『優越感、劣等感』
人からマウントを取られてドヤられたり、人から延々と自虐を披露されたりするのをイヤだなぁとつくづく思ってなるべく優越感も劣等感も持たないように、かつ距離を置いて過ごしてきた。そのせいか度を越した自慢や卑屈さのあふれるSNSを目にするとアレルギーのように体調が悪くなったりする。
そういったアレルギーには浄化系のお香がなぜかよく効くと小耳に挟み、半信半疑で100均でも売られているものを焚いてみたところほんとうに調子が良くなった。度を越した優越感や劣等感は意思に関わらず邪悪なものになってしまうということなのかもしれない。
『これまでずっと』
騙すつもりは無かった、ただ言い出せなかっただけ、という言い訳をした顔に私は悪くないと書かれており、思わず私は長年の付き合いである友人と思っていた女の顔をグーで殴った。学生時代にやんちゃをしていた頃以来のグーパンチにはキレがなかったけれど、久しぶりに手応えある殴り心地だった。
次に夫を振り返ると引き攣った笑みの張り付いた顔を強張らせていた。胸ぐらを掴む。これまでずっと良き夫だと思っていたけれど、これまでずっと何食わぬ顔で浮気を繰り返すような男だったとは。自分の見る目のなさに不甲斐なくなり、目の前で怯えた顔をする男の何が良かったのだろうと不思議に思えてくる。
「これまでずっとありがとう」
思ってもいないことを別れの挨拶とし、振りかぶった拳を握り固めて一切の躊躇も加減も混じえずに振り抜いた。
『1件のLINE』
トークルームに元気?と打ったのはもう何年も前のこと。既読が付くことがないその一言を眺めては、もっと早くに送っていれば何か変えられたのではないかと根拠なく思い、そして後悔している。
現場には揃えられた靴とロックの外されたスマートフォンが置かれており、中には家族や知人に宛てたメモが多数残されていた。その中に私に宛てられたものは無かった。
会う機会が少なくなっていたけれど、学生生活の中では一番と言っていいほど仲が良いと思っていた。けれどそう思っていたのは私だけなのかもしれないと思わされて、埋められない疎外感を長く感じている。
忘れてしまえばいいのだろう。けれど知ってしまったことで傷ついたことを忘れるにはまだ時間がかかる気がした。
『目が覚めると』
いつものように布団に入りいつものように目が覚めると辺りはいつもの部屋ではなくなっていた。
ゲームやマンガでしか見たことのない中世のお城のような天井の高くて柱が立派な一室に、魔法使いのローブを纏った人や鎧を着込んで槍を持った兵士、王冠を頭に乗せた顔のいい若者が一様に驚いた顔をして、召喚が成功したとかなんとか言っている。
「あの、盛り上がってるところ悪いんだけど、何なの」
聞けば古から伝わるとされる世界を救う存在を喚ぶ儀式を執り行い、結果わたしが床に描かれた陣に突如として現れたということだった。
「なるりょ。お呼ばれされたらやらないわけにもいかないね」
世界を救うという言葉にはいろんな事象が含まれていると思う。それはあちら側からすれば平和を脅かす存在を打ち倒して平和を取り戻すという解釈なのだろうけど、それはわたしの得意分野ではない。そこに存在するものをすべて破壊しつくすことがわたしの得意とする世界の救済だ。
「来世が善きものでありますように」
綺麗さっぱりなくなってしまった世界に手を合わせて祈りを捧げる。そして新しい布団を敷き直したわたしは一仕事を追えた満足感とともに二度寝の体勢に入った。
『私の当たり前』
親が正しいのが当たり前だと思っていた。
その考えが変わったきっかけは小学生のころにとある友達を家に呼んだとき。男の子だけど女の子っぽい色味や格好が好きなその子とクラスのみんなはうまく馴染んでやっていたので、母もあたたかく出迎えてくれると信じていた。けれど母の視線も表情もいつもと違い、夕食のときの話題に出されたときには父も母も自分の友達に対する態度とは思えないようなことを口にして、大きなショックを受けた。
それから少し経ってクラスの先生に身近な大人が嫌いになりつつあるけれどどう接したらいいのかと訊ねたことがある。大人が誰とは言わなかったけれど察するところのあったらしい先生は少し困ったように笑った。
「人それぞれの当たり前ってやつだね」
価値感や固定概念、思い込みという言葉を使って先生が言う。身内は正しくあってほしいというのも家族ならではの当たり前のようなものだから、そうでなかったときの落差が激しいのは自然なことだと。
「その大人たちがちょっと残念てのがわかったことと、当たり前を見直す機会になったことが収穫と思えるといいね」
そうして先生は、長い付き合いになるだろうから反面教師として観察し続けるといいと教えてくれた。何をされたら、何を言われたら嫌だと思ったかを大人たちから学び、それを戒めとして自分はやらないように心がける。
「そうやって自分の当たり前をアップデートできるようになるといいかな」
先生のおかげで家族仲はちょっとだけ悪くなるに留まり、それから先にいろんな人と出会って偏見を自覚したり、それを取り払えるようになっていった。
家に呼んだあの子に母の態度が悪かったことを謝ったとき、よくあることだから気にしなくていいと笑っていたことはずっと忘れられない。あの子にとってよくあることが当たり前になっていたことはさらなるショックな出来事だった。
当たり前を見直したり、あるいは粉々に壊してもいい。そういうことを教えられる教師になれるように日々勉強の毎日を過ごしている。