差し込んで、テレビの天気予報が梅雨明けを知らせていた。
『もしもタイムマシンがあったなら』
歴史上に実在した人物をキャラクターに起用したゲームにハマり、それまで読み流し、聞き流していた歴史の教科書や授業に俄然熱が入るようになった一学期。
夏休み初日に電車やバスを乗り継いで向かった先はかつて大きな合戦のあった古戦場跡。観光案内所でもらった名だたる武将の陣地跡が記載されたパンフレットを片手に山登りにも似た行程を経て目的の場所にようやくたどり着いた。
「何にもないなぁ……」
古戦場跡が見渡せるような小高い山には簡単な説明の書かれた看板と豊かな自然が残るのみ。けれど想像力を掻き立てればあの人もこの人も表情をキリリと引き締めて戦に向けての会合を開いていたように思えてきた。私が今まさに立っているこの場所で。
「タイムマシンはよ!」
ひとりの歴女の心からの叫びは誰の耳に届くでもなく豊かな自然に吸い込まれていき元の静けさに戻っていった。
『今一番欲しいもの』 (アンパンマン)
顔が濡れて力が出ない。
いつもみんなを困らせて悪さをする彼にいつもぼくは注意をしている。言ってもわからない場合はちょっと懲らしめることもしばしば。そのために彼からは目の敵にされてしまっている。
力が出ないぼくの体を彼は日頃の憂さ晴らしも込めて痛めつけることに躍起になっていた。彼と仲良くしようと思っているけれど、みんなを困らせる彼と仲良くなるにはどうすればよいのだろう。彼が痛めつけることに飽きたとき、仲良くしようだなんて思ってくれるだろうか。
遠くから唸りを上げて走る車のエンジン音が思考に沈んでいたぼくの耳に入ってきた。戦車のようにも見える車のハッチが開くと、見知った彼女が叫んで今一番欲しかったあれを投げつけてくれる。あれはぼくの力の源。あれはぼくの新しい思考。
気がつけば彼は空の彼方に飛ばされており、ぼくはそれまでの沈んだ思考を思い出せなくなっていた。彼に困らされていたみんながよかったよかったと安心しているのを後ろから眺めていたぼくは、ほんの少しだけ立ち止まって後ろを振り返っていた。
『私の名前』
私の家系を遡るとこの国を治めていた王家にたどり着くそうだ。なので子々孫々に代々受け継がれる名前というものがあり、私の名前にも・で区切ったり=で繋げるような長ったらしい本名がある。ちなみに呼ばれたことも声に出して名乗ったことも一度もない。
「お母さんは本名名乗ったことある?」
「あるよ。むかし魔法少女だったときにね」
お母さんの言うことは本当かウソかいつもわからない。お父さんに聞くとあの頃のお母さんは強くて可愛くてカッコよかったなぁ、と返ってくるけれどネットで探してもそういう話は二次元のことしか出てこない。
「あなたもいつかそういうときが来るかもしれないけど、なんとかなるから」
ためになるようなならないようなアドバイスを聞き流して学校に行くために玄関を開けた。昨日まで平和そのものだった世界がなんだか少しおかしいような気がした。
「そこのお嬢さん。世界の異変に気づきましたかな?」
声の方を振り返るとぬいぐるみのようにかわいい二頭身の生き物が格好をつけて佇んでいた。
「いやはや、さすがあの方の娘さんだけある」
開けたままだった玄関から家の方を見るとお母さんが旧知の知人を見つけたときのような顔で驚いていた。
それからの私は本名を名乗って世界を変えんとする巨大な悪からみんなを守る戦いに身を投じて行くのだった、というところで目が覚めた。
「おはよう。早く学校行かないと遅刻するわよ」
「今日はちょっとお寝坊さんだね」
リビングでお母さんとお父さんがいつものように声を掛けてくれる。まだ夢の余韻が残っていた私は、頭に浮かぶ質問を投げかけようかどうかを迷っていた。
『視線の先には』
転校生としてやってきた彼女はちょっと変わり者ではあったけれど打ち解けてすぐに仲良くなれた。そのうちにクラスのあるひとりの男子を目で追いかけていることに気づいてお昼休みの屋上でそれとなく尋ねてみる。
「最近気になる人いるの?」
「えっ、うん。まぁわかるか〜」
「いつもよく見てるもんね」
菓子パンを頬張りながらえへへと笑う彼女はこう続ける。
「あの子、私のお父さんなんだよね」
「は、なん、えぇ?」
手に持った紙パックのミルクティーを呆然と握る私に彼女は転校してくる前は未来にいたことや、お父さんだという人はすでに故人となっていて、過去に影響を与えないという制約のついた期間限定のツアーでここに来ているということを説明してくれた。
「……つまり未来から来たと」
「そう」
「お父さんに会いたくて?」
「そうなの」
「ちなみに今何才?」
「17才」
手に持ったミルクティーをストローで吸う。ずいぶんとぬるく感じるいつもの味がこれは現実だよと教えてくれている。
「失礼なこと言うかもだけど言っていい?」
「とりあえず聞いたげる」
「私も同い年だけど、わざわざ昔に来てまでお父さんに会いに来るって、お父さん好きすぎじゃない?」
「それ未来のみんなからも言われた〜」
転校してきて仲良くなってからも変わり者だなと思っていたけど、未来でもそういう扱いの人のようだ。ちなみに小さい頃はお父さんと結婚したかったとのこと。
とはいえ、私はお父さんを亡くしたことはまだないし、今よりもっと若い時分にそんな経験をしたらこんな行動に出ることもあるのかもしれない。
午後からの授業でも彼女は未来のお父さんを見つめていて、そんな彼女を私も気になって見つめている。期間限定のツアーと言っていたけれど、居なくなるときはいつの間にか消えてしまうのだろうか。私と仲良くなったこともお互い忘れてしまうのだろうか。いろんなことを考えながら、彼女の横顔ばかりを見つめていた。